31 手段なんて、選んでいられませんわ
神殿から戻ると、ブルーノ兄様と、珍しくも婚約者のマリア=カディスが別れの挨拶をするところに出くわしましたの。
マリアもカドリ家の係累なのでしたわ。王太后様を敵に回したら、彼女と、そしてブルーノ兄様も敵になるのでしょうか。
暗い予感に、笑顔が引き攣りそうですわ。
「ヴィットーリア。庭のあの樽を何とかしてくれないか。もの凄い悪臭を放っているぞ。ジャコモに聞いたら、お前の命令だって」
どうやら兄様は、マリアと庭を散策したようですわ。あんな隅にまで行かずとも、見所は沢山ありますのに。
ジャコモは、我が家の庭師頭ですの。
「ヴィットーリア。また面白いことを考えついたなら、私にも教えてね。エフェドモン草と赤芋で、カドリ本家は十分潤っているわ。カディス家も、貴女の夢を叶えるお手伝いに、役立つと思うわ」
マリアがブルーノ兄様を遮るようにして、私の手を取りました。彼女は商会勤めで、資産を増やすのが趣味というか、生き甲斐のようですの。
「カディス様。あれは実験に失敗したもので、すぐに片付けます。ブルーノ様方々、ご不快な思いをさせて、申し訳ありませんでした」
私がカクカクと頷く横から、スチュワードが断りを入れました。
ですが、二人が離れると、彼は私に向き直りましたの。
「魔女を捕まえに行く。こちらで着替えを用意するから、お金を持って、ステラさんと来てくれ」
私とステラが呼び出されたのは、ジャコモが使う作業小屋でしたの。呼ばれはしませんが、私が外出するというので、マルツィオも来ましたわ。
「マルツィオさんとステラさんは今回、外して欲しいのですが。服の用意もありませんし」
元の色がわからないほど変色した古い作業着を抱えたスチュワードが、マルツィオに向かって言いました。
「お嬢様にもしものことがあったら、お前の命だけでは済まないんだぞ」
マルツィオが気色ばみます。ステラは呼ばれて来た身なので、二人を交互に見て、戸惑っておりましたわ。
スチュワードは、私に顔を向けましたの。
「もう一度やり直す時間は、ありません。彼をこのまま途中まで連れて待たせることはできますが、それで捕まらなかったら、この件は終了です。お嬢様がお選びください」
迷いますわ。スチュワードは護衛の訓練も受けて、相当腕を上げた、とは聞いておりました。ですから、私専属の執事を認められたのですわ。
他方、長年私の護衛を務めてきた、マルツィオの立場も理解できます。
「マルツィオの同行を認めます。ただし、スチュワードの指示に従うこと」
二人共、不満そうな顔つきでしたわ。
私は作業小屋を借りて、ステラに着替えを手伝わせました。
あの古い作業着に着替えたのですわ。土だけでなく、何か別の匂いもしましたの。私もステラも鼻をつまみたい気持ちでしたわ。
スチュワードの指示で、髪飾りや宝飾品も取り外して、下着やリボンもステラが用意した古い物を使いましたの。
小屋から出ると、スチュワードも似たような格好で待ち構えておりました。外で着替えたのですわ。
それに、背後から、何か得体の知れない臭いが流れて来ましたの。
「何ですの、それ?」
「呼び出しに必要な物です。では、ステラさん。我々が戻りましたら、着替えと体を拭く用意をして、こちらへ来てください」
「はい」
ステラは、私たちの会話を漏れ聞いていたのかも知れませんわ。逆らわずに屋敷へ戻りました。
残ったマルツィオは、早くも口と鼻を手で覆っております。主人の私でさえ、我慢しておりますのに。
「お前、その樽。庭に放置していた奴。それに、お嬢様に何て格好をさせるんだ」
「お嬢様。彼は私の指示に従う気がないようですが」
「マルツィオ」
「はい、お嬢様」
「次に問題が起きたら、帰ってもらうわ」
「承知しました」
スチュワードは、その臭い樽を荷車に載せておりました。更に私たちは厩へ行き、彼が荷車を馬に繋ぐのを見ることになりましたの。
「私とお嬢様は馬に乗ります。マルツィオさんは走りますか? それとも、車に乗りますか?」
「走る」
マルツィオは即答しましたわ。あれと同乗するよりは、と思ったのでしょう。同感ですわ。
スチュワードは私を馬へ乗せ、自らその後ろへ乗って、屋敷を出発しました。
支度をする間に日が落ちて、夜の街となっておりました。裏門から出て、人通りの少ない通りを選んで進みますが、王都のことです。それなりに通行人はおりますの。
その誰もが、私たちを見る前から、挙動不審になり、側を通り過ぎる際には顔を背けて手で口と鼻を覆いましたわ。
思わず、といった格好で、路地へ走り去る人もありましたわ。
ですから、私たちとすれ違ったことは覚えていても、私たちが誰であるかを見抜いた人は、いなかったのではないかしら。
もしかしたら、不審な荷馬車をマルツィオが追跡している、と思った人は、いたかも知れませんわ。
それもこれも、あの臭い樽のなせる技でした。
スチュワードと馬に乗るのは二度目ですけれど、同じ体験とは思えませんでしたわ。
片や山道、片や街中。今回は荷車を引いて、古ぼけた作業着に身を包んでおります。ですが、スチュワードに背中を預ける安心感は同じでしたわ。
スチュワードは、王都を囲む城壁まで馬車を走らせましたの。そこからスピードを緩めて、壁沿いに進みました。
マルツィオは、よくついて来ましたわ。城壁でスピードが落ちた頃には、息を切らしておりましたけれど。
「マルツィオさんを振り切り損ねました。魔女が出てこないかも知れません」
馬は、緑地帯と住宅街の境にかかっておりました。この辺りは、生活に余裕のない層が暮らしております。
「その時は仕方がないわ。難破は回避できそうな感じになって来たから、スチュも思い詰めなくて良いのよ」
「ありがとうございます。ところで、無事魔女と遭遇できましたら、是非とも悪役令嬢を演じていただきたいのです」
スチュワードは、馬を止めて言いましたの。
早速マルツィオが走り寄って来て、私を馬から降ろしたので、理由を尋ね損ねましたわ。
「マルツィオさん。出来るだけ、私たちから離れた場所で、姿を見せないように警護して欲しいです」
続いて降り立ったスチュワードが、頼みましたの。
「ここで?」
彼はわざとらしく周囲を見回しました。植え込みが途切れて、広場のようになった場所でしたわ。姿を隠すとなると、住宅街か、植栽か、いずれにせよ、かなり下がる必要がありますわね。
「マルツィオ」
私が呼ぶと、マルツィオは、そそくさと木の生えた方へ後退って行きましたわ。その間にスチュワードは、樽を荷車から下ろしました。チャポチャポ、と水の音がしましたわ。
次に彼は、荷車に積んだ荷物から道具を取り出して、樽の蓋を開けましたの。
「ぶぐっ」
私は荷車から背を向けて、城壁の際まで駆け寄りました。ごめんなさい。戻してしまいましたわ。
背後に足音がして、私は身構えながら振り向きました。マルツィオでしたわ。
「うわ、これは。魚が腐ったような‥‥おえほっ。失礼しましっ、えほっ」
彼もまた、吐き気を催したようです。彼の言う通り、生臭く、かつ酸っぱい臭いは、腐った魚を思わせました。
尤も、実際にそのような物を見たことはないのですが。
このとんでもない臭いは、明らかに私たちが運んだ樽が発生源でしたわ。
何だか目がしばしばして、瞬きしつつそちらを見ると、スチュワードが樽の側に立っておりました。
彼は、私たちに背を向けておりましたの。
ハッとしました。
「マルツィオ。私はあそこへ戻るから、お前も持ち場へ戻りなさい」
口を開けると、新たな臭気が流れ込んできます。私は、そのことを考えないように努めましたわ。
「ですが、お嬢様」
「屋敷へ戻りたいなら、それで良いわ」
私は、おえっとならないよう、ゆっくりと胸を逸らして言いました。マルツィオは観念して、しおしおと木立へ戻りましたわ。本当は屋敷へ帰す約束でしたが、揉める時間が惜しいですわ。
マルツィオを見送って、私はスチュワードを目指し歩き始めました。気合いを入れないと、一歩一歩踏み出す力が出ませんの。気合いなど、兄様たちのような殿方だけの言葉と思っておりましたわ。
ようやく隣へ立った時には、頭痛がしておりました。目も鼻も口も気持ちが悪いですわ。
「一応説明しておく。指輪がプラス一、首飾りがプラス二、髪飾りがプラス三。金貨の他に、代償を求められる。品物を手に入れたかったら、値切り交渉は一切しないこと。代償を聞いて、お前が入手を諦めるなら、それで良い」
スチュワードの声が、いつもと違って聞こえました。耳まで変になったのかしら。私は彼の顔を見て、吹き出しそうになり、新たな臭気を吸い込んで、またも吐きそうになりましたわ。
彼は、鼻に栓をしておりましたの。私の耳ではなく、彼の喋り方がおかしかったのですわ。
「一人だけ、狡い」
「お前も使うなら、用意はあるが‥‥するか?」
改めて聞かれると、迷いますわね。紙でも使ったのでしょうか。
暗がりに、白い鼻栓が二つ並んで浮かびます。スチュワードの割合整った顔も、鼻栓には勝てず、臭気がなければ笑ってしまいそうでしたわ。
その顔を、彼に見られることに気付いた途端、無理だと思いました。私は、首を振りました。
「耐えるわ」
「素晴らしい忍耐力。そんなお前さんには、特別な品を教えてやるよ」
いつの間にか、私たちの前に、フードを目深に被った人物が立っておりましたの。
しわがれた老女の声に、皺の目立つ口元。
魔女ですわ。




