32 お伽話らしい取引ですこと
「まあ。素敵。是非、見せて欲しいものだわ」
悪役令嬢を演じるのでしたわね。すんでのところで思い出しましたが、嫌われ過ぎて品物を売ってもらえなくても困ります。
目指すところがわからず、とりあえず偉そうに顔を上向きにしましたわ。その方が、吐き気を抑えられるような気もしましたの。
「指輪か首飾り、髪飾りのどれか一つをお選び」
魔女の老婆も、心なしか偉そうな話し方に聞こえますわ。私は、一番効果の高い髪飾りを選びました。
「待て。お前、ダイスを隠しているだろう?」
これまで黙ってやり取りを聞いていた、スチュワードが問いかけました。
私も魔女も彼の顔を見ましたわ。すると、魔女のフードがハラリと落ちましたの。きっと、彼の鼻栓に驚いたのですわ。
その下は、変哲もない老婆の顔でした。もの凄い美女か、浮世離れした雰囲気の老婆を期待していた私は、内心がっかりしましたわ。フードは、被ったままでいて欲しかったですわ。
「運命のダイスか。あれは、伝説に過ぎない。あったとしても、大災害を救った者にのみ与えられる。私が持つ筈もなかろう」
「そうか」
スチュワードが口を閉じると、魔女はフードを被り直して、マントの下から品物を取り出しましたの。
魔女もフードの効果については、熟知しているのですわ。
皺だらけの手が掴む髪飾りは、宝石と金属の細工こそしっかりしておりましたが、三つの目玉が三角形の頂点を作るように配置された、とても趣味の悪い品物でしたの。
「ちょっと、これは‥‥。指輪と首飾りも、見せてもらえないかしら」
つい心の声が漏れてしまうと、魔女の声も不機嫌になりましたわ。
「お前さんは、髪飾りを選んだ。見せるのも一つだけ。売るのも一つだけさ。いらないって言うんなら」
そう言って、髪飾りをマントの下に隠してしまいましたの。私は慌てました。
「お待ちなさい。買わないとは言っていないわ。いくらなの?」
魔女は、想定の倍の金額をふっかけてきました。ほとんど持ち金全部ですわ。まるで、懐を見抜いたような具合でしたの。
「それに、これは特別な品だ。金とは別に、代償をもらうよ。支払った代償が、品物に魔力を与えるのさ」
反射で文句を言いかけ、スチュワードの言葉を思い出して口をぱくぱくさせる私に、魔女は要求を重ねてきたのですわ。
その代償とは、何と、私のお胸だと言うではありませんか。
「胸を切り取ったら、死んでしまうわ」
「切り取りなんぞ、しないわ。魔法で交換するんだよ」
ひひ、と気味悪い笑い声を上げた魔女は、本物らしく見えましたわ。
私は、ゾッと背筋が寒くなりました。交換、と言うからには、魔女のお胸と、ですわよね。
老婆がどのようなお胸の持ち主か、確認したかったのですけれども、隣にスチュワードのいる場で、見せて欲しい、とは言い出せませんでしたわ。
普通に考えて、マントの下に、私以上の大きさのお胸が隠れているとは、思えませんでした。
私は、決断しなければなりません。
スチュワードの様子を窺いました。彼は、この肝心な時に、心ここにあらずで、老婆の頭越しに宙を見つめておりましたわ。
「買いますわ」
私は、金貨の袋ごと魔女に差し出しましたの。
魔女は袋を素早く受け取ると、マントの下へ隠しましたわ。
「髪飾りは? 代金を支払ったのだから、渡しなさいよ」
苛立った私は、令嬢らしからぬ言葉遣いになってしまいました。魔女は動じず、樽を指差しました。
「あれを」
我に返ったスチュワードが、魔女を樽へ近付けます。私はその場に動かずにいましたわ。これ以上、樽に近付きたくなかったのですもの。
「おうおう。よく漬かっておる」
魔女が樽へ腕を伸ばすと、ちゃぽ、と音がして、薄い物が摘み出されたのですわ。それは星あかりに、ぬらりと光ったように見えましたの。
「これを、一口齧って飲み込むのだ。それで、取引成立となる」
えっ。
私はスチュワードに目で助けを求めましたわ。
今度の彼は、私の視線に気付いてくれましたものの、何も動いてはくれませんでしたの。
そればかりか、遠くでマルツィオが動いたと思しき気配に、牽制までしましたのよ。
お胸を取られるだけでも嫌ですのに、あんな趣味の悪い髪飾りを得るために、この強烈な臭いの元凶である、何だかわからない物を、齧って飲み込まねばならないなんて。
ですが、お金を渡してしまいました。もしここで、買うのを止めたとしても、お金は戻らない気がしますわ。
そもそも、私は髪飾りを何のために手に入れたいのでしたかしら?
ゲームを、少しでも私に有利となるようにするためですわ。それで破滅や一家没落を防ぐのですわ。私だけの問題ではありませんの。
それに、これは確かニシンだった筈。スチュワードが、以前言っていた記憶がありますもの。
れっきとした、食べ物ですわ。
私は、魔女の手からぶら下がる、もはやニシンとは思えないぬらりとした物体に、直接口を近付けて、齧りましたの。
ええ、わかっておりますわ。犬みたいですわよね。膝を曲げて屈まなければならない姿勢も、屈辱的ですわ。
ですが、お行儀など構っていられないほど、触るのもいやでしたの。
スチュワードが驚いた顔をしたのが目に入りましたが、恥ずかしがる余裕もありませんでしたわ。
魔女は、平然とニシンを手にぶら下げておりました。そして、私が齧った物を飲み込んだ事を確認すると、ペロリと残りを平らげましたの。
「うわ、すごい」
もう私は、令嬢であることを忘れておりました。
魔女はニヤリと口角を上げると、あの髪飾りを取り出し、私の手に握らせたのですわ。
「これで良し。お前さんに、幸運を。樽は置いて行きな」
私はスチュワードに馬へ乗せられるまで、髪飾りを握りしめておりましたわ。
「よくやった。一度試してみる必要はあるが、ともかくもアイテムは手に入った」
スチュワードに背中から声をかけられて、私はようやく息をつけました。
「悪役令嬢らしく振る舞えたかしら?」
「十分だったよ」
マルツィオが身を隠した木立まで来ると、スチュワードは馬上から声をかけましたの。
「後ろの荷車へ乗りますか?」
「いや。走って戻る」
マルツィオが、私の顔を見て顔を顰めたように見えましたわ。もしや、あの臭いが私の口から彼の元まで届いたのかしら?
恥ずかしくて、顔から火が出そうですわ。
屋敷へ戻ると、ステラが湯の入った木桶を作業小屋に用意して、待ち構えておりましたわ。
いつ戻るとも知れぬのに、何と気の利く侍女でしょう。湯は大分ぬるくなっておりましたけれども、水よりよほどましでした。
私の髪といい、体といい、下着まで全部脱いでも、何よりも口の中まであの強烈な臭いが染み付いてしまっていたのですもの。
そこで全身洗っても臭いは落ちず、屋敷で改めて入浴してどうにか取れた具合でしたの。実を言うと、私の鼻の中に臭いがこびりついてしまって、ステラの話が本当かどうか、自分ではわからなかったのですわ。
それに、翌朝から私は熱を出して寝込んでしまい、臭いどころではなかったのです。
丸一日経って、熱も下がってベッドから起き上がった時には、私の自慢のお胸が、すっかり萎んで無様な残骸を晒しておりましたわ。
ですから、臭いなど気にしている場合ではなかったのです。




