【第一章:Lesson】⑥
以来ずっと、沖と怜那の二人きりの補習は続いている。
最初は普通教室だったが、途中から進路指導室前の個別ブースに場所を変えていた。
広い廊下の壁に、等間隔で並んだ作り付けのパーテーション。区切られたスペースのそれぞれに、テーブル一つを挟んで椅子が二つ置かれている。
始まった頃は、教室の前後のドアを開けたままで補習が行われていたのだ。
放課後なので無理もないのだが、他の教室や廊下からの雑音が絶えなかった。耐えられないというほどのことはないが、多少気が散るのは事実だ。
怜那は数学の勉強で余計な騒音を遮断できるほど集中力は発揮できない。
いや、教えてもらうのだから、完全に自分の世界に没頭するのも違うだろうが。
小規模の文化部は、普通教室を利用して活動している場合も多いのだ。
大暴れしているならともかく、一切の声や物音を控えろとは注意もできないと沖が溜め息混じりに零していた。
それは怜那にも理解できるのだが、ならば何故ドアを閉めないのか。
「えーと、なんていうか、その……。ちょっと言い難いんだけど、──男の教師と女子生徒が二人きりで閉め切った部屋ってのはマズいんだ」
素朴な疑問に、沖は仕方なさそうに教えてくれた。
「え⁉ こんな広いのに? 先生、それヘンじゃない?」
「そういう問題じゃないから。第一、言うまでもないけど俺は誤解されるような真似も絶対するつもりはない。でも、やっぱりダメなものはダメなんだ。密室は密室! だからこれは譲れない」
「……そーですか」
──密室、って推理アニメじゃないんだからさぁ。フツーの生活で初めて聞いたよ、「密室」なんて。
翌日、怜那は授業終了後のホームルームのあと職員室に来るように指示された。
「他の奴らもなんかもう来そうにないし、だったらあんな広い教室じゃなくていいんだよな。進路相談ブースを使えるように手配したから、次からそっちでいいか?」
沖に訊かれて、迷わず頷く。どうやら、いろいろと考えてくれたらしい。
進路指導室は最上階の、特別教室のみのフロアに位置している。しかも校舎の一番端になるので、普通の生徒はまず近寄らない。
何よりも、真剣な三年生が調べ物や相談に訪れるので、近辺で下級生が騒ぐなど以ての外だった。
「私、あのブース使ったことない。なんか特別っぽい感じする」
「まー、特別には違いないな。受験学年以外で使うってなると結構深刻な説教とかだろ。一対一だし」
「……それはそうかも」
「じゃあ、次回は四階でな。先に着いたら、適当に好きなとこ座って待っててくれ」
──沖先生って、親切で熱心なのは知ってた。もっと真面目で堅物っぽくて、なんか融通利かなさそうって思ってたのに、……いや融通は全然利かないけど! でも、結構冗談も言うし笑うし。……それに凄く、優しい。
初めて新しい場所で補習を受けた時。
今までと物理的な距離はほとんど変わらないのに、彼がとても近くなった気がした。前後が仕切られた狭い空間で、視界が遮られるからかもしれない。
進路指導室など無縁の怜那は知らなかったが、教師も生徒も意外と出入りが多かった。
二人が居るブースの一方は廊下の壁だが、もう一方はオープンだ。覗き込まなくても、二人の姿は廊下を行き来する誰の目にも止まる状況ではある。
ただ、とにかく静かな上、当然ながら話し掛けたりされることもなく、実際以上に沖との『二人だけの時間』を感じていた。
すぐ目の前に座った沖が、怜那のために用意したプリントで、ひとつひとつ丁寧に説明しながら教えてくれる。
……怜那のためだけに。