【第二章:Problem】⑤
「大昔ならともかく、今は何かとうるさいじゃん? いや、もちろんそれが悪いわけじゃなくて当たり前の状態になったってことなんだろうけど。教師が生徒と『俺たち真面目に付き合ってます』ったって、『そうですか。お幸せに』なんてなるわけないだろ? リアルに失職チラつくよ」
宮崎にとってはどこまでも遠い世界の話なのかもしれないが、沖にはまさに身に迫った危機だ。
──背中に嫌な汗が滲んでくる。
「でもさ、教師もやっぱり生身の人間だからどうしたって生徒との相性の差は出てくるものじゃん。もちろん内心思うだけならともかく、それを外に出すのは絶対ダメなんだけど」
本音と建前だけどさ、と断りつつ話す彼。
「実際お前にだってお気に入りの生徒も、ちょっと合わない生徒もいるんじゃないの?」
宮崎にそんな意図はないと思ってはいても、沖はその言葉に平静ではいられなかった。
心当たりがあり過ぎる。
「そ、れは、まあ。完全に平等とは言えないかもしれませんね」
「だろ? それはいいんだよ。扱いに差をつけたりしなきゃ、それこそここだけの話でさ」
そこで少し躊躇を見せたものの、宮崎は思い切ったように口を開く。
「沖が誰と何があったのかは、まあ訊かないけど。知っちゃった方が困りそうだし。でもお前はむしろ、世間の常識に囚われてる方だろ? それで悩んでるっていうか、困ってるのかもしれないけどさ」
「……誰が見ても、そうですよね」
「ん?」
無意識に零した呟きに首を傾げる宮崎に、沖は思わず弱音を吐いていた。
「世間なんてどうでもいい、誰にどう思われても! なんて、僕はやっぱり開き直れないです。小さい人間なんですよ、ホントに」
「……世間に逆らう俺カッケーなんて、せいぜい中学生までだろ。まして俺たちこういう職業だし。俺はお前を嘲笑ったわけじゃないから。深読みすんな」
普段の軽さなどまるで窺わせない、いざというときは頼りになる先輩の顔。
この人はやっぱり『先生』なのだ。いや、他人事みたいに言っている場合ではないのだけれど。
「ただ相手も人間で感情があるんだってことだけは忘れないように、断り方には気をつけろよ。まあ『恋愛』なんて感情の最たるもんだからなぁ」
沖は以前、怜那との補習を巡って「一対一という特別扱いはどうなのか」と主任の高橋に苦言を呈されたことがあった。
おそらくは今宮崎も同じことを浮かべているのではないか。
その際にも、隣席で聞いていた宮崎が「最初から一対一の予定だったわけではない」と助け舟を出してくれたりもしたのだった。
高橋の真意が、文字通り「特別扱いはやめろ」だったとは沖は受け取っていない。そこまで鈍くはないつもりだ。
宮崎もそれくらい承知の筈だろう。
彼はあくまでも沖のために、……贔屓だと問題視される、あるいはもっと深刻なハラスメントを疑われることを危惧して忠告してくれたのだろう。
その場合、当然ながら彼女を守ることにもなる。たとえ事実無根にしろ、公になった場合に女子生徒にも中傷が向けられてしまうのは想定内だからだ。
理不尽極まりないとはいえ、残念ながらそれが現実だった。