一点五
私は雨の日に教会に捨てられていた。
一つの時に母親と名乗る男爵家の娘が私を引き取りに来た。あの人との子だから。これであの人も私のモノだと。
香水臭い女に私は抱かれ、あの女はそう呟いた。
たまに来る男は私を見て喜んだ。目元が自分に似てきたな。なんて気持ちの悪い戯言を述べて、茶番の様な親子ごっこをした。
男爵家の生活は特に不自由はなかったが、女の顔がいつも怖かったことを覚えている。
三歳になって、あの男が迎えに来た。やっと公爵家に迎えられると。
無口な男爵は何も言わなかった。公爵家になるならば縁を切らせて欲しいとだけ言っていた。
女は鼻息を荒くしてもちろんだ、縋ってきても助けない。と叫ぶように言って何かにサインをしていた。
公爵家の馬車に揺られて、私はオーガス家にやってきた。
扉が開き、驚いた様子の使用人たちの間を通る。
そして、何人かのメイドを連れて降りてきたのは、まごう事なき天使だった。
私は足が震えた。こんな人間が存在していたのかと思うほど神々しい姿だった。
透き通るような銀の髪は光に当たると少しだけ緑がかったストレートの長い髪。
新緑の様に青々とした深緑の瞳。すべてが美術品の様に、そこに存在していた。
「ルルイエ、お前の新しい家族だ」
そう言って男は私を抱き上げる。
汚らわしい、本気でそう思った。
ふと、母親の方を見ると、顔がこれでもかと言うほど真っ青になっていた。
その日を境に父親は屋敷からほとんど帰って来なかった。
母親はがりがりと爪を噛みながら悪魔が屋敷にいると吠えた。
美しい天使を屋根裏部屋に押し込み、彼女の持っていたものを私に宛がった。
その中からひときわ美しいネックレスを見つけた。私は母に隠れて屋根裏部屋に向かった
。
大きな扉をなんとか開き、ドキドキしながら薄暗い階段を上った。
建付けの悪い木の戸がぎぃっと音を立てて開くと、小窓からの光に照らされた彼女がいた。
「あなたは」
声までも美しい。
「わたしは、リティ」
名前のない私に男爵がつけた名だった。女は何か言っていたが、私はこちらの名前を選んだ。
私は静かに彼女に近寄る。ほこりっぽいが以前は誰かが清掃をしていたのだろう。今は使用人をあの女が一新してしまったので、彼女の味方などこの屋敷にはいなかった。
彼女に与えられる食事のほとんどは出されずにいた。外に出したと思ってたら水をひっかけるやつもいた。
私はあいつらをすべて消し炭にしたい衝動にかられた。でも三歳の子供はあまりに無力だった。
だから私はそいつらの顔を覚えることにした。もうこの状態は長くは続かないだろう。
この方は正当なオーガス家の後継者だ。入り婿の男にはなんの権限もない。
あの女が解雇にした執事がもうすぐ前当主の元へ行くだろう。そうすればすべてが終わる。
きっと首を刎ねられる。いい気味だ、今のうちにああやって馬鹿みたいに笑っていればいい。
私はハンカチに包んでいたパンと、ポケットからあのネックレスを取り出した。
あの方は目を丸くして私からネックレスを受け取った。栄養が行き届いてないかさかさの手、泣きそうになった。
「ごめんなさい、わたしは」
こんな事しかできない。という言葉が彼女の抱擁でかき消された。
「ありがとう、リティ。可愛い私の妹」
私はこの言葉に、天にも昇る気持ちだった。
愛おしい、愛くるしい、それでいて
恐ろしい
狂気にも似た感情が胸の中を駆け巡る。
「これは私の母の形見なの」
体を離してネックレスを私に見せてくれた。
木の箱に座って、二人で寄り添って。
「可愛いリティ、あなたには教えてあげるわ」
「ルルイエ、しゃま?」
「おねぇさまと呼んで頂戴。私の可愛いリティ」
あの方はそう言って、ネックレスを光に透かした。
「 」
ネックレスに浮かび上がった言葉を見て、私は全身の血が沸き立つ感覚を覚えた。
恐怖、愛、憎悪、熱情、愛、愛、愛愛愛愛
「おねぇしゃま」
拙い言葉であの方をルルイエねぇさまを呼ぶ。思えば私は覚醒したのかもしれない。何物でもく、ルルイエおねぇさまの忠実なる駒として。
「リティ、愛しているわ」
深緑の瞳ではない、もっと暗い、暗い闇に金色に光る闇。
気が付けば、熱い何かが私の鼻を伝った。私は鼻血を出していたのだ。
「あら」
ルルイエ様はくすくすと笑いながら、私の血を指で掬い、舐めた。
「あなたは本当にかわいいわ」
私はこの場で彼女に命をささげてもいいと思った。
だって、それはとても光栄な事だからだ。
でもまだだめだ。
「私は、おねぇしゃまのおそばに」
ドレスの袖で血をぬぐうと真っすぐルルイエ様を見た。
「ええ、そばに」
目を伏せ、ルルイエ様はそう返した。
翌日、前当主が私兵を伴い屋敷を訪れ、すべての罪が白日の下にさらされた。
私はその様子をエントランスに立ったままぼんやりと眺めていた。
それから私は男の伯爵家にやってきた。ルルイエおねぇさまが私を救ってくださった。
私は歩み出ておねぇさまをいじめていた並べられた使用人を指さした。
「この人は、おねぇしゃまの食事を抜いていた」
「この人はおねぇさしゃまに水をかけた」
「このひとは」
私に指を差された人間たちは泣きそうな顔で私を睨んでいた。
憲兵なども呼ばれて、次々に連行されていく様子は胸がすく思いだった。
主犯の母親は投獄された。あいつは悪魔だとまだわめき続けているらしい。
あの男は離れに幽閉されるそうだ。
あの男も、あの女もいずれは死ぬだろう。
私は男の兄と名乗る伯爵と、その奥様と対面した。
使用人たちを部屋から退出させ、私と彼ら三人だけになった。
「あなたは知っているの?」
奥様は脈絡もなくそう言った。
私はまたあの時の感覚を思い出した。
あの埃とかびくさい屋根裏部屋で過ごした、おねぇさまとの事。
「もちろんですわ、奥様」
恍惚とした笑みを浮かべ、私は言った。
伯爵と奥様は顔を見合わせ、頷きあった。
「ラムレイ家にようこそ、同士リティ。ここが今日からあなたのおうちよ」
奥様はにっこりと笑って私を抱きしめた。
彼らは私を仲間と認識しようだった。
私も、はい。と言って奥様の背中に手を回した。