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死体の違和感

彼女は少なくとも冬休みに入る前までは、誰よりも幸せそうだった。


実際、大好きな乙女ゲームの世界で、攻略キャラたちが自分の意思で動き、生きている。

そんな、すこぶる顔のいいイケメンたちと一年かけて親交を深め、まさに人生これからという時だった。


——それなのに。


冷たい白い台の上に横たわるエリカちゃんの目は窪み、体はガリガリにやせ細っている。


「司法解剖の結果をご報告させていただきます」


医師が淡々とした声で話し始める。


「彼女は精神疾患を抱えており、精神科医の処方する薬を常習的に服用していました。事件当日も服用していたようで、胃の中からその薬が検出されています」


「……常習的に、ですか?」


「お母さん、ご存じありませんでしたか?」


エリカちゃんの母親が息を呑む。


「成分を調べたところ、服用していたのは三環系抗うつ薬でした。この薬は、初期段階で処方される薬が効果を示さなかった場合に使用されることが多いものです。また、胃の中も腸の中も、食物は一切入っていませんでした」


医師の視線が、眼鏡越しに冷たく光る。


びくりと肩を震わせ、一歩後ずさるエリカちゃんのお母さん。


「学業をこなしながら、モデルの仕事もされていたようですね。身長165cmに対して体重45kg……かなり痩せすぎています。そして、死亡当日、彼女は薬以外何も口にしていませんでした」


ふと、医師の指に結婚指輪が光るのが目に入る。


——もしかすると、この人にも娘がいるのかもしれない。


この医師は、学業と仕事の両立に悩んでいた紅野エリカが、服用していた薬の副作用による幻覚症状の末、学校の屋上から飛び降りたと判断しているのだ。


ここに警察の捜査官がいないのも、すでに事件性がないと判断され、「薬物依存による自殺」として処理されているからなのだろう。


「嘘よ、そんな……病院に通っていただなんて、知らない……」


うわああと泣き叫びながら、エリカちゃんに駆け寄ろうとする母親。


しかし、逸君がそれを阻止する。

「落ち着いてっ!」


——紅野さんの攻略対象だった逸君は、彼女をどう思っていたのだろう。


全日本卓球選手権大会が開催された8月。

文化祭ではクラス委員として共に過ごした10月。


その頃、二人は噂になるほど仲が良かった。


逸君を見れば、その表情は読み取れなかった。

ただ、無表情のままエリカちゃんの母親の肩を抱き、じっと紅野さんを見つめている。

母親の肩を押さえ、エリカちゃんの遺体から引き離そうとしたその時。

彼女の抵抗により、エリカちゃんの腕が台からずり落ちた。


——その指先に、細かい傷と、割れた爪があった。


爪の先端が削れ、まるで何かに必死にしがみついたような痕。


——まさか、屋上から落ちるとき、掴まって抵抗していた?


さらに、人差し指、中指、薬指の三本だけが、つぶされたように割れていた。


「……この指、どうしたんでしょうか?」


「指?」


逸君が近づき、じっと紅野さんの指を見つめる。


「……そういえば、一週間前のチャットで、バイト中にオーブンに指を挟んだって言ってた気がするよ」


「……そうなんだ」


——でも、本当にオーブンで挟んだだけで、こんな割れ方をするのだろうか?

この指ではとてもじゃないが昨日のバイトは無理だろう。

店長もきっと休みなさいって言う気がする。


それに、一週間前なら、爪の下に赤黒い痣ができていてもおかしくないはず。


「同じ子を持つ親として、娘さんの死を受け入れられないお気持ちはよくわかります。しかし、遺書も見つかっている状況で——」


「……あれは、あの子の字なんかじゃない!! つい最近まで、元気だったのよ!!」


遺書?


——ありえない。


告白するためのラブレターの間違いじゃないのか。

ここにきてから混乱しっぱなしだ。

私とエリカちゃんのお母さんだけ見ているエリカちゃんが違うのか?


エリカちゃんの母親は、狂人のように髪を掻きむしり、医師に向かって突進した。


美しさも、儚さも、完全に失われた鬼の形相。


逸君と二人がかりで取り押さえようとしたが、激昂した彼女の力は凄まじかった。


絶叫しながら医師につかみかかる。


「やめてください!」


流石の医師も驚いたのか、数歩後ずさる。


その瞬間——


エリカちゃんの母親の腕が、私を強く押しのけた。


——ガンッ!


不意を突かれた私は、祭壇の角に頭を強く打ちつけた。


酷い痛みが頭を襲い、意識がぐらつく。


逸君が、細長い目を大きく見開き、心配そうにこちらを見ているのが分かった。


医師がすぐに駆け寄り、私の体をゆっくり床に横たえた。


視界が揺れる。


天井の白い電灯の光が、だんだんと滲んでいく。


——ああ、そういえば。


私が死んだ瞬間も、こんな感じだった——。



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