【第二章:Problem】⑧
◇ ◇ ◇
告白から三日後。
沖の呼び出しに応じて、怜那は放課後の進路指導室前にやって来た。
以前は二人きりの補習で使っていた懐かしい空間。
今回は指導室前の広い廊下の壁沿いに個別の着席ブースが並ぶ慣れ親しんだ一角ではなく、指導室隣の談話スペースとして使われている部屋だった。
椅子を丸テーブルを囲むように並べたセットがいくつか置いてあるそこは「談話スペース」という名ではあるが、あくまでも進路指導室の一部という位置づけなので、生徒だけで勝手に使用はできない。
事前の申請が必須で、鍵も担当教員が管理している。
沖がその教員に使用予定がないことを確認して鍵を借りて来たので、邪魔が入る心配はなかった。
「有坂、この間はゴメンな」
沖は、入り口からも窓からも離れたテーブルの脇で、立ったまま怜那と向き合っていた。
俯いてはいないが、自分よりずっと背の高い沖の顔を見上げることもしない彼女に、優しく話し掛ける。
「お前がせっかく……。せっかく思い切って言ってくれたと思うのに、ああいう答え方は卑怯だった」
沖は潔く非を認めた。
ここで虚勢を張ることに意味などない。決めたのだ。この子の純粋な勇気には、沖も素直に応えたい。
「でもな、これも卑怯には変わりないかもしれないけど。俺は教師でお前は生徒だから、思ってても言えない、できないことはあるんだよ。……わかってくれってのは虫が良すぎるか」
「沖先生、私」
怜那が、ここに来てから初めて、沖と目を合わせて来る。
「それくらいわかってる。私は、私たちはそこまで子どもじゃないから。なのに、わかってたのに我慢できなくて言っちゃったのがダメだったんだよ。……あーそうか、これが子どもだった、ってことなのかな」
そのまま、沖を見上げながら話し始めた。
「私の方こそ、先生を困らせちゃってごめんなさい」
怜那が少しずつ言葉を探しながら、想いを声に乗せて行くのを、沖は黙って聞いていた。
「先生、お願いがあるんです。我が儘なのはわかってるけど。私の訊くことに何も返事はしなくていいから」
微かに震える声で、紡がれる言葉。
「もし違ってなかったら、笑って欲しい。それだけで、いいから。……沖先生は、私が嫌いなんじゃ、ないよね? 別に先生が、私と同じように思ってくれてなくていいんだ。だから嫌われてないって、それだけ知りたい」
彼女の縋りつくような瞳に、沖も覚悟を決める。
──もう決めていた筈だけれど、さらに。
「……嫌いなんかじゃない。それだけは確かだよ」
まずは怜那を安心させる言葉を。
「でもゴメンな、俺は。俺はまだ言葉はやれない。つまらない大人なんだよ、俺は。だけど」
沖は、目の前の怜那の背中に素早く両手を回し、軽く抱き締めて即離す。
彼女は自分に起こったことが瞬時には理解できないようで、ぽかんと口を開けて呆然としていた。
「……っ、ありがと」
ようやく現実を把握できたらしい怜那が、微妙に目を逸らして沖にそれだけ告げたかと思うと、身を翻して駆け足で部屋から去って行った。
沖は一気に疲れが襲って来たような気がして、彼女の背中を見送ってから、近くにあった椅子を引いてどさっと腰を下ろす。
やってしまったことは、もうどうしようもない。取り返しがつかない。
普段の自分からは考えられないような言動。いったい何がどうしてしまったのだろう。
……これから、どうすればいいのだろう。
そんな思いも、頭の片隅に確かにある。
それでも、一方ではそんな風に考えながらも沖は心の奥底では決して後悔はしていなかった。