運命の人と邪魔者
薫ちゃん――いや、薫さんと家族になって、もう一年が経つ。
この一年、同じ屋根の下で過ごしてきた日々は、決して平坦なものじゃなかった。
良いこともあれば悪いこともある。
良いことといえば、優しい母ができて、優しい姉ができた。父さんも毎日幸せそうだ。
それだけで、充分に幸せだと思った。
けれど。
僕の前に現れた兄、蓮さん――彼の存在は、僕にとって“悪いこと”の象徴だった。
はじめこそ、お互いに距離を測るような関係だった。
だけど、次第にわかってきた。 彼は弟ではなく、僕のことを、薫さんに近づく不純物のように扱っているのだ。
彼の笑顔は偽物じゃない。
新しい家族に対する優しさも本物だ。
でも、その奥にある鋭さ――それはまるで、家族を守る忠実な番犬のようだった。
愛想のいい顔をしているが、その牙は鋭い。
ご主人様に危害を加える気配を察知すれば、即座に喉笛に噛みついてくる。そんな男だ。
薫さんは兄さんをとても信頼している。
それはもう、母親以上に。血がつながっているという理由だけではなく、時間と想いの積み重ねから生まれた特別な絆が、そこにはあった。
折角、文通相手から家族になったのに、僕はその輪の外側にいた。
最初は、僕だって努力した。
兄さんと仲良くしようと声をかけたし、接点を探した。
でも――彼は最初から、僕を“弟”とは認めていなかった。
自然と会話も減っていき、目を合わせることすらなくなった。
ある日、母さんにこぼした。
「兄さん、どうして僕と話してくれないの?」 すると母は静かに言った。
「蓮くんはね、必死に“守ってる”のよ」
「守ってる?薫さんを?」
「いいえ、違うわ。自分自身を、よ」
彼女は寂しそうな顔をしながら続けた。
「ごめんね、でも、本当に優しい子だから。」
母の言葉は意外だった。
続けて聞かされたのは、彼がこの家に戻ってきた理由だった。
家族を守るためではなく、自分の居場所をもう一度作り出すため――つまり、彼自身が傷つきたくなくて、必死に「家族」という形を守っているのだと。
その話を聞いた時、僕は――正直、内心でにやけそうになった。
そんなに完璧な兄にも、弱点があったのかと。
自分の居場所を必死で確保しようとしている男。そう思うと、可笑しくて、優越感すら覚えた。
彼はずっと、薫さんと過ごしていたわけじゃない。
大学に通っていた期間、ずっと家を離れていた。 それに比べて僕は、薫さんと兄よりも長く共に過ごしてきたんだ――!
その時から僕は、自分の“弱さ”をさらに武器して、利用することに決めた。
勉強でつまずいたふりをして、薫さんに教えてもらったり。
朝は弱くないくせに、寝坊したふりをして起こしてもらったり。
甘えん坊キャラを演じて、いってらっしゃいのハグという僕だけの“日課”を作ったり。
痛みなんてない胸の手術跡をなでてもらうために、たまに「ちょっと痛むんだよね」なんて嘘をついたり。
――全部、演技だった。
その結果、当たり前だが、兄の警戒心を刺激してしまったのだ。
兄が焦れば焦るほど、愉快でたまらなかった。
しかし、やりすぎたのか彼は僕らを邪魔するようになった。
薫さんの部屋で二人きりで勉強していると、確実に乱入されるようになった。
しかも、彼の説明は的確で、悔しいことに、教え方も上手だった。
彼が参加してくると、薫さんは「三人で勉強するのも悪くないね」と微笑んだ。
――何が“悪くない”だ。全部、台無しじゃないか。
それから僕は、勉強にも本気を出すようになった。
彼と並び立つために。 彼を超えるために。 そして、薫さんの“特別”になるために。
でも、彼は僕とは違う。
薫さんが困っている時、無言で手を差し伸べられる。 疲れている時、さりげなく飲み物を差し出せる。 ただ静かに、でも確実に、薫さんの隣にいる。
――だから僕は、もっと必死になった。
それでも、薫さんにとっての“一番”は兄だった。 勉強でも、気配りでも、全部彼のほうが上だった。
どうしたら、あの人に勝てるのか。 どうしたら、薫さんが僕だけを見てくれるのか。
それを考えているうちに、一年が経っていた。
そして今――僕は薫さんの部屋で、彼女の親友・紅野エリカさんと、オタク仲間の古谷先輩に囲まれていた。 どうやら薫さんは、飲み物を買いに出かけているようだった。
「久しぶりだね、颯真くん!」
「おじゃましてます」
エリカさんは、相変わらず明るくてストレートな人だった。
対して、古谷先輩はまるで反対。無表情で、目が鋭くて、何を考えているのか読めない人だ。
二人から入学祝いをもらった。 エリカさんはケーキを、古谷先輩は――高価なシャープペン。
そのプレゼントを開けた瞬間、心が動いた。
……嬉しかった。 それと同時に、なぜか背中がひんやりと冷たくなった。
この人たちは、ただの親切でここにいるわけじゃない。
「ねえ、颯真くん。ちょっと薫ちゃんのことで、話したいことがあるの」
「薫さんの……?」
紅野さんの言葉に、僕はゆっくりと頷いた。
「最近、蓮さんと話してないの? 目も合わせてないって……それを薫ちゃん、すごく気にしてた」
やっぱり、そうか。
でも、それは本当の“悩み”じゃない。もっと深い何かがあるはずだ。
「僕、仲良くなりたいんです。本当は、“兄さん”って呼びたいんです」
そう言った僕の顔は、きっと“悲しげな弟”を完璧に演じていたと思う。
エリカさんは、同情のまなざしを向けてきた。
でも、古谷先輩だけは違った。
彼の目は、まっすぐに僕を射抜いていた。
その目に――僕は“見透かされている”と感じた。あの人、兄と同じ目だ。
「……本当に薫さんが悲しまないように、仲良くなりたいと思っていますよ」
僕は、また一枚、仮面を重ねた。
古谷さんは静かにため息をつき、何も言わずに頷いた。
エリカさんは、「私たちも協力するよ!」と元気に言ってくれた。
ありがたいことだ。 でも、僕の目的は――“兄と仲良くなること”ではない。
薫さんの心の奥にある、秘密。
彼女が誰にも言わない、本当の“弱さ”。 その場所に一番近づきたい。
だから、僕はこの“家族修復作戦”に、乗ることに決めた。
それも、薫さんを奪うための、一つの手段として――。
颯真恋愛ルート表裏・友情ルート 行動条件達成 高校編に続く




