9 当家の女主人にお迎えしますわよ
スチュワードがはっきりしなくても、問題ありませんでしたわ。
程なく、エヴリーヌ=ベラムール伯爵令嬢が、我が家を訪問する運びになりましたの。
騎士団の見学帰りに、立ち寄るとか。
もう、サレジオ初め、使用人は大騒ぎですわ。私も及ばずながら、準備を手伝いましたの。
こんな時、女主人がいないのは、不便なことですわ。それも、もうすぐ終わると思うと、嬉しさで足元が浮くように感じますわね。
「これは、アルフォンソ兄様ルートで決まりね」
ゲーム『ダイス 愛と野望の渦』において、恋愛関係に入ることを、ルートと呼ぶそうですの。
アルフォンソ兄様ルートとは、ベラムール嬢が兄様と恋に落ちる話を意味しますわ。
確か、攻略対象、つまり恋愛相手は、兄様の他、リベリオ様か、王弟殿下、宰相様、国王陛下でしたかしら。王弟殿下と宰相様は独り身ですが、それぞれティーナとプリシラの想い人ですものね。
その点、アルフォンソ兄様には、婚約者も恋人もおりませんわ。年齢や立場を考えると、我が兄ながら情けない気持ちになりますけれど、ヒロインと恋仲になるためと思えば、却って良かったのです。
「ゲームも平和に終わりそうで、良かったわ」
「いや。騎士団長ルートは、お前とタマーラが悪役令嬢だから」
お互い忙しく立ち働く中、たまたま顔を合わせたスチュワードは、私の前途を暗くするような言葉を返したのです。
タマーラ!
彼女は、アルフォンソ兄様を密かに慕っていたのでした。直接本人から聞いたのでないから、すっかり忘れておりましたわ。
ですが、今の彼女は聖女見習いです。どのみち兄様と結婚はできませんわ。気の毒ですが、ここはピッチェ家の安寧のため、ヒロインとの結婚を推すべきですわ。
「そんな。私、兄様の結婚が決まったら、もの凄く嬉しいわ。もっと劣る女を連れて来ても、大歓迎したわよ」
「しいいっ。言葉に気をつけろ。どこで切り取られるか、わからないぞ」
スチュワードが歩き始めるので、私は後を追います。彼は、人気のないのを見すまして、立ち止まりました。
「いいか? ゲームには、強制力とか、修正力というものがある。予めゲームに組み込まれたストーリーを実現するため、現実を曲げる力だ」
現実を曲げる力。聞くだに恐ろしい力ですわ。私は、スチュワードの真剣な顔を見上げます。
「前にも説明したが、このイベントで、お前はエヴリーヌの手土産に文句をつけ、ドレスにお茶をこぼすよう仕向けて、彼女に恥をかかせることになっている」
「ええ。私は、そんな失礼な事も言わないし、意地悪もしないつもりよ」
そんな小姑を嫌って、アルフォンソ兄様が結婚を逃す方が、大問題ですわ。
「だが、お前の意地悪がアルフォンソ様にバレて、ヒロインとの仲が深まるんだ。お前は別の方法で二人を近付けると言ったが、ゲームのやり方を強制されるかもしれない」
「全力で、抵抗するわ」
スチュワードは、ふうっとため息をついた。
「それが可能なら苦労しない。まあ、ゲームによって強制力の発動率は異なるようだし、この世界においては、俺たちがシナリオを進めてしまったのに、お咎めなしだ。上手く行くことを祈っているよ」
一族の存亡がかかっているのですもの。祈るだけでは足りませんわ。
ですが、スチュワードは一介の使用人に過ぎませんでしたわね。ここは、ピッチェ家の一員である私の出番ですわ。
ベラムール嬢は、豊かな胸を揺らして馬車を降りましたの。
騎士団を見学した帰りですわよね。私は思わず目を凝らしましたわ。
ソローアモ製の最新流行のドレスを纏うのは良いとして、昼日中から、随分と胸元が開いたデザインですわね。それも、どのような技巧を駆使したのか、見えたらいけない箇所が見えそうで見えない上に、絶妙な揺れ加減を保つ型なのですわ。
舞踏会の時と同じでした。これは、ヒロイン仕様という物かもしれませんわね。
でしたら、女性の色香に惑いやすい騎士の皆様を相手に、敢えてそのようなドレスを選ばれたのではなく、何を着ても胸元が開いてしまう、と考えた方がよろしいですわ。
危うく、未来の兄嫁を、非常識と決めつけてしまうところでした。これも、シナリオ強制力かもしれませんわね。
「本日は、お招きいただき、ありがとうございます」
挨拶を受けても、つい胸に目が行ってしまうのも、強制力かしら。大きさでは負けていないと思いますけれども、兄嫁と張り合っても無意味ですわね。
「男所帯で、むさ苦しいところがありますが、どうぞお許しください」
アルフォンソ兄様。それは、私が言う台詞ですわよ。
兄様は、恋する相手を自邸に招き入れて、興奮しているのですわ。騎士団でも、さぞかし活躍を見せつけたでしょうし。
あら。私、意地悪になっていますかしら。気を付けないと、破滅の道へまっしぐらですわ。
「ヴィットーリア様。どうか、こちらの品をお納めくださいまし。ヴィットーリオ様を想って選びましたの。お気に召していただけると、嬉しいですわ」
「ありがとうございます。喜んで、いただきますわ。開けてみても、よろしいかしら?」
「もちろんですわ‥‥あっ、でも、アルフォンソ様のお目に触れない方が」
ベラムール嬢が断りを入れたのは、遅過ぎましたわ。私は、さっさと包みを破いてしまいましたもの。
勢い余って、中身が転がり出てしまいました。
「きゃっ」
うっかり、声を出してしまいましたわ。不覚です。
床まで落下したそれは、ばらけた下着に見えましたの。
ええ、そうです。パットという物ですわ。私には縁がありませんが、胸の厚みの足りない方が、ドレスを着て不格好とならないよう、密かに挟み込む部品ですわね。
「こ、これは‥‥」
流石に私でも、二の句が継げませんでしたわ。これは、つまり、私の胸が貧相だと言いたいのですわよね。どう考えても、私に喧嘩を売っていますわよね?
これが、シナリオ強制力というものなのかしら。ゲームの神が、私を怒らせるため、ベラムール嬢にパットを初対面の贈り物として選ばせたと?
だとしてもこの場合、意地悪なのは、ヒロインの方ですわ。
「おお。これは初めて見る物ですな。ソローアモの技術の粋を集めた貴重な工芸品を妹にいただけるとは、ありがたい」
一瞬固まってしまった私の隙を突いて、アルフォンソ兄様が助け舟を出してくれましたわ。素晴らしい速さでした。
ですが、兄様。そこは動いてはいけない場面だったのです。
兄様はのみならず、パットを掴んで拾い上げましたの。私もベラムール嬢も、顔を赤くしてしまいましたわ。
「に、兄様。それは」
私は、助けを求めベラムール嬢を見ましたが、彼女は恥ずかしがって、口も手も出しそうにありませんでしたわ。
仕方なく、私がアルフォンソ兄様からパットを受け取りましたの。
品物について、説明は省きましたわ。その程度の意地悪など、意地悪のうちにも入りませんわよね。
考えてみれば、アルフォンソ兄様の素早い介入のお陰で、私が怒鳴らずに済んだ事を、喜ぶべきだったかもしれませんわ。
その時は、感情を抑えるのに精一杯で、考えが至らず、沈黙の多いお茶会となってしまいましたの。
ですけれども、ベラムール嬢のドレスに紅茶をこぼすことは、防ぎましたわよ。
私は、間違っても彼女が熱い紅茶や濃いミルクをこぼさないよう、相当離れた位置にセッティングしましたの。
彼女がカップに手を伸ばすにも、腰を浮かさなければならなくて、アルフォンソ兄様が手助けしておりましたわ。これで、二人の距離も縮まったことでしょう。
それなのに。
「ヴィットーリア。お前、今日は意地悪だったじゃないか。まるで、昔に戻ったようだったぞ」
お茶会を無事に終え、ベラムール嬢を迎えの馬車へ乗せて見送った途端に、アルフォンソ兄様が私を責めるのですわ。
「ええっ。何を仰いますの?」
私は、心底驚きましたわ。ベラムール嬢が、場にそぐわないドレスを見せびらかしても、嫌味の一つも言わず、初対面の相手に失礼極まりない贈り物を持参しても責めず、お茶会中も、話の弾まない二人の距離を縮めようと、頑張った妹に対して、何という言い草でしょう。
「まず、ドレスを褒めなかっただろ? 髪型やアクセサリーにも何も言わなかったし、贈り物を開けたら一言感想を言ってしかるべきじゃないか。それに、一番いけなかったのは、テーブルセッティングだ。あれでは、エヴリーヌ嬢が取りにくい」
カップの配置については、その通りですわね。そのお陰で二人が親しくなれた事には、気付いていないようですわ。いつの間にか、名前で呼ぶようになっておりますし。
「兄様。それは、どなたかからのご助言ですの?」
「おう。可愛い部下たちが、寄り集まって教えてくれたぞ。娼か‥‥盛り場に通い詰めた奴から、結婚歴十年のベテランまで揃っている。持つべきものは、有能な部下だな」
アルフォンソ兄様の信条には、同意しますわ。兄様が、部下から慕われているとわかった事も、嬉しく思います。
ですが、兄様。それは、殿方が意中のご婦人に掛ける言葉ですのよ。無論、女性の友人同士で、そのように互いを褒め合う事もありますわ。
ただ、あの状況で無理に褒め言葉を出せば、嫌味としか受け取れませんもの。
兄様は、女性を遠ざけ過ぎて、扱いがわからなくなってしまったのですね。このままでは、ベラムール嬢が、ピッチェ家への嫁入りを断るかもしれませんわ。
何か手を考えなければなりませんわね。
スチュワードは、私の案には、乗り気でありませんでしたの。
「お前が悪役令嬢から抜け出そうと頑張ったのは、わかった。でも、ゲームの強制力が、働いているような気はする。騎士団長ルートが皆にとって無難でも、お前には断罪コースだからな。下手に動くと、破滅の方向へ誘導されるかもしれない。俺としては、エヴリーヌに、王弟か宰相に行ってもらった方が安心だ」
「でも、そうしたら、ティーナ様かプリシラ様が破滅して、アルフォンソ兄様は独り身のままでしょう? ヒロイン以外、誰も幸せにならないわ」
「なるほど。ヒロインは、他のキャラにとっては厄災のようなものなんだな」
スチュワードは一人で納得しておりましたが、それよりアルフォンソ兄様とベラムール嬢を添わせる作戦でも考えて欲しいものですわ。