女の執念、男のプライド
女の執念をなめないでもらいたい。今日のこの私をつくるために、どれだけの私が涙をしたか。
行かない、とつねづね言っていた成人式に、やっぱり行きたくなったと私が言い出したとき、母は喜んだ。どっちでもいいんじゃないという態度に見えていたが、行くとなったらなったでやっぱりうれしいものらしい。
あれよあれよというあいだに振袖を決め、美容室を決め、なんとか日程には間に合った。それまでにダイエットをして、髪を整え、一番きれいな私でいられるための努力も怠らない。
私が成人式に行く、と決めた理由はただ一つ、ある男に会うためだ。高校の卒業式を最後に一度も顔を合わせていない、中学からの同級生。
仲はそこそこよかったと思うけれど、高校を卒業してから連絡をとりあうことはなくて、今に至る。
高校時代、バレー部に所属していた私は、ずっとベリーショートを保っていた。それが二年経った今ではロングに変わり、お化粧も肌の手入れも覚えた。高校の友だちに「見違えた」と言われるくらいだ。
髪の長い女の子が好き。
なんの気もない、ずっと昔のそのひとことがなんとなく忘れられなくて、こうやって髪を伸ばしている私は滑稽だろう。
でも、それも今日で終わりだ。断ち切れなかった未練を終わらせるために、私はここにきた。
成人式が開かれる市民ホールの入口をぐっと睨む。すでに振袖やスーツを着た人たちがちらほら立っていた。
「式まで見る?」
「ううん、お母さんたちも忙しいと思うからいいよ。お昼過ぎにまた迎えにきて」
「ごめんね、祝日はどうしてもお店開けたくて」
「気にしないで! いってきます!」
母の運転する車から降りて手を振る。私の両親は自分たちの飲食店を持っていて、土日祝日は目の回る忙しさだ。電車でいいと言ったのにここまで送ってくれただけでありがたい。
少しだけ雪が積もっている。しゃくしゃくとブーツで雪を踏みながら知り合いを探す。
「寧々子ー!」
自分の名前を呼ばれ、見るとバレー部の面々が集まっていた。
「うわあ、みんな早いね! あけまして成人もおめでとう」
「寧々子……前から美形だと思ってたけど、和装がここまで似合うとは……」
「美人のストレートロングは破壊力がすごいよ」
「しかも振袖は黒に金」
「どうしたの? みんなもかわいいよ。桜子の名前通りの桜模様も似合ってるし」
隣にいた桜子をはじめとしてそれぞれを褒めると、今度は「女たらし」と言われてしまった。
みんなとは卒業後もたびたび会っているから、それほど懐かしさもない。
あの頃はボールだけを追いかけていて化粧っけの一つもなかった私たちだけれど、今日はみんなばっちりとメイクを施している。
ベリーショートの集団として認識されていたから、高校時代しか知らない人は私たちのことを同一人物だと認識できないだろう。
入口付近で立ってしゃべっていると、その後もバレー部のメンバーが次々に集まり、かなりの大所帯となった。そのままホールの中へ移動して、式典に参加する。
市長の話を聞きながらあくびを噛み殺していると、隣にいた千花が「ねえ」と小さく声をかけてきた。千花とは中学も高校も一緒で、所属する部活こそちがうものの仲良くしていた。
「寧々子、米原とはもう会った?」
「……まだ会ってないよ。きてるの?」
「うん、同じ電車に乗ってきたよ。寧々子のこと話した」
「なんで!?」
「だってわたしたちの共通の話題ってそれしかないし。米原、恥ずかしいから寧々子と会いたくないって。男のプライドってほんとしょうもない」
過去のことをすべて知っている千花は、米原にだけは厳しい。きれいに整った眉をしかめ、「あの男が寧々子と会いたくないなんてありえない。ありゃ強がりだね」と鼻で笑っている。
「男のプライド?」
「ぜったいそうだよ、ゴール手前で決めきれなかった情けなさ? あと一歩のところを躊躇したへたれさを恥じてるの」
「……そうかなあ。千花の手前、私に会いたくない理由を取ってつけただけだと思うけど」
「いいや、普段はちょっとふしぎくんなのに、寧々子のことになるとわかりやすいよ。あとで探して会ってみなよ。わたしも見かけたら声かけるね」
「……よろしく頼む」
彼女はちいさく親指を立て、先ほどの私と同じようにあくびを噛んだ。みんな朝早くから着付けに行ったせいで眠いらしく、会場全体がうとうととしている。
長かった式がようやく終わり、ホールを出る。慣れない服装で疲れ切っているはずなのに、早速写真撮影が始まっていた。
知り合いと写真を撮り、いくつか立ち話をしながらさりげなくあの男を探す。
しかし、三十分くらいそうしていても、顔すら見つけられなかった。さすがに人も多いし無理か、と諦めながらお手洗いに向かう。お手洗いへ行くには少し歩かなければいけない。
この会場に着いたときの意気込みはどこへやら、自分の運の無さにじゃっかん落ち込み始める。
お手洗いを出て、ハンカチで手を拭きながらしんと静まる廊下を歩いていると、斜め前から「あ」と音がした。聞き慣れた声にばっと顔を上げれば、スーツ姿の米原が立っている。
「え、あ、うそ」
「……うわ、最悪」
「『うわ、最悪』?」
「おれ、用事あるんで。じゃ」
背を向けて歩こうとした米原の腕を掴み、慌てて止める。スーツが皺になる、と思ったけれど、ここで逃げられるのはいやだ。また夢に見そうだ。
女の執念をなめないでほしい。私はあんたのために、どれだけの思いで。
「いやいやいやいやちょっと待って。私はあんたに用事がある」
「……なんの? 今じゃなきゃだめなやつ?」
眉を顰めた米原に、私といるのはそんなにいやか、と心がしょげそうになる。こんなにいやそうにしている米原を見るのは初めてだ。中学と高校の頃はあほみたいな会話を二人でして、げらげら笑っていたのに。
離れた場所では同級生たちががやがやと騒いでいるのに、私たちの空間はやけに静かで、私の心臓の音が聞こえそうなほどだった。
「……私のこと、そんなにいや?」
「いやっつうか」
「会いたくなかったんでしょ」
「……どんな顔したらいいかわかんねえし」
「普通の顔してたらいいじゃん」
おまえにはわかんねえだろうな、と小さく呟かれる。どういう意味? と返しても、米原は答えてくれなかった。
お手洗いから出てきた人たちが私たちにちらちら視線を向けるのを感じて、そのまま米原の腕を引っ張って会場を出る。後ろでぶつぶつ文句を言っているのも無視だ。
外は一桁代の気温だけれど、私といるのが恥ずかしいなら寒いのは我慢してほしい。
「私といるのは『最悪』らしいから、単刀直入に聞く。正直に答えてね」
「……なんだよ」
「なんであのとき告白しなかったの?」
「はあ?」
米原の精悍な顔が歪む。古傷を真正面から抉られた、という顔に見えて、少しだけ痛快だ。
あの頃、両想いだと思っていたのは私だけじゃないはずだ。彼本人も、周りもきっとそう思っていた。なのに私たちが恋人になることはなくて、卒業後に顔を合わせることもなかった。
異性でいちばん仲がいいのは、と訊かれたら、真っ先にお互いの名前を挙げるような関係性だった。
お互いの部活の悩みを相談しあったり、一緒に帰ると話が尽きなくてファストフード店に寄り道をしたりすることもあった。中高の六年間、クラスが離れることはあったけれど、喧嘩をすることも疎遠になることもなかったのだ。
米原はバスケ部に所属していて、それなりにもてていた。告白をされても「好きな人がいるからごめん」と断ることは有名で、それが私のことだ、ということもそれなりに知られていた。
いま考えると、私は思い上がっていたのだ。米原のことは好きだったけれど、自分から告白をしようなんて一度も思ったことはなかった。
恋人にならなくても、このままの距離感でずっと仲良くできると思っていた。異性で友だち関係を維持するのはむずかしいと聞くけれど、私たちはそれには当てはまらないと思っていた。
ずっとこのまま、が通用する相手だと勝手に確信していた。
でも、ちがったのだ。別の大学に入学してからぱったりと連絡は途絶え、SNSを滅多に更新しない米原の消息は友だち伝いでしか掴めなくなった。
あんなに仲良かったのに連絡取ってないの? と何人に言われただろう。私だってそう思っていた。
数年ぶりに会った米原は大人びていた。また身長が伸びたんじゃないだろうか。百七十センチを少し超える私でも、彼には見下ろされる。そのたびに慣れないなあと思うのだ。
きりりとした眉とすっと通った鼻筋、泣きぼくろは相変わらずで、髪にゆるいパーマを当てており、前髪は真ん中分けにされている。
むかつくことに、米原の顔すらもタイプだった。忘れられなくて、何度も夢に出てきた。シチュエーションはいつも違ったけれど、夢の中ですら私たちが付き合っていたことはない。
たいていは高校時代の思い出の一部を再現したもので、彼を夢に見るたびに胸がじくじくと痛んだ。
「ずっと友だちでいたかったから何も言わなかったけど、でももう友だちじゃなくなったから言ってもいいよね?」
喉がからからに渇いている。隠しているつもりはなかったけど、それでも緊張するものらしい。ふう、と息を吐いたら、身体中がぶるぶると震えていて笑えた。
「もう夢に見たくないから、いいます。好きだったよ」
「……過去形」
「ずっと会ってないのにずっと好きだったわけないじゃん。ばかじゃないの」
最近は大学生活が忙しいこともあり、わりと忘れていた。ふとしたタイミングで夢に見て思い出す、の繰り返しだ。それがいやで、未練ごと断ち切るために会いにきた。
ふんと鼻を鳴らすと、米原が「はは」と笑った。まじか、と自分の顔を手で覆う。
「おれはずっと好きだったけど」
「は、はあ……? ずっとって」
「今までずっと。今この瞬間も」
はあ、と私の間抜けな音が二人のあいだに落ちる。
「両想い? 知らねえよ、なんだそれ。おまえは好きとか言われても困るだろうし、なんの名分もないのに隣にいるの限界だったと思ったから離れたのに」
「連絡つかなくなったのは?」
「連絡したら会いたくなるだろ。ただの男友だちにそんなこと言われてもキモいだけだし」
「私に会うの恥ずかしいって言ってたのは?」
「あー……荒牧……おれの周りの奴にはおまえのこと好きだったってばれてるから、会ってるところ見られたら何言われるかわかんねえだろ」
つまり、私のことは好きだったし今も好きだけど、私が自分のことを好きだとは知らなくて、告白をする勇気はなかった。彼のほうも私への未練を断ち切るために、連絡を取らず、顔を合わせることもしたくなかった。
つまり……なんだこれは。盛大なボタンのかけ違いはどこから起きているのだろう。私はなんのためにこんなに気張ってここへ来たのだろう。
男のプライドってほんとしょうもない、という千花の言葉に、深く頷きたい気分になった。
「ば……ばかじゃないの!? へたれ! 鈍感男! あんたがへたれなせいで……私はこんなアホみたいに着飾って!!」
「かわいいけど」
「はあ!?」
「なんでそんな綺麗になったんだろうって……付き合ってる奴がいる? そいつがロング好き?」
訝しげに見てくる米原に、呆れてため息も出ない。私たちは仲がいいと思っていたけど、どこか空回りしていたみたいだ。
「米原がむかし髪の長い女の子がいいって言ってたから伸ばしたの! ちょっとでもきれいなら後悔するかなと思って!」
「おまえ、そのときも髪長かったじゃん。だから言ったんだけど。まあ、おまえ頭が小さいからショートも似合ってたよ」
たしか、その話をしたのは高校三年の頃で、部活を引退した私は髪が伸びていたかもしれない。それでも肩につくかつかないかという長さだった。
私のベリーショート姿を知っている目の前の男以外、誰もあれを「ロング」とは言わないだろう。
「……そっちこそどうなの、好きな人いるの」
「好きな人はいるけど付き合ってる人はいない」
「うん、もう、わかりました」
じっと見つめられて、真冬だというのに顔が熱い。一歩近寄られて、後ずさる。すると、また近寄られて後ろに下がるのを何度か繰り返し、ついには私の背中のすぐ後ろに壁がある状態になった。
「三橋が好きだ」
「わ、わかった、わかったけど、付き合うのはまって」
「なんで」
「この二年、まったく話してもいないわけだし、まずはお友だちから」
「……わかった」
無視していたのはそっちのくせに、なんでちょっと不貞腐れているんだろう。意味がわからない。
待って、と言った私の気持ちを理解してほしい。今すぐは無理でもゆくゆくは、という意味を込めたのに。
米原は持ち前の鈍感さを発揮しており、私の真意は伝わっていないらしい。会場に戻るぞ、と腕を引かれる。
「モーションかけるのはいいんだよな?」
「……何するつもり?」
「まずは今日の夜の飲み会で隣に座って、帰りは三橋を送ろうとする奴を牽制」
「付き合ってもないのに」
「いいだろ必死なんだよおれは」
さりげなく手をつないでいることはバレてないつもりなんだろうか。ひんやりとした大きい手を振り解くこともできたけれど、ずるい私は気づいていないふりをした。
三橋寧々子はわりと機微に聡いんですが、米原楓(本編で名前を出せませんでした)がわりとぼんやりしているのでお互い苦労しそう。話し合えばなんとかなる二人。