29 ひょっとして、盛大に失敗しましたの?
王妃様の元を辞して、王宮の出口へ向かう途中、エヴリーヌがフィオリ宰相と談笑するのが見えましたの。
間の悪い時に来合わせましたわ。
こんな時に限って、宰相様が気付いて近寄って来られました。エヴリーヌも、当然のように付き添います。
この分では、フィオリ家との縁も切れるかもしれませんわね。
「ピッチェ公爵令嬢、王妃様とのお茶会でしたか?」
私の内心をよそに、にこやかな笑みで話しかけて来られます。その笑顔の源であるエヴリーヌは、後ろで意味ありげな微笑を浮かべておりました。
「ええ。王太后様もいらして、少々お叱りを受けましたわ」
彼女を見た途端、笑顔を貼り付ける気力が失せてしまい、私は言い訳代わりに打ち明けてみせました。
心配そうな表情を浮かべる宰相様に対し、エヴリーヌは彼から顔を見られていないと油断して、品のない笑みに変わっておりましたわ。
この女の正体が見えた瞬間でした。
「それは、気落ちしますね。王太后様は、大層厳しい方です。私も時々呼び出されて、叱られます」
フィオリ宰相は、自分を引き合いに出して、慰めてくださいました。
「それはそうと、いつぞやの赤芋が、無事に収穫なりましたのよ。今度、料理人に調理して貰うのが楽しみですわ。立派な苗を分けてくださって、ありがとうございました」
これ以上、エヴリーヌを楽しませるのが嫌で、私は話を切り替えました。
「赤芋?」
「皮が赤くて、細長い芋類です。加熱すると甘みが出て、菓子のように食べられるのですよ。当家でも料理法を研究しております。ピッチェ公爵令嬢、よろしければ、シェフにレシピを書かせましょう」
宰相様は、エヴリーヌの独り言にも丁寧な説明をした後、私に提案されました。
元々の性質もありますが、この懇切は、作物に対する愛情からの言葉なのでしょうね。
「ご親切に、ありがとうございます。よろしくお願いしますわ」
そこで宰相様は、呼ばれて立ち去りました。私は、図らずもエヴリーヌとその場へ残されましたの。
「貴女、転生者でしょ?」
「はい? 何と仰いました?」
周囲には、誰もいませんでした。静かな王宮の廊下で、エヴリーヌの言葉は、一語一句はっきりと聞き取れました。
私が反射的に聞き返したのは、混乱したからですわ。
転生者。もちろん、知っております。スチュワードの事ですわね。こことは別の世界で亡くなって、生まれ変わった人ですわ。
「とぼけても無駄よ。『ダイス』のシナリオを知らなきゃ、クオリ家の双子を聖女に出来る訳ないんだから」
もしエヴリーヌの説が正しければ、ヒロインは必ず転生者、と言うことになります。何故なら、スチュワードの話では、本来ヒロインがタマーラとティーナを聖女へと導くのですもの。
彼女たちが自力で聖女になったものですから、エヴリーヌにまで出番が回って来なかったのですわ。
少なくとも、シナリオを知っている以上、目の前にいるこの女は、転生者なのでしょうね。
「そう仰られても、私は役者の経験もないですし、『だいす』? に限らず、お芝居の脚本も読んだことはありませんわ。タマーラ様とティーナ様は、神殿の儀式で聖女と定められた筈です。私は儀式に参加しておりませんわ。一体、どういったお話なのでしょう?」
まず、私は転生者ではありません。ゲーム『ダイス 愛と野望の渦』のシナリオも、知っていると豪語できるほどの知識は持っておりませんの。
ですが、スチュワードから、私がその言葉を知っていてはいけない、と言われた覚えがありました。
それに、エヴリーヌの剣幕では、単に私が否定しても、受け入れないように思いましたの。
「くっ。すると、やっぱりセバスティアーノの入れ知恵か。大体、何で貴女が彼を手に入れたのよ」
ほぼ正解ですわ。セバスティアーノではなく、スチュワードですけれど。
それにしても、話を聞かない人ですわね。まともな会話が成立しておりませんわ。
私が事情に通じていなかったら、エヴリーヌの正気を疑うところです。
他の方とも、この調子で話すのでしょうか。それでもなお殿方を惹きつけるとしたら、まさにヒロインと攻略対象だから、という理由ですわね。
このような令嬢をアルフォンソ兄様と添わせようとした努力が、虚しくなってまいりましたわ。
「ですから、我が家には、セバスティアーノという者はおりませんのよ。ソローアモの外務卿のご息女でいらしても、流石に失礼ですわ。では、エヴリーヌ様。長くなりましたので、この辺りで」
遠くに近衛の巡回が見えたので、私は声を張りました。兵士が気付いて、こちらへ足を向けます。
エヴリーヌは人の気配に、顔を背けて走り去りましたわ。
攻略対象以外の人には、愛想を振り撒かないのですね。
「ピッチェ公爵令嬢。どうかなさいましたか?」
近衛隊長がブルーノ兄様なので、近衛隊の皆様は、大抵私のことをご存知ですの。
「ベラムール伯爵令嬢に引き止められて、お話ししておりましたの。早速来てくださって、助かりましたわ。お勤めご苦労様です」
「いえいえ。仕事ですので。隊長の元へご案内しましょうか?」
「差し支えなければ、馬車まで案内していただけると、ありがたいですわ」
「喜んで」
王太后様にエヴリーヌ。これ以上、面倒な人に絡まれたくありませんわ。
予定を早めて出航したカドリ商会の船は、今の所順調に航海を続けているようですわ。便りのないのは良い便り、ですものね。
王太后様に私たちの工作を気取られ、エヴリーヌに裏を掻かれてしまい、ゲームのイベントとしては敗北ですわね。
ですが、船が難破せずカドリ家が深刻なダメージを免れたのなら、それで良かったのですわ。
スチュワードは、積み込み予定だった赤芋や、役人たちへの根回しが無駄になって、大分落ち込んでおりました。
「赤芋は、保存が効くそうよ。フィオリ家のシェフからレシピも譲ってもらった事だし、私も食べてみたいわ」
「ああ。俺も読ませてもらった。甘みが少ない種類なのかな。落ち葉の中で焼いただけでも美味しいんだが。暖炉の灰に埋めてもいけるかな」
「まあ。お行儀の悪い。でも、それなら、料理人の手を煩わさず、好きな時間に食べられるわね」
「暖炉に火が残っていればな」
話すうちに、落ち着きを取り戻した様子で、ホッとしましたわ。足の付け根の火傷も治りきり、歩行に支障はないようです。
それから間もなく、プリシラ=カドリに家へ招かれましたの。私は家の料理人に赤芋パイを作らせ、持参しましたわ。
あれ以来、王宮にも呼ばれませんし、プリシラに呼ばれたのも久々で、招待に応じるべきか、迷いましたの。
スチュワードにも是非を尋ねて、ゲームのイベントではなさそうということで、訪れることにしたのですわ。
「まあ。可愛らしい!」
プリシラは、赤芋パイを思いの外、気に入りましたの。彩りのために、赤い皮をわざと残して刻んだのですわ。皮は薄く、食べても気になりません。
「甘ーい! 栗に似た食感ですわね」
「でも、殻を剥く手間がない分、調理しやすいですわ。栗よりも大きいですし。人参のように、保存が効く点も扱いが容易ですのよ。丸ごと焼くだけで食べられますから、船に常備するのにも向いていると思いますわ」
船と聞いて、プリシラの興味と食欲が増したようでした。たちまち一切れを平らげ、次の一切れを皿へ載せて貰います。
「小麦粉の一部を置き換えてみても、良さそうですわ。こんな珍しい野菜を、どちらで手に入れましたの?」
「元々はパエセストから伝わった物のようですが、フィオリ家から苗を分けていただいて、増やしましたの」
答えてから、あっと思いましたわ。パエセスト行きの船の件で、王太后様からお叱りを受けた事、そしてプリシラがフィオリ宰相に恋慕している事。
プリシラの父上は外務卿で、王太后様の甥に当たります。王太后様は、彼女を孫のように可愛がっているのでしたわ。
「プリシラ様も、宰相様にお願いして、苗を取り寄せられては如何でしょうか。赤芋が普及すれば、フィオリ家も喜ばれると思いますわ」
急いで付け加えましたが、遅かったですわ。
プリシラは、眉根を寄せて、考え込んでしまいましたの。私は、帰りたくなりました。ですが、今慌てて席を立つと、却って怒りを煽りそうな雰囲気です。
「そう。パエセストの事もあったわ!」
プリシラの声に、部屋の隅で控える侍女が、びくりと反応しましたわ。私は椅子から飛び上がりそうになりました。
「ああ。その節は」
謝罪しかける私を遮り、プリシラは話を続けましたの。
「ジェレミア殿下のご提言で、お祖母様が出航を早めるよう指示されたのですけれど、船長が神殿の聖女様から嵐に遭うかも、とお告げを受けたから、船長判断で出航を遅らせたのですわ。港の役人も、いつになく厳しくて、不吉な予感がしたとか。ですが、役人の方は、ヴィットーリア様がお話しなさったのでしょう? 聖女様と同じ事を仰るなんて、さすがは王太子殿下の婚約者ですわ。あの女‥‥ガイオ様だけでなく、ジェレミア殿下を使って、お祖母様にも擦り寄るなんて、なりふり構わないにも程がありますわ」
「初耳ですわ」
私は、そう呟くのが精一杯でしたわ。頭の中で、数字がぐるぐる回ります。
ええと。最初に決まった出航日があって、そのまま航海すると嵐に遭うのでしたわね。エヴリーヌの助言で、王太后様が前倒しされて。それを、船長が聖女様と港の役人の意見を容れて、遅らせた、と。
ひょっとして、最初の出航日に戻っていませんこと?
脇を、冷たい汗が流れ落ちます。ソフィーア様は、私の願いを聞いてくださったのですわ。港の役人の態度が、私の仕業と知られてもおります。これで、カドリ商会の船が難破したら、完全に私の責任ですわ。
「誰でも良いから陥落させたくて焦っているのかしらね。ソローアモの高官が来ていたから、条約の締結も近いかも」
その後は、プリシラの話も耳を素通りで、お菓子も紅茶も味がしませんでした。




