34 いやですわね、今頃になって
「屋敷に置いて行け」
というのが、スチュワードの意見でしたわ。
条約締結を記念して行われる狩猟とパーティに、ゲームアイテムの髪飾りを忍ばせるかどうか。
「あんなに苦労して手に入れたのに、使わなければ、まるっきり無駄になるわ」
あの気持ち悪い臭いが、鼻の奥に蘇ります。私は、あれを食べたのですわ。
あら? 美味しい部分もあった気がしてきましたわ。あまりの臭いに、記憶を修正したのかしら。
「言っただろう。こっちで確保する事に意味がある、と。それを持っていたせいで、もっと悲惨な結末になることもある。条約締結のパーティは、断罪の行われる場だ。危険すぎる」
「私は何も悪いことをしていないわよ」
リベリオ様と親しくお出かけするエヴリーヌを何度も目撃しましたけれど、一度も邪魔をしませんでしたわ。お茶会で会った時も、当たり障りのない会話に終始して、うっかり紅茶をかけないよう、手足の位置に気を配りましたわ。
アルフォンソ兄様に近付いてきた時には、むしろ応援したほどですもの。
その他の攻略対象である国王陛下や王弟殿下、宰相様とエヴリーヌが親しくしたとして、私が何か言える立場ではありませんわよね?
「だからこそ、何をされるか予測がつかない。わざわざ危険を冒すな」
今日も私の頭には、三つ目の髪飾りが挿さっております。どうせ、ゲームのダイスが転がっても、私には見えないのですわ。
「そういえば、魔女にダイスを持っているか聞いたのは、合言葉?」
「そういうアイテムもあるんだ。これは、ヒロインに有利な効果しかない。特定のイベントで、特定の条件を達成した時だけ出現する。例えばフィオリ家の鉱山が‥‥」
スチュワードが言葉を切りました。目の焦点が合っていません。魔女に会った晩にも、こんな感じの時がありましたわね。
私が声をかけるべきか迷ううちに、彼の様子は元へ戻りましたわ。その表情が、急に明るくなりましたの。
「お嬢様は今、髪飾りをお持ちでしたか?」
「スチュ。敬語禁止」
やっぱり敬語を使うと、本当のスチュワードではないように感じますわ。
「魔女のアイテムを、持っているな?」
「ええ。髪の毛に埋もれているわ」
「やったな。そいつは呪いのアイテムだ。つまり、ヒロインにとっては、という意味だ」
「それなら、着けても構わないわね」
お胸を萎ませた甲斐がありましたわ。スチュワードは、頷きながら首を捻るという、器用な技を見せましたの。
「ああ。だが、何故今、ダイスが回ったんだ?」
「そのダイスと、さっきのダイスって、同じサイコロのこと?」
「え? 今回ったのは、普通のダイス。特殊アイテムのダイスは、目の部分に金を詰めて、一の目だけルビーが嵌っている。一が出やすい代わりに、六が出た時には、あらゆる不運を吹き飛ばせる、という設定」
「こんな感じ?」
私は、引き出しから六面体を取り出し、机に置きました。スチュワードの目が、大きく見開かれましたわ。
「これは‥‥何でここに?」
指で摘み上げ、ためすがめつ観察します。ルビーの赤が、きらりと光りました。
「昔、流行病に罹った時、誰かがお見舞いに持って来てくれたの。普通に外へ出られるようになるまでの間、退屈しのぎに遊んだわ。スチュは忙しいから、遊び相手にはしなかったのよ。私も、すっかり忘れていたの。まさか、これが、それそのものでは、ないわよね?」
「エフェドモン草の栽培か! シナリオ開始前にも出現するとは思わなかった」
どうやら、本物のようですわ。ずっと身近にあったのに、これまで気付かなかったなんて、不思議な気もします。
ですが、そのような物があると知ったのは最近ですし、これで遊んだのは随分前の話ですもの。
「エヴリーヌが、これを使う心配はない訳ね」
「そうだ。今まで通り仕舞っておけば良い」
スチュワードはサイコロを手渡しました。指先が手に触れて、どきりとした弾みに、それが転がり落ちました。
金色の点が六つ。
「‥‥」
「‥‥」
私は急いでサイコロを拾い上げ、赤い一の目を上にして引き出しへ置くと、慎重に閉めましたわ。
「あ、あれも、持っているだけで、その人に運をもたらすのよね? 転がすかどうかは、関係ないわよね?」
不覚にも、声が裏返ってしまいましたわ。
「た、多分。ヒロインが持っていなければ、意味はないと思う。だって、お前、これで散々遊んだだろ?」
スチュワードの声も、心なしか震えて聞こえましたわ。私は、首がもげるかと思うほど頷きましたの。
「その時も、順調に回復したわ。でも、もう取り出す必要もないし」
「そうだな。俺たちには、髪飾りがある」
二人とも、頭の中の不安は口に出さないだけの、分別がありましたわ。
条約の調印式には、ソローアモからベラムール外務卿が来訪されました。
ええ。エヴリーヌの父君ですわ。エヴリーヌは如何にも一緒に訪れたかのように、来賓然としてソローアモ側の席におりましたのよ。
外務卿夫人がいらっしゃらないのは、最初から娘がいると承知の上ですわ。
「昨日まで、王宮で我が物顔に居座っていた癖に」
扇の陰で、プリシラが囁きます。エヴリーヌが宰相様と親密にするのが気に入らないのですわ。
カドリ商会の船は、無事パエセストへ向けて航行中のようで、ひとまず安心です。
その件で王太后様からご不興を買ってしまった事は、不安材料ですけれども。
王太后様はゲーム上、悪役ではなくモブなのですもの。どちらかといえば、ヒロインの味方ですわ。
こうなると、すっかり悪役令嬢と化したプリシラが、私を味方と扱うことも不安ですの。
彼女は始終王宮へ出入りする立場を利用して、地道に嫌がらせを仕掛けていたようですわ。
調印式は滞りなく終了し、狩りの時間となりました。
ピッチェ家では、女性に狩りをさせませんの。ですから私は馬車に乗って、殿方が獲物を狩るところを見物するのですわ。
エヴリーヌは馬に乗り、ちゃっかり国王陛下と王弟殿下に挟まれて、歩んでおりました。体にピッタリとした乗馬服の胸が、大きく盛り上がって揺れています。私は、髪の毛に埋もれた髪飾りの事を考えましたわ。
合図と共に、獲物の追い出し役が走り出しましたわ。鉦や太鼓を打ち鳴らしつつ、声をも上げて、それは賑やかですの。
あまりに追い出し役が多くて、肝心の獲物がよく見えませんわ。足元は草むらですし。ですが、彼らを見るのも面白いものですのよ。
近衛隊長のブルーノ兄様は護衛に徹していましたが、アルフォンソ兄様は狩り役で、早くも弓を番えてバシバシ射当てておりましたわ。
草むらから飛び上がった姿を見ると、野うさぎですわね。
軍務卿のお父様は、本日王宮の留守居役ですの。
本当なら、フィオリ宰相が王宮に留まるのが筋かと思いますけれど、これがゲームの強制力というものなのでしょうか。
その宰相様は、陛下と王弟殿下に挟まれたエヴリーヌを、遠くから見守るばかりですの。プリシラには悪いですが、そこはかとなく哀愁を感じますわ。
やがて、向こうに立派なツノが見えました。木のように枝分かれしておりますが、シカのツノですわ。
シカは、私たちがやってきた方とは反対側から、追い出し役に追われてここまで逃げて来たようでした。
向かった先からも、大勢の人と馬が現れて、立ちすくんだところですのね。
陛下と王弟殿下は、エヴリーヌにシカを仕留めさせたいのか、何やら馬上で話し合っておりました。ですが、エヴリーヌが父君の外務卿に、一番矢を撃ち込む栄誉を譲りましたの。とどめは陛下がなさいましたわ。妥当ですわね。
狩り場の出発地へ戻ると、パーティの用意があらかた整っておりましたわ。野外ですが、クロスをかけたテーブルも、銀食器も、屋内と同様に揃えてありましたの。
果物や、パンなどが並べられた他、先ほど仕留めた獲物が手早く解体され、早くも焼けた肉の匂いが漂っておりました。ご婦人方の目を気にして遠ざけてはおりますが、調理の過程を窺えるところが、野外の面白さですわね。
お供の者たちも、テーブルこそ違えど、同じ空の下で、同じ肉をご馳走になるのですわ。これから断罪される予定の私としては、視界にスチュワードが見えるだけでも、安心の度合いが違います。
それにしても、このような明るく拓けた場所で、断罪劇が行われるとは、未だに信じ難いですわ。
私もリベリオ様の婚約者として、国王夫妻と同じテーブルへ案内されましたわ。
男女交互に座るのですが、リベリオ様の隣に、エヴリーヌの席が設えてあるではありませんか。
エヴリーヌのもう一つの隣席は、国王陛下が占めていらっしゃいます。彼女の前には、オリーヴィア王女と王弟殿下が。よくできた席次ですわ。
嫌味ですのよ。
ふと、宰相様の姿が見えないことに気付きました。アルフォンソ兄様もいませんわ。
そういえば、何となく、周囲を立ち回る人々の動きが慌ただしく感じられます。食事中なのに、後ろから国王陛下へ報告する人がおりますの。何かあったのですわ。
断罪と関係するのでしょうか。私はエヴリーヌの様子を窺います。
彼女は、話しかけようとするリベリオ様を制し、陛下と深刻な顔で話しておりましたの。まるで会議中のようでしたわ。そのうち、陛下がベラムール卿に声をかけました。
外務卿の隣には、私がおりました。ですから、国王陛下の言葉は、はっきり聞き取れましたわ。
「ベラムール卿。フィオリ領の銅鉱山で、事故が起きたらしい。現在、騎士団長が現地に向かっている。ベラムール嬢が、現地のソローアモ国民を心配しておられる。途中になって申し訳ないが、王宮へ戻って被害の確認と今後の対応について話せないだろうか」
「もちろんですとも」
ベラムール外務卿は、即答でしたわ。エヴリーヌは、私の方を見もしませんでしたの。
そのまま宴はお開きになりました。
断罪どころでは、ありませんでしたわ。




