24 何卒、お慈悲を賜りたく
「はっはっはっ。ジョカルテのピッチェ家は武の護り手と呼ばれているのに、娘御は随分と柔弱ね。それは、ピッチェ家の総意?」
伯爵夫人は、豪快に笑い飛ばしました。テーブルの上の磁器が、コトコトと震えました。てっきり、勢いで吹き飛ぶかと思いましたわ。
「いいえ。我が長兄の騎士団長も、彼女と親しくしておりますの。打ち明けて申しますと、もし辺境伯様が攻め入られれば、兄も呼応して王都で暴れるかもしれませんわ」
「それは、面白い見ものになりそうね」
ですわよね。この反応は予想しておりましたわ。ですが、実際に笑われるのは、気分が宜しくございませんわ。
「そちらの方々は?」
私は、夫人の側に立つ二人の殿方に目をやりました。一人は武官、一人は文官のなりをしておりますが、どちらも強そうな体つきですわ。
フォイエルンド王国は武芸を重んじるお国柄で、辺境では特にその風潮が強い、と聞いたことがあります。本来、我がピッチェ家とは相性が良いのです。
「私の腹心。何を話して貰っても、構わない」
言いましたわね。彼らの年齢からすると、少なくとも武官の方は、初めて聞く話が出ると思いますが、宜しいのですわね?
などとは口にせず、私はスチュワードに目を向けます。スチュワードは、伯爵夫人に向かって、素早く跪きましたわ。
「私の執事ですの。スチュワードと名付けましたが、本名は、ヴァルド。母親の名はミアですわ」
急に、部屋が寒くなりました。文官の方の顔が、青ざめておりますわ。後ろでガタリと音をさせたのは、ステラですわね。それ以上動けば、不審な動きを見せたかどで、殺されるかもしれませんわよ。
伯爵夫人の顔は、一瞬で無表情に戻りました。その一瞬の裂け目に浮かんだ表情は、憎悪でしたわ。
ステラが怯えたのも、無理はありません。
私もまた、努めて無表情を作りましたの。うっかり微笑を浮かべないよう、同時に、怖がっていると思われないようにするのは、大変な努力が必要でしたわ。
「ヴァルドは、あの事故を生き延びて、最近まで記憶を失っておりましたの。この話を知るのは、この場にいる者と‥‥どういう訳か、ベラムール嬢ですわ」
伯爵夫人が、困惑の表情を微かに浮かべました。こちらの話に耳を傾ける余裕が出来た印ですわ。怒りと憎悪に我を忘れてもらっては、困りますの。
「何故‥‥?」
「存じません。彼女には、殿方を惹きつける他にも、色々と怪しい力を持つようですわね」
異世界からの転生者で、ゲームシナリオを知っているから、などと言えば、ややこしくなりますわ。
スチュワードは、グレンツヴァルト伯爵の隠し子でしたの。ミアは、そこのメイドでした。
伯爵夫人の怒りを買って追い出されたミアは、ジョカルテ王国へ逃れ、そこでスチュワードを産み落としましたの。
どうやら、バルナバ叔父様の城で仕事をしていたようですわ。それもまたグレンツヴァルトの伯爵夫人に知られて、辞めざるを得なくなったのです。
思うに、ヴァルトなんて名前を付けたせいではないかしら。事情を知る者には、どうしたって、グレンツヴァルト辺境伯を連想しますもの。
現に当時、辺境伯がミアを訪れた、などという噂まで立ちましたそうですのよ。
当時、伯爵夫人には男児がいらっしゃらなかった事も、夫人の怒りを増したと思いますわ。
ミアは王都へ出ようとヴァルトを連れて移動中、山賊に襲われて亡くなりましたの。
彼女に庇われたヴァルトは、命拾いしました。そして、通りかかった商人に連れられ、王都まで出たのです。
ところが、その商人に売り飛ばされると知って逃げ出し、私と会うまで浮浪児の生活をしていたのですわ。
見てきたように話しましたけれど、スチュワード自身の記憶ではなく、ゲームのお助けキャラクターとかいう、セバスティアーノの設定なのだそうですの。
エヴリーヌの発言から、彼がセバスティアーノらしいと推定したものの、本当のところはわかりませんわ。
もしも、別に本物のセバスティアーノが存在して、エヴリーヌがグレンツヴァルトまで連れてきたら、それはそれで私たちの命が危ういですわね。
「来るべき時に、侵攻を止めてくだされば、この者は、スチュワードのままで生涯を終えます。貴女が彼らを雇ったことも、その結果も恨んでいないそうです」
スチュワードは私と出会って前世を思い出した後、それ以前の記憶が曖昧なようですの。幼いながら、大変な人生を送ってきた訳です。彼の心が、忘れるように仕向けたのかも知れませんわ。
セバスティアーノの設定のようにして思い出せば、心の傷も少しは痛みが減るのでしょうね。
ともかく、スチュワードが伯爵夫人を恨んでいないのは、本当なのですわ。
「そんな口約束。それに、その者の出自など、何の証拠もない」
伯爵夫人は、怒りを滲ませた口調で返しましたの。
どうやら、スチュワードに辺境伯の面影を見つけたのですわね。それとも、ミアの面影かしら。
いずれにしても、彼が隠し子という話は、信じた様子ですわ。
始末した筈の子供が立派な大人になって現れ、知り得ない筈の事情を知られている衝撃も、怒りの因でしょうね。
そうですの。ミアが襲われた山賊は、グレンツヴァルト伯爵夫人が差し向けた刺客でしたの。
暗殺の専門家ではなく、山賊に金をやって雇ったのでしょう。
でなければ、スチュワードが生き残るなどという失敗も、それを雇い主に報告せず放置することも、起きなかったと思いますわ。
「もちろん、ご承諾いただけるのならば、すぐにでも文書で契約を取り交わします。それから、証は後ほど立てさせます。伯爵夫人。私たちの利害は一致しているのです。私もスチュワードも、身元を知られたいとは思っておりません。しかし、ベラムール嬢は彼の存在を公開する、とグレンツヴァルト辺境伯を脅して操る危険があります。辺境伯様は、山賊の事はご存知ないのです」
伯爵夫人の気持ちが、僅かに動いたように感じましたわ。表情には出ませんけれど、人は、無意識のうちに体に感情が表れるものなのです。
これは、夫人の悪事が露見していない、という点に心を動かされたのでしょうね。
普通に考えて、そのような事を私が知る訳はないのですが、話を信じてもらえるのは、良い兆候ですわ。
もちろん、出鱈目ではありませんのよ。スチュワードからの情報ですもの。
「それ以前に、彼女が辺境伯様と、極親密な関係を取り結び、操る危険もあるのです。もう既に、我が国の王太子と共に、隣接するフロンティエラント領へ向かったとの事ですわ。今頃、到着して、更にこちらへ来られるかもしれません」
フロンティエラントは、バルナバ叔父様の所領ですわ。叔父様は婿ですから、正確にはヴィオランテ様の、と言うべきですわね。
「して、証立てとは?」
「スチュワードは、その父と同じ場所に、印を持ちますの。それを、焼きます」
私は平然と言い放ちましたが、内心で動揺し通しでしたわ。できれば、したくありませんでしたもの。
スチュワードは自分でする、と言いましたが、そのような問題ではありませんわ。
そもそも、その印の場所も問題ですわ。足の付け根にありますのよ。
主人の私が見ないうちに、そのような繊細な場所を伯爵夫人が確認すると思うと、イライラしてきますわ。
かといって、未婚の女性が見て良い場所ではありませんもの。ですが、焼いてしまうのなら、その前に、私も確認しておきたかったですわ。
伯爵夫人は、とうとう顔色を変えましたわ。さては、印に心当たりがありますのね。
「その場所は?」
問うので、説明して差し上げましたわ。
グレンツヴァルト伯爵夫人は、陥落しました。私たちは急いで文書を取り交わし、スチュワードは暖炉の火箸を使って、印を焼き潰しましたの。勇敢でしたわ。
私も主人として、その一部始終を見守りましたわ。
実のところ、部屋の端と端くらい遠く離れておりましたので、ぼんやりとしか、見えませんでしたの。
いいえ。陰になって、ほとんど見えませんでしたわ。




