17 誰ですって? 存じませんわ
「ステラ。これは少々派手ではないかしら?」
私の問いに、侍女のステラは、笑顔を返します。
「とんでもないことです。これでも、街へお出かけになるので、控えめに仕上げたのです。殿下から久々のお誘いですからね。あっと言わせて差し上げないと」
まるで自分が誘われたように喜ぶ彼女に、いくら着飾っても無駄だと告げるのは、申し訳なく、私は礼を言うに留めましたわ。
フィオリ宰相とベラムール嬢の親しさを目の当たりにしたリベリオ様が、どういう風の吹き回しか、私を演劇鑑賞に誘ったのです。
思うに、ベラムール嬢に私の存在を見せつけることで、彼女に嫉妬させようという腹積もりかと。
何故なら、彼女の父であるベラムール外務卿が、観劇する日程に合わせているのですもの。
茶番に付き合わされるとわかっても、王族からの誘いは断れませんわ。
早速、スチュワードに、ゲームイベントの確認をしましたの。
『ダイス 愛と野望の渦』のヒロイン、エヴリーヌ=ベラムール嬢が現れるなら、私が悪役令嬢としてどのような失態を犯すのか、知っておかねば対策が取れませんもの。
先日の鉱山イベントが宰相様関連のものでしたから、私は無事でいられたのですわ。
宰相ルートの悪役令嬢であるプリシラが、あのイベントで何をしでかしたのか、私の目の届く範囲では、わかりませんでした。
好奇心は多少疼きますけれども、他人に構う余裕はありませんわ。
「劇場デートイベント。あったよ」
スチュワードは、あっさりとイベントの存在を認めましたが、その後の説明が、今ひとつでした。
「攻略対象と、ヒロインが劇場の貴賓席でイチャイチャ‥‥親密さを増すイベントだ。劇場側の手違いで、偶然同じ日に観劇に来た悪役令嬢と鉢合わせしてしまい、同じ部屋で攻略対象を挟んで観劇する羽目になるんだが、相手にバレないよう触れ合うシーンがドキドキするって、姉貴が言っていたな」
そうでしたわ。スチュワードが前世でゲームをしたのは、彼のお姉様に命じられてのことだったのでした。ですから、ゲームのことなら何でも知っている、とは限らないのですわ。
「でも、リベリオ様は、悪役令嬢の私を誘ったのよ。これは、シナリオと違うでしょう?」
私は疑問をぶつけて、スチュワードの意見を引き出そうとしましたの。
「うーん。そこは、わからない。プレイヤーはヒロインの立場だから、攻略対象と悪役令嬢が普段、どう交流していたか、見えない部分は知りようがない」
スチュワードは、私の満足する答えを言ってはくれませんでしたの。
私は、悪役令嬢らしく、自分に都合の良い言葉を聞きたかったのかもしれませんわ。
「公務でもなし、劇場で待ち合わせするなら、俺を連れて行くだろう? 何か気付けば、すぐに対処する。心配するな」
落胆させた後で、そのような心強い言葉をかけてくるなんて、スチュワードも隅に置けない人ですわね。
ともかく、私は彼の言葉で安心したのですわ。
流行の発信源であるソローアモ王国では、演劇も盛んで、外務卿は御息女と観劇するのを、楽しみにしていたようですわ。
普段の雰囲気で楽しみたいと要望されたとかで、本来貸切りにするところを、一般国民も入場を許されましたの。
但し、入場時に騎士団の身体検査を受けることが条件とかで、ほとんど男性ばかりの観客となったそうですわ。
これは、後からアルフォンソ兄様から聞いた話ですのよ。
私たちは当然ながら、検査なしで入ることができました。係員の先導で、貴賓室へと案内されます。
ここは、舞台に向けて開かれておりますが、左右と廊下側は壁で、半分個室のような造りなのです。
リベリオ様は、まずスチュワードを見て嫌な顔をされ、部屋へ案内されるまでの間、さりげなく周囲を窺いつつ、終いには歩調を緩めておられましたの。ベラムール嬢に会いたい気持ちが全開でしたわ。
劇場では、貴賓室の利用者同士、顔を合わせないよう部屋別に案内するのが通例ですの。
王太子殿下の思惑を知らない劇場側の配慮で、私たちは誰とも会わずに部屋へ入りました。
個室といっても、舞台の見える方向は、バルコニーのように大きく開いております。身を乗り出すようにして、左右を覗き込めば、両隣の利用者を見ることは可能ですわ。
流石にリベリオ様も、それを思い留まる程度の分別は持っておられました。
階下には、平民も他の貴族もおりますもの。上でそのような動きをすれば、目立つことこの上ないですわ。
よく見えるということは、よく見られるということです。
上演されたのは、最近我が国で評判の良い演目で、恋愛物でしたわ。
外国から来た恋愛に積極的な令嬢が、色々な殿方と出会う中で、真実の愛に目覚めるという筋書きで、何だかどこかで見聞きしたような話ですわね。
リベリオ様は、登場人物の誰かにご自分を重ねられたのか、熱心にご覧になっておられましたわ。
ちなみに、自らの両手をしっかり握り合わせて、私の手には近付きもしませんでしたのよ。
殿下は、幕間の休憩時間に入ると、そわそわと席を立ちましたわ。
「少し、外の空気を吸ってくる」
一人で、部屋を出てしまいました。もう、婚約者に対する体裁も、ベラムール嬢へ見せつけるという作戦も、彼女に会いたい一心で、頭から飛んでしまったようですわね。
元々、私に対して情が薄いとは思っておりましたものの、こうもあけすけにされるのは、気分の良いものではありませんわ。
情がなくとも、体面というものがあるでしょう。個室にあっても、半分開放されておりますし、私用で訪れても、劇場は公の場ですもの。
「お嬢様。体を伸ばして、気分を変えましょう」
スチュワードが気遣って、声をかけてくれました。そんなに落ち込んだように見えたかしら、とそれはそれで気になりますわね。
ですが、王太子殿下の隣で気を張っていたことは確かです。強張った体をほぐすために、私はスチュワードを連れて貴賓室を出ましたの。
廊下に、リベリオ様の後ろ姿が見えましたわ。その向こうには、豊満なお胸を盛り上げたベラムール嬢の姿もありました。
念願叶って、よろしゅうございましたかしら。
それにしても、ヒロインと攻略対象が会うなら、これはゲームイベントではないでしょうか?
私は、背後に付き従う筈の、スチュワードに尋ねようとしました。
「セバスティアーノ!」
叫ぶように声を上げたのは、ベラムール嬢でしたわ。
私は、そのまま周囲を見回しました。スチュワードも、警戒するように私を庇う姿勢となりましたし、リベリオ様とその護衛も、あちこちに視線を飛ばしました。
貴賓室の並ぶ廊下には、仕組んだように、私たちしか見当たりませんでしたわ。
王太子殿下の姿を見かけて、他の利用者の方々は、表へ出るのを遠慮したのかもしれませんね。ベラムール嬢は、こうして遠慮なく現れた訳ですが。
ところで、セバスティアーノとは、人の名前ですわよね? 護衛の名前でもなさそうです。どこにそんな方が?
「セバスってば! あなた、悪役令嬢なんかの側で、何しているのよ!」
ベラムール嬢は、大きなお胸を揺らしながらこちらへ近付くと、スチュワードへ手を伸ばしました。リベリオ様は、呆然と見送っておりましたわ。不覚ながら、私もです。
スチュワードは、危ういところで、彼女の手から逃れました。日頃の訓練の成果が出たようですわ。
なおも、私を庇いつつ、出来るだけ身を引いた姿は、騎士のようでした。
ですが、どきどきしたのは、緊張からであって、ときめいたのではありませんわよ。
「お初にお目にかかります、ベラムール伯爵令嬢。わたくし、スチュワードと申します。物心ついて以来、ピッチェ家にお仕えしております」
ベラムール嬢の動きを制して、名乗りを上げました。
「ス、スチュワード?」
虚を突かれた様子の彼女に、私も畳みかけます。
「ベラムール伯爵令嬢、またお会いしましたわね。今日の演目は、我が国で人気のものなのですよ。私は、王太子殿下に誘われて観に来ましたのよ。そうそう、スチュワードは‥‥」
つんつん、と私のドレスが突かれます。スチュワードが後ろ手で、私に合図しているのですわ。余計な事を喋るな、という意味でしょうか。
「やあ、リベリオ。婚約者殿と観劇かい? 仲睦まじい姿を見られて安心したよ」
豊かな声に視線を向けると、ジェレミア殿下がリベリオ様に話しかけておられました。
国王陛下の弟君、つまりはリベリオ様の叔父に当たられますの。
「あ、りがとうございます。叔父上は、ベラムール外務卿のおもてなしで、ご一緒に?」
リベリオ様の声は、心なしか硬く聞こえます。この展開に、動揺なさっているのですわ。
私もまた、落ち着きとは程遠い心境でしたわ。
ベラムール嬢が、スチュワードを何とかと呼んで、多分、連れ去ろうとしたのですわよね?
ヒロインが転生者でゲーム『ダイス 愛と野望の渦』のシナリオを熟知する上に、転生者のスチュワードを仲間に加えたら、悪役令嬢などという脇役は、太刀打ちできませんわ。
大体、この場は何なのですの?
リベリオ様が、ベラムール親子に見せつけるため、婚約者の私を呼び出したのに、一人でベラムール嬢へ会いに行ってしまって、彼女は王太子殿下のことよりスチュワードの存在を気に掛けて、しかも彼を別の名前で呼ぶし、何故か王弟殿下まで現れて、もう訳がわかりません。
「そうだね。ソローアモの外務卿は所用で観劇をキャンセルされたから、代わりに私がエヴリーヌ嬢をエスコートしたのだよ」
王弟殿下が、大人の余裕たっぷりに、リベリオ様へ笑いかけます。きっと、殿下に他意はないのでしょうが、リベリオ様は何かの圧をかけられたように、足を引きました。
「さあ、エヴリーヌ嬢。そろそろ次の幕が開く。部屋へ戻ろう」
「はい。ジェレミア殿下」
ベラムール嬢は、王弟殿下の呼びかけに応じるどさくさで、私に挨拶もせず背を向けましたわ。
立ち去り際に、リベリオ様には手を振っておりましたので、意図的な無視ですわね。
私たちは、廊下へ取り残された形となりましたの。