運命の隣部屋の友人
僕は、生まれつき体が弱い。
来年、一年生になるというのに、いつもどこか調子が悪くて、入院ばかりしている。
お父さんは仕事で忙しくて、あまり病院には来られない。
海外で働いているお母さんに至っては、もう何年も会っていない。
寂しくなったときは、お父さんからもらったスマホでアニメや動画を観て過ごしている。
だけど――
画面の中で笑い合うアニメの主人公とその友達たちを見ていると、いつも胸の奥がきゅっと苦しくなる。
僕も、友達がほしい。
一緒に笑ったり、喧嘩したり、時には助け合えるような……そんな“誰か”が。
*
その日、熱が下がってきた僕は、ベッドから起き上がって窓の外をぼんやり眺めていた。
いつもと変わらない、その景色。
すると、隣の病室から何やら騒がしい声が聞こえてきた。
思わず、そっと壁に耳を当てる。
全部は聞き取れなかったけど、「女の子」「引っ越し」という言葉が聞こえた。
どうやら、隣に新しい入院患者がやってくるらしい。
その晩、病棟が静かになり、消灯時間を過ぎた頃。
どうしても気になって、僕はベッドを抜け出した。
こっそりと隣の病室の扉を開けて、中を覗く。
そこには、小さな女の子が静かに眠っていた。
僕よりもずっと小さな体。
布団からのぞいた手が、あまりにも頼りなくて――でも、どこかあたたかそうだった。
思わず、その手にそっと触れてみた。
小さくて、やわらかくて、ほんのりとあたたかい。
ぎゅっと握っても、彼女はまったく目を覚まさなかった。
――この子と、仲良くなりたい。
そんな気持ちが胸にふくらんでいった。
「……おやすみなさい」
小さな手に、そっとキスをして。
ちょっと照れくさくなって、慌てて自分のベッドに戻った。
*
それから三日後。
ようやく、女の子とお話しする機会がやってきた。
名前は「スミレちゃん」。
記憶をなくしてしまったらしく、自分のことをあまり覚えていないらしい。
僕は、最近観たアニメの話や、面白かった動画の話をたくさんした。
彼女はあまり笑わなかったけれど、ちゃんと目を見て、うんうんと頷いてくれた。
その姿を見ているだけで、僕の胸の中はポカポカした。
――これって友達だよね?でもどこから友達なんだろう。
わからなくて、友達じゃないよなんて言われたら僕はまた熱が出る自信がある。
毎日、彼女は歩く練習をがんばっていた。
最初は真っ青な顔をしていたのに、少しずつ歩けるようになっていく。
――本当は喜ばなきゃいけないのに。
それなのに、僕の心はざわざわしていた。
だって、スミレちゃんが元気になったら、退院してしまうかもしれない。
せっかく仲良くなれたのに……いなくなってしまうなんて、イヤだ。
***
スミレちゃんが目を覚ましてから五日後のことだった。
リハビリを終えても、なかなか病室に戻ってこない。
不安になった僕は、スマホを手にして病室を飛び出した。
廊下を探し回っている途中、ユウキ先生に会ったのでスミレちゃんの居場所を尋ねてみた。
「ごめんね、ソウ君。先生も今探してるんだ」
困ったような顔をしていた先生と別れ、
僕は病院の中庭の向こう側で、スミレちゃんが見知らぬ大人に連れられていく姿を見た。
――危ない!
とっさに追いかけようとしたけれど、僕はか弱くて、何もできない。
連れていったのは太っていて、いかにも意地悪そうな男だった。
そこで僕は思い出した。
そうだ、証拠だ。最近観たアニメで、動画を撮って悪い人が逮捕される話があった。
僕はそっとスマホを構え、動画を撮り始めた。
おじさんの言っていることはよく分からなかったけど、
スミレちゃんが「ひどい目に遭わされていた」ことだけは、なんとなく伝わってきた。
僕のお父さんは優しくて、いつも僕のために働いてくれている。
お母さんだって、僕の入院費を払うために一生懸命に働いているって言ってた。
でも、スミレちゃんのお父さんは――違うらしい。
そんなのおかしい。
僕の大切なスミレちゃんを、どうして誰かが傷つけていいんだ。
動画はしっかり撮った。あとは、大人に任せよう。
そのとき、大きな背中が近づいてきた。
――スミレちゃんのお兄さんだった。
病室の前で何度も見かけたことがある。
お兄さんがいれば、大丈夫だ。
僕はそっとその場を離れ、病室へ戻る途中で再びユウキ先生に会った。
「ソウ君、スミレちゃん見つかった?」
「うん。変なおじさんと話してた……」
その直後、警備員さんが駆け寄ってきて先生に耳打ちした。
「例の記者が病院に入ったという目撃情報が……」
先生の顔がさっと青ざめた。
「ソウ君、その“変なおじさん”とスミレちゃん、どこにいた?」
「中庭の自販機のところ」
僕がそう言うと、先生と警備員さんはすぐに駆け出していった。
***
病室に戻ると、ちょうど扉が開いた。
そこに立っていたのは、スミレちゃん――じゃなくて、お父さんだった。
「起きていたか。調子はどうだ?」
お父さんはどこか疲れていたけれど、笑顔を見せてくれた。
それだけで、僕の胸がじんわりあたたかくなる。
――スミレちゃんが退院するのがイヤなんじゃない。
僕が元気になって、また会いに行けばいいんだ。
「あのね、お父さん。僕、頑張るよ。元気になる」
そう言って、お父さんにぎゅっと抱きついた。
お父さんは力強く僕を抱き返してくれた。
そのあと、僕はスミレちゃんのことや、さっきの変なおじさんのことを話した。
お父さんは眉間に皺を寄せて、真剣な顔で言った。
「もしも悪い人に何かされたら、大声で助けを呼ぶんだ。絶対に立ち向かってはいけない」
「うん……」
僕は何度も何度もうなずいた。
*
それから二日後。
スミレちゃんの退院が決まった。
僕はお父さんと一緒に、病院の玄関まで見送りに行った。
お父さんは、スミレちゃんのお母さんに何かを伝えていた。
お兄さんは、淡々と荷物の整理をしていた。
そして、スミレちゃんは、僕の手のひらにそっと何かを握らせた。
「これ、お守り。ラピスラズリっていう石でね、願いが叶うんだって」
その青くてキラキラした石は、まるで宇宙みたいだった。
白や金色の模様が混ざっていて、見ているだけで元気が出てくる。
「兄さんにお願いして、持ってきてもらったの」
「ありがとう……スミレちゃん」
「ソウくん、手術がんばってね。絶対、大丈夫だから」
最後に、お兄さんが僕の肩を軽く叩いて、低い声で言った。
「……頑張れよ」
その日、僕は泣きそうになるのを必死でこらえた。
だって、これは“さよなら”じゃない。
また会うための――“約束”なんだから。
そしてその翌日。
僕はラピスラズリを握りしめながら、手術室へと向かった。
お守りの力なのか、手術は無事に終わった。
お父さんは目に涙を浮かべながら喜んでいた。
不安だった僕は声を上げて泣いた。
これできっと、またスミレちゃんに会える。
その時には、「元気になったよ」って伝えたい。