18 どこにでも顔を出しますのね
「思い出した! チュートリアルだ」
帰りの馬車の中で、スチュワードが大きな声を出しました。また、おかしな単語が飛び出しましたわ。
あれからリベリオ様は落ち込んだ様子で、劇など見るどころではありませんでした。
嫉妬させようとした女性が、別の殿方と親しくしていて、その相手が叔父上では、宰相様の時のように、威圧をかけることもできませんものね。
二人は互いに名前で呼び合っていましたわ。二人きりで過ごすのも、これが初めてではないかもしれません。
傍でうじうじする婚約者の存在に、私は舞台に集中できず、結末がどうなったのか、全然覚えておりませんの。
ジェレミア殿下とベラムール嬢は、私たちとは少し離れた部屋に案内されたようで、さりげなく両隣の部屋を窺った時にも、それらしい声は聞こえませんでしたわ。
これも、劇場側の配慮でしょうね。
「お前、本当はセバスティアーノなの?」
私は、気になっていた点を尋ねました。彼にスチュワードと名付けたのは、私です。
確か、出会った時に名前がない、と言われたのでしたわ。ですが、身元を知られたくないなどの理由で名乗らなかったり、雇う側で名前を決めたりすることは、よくありますもの。
どこかのお屋敷では、仕事の内容によって、メイドの名前が決まっているそうですわ。
そうすれば、主人がメイドの名前をいちいち覚え直さなくて済みますものね。そのような家の人員管理が行き届いたものかどうか、私としては疑問ですけれども。
人が入れ替わった事に関心を持たないなら、いつの間にか暗殺者や裏切り者で周りを固められても、死ぬ時まで気付かないのではないかしら。
他のお屋敷の事はともかく、ゲーム『ダイス 愛と野望の渦』のヒロインであるエヴリーヌ=ベラムール嬢がスチュワードをセバスティアーノと呼んだなら、彼の本名がそうである可能性は高い、と思ったのです。
「いや。知らんけど。お前と会った時、前世を思い出して、それまでの記憶が上書きされたみたいになった。まあ、大した記憶はないんじゃないか?」
スチュワードは、他人事のように、あっけらかんと否定しましたの。それから、考え込むような姿勢を取りました。
「俺があのセバスティアーノだったなら、ゲームの知識が色々あることには納得する。今考えたら、前世で姉貴のレベル上げを手伝った程度では知り得ない知識を、思い出した事なんかも。曖昧だったり、断片的だったりして、俺の記憶として思い浮かぶから、前世の記憶と区別できなかった。きっと、ゲームの進行に合わせて小出しにする設定なんだろう」
セバスティアーノは、ヒロインの家に仕える執事で、ゲームを始めたばかりの初心者に手解きをしたり、ヒロインが困った時に相談すると、解決に導くヒントをくれたりする存在だそうですの。
ヒロインには、都合の良い人材まで用意されますのね。偶々私が拾って、運が良かったですわ。
「もしかしたら、あの時近くに、ベラムール家関係のキャラがいたかもしれないな」
スチュワードは冗談めかして言いました。私は、胸がキュッと縮む心地がしましたわ。
私が癇癪を起こしてアクセサリーを壊さなければ、スチュワードはシナリオ通り、ヒロインの執事として、気楽な人生を送れたのです。
一方、彼がいなければ、私は侍女やその他召使いたちの心尽くしに気付かず、我が儘で辛い人生を送った末、ピッチェ家ごと破滅するでしょう。破滅はまだ免れてはいませんが、彼なしで成し遂げることは不可能です。
「スチュワードは、今からでも、ベラムール家に仕えたいのじゃないかしら? ほら、『ダイス 愛と野望の渦』の主人公の側にいれば、破滅の心配もないでしょう?」
ああ。言いたい事と、正反対の話をしてしまいましたわ。私には、彼の助言が必要なのに。
「乙女ゲームには、そんなヌルいシナリオもあるらしいけど」
スチュワードが、また知らない言葉を使い出しましたわ。乙女ゲームは、乙女のためのゲーム、という意味ですわよね? ヌルい、とは?
私は何を言い出すのか、と彼の顔を注視しました。
「このゲームのバッドエンドは、洒落にならないくらい、本当にバッドだからね。ヒロイン側にいても、油断はできない。例えば、隠しキャラの国王ルートで、好感度がギリ足りなかったかアイテム揃え損ねたかでバッドエンドになった時は、ヒロイン処刑されちゃって。姉貴にめちゃくちゃ怒られたな。あのルートは難しいのに。後から文句を言うなら、自分で攻略して欲しかったよ」
「処刑」
それは、国王陛下に不敬を働けば、処刑もあるでしょう。
あまりに軽く、処刑などと口にするスチュワードに、改めて、異世界の人なのだ、と思い知らされましたわ。
彼はこの世界に順応しておりますが、元々の常識は、私と全く異なるのです。
ベラムール嬢も、その転生者かもしれないのでしたかしら。それで、婚約者のいる王太子を誘惑することにも、躊躇いがないのですわね。
「今日の事で、ヒロインが転生者であることは、間違いないとわかった。となると、あれの可能性も高まる」
「あれ?」
私の思考をなぞるようなスチュワードが、気になる言い方をしました。聞き返すと、彼は、御者席を窺う素振りを見せましたの。
今までにだって、散々聞かれたら誤解されそうな話をしてきましたのに。
馬車の中には、色々な音が聞こえてきて、こちらもそれなりの声で話さないと会話にならないのですわ。かと言って、中の会話が外へ丸聞こえもしないのは、不思議な事ですわね。
「その話は、また今度にしよう。まだ、確定ではないからな」
馬車が、速度を落とし始めました。ピッチェ家に到着したのです。
結局、彼がどちらの味方につきたいのか、本心を聞けませんでしたわ。
気付けば、リベリオ様とのお茶会が、随分と開かれておりませんわ。どうやら、鉱山への視察や観劇を、お茶会の代わりと数えているようですの。
婚約者同士の定期的な会合は、両陛下へも報告するのに、誰も不備を指摘しないのかしら。それとも、これが普通なのでしょうか。
仮に、仮にですわよ。お相手がベラムール嬢でしたら、王太子殿下は、視察や観劇とお茶会を別に数えたと思いますの。
リベリオ様は、相当入れ込んでいらっしゃいますのね。
王族にここまで見込まれたら、ベラムール卿も断りにくい、いいえ、これをテコに、ソローアモ有利の条約を結ぶため、積極的に関係を作らせようとする筈。ですから、娘が色々な殿方と出歩いても止めないのですわ。
ベラムール家は、爵位としては伯爵ですが、ソローアモ王国の由緒ある家柄でしたわね。王太子の正妃として迎えても、反発は起きないと踏んだのでしょう。私との婚約がなければ。
ジョカルテ王家と四大公家は、切っても切れない関係です。その一翼を担うピッチェ家との婚約を解消してまで、ベラムール嬢を受け入れる利益があるかしら?
これは、両外務卿の腕次第でしょうか。
解消される我がピッチェ家の面目も、立ててもらわねばなりませんね。
軍務卿のお父様、辺境騎士団長の叔父様、騎士団長のアルフォンソ兄様、近衛隊長のブルーノ兄様、とジョカルテ王国の軍務を掌握するピッチェ家です。
娘など、政略結婚の駒扱いですが、婚約解消は、扱い次第で我が家の殿方の面目を潰すことになりますわ。
リベリオ様の即位を待って、ベラムール嬢を側妃として取り立てるにも、ソローアモ側が承知するかどうか、微妙なところですわね。
あら。もう私は、ベラムール嬢をリベリオ様の愛人として考え始めていましたわ。彼女は、王弟殿下や宰相様とも親しげにしてらしたと言うのに。
とりわけ、ジェレミア殿下が彼女に本気になられたら、リベリオ様は諦めざるを得ないでしょうね。そうなる前に、実力行使。
などと、愚かな考えを持たねば良いのですが。
もう少し家格の低い出の女、せめて国内出自であれば、打てる手立てもありますのに、王族の住まう城内に起居している点も、面倒ですわ。
リベリオ様とのお茶会から、随分な時間が経ってしまいましたわ。
代わりのように王妃陛下からお茶に呼ばれてみれば、ベラムール嬢が、ちゃっかり同席していたのです。
まさかここでゲームのヒロインと遭遇するとは思わず、スチュワードに助言を求めずに来てしまいましたわ。
「これは、ベラムール伯爵令嬢。鉱山の視察以来でしたかしら?」
劇場では私、存在を無視されましたので、ご挨拶は視察以来となりますわ。
「まあ。ヴィットーリア、様。エヴリーヌとお呼びくださいまし。先日、劇場でお会いしたではありませんか。そういえば、セバスティアーノは、連れて来られませんでしたの?」
失礼が多過ぎて、どこから指摘したものか、王妃陛下の前でもあり、躊躇ってしまいますわ。
挨拶を無視した件をなかったことにするのもそうですが、私は名前で呼ぶ許可を出しておりませんし、彼はセバスティアーノではありません。
「もちろん、劇場ではお見かけしてお声がけ致しましたわ。お返事をいただけず、お気付きでなかったと思い込んでおりましたの。私の名前まで覚えていただけて、光栄に存じます。仰る方は存じ上げませんが、もし当家の執事補のことでしたら、自宅で仕事をしておりますわ」
「まあまあ。劇場は、全体に暗いものよ。ヴィットーリアの居場所が、たまたま物陰になっていたかもしれないわ。こうして三人でお話しするのは、初めてね。エヴリーヌ嬢も、気楽にしてね」
お言葉ですが、王妃陛下。エヴリーヌは既に、これ以上ないほど気安くしておりますわよ。
陛下は、あの場におられなかったから、彼女と私の距離をご存じないのです。
それにしても、ヒロインは攻略対象の殿方だけでなく、同性に取り入るのも上手いのですわね。
私は、騙されませんわよ。それ以前に、最初から敵認定されていたのでしたかしら。
それからお茶会が始まりましたが、これほど時間の歩みが遅い会は初めてでしたわ。
「近頃、リベリオとは、どのような話をしたのかしら?」
「はい。昨日もお茶を飲みにいらしてくださいました。ジョカルテ王国の地理など、興味深いお話をしてくださいましたわ」
「そう。ヴィットーリアは?」
「観劇にお誘いいただいたので、その時に四方山の話をしましたわ」
嘘も方便ですわ。
そこで扉が開いて、オリーヴィア王女殿下が入ってこられましたの。言わずと知れた、リベリオ様の妹君ですわ。
「ほら。お姉様は、こちらにいらしたわ」
振り向いて後ろへ呼びかけます。後から姿を見せたのは、国王陛下でした。