醜いアヒルの子の太陽と月
初等部になじめずにいる僕を気遣って、父さんは日本にいる旧友の家に一週間遊びに行くことになった。
正直、気は進まなかった。
けれど、引きこもっていても何も変わらないことを僕はよく知っていたから、静かにうなずいて同行することにした。
それに、日本であれば虐められている惨めな僕を知っている人は誰もいないから、少しは気が楽になるかなって思った。
父さんの親友はイギリス留学中に出会った舞台俳優らしく、朗らかで整った顔立ちをしていた。
その奥さん・美咲さんは、知的で洗練されていて、品のある女性だった。
そして彼らの娘――エリカは、まるで絵本から出てきたような可憐な女の子だったが、不貞腐れており明らかに「僕の相手役」を押しつけられている様子で、どこか不機嫌そうに見えた。
初日はシアタールームで映画を観るだけだったから、無言で済んで気が楽だった。
彼女態度を見て、僕は、僕の醜さは世界共通なんだとひどく落ち込んだ。
それはそうか、顔はニキビで赤くなっており、そしてこの醜い太った体型だ。
もう外なんかに出たくないし、人とも会いたくない。
このまま、シアタールームの住民化してしまいたくなった。
だが翌日、彼女の友達と三人でピクニックに行くことが決まってしまった。
本音を言えば、シアタールームに一人残してくれればみんなハッピーなのに――大人たちはそれを許してくれなかった。
時差ボケの眠気が残る中、朝7時。
エリカに布団をめくられ、半ば強引に起こされる。
眠い目をこすって洗面所へ向かうと、そこには若草色のワンピースを着て、三つ編みを整えているエリカの姿があった。
鏡の前で鼻歌まじりに髪を結うその様子は、まるで恋する乙女そのものだった。
「なに見てんの?」
じとりとにらまれる。
やれやれ、と僕は言葉も返さずに歯磨きを始めた。
エリカはとても明るい子だが、とてもわがままで、気が強すぎる。
美咲さんからランチボックスを受け取り、いざ出発という時にも、エリカは鏡の前から離れない。
前髪を整え、服のしわを直し、姿見とにらめっこしていた。
エリカがそんなにも身なりを気にする友達なんて、僕は酷く憂鬱だった。
僕の格好はといえば、着古したTシャツにジーパンだ。
「さあ、ウィリアム! 行くわよ!」
鏡の前で、一本の前髪と格闘していたエリカは満足したのかものすごい笑顔で玄関を駆け出した。
(僕、年上なんだけど……)
そんな突っ込みは飲み込んで、見送る美咲さんに軽く会釈し、公園へと向かった。
***
ランチの時間が来ても、僕はご飯どころではなかった。
手のひらに収まる、あの土の球体に夢中だった。
「ウィリアム君?」
クスクスと笑う少女の声に我に返る。
いつの間にか3時間も泥団子を磨いていたらしい。
恥ずかしくなって、そっとそれを地面に置き、「ちょっと手を洗ってくる」とだけ告げて、足早にトイレへ向かった。
僕が昼食を忘れるくらい衝撃的な出来事はエリカの友達との出会いによる。
彼女の名前は、薫。
清楚でおしとやかで、ほんのり笑うと柔らかい空気が生まれる――そんな子だった。
エリカとは対照的な子だった。
エリカが真夏の太陽なら、薫は真冬で澄んだ星空に静かに輝く月だ。
「初めまして、ウィリアムです」
つたない日本語で自己紹介すると、彼女はやさしく手を差し伸べてきた。
差し出されたその手を、僕は戸惑いながらも握り返した。
薫は、僕の言葉の拙さに気づいたのか、簡単な英語で問いかけてくれた。
「What do you usually do in your free time?(あなたは普段なにをして過ごしているの?)」」
「Most of the time, I just watch Japanese anime or read books.(大体、日本アニメをみたり本を読んだりしてるよ)」
「へえ、そうなんだ。Are you interested in Japan?(日本に興味があるの?)」
「えっ、なに? 薫ちゃん英語しゃべれるの!?」
驚くエリカの声に、薫は微笑んで答えた。
「うん、少しだけ。兄さんに教えてもらってるの」
「すごいわ!かっこいい!天才!好き!」
エリカは突然テンションを上げて、ぎゅっと薫に抱きついた。
そのはしゃぎぶりに僕はうんざりしてしまい、つい口に出してしまった。
「エリカ、うるさい。今、薫と話してるんだ」
「ウィリアム!!あなた日本語話せるでしょ! 英語やめなさいよ!」
「英語のほうが話しやすい」
「もう、なによ!いじわるだわ。薫は私の親友なのよ」
エリカがギャーギャー騒ぎ出したところで、薫がやさしく仲裁に入った。
「今日は、ウィリアム君を歓迎する日だよ? エリカちゃん、今日はちょっとだけ譲ってあげよう?」
「そうだ、子どもみたいだぞ」
僕がそう言うと、エリカは顔を真っ赤にしてにらんできたが、薫がそっと頭を撫でると、安心したように抱きついた。
「エリカちゃん、今日の服、春っぽくてすごく可愛いよ。三つ編みも似合ってる」
「でへへへ……」
さっきまで騒いでいた彼女は、すっかりとろけた笑顔になっていた。
数秒なでたところで薫はエリカから離れてカバンからいろんな道具を取り出した。
料理に使うふるいと、小さなバケツ、そしてストッキングだ。
「Alright, time to show you the amazing Japanese dorodango!(じゃあ、私が日本の泥団子を見せてあげようじゃないか)」
「泥団子?」とエリカがきょとんとした顔をした。
僕も正直よくわからなかったけれど、薫がいたずらっぽく笑ったので、少しだけ興味が湧いた。
彼女は公園の砂を手で集め丁寧にふるいにかけはじめた。
やがて、小石やゴミを除いたきめ細かい砂をバケツに入れて、少量の水を加えて泥団子を作り始める。
その手さばきはまるで魔法のようで、僕は無言で見入っていた。
何度も何度もこすり、磨き、土をまぶし、固めていくうちに、まるで宝石のような丸い球体ができあがっていく。
「What on earth is this...?(これは一体……?)」
「これが、泥団子??」
スカートが汚れないように少し離れたところで様子を見ていたエリカも困惑している。
僕は感動のあまり、僕は思わず手を差し出した。
「ねえ、触っていい??」
薫はうなずいて僕の手の平にそれを置いた。
ずっしりと重みのある泥団子が、僕の手にのせられる。
その質感と重みは、まるで鉄の玉のようだった。
泥と水だけでこんなものが作れるなんて……これが、日本の文化か。
薫の何度も何度もこすり、磨き、土をまぶし、固めてる工程を繰り返せばどこまでも大きくなるらしい。
僕はエリカがお腹が空いたと嘆くまでとりつかれた様に鉄球を育てていた。
***
薫は、僕を見た目で判断しなかった。
英語でも話しかけてくれて、気を使ってくれて――
僕の人生で初めて、「友達かもしれない」と思えた人だった。
エリカは相変わらず我儘だけど、素直で表裏のない子だった。
その後、三人でお弁当を食べたり、鬼ごっこをしたりして、僕の人生で最も楽しい一日となった。
その夜、僕は母さんに電話をかけて、今日の出来事を全部話した。
薫のこと、エリカのこと、土から鋼のような泥団子を生み出した魔法みたいな瞬間のこと――。
父さんも隣でその話を聞いていて、「また薫ちゃんと遊べるように」と、美咲さんに頼んでくれた。
そのおかげで帰国するまでの間、エリカと薫と時間が許す限りたくさん遊ぶことができた。
薫とエリカ、二人の“初めての友達”と、とても仲良くなれた。
帰国の朝、空港まで見送りに来てくれた二人の姿を見て、僕は心の底から日本を離れたくないと思った。
「日本に住みたい」と父に言った。
勉強と運動を頑張って、日本語も覚えたら、いつか母さんと一緒に住めるかもしれないと父は言ってくれた。
ふと思い出す。
エリカが言ったあの一言――
「痩せればウィリアム、かっこいいんじゃない?」
エリカは生意気だけど、嘘はつかない。
僕は決めた。
イギリスに帰ったら、毎日トレーニングするって。
また、あの二人に会える日のために。
公園で一緒に撮った写真を見て僕は誓った。
次回、成長したあの子が再び登場
主人公視点とあの子視点でお送りします。