【第一章:Lesson】⑧
「補習はもう今日で終わりにしようか」
突然の沖の言葉に、怜那は何を言われたのか一瞬意味不明だった。
──いま、何……、終わり? なんで、終わり……。
「有坂、本当によく頑張ったよ。この調子で気を緩めずにやっていけば、進級や卒業はそこまで心配しなくていいんじゃないかな」
ごく普通の声で沖が話す内容が、怜那にはよくわからない。
日本語の意味はわかるものの、──理解できない。頭が、拒否しているかのように。
「え、で、でも。私まだ全然、先生の作ってくれたプリントだって、自分だけじゃ解けないし、あの──」
「……悪いけど、俺もちょっと忙しくなって来ててさ。授業だけじゃなくて行事も多いし。学外の研修なんかもあるしな」
忙しい……。そうか、それなら仕方がない。、こんな個別補習など、沖には余計な仕事なのだから、──。
必死で自分を納得させようと努めながらも呆然としている怜那から、沖は目を逸らして逃げるように立ち去った。
……少なくとも、怜那にはそう感じられたのだ。
──しょーがない、じゃん。先生は私の家庭教師じゃない。私だけの先生じゃないんだから。
◇ ◇ ◇
柄にもなく落ち込んでいる怜那を、大翔は放置はできなかったらしい。
一人っ子同士で兄妹のように育ち、ずっと一緒だった幼馴染み。
「先生が忙しいから、もう終わりなんだって」
本当に忙しいのかもしれないし、……覚えの悪い怜那に、沖が呆れただけなのかもしれない。
たとえそうだとしても、沖は生徒には当たり障りのない理由を告げるだろう。訊いても答える筈がない。だから真実は闇の中だ。
補習のことを訊かれ、一言だけ口にした怜那に、彼は心配そうな顔で何やら考えているようだった。
学校からの帰りに、話があると半ば強引に家に上がり込んだ大翔を、怜那は断る気力もなく黙って部屋に通す。
普段なら、大翔は怜那の気持ちを読み取って先回りして行動してくれることも珍しくはない。
それなのに、彼は引かなかった。怜那が今は話す気分ではないと伝わらなかった筈はないのに。
大翔のいつにない行動の理由は、すぐにわかった。
「なぁ、怜那。思うんだけど、沖先生ってなんか言われたんじゃないか?」
「……なんかって何?」
「具体的には俺にもわかんねーけど、ひとりの生徒だけ教えるのはズルい! とかじゃないのかって」
少し躊躇いを見せた末に、彼は思い切ったように話し出した。
「ここだけの話だぞ。生徒会の先生が、チラッとそんなこと言ってたんだ。英語の宮崎先生、怜那は受け持ってもらったことないと思うけどわかるか? ほら、あの若くてイケメンだけどちょっとチャラい感じの先生。──いや、いい先生だけどさ! 顧問なんだよな」
「知ってる、けど。一応。なんかクラスの子が『カワイイ』とか『カッコいい』とか騒いでた、ような」
大翔は今期の生徒会長をしている。
もともと成績もよくリーダーシップを発揮するタイプで、常にクラス委員や生徒会役員などを担っているのだ。
「なんかさぁ、ウルサイ親とかいるらしいよ。どーでもいいような細かいことで、いちいち学校に文句つけてくるんだって。だからさ、沖先生に実際にクレーム? なんかが無くても、そういうの気にして続けられないってこともあるのかと思ったんだよな」
彼の言葉に、怜那は目を見開いた。
その発想はなかった、けれど確かにそういうことを言い出す人たちがいても不思議ではない。
──学園ドラマではよくあるよね、そういうの。まぁドラマはともかく、ネットのニュースでも見たことあるような気がするし。