1 拾ってあげるのだから、私にお仕えなさい!
私がスチュワードを最初に見たのは、街の薄暗い脇道でしたわ。
当時は、彼に名前なんてなくて、ただの天涯孤独な浮浪児でしたの。スチュワードと名付けたのは、私ですのよ。
私がそんな汚れた道へ足を踏み入れるなんて、普段なら絶対に有り得ないことですのに、きっと運命が引き寄せたのですわ。
その日、私は宝石店へ行くため、馬車に乗っておりました。
婚約者のリベリオ様からプレゼントされたブローチが、何と曲がってしまいましたの。
修理してもらう間に、新しい宝石を見せてもらおうと思いましたの。宅に呼びつけると、決まった品しか持って来ないのですもの。私は、店に並べられた品物を眺めて、埋もれた宝を見つけるのが好きなのですわ。
思えばスチュワードも、その宝みたいなものですわね。でしたらブローチを投げたことも、正しかったのですわ。
そうですの。ブローチが壊れたのは、私が投げたことが原因です。
でも、額縁に当たった程度で曲がるなんて、王太子殿下が選ばれたにしては、品質に問題があったのではないかしら。
私だって、額縁に当てようと投げたのではありませんわ。
下女の誰かが、仕事に手を抜いたのがいけなかったのだと思いますわ。本当のところ、あんまり覚えていないのです。
何しろ、スチュワードに出会ったことが一番の衝撃だったのですから。
少々蒸し暑い日でしたわ。
ですから、侍女のステラが馬車の窓を少し開けておいたのです。両側の窓を開ければ、全開にしなくとも、風が通って涼しくなりますものね。
私は、ブローチの修理が、リベリオ様とのお茶会に間に合うかどうか気がかりで、無意識に髪留めを触っていたのです。それもまた、リベリオ様から贈られた品物でした。
プチッ。
不吉な音と共に、私の視界の端で、光る物がありました。何と、髪留めに付けられた貴石が飛んで、窓の隙間から外へ出てしまったのです。
信じられないですわ。
王太子殿下の選ばれた品々が、こうも簡単に壊れてしまうなんて。出入りの宝石商を抜き打ちで調べた方がよろしいですわ。
それは、私の仕事ではありませんけれど。
職人に対する情状を考えてやるとすれば、私は気になることがある度に、その髪留めを触っておりましたから、徐々に緩みが大きくなったのであって、あの時急に壊れた訳ではない、かもしれない、といったところでしょうね。
ともかく、ブローチの曲がったことよりも、石がなくなった方が、一大事です。私はすぐに馬車を停めさせました。
「お嬢様、どうなさいました?」
ステラは、何が起きたか見ていませんでした。縁戚の子爵家から来た娘で、抜けたところがあるのですわ。
「リベリオ様の石が、馬車の外へ落ちてしまったのよ。探さなくては」
私は、馬車の扉を開けながら、彼女に説明しました。
「でしたら、私が探しますから」
ステラの言葉は聞き流しました。だって彼女は、落ちたところを見ていないのですよ。どこを探したら良いか、わからないに決まっています。
私は、行きすぎた分だけ戻り、路面を見て回りました。こんな時、街の石畳は最悪ですわね。田舎道でしたら、剥き出しの土に光る石など、すぐに見つかりますのに。石と石の間の隙間を見るのは、とても疲れることでしたわ。
「おっと、お嬢さん。よそ見は危ないですよ」
「ごめん遊ばせ。急ぎますの」
時には通行人にぶつかりそうになりつつ、私なりに必死に探しましたのよ。
ふと顔を上げると、横へ入る細道に、子供が座っていました。ボロボロの服とも思えない布を纏い、髪も伸ばしっぱなし。頭のてっぺんから足の先まで、砂と埃で白っぽく汚れていました。
普段の私でしたら、決して声をかけたりしませんのよ。子供と雖も、侮ってはいけない。我が家の教えですわ。
打ち明けると、少し焦っていました。私のせいではなくても、ブローチに加えて髪飾りまで損ねてしまったのです。
リベリオ様に知られたら、気分を害されるでしょう。
子供を見つけると同時に、その前の路面が、きらりと光ったような気がしたのです。
私の足は、考えるより先に動いていました。
思った通り、リベリオ様の瞳に似た明るい青の石が、そこにありました。でも、手を伸ばす前に、子供が、パッと顔を上げたのです。
急に視界に誰かが入ってきたので、驚いたのでしょう。驚いたのは、私も一緒でした。
「もしかして、ヴィットーリア=ピッチェ? ちっちゃい頃から美人だったんだな。可愛いじゃないか。天使か」
「そ、そうよ。私がヴィットーリア=ピッチェよ」
初対面の子供にフルネームで呼ばれ、容姿を褒められた私は、思わず名乗り返しました。
ジョカルテ王国の四大公家の令嬢にして、将来の王太子妃である私は、それなりに有名と自認しておりましたが、まだほんの子供です。肖像画なども出回っておらず、市井の人に、顔を見ただけで言い当てられるとは思っておりませんでしたの。
それに、美人とか、可愛いとかって。
明らかなお追従以外で言われたのは、初めてでした。我がピッチェ家は、武勇で鳴らす家系です。女性は政略結婚のコマか、子を産む道具としか見られません。
私の場合、生まれた時から王太子殿下の婚約者になると決まっておりましたものですから、それはもう、厳しい教育の記憶しかありませんでしたの。
あれもできない、これもできない。できないことばっかりで、物だって投げたくなりますわ。
そんな私を、見ず知らずの子供が、褒めたのです。私が呆然となっても仕方がないでしょう?
「うわあ。マジか。これが噂の異世界転生ってやつ? 俺、過労死だな」
子供は、ふっと私から目を逸らすと、寂しげに呟きました。まるで外国語でも使われたみたいに、意味がさっぱり掴めませんでしたわ。その横顔が、ひどく大人びて見えましたの。私より小さい体の子供なのに。
「あ。こんなところに、宝石が。もしかして、これを探しに来た‥‥」
ボカッ。
子供が、石と一緒に吹っ飛びました。私の護衛が、侍女のステラと共にやってきたのです。
「待って! ステラもマルツィオも動かないで! その子が石を見つけてくれたの! お前が殴ったから、またどこかへ行っちゃったじゃない!」
私は叫びました。二人とも、ぴたりと止まってくれましたわ。私の意に染まないと、ひどい癇癪を起こすのを知っていたからですわね。それに、その子以外の脅威が見当たらなかった事もあるでしょう。
子供は、石ころみたいにゴロゴロ転がって、止まりました。私は駆け寄りました。
「大丈夫?」
ええ。ええ。石の方ですわ。リベリオ様の瞳に似た石を失くしたら、絶対に修理できませんもの。
「えへへっ。これのことか?」
敷石と殴り跡で傷だらけの顔に笑みを浮かべ、差し出した手には、あの貴石がありました。私は、そっと摘み上げました。なくさないよう、ハンカチーフに包みます。
すると子供は、すうっと身を引いて、一礼したのです。身なりと年齢に合わない礼儀正しさでしたわ。私は、この瞬間、閃きましたの。
「あなた、名は何というの?」
今度は、子供が呆然とする番でしたわ。私は何となく、溜飲が下がったような気がしたものです。
「えっと、鈴‥‥は前世の方か。俺、名前ないみたいだな。親もいねえし」
「まあっ。名前がないなんて」
私は、またも驚かされてしまいました。メイドだって、ペットだって名前はありますのに。でも、それは私にとって都合の良いことでもあったのですわ。
「それなら、私が名前をつけてやるわ。ええと。お前は、今からスチュワードよ。ステラ、マルツィオ。スチュワードを、私専属の召使いにするわ。とりあえず、馬車に乗せるのよ。二人とも、もう動いてもいいわ」
「えっ」
異口同音に、三人の声が上がりましたの。
ステラとマルツィオ、それにスチュワードですわ。
「お、お、お嬢様、こんな小汚い子供を、ですか?」
「そうですよ。馬車に乗せるだなんて、危ないですよ」
「さすがはヴィットーリア=ピッチェ。凄いこと考えるのな‥‥スチュワードってキャラは、いなかった気がするけど」
先の二人が反対するのは、予想していましたけれど、スチュワードまで微妙な反応だったのは、意外でしたわ。
名なしの孤児が、四大公家のピッチェ家に雇われるのですよ。もう少し喜ぶべき場面ではありませんこと? それに、言葉は通じるのに、時々話の内容がわかりませんわ。
お供に反対された私は、いつものように怒って暴れて、スチュワードを連れ帰りましたのよ。
暴れた時に、スチュワードが宥める側に回ったのも、ステラとマルツィオが折れる方に役立ちましたわ。
宝石店は早々に切り上げて、屋敷へ戻ると、スチュワードをサレジオに預けましたの。サレジオは、ピッチェ家に長年仕える執事ですわ。
「かしこまりました、お嬢様」
サレジオは、滅多に動じませんのよ。この時も、万事呑み込んでくれましたわ。
つまり、お父様が戻られる前に、スチュワードを磨き上げて、身なりを整えてくれましたの。
「まあ。スチュワード。本当に、お前?」
連れて来られた彼を見て、私は思わず尋ねてしまいました。
お風呂で全身を洗われ、髪や爪を整えられたスチュワードは、痩せ過ぎな点を除けば、なかなか見られる姿だったのですわ。私、人を見る目がありますわよね。
「はい。お嬢様」
召使いとしての礼をとる姿も決まっていて、とても先ほどまで浮浪児だったとは思えませんでした。尤も、この礼の仕方は、サレジオが教えたのだそうですわ。
スチュワードが一度で覚えたことに、彼も驚いておりましたのよ。
それで、私がお父様に、スチュワードを私専属の召使として引き取る許可を得る時、言添えてくれたのですわ。
「ご主人様。この者は、逆境にも屈せず、性根を綺麗に保っております。それにわたくしの見たところ、高い潜在能力を秘めていると思われます。ヴィットーリア様は、優秀な人材を見抜く力をお持ちのようです」
こうしてスチュワードは、私専属の召使いとして、我がピッチェ家に迎え入れられたのですわ。