【第二章:Problem】④
「あの、宮崎先生」
悩んだ末、沖は隣の席の宮崎に声を掛けた。
二年目の沖より、一年先輩である英語教諭。
「ん~? 何、沖先生」
小テストの採点をしながら、目は答案用紙から離すこともなく宮崎が生返事を寄越す。
「……生徒に好きだって言われたこと、あります?」
「は?」
沖のとんでもない問い掛けに、宮崎は作業の手を止め赤ペンを机に叩きつけるようにして、凄い勢いで顔を上げた。
「いやいや、うーん……。そもそも、高校生相手の時点でなぁ」
宮崎は何やらぶつぶつと口の中で呟いていたが、しぶしぶと言った様子で口を開く。
この先輩の律儀なところが本当にありがたい。言いたくなければ、いくらでも誤魔化せるだろうに。
「結論だけなら、俺自身はそういう経験は、ない。でも存在ってことなら、真剣にそういうこと言う子は居るよ」
「……やっぱり居るんですね」
「まーね……。ちょっとここではなんだから、これ以上話すんなら帰りどっか寄ってくか」
「そうですね、すみません」
「いや、いいんだけどさ。俺も役に立つ話はできないと思うよ」
それでも、フィクションの中の出来事ならともかく現実に周りで、──しかも自分に降りかかるなんて想像したこともない沖には、正直ありがたい限りだった。
「お願いします」
口先だけではなく頼み込んだ沖に、宮崎は軽く頷いてくれた。
彼の話は、本人が言っていた通り具体性はまったくないものだった。
「宮崎さんが知ってるケースって、どういう感じなんですか?」
学校外、特にこういう酒の出るような店では、教員だということはなるべく知られない方がいい。何かと厳しい目に晒される職業なので、自衛のためにも『先生』と呼び合うことは避けていた。
「実際に教師に夢中になって告白するような子がいても、された方は普通の神経してたら校内でペラペラ口外はしないってか出来ないだろ。だからそっちは、ウチの学校に関しては噂で耳にしたことあるかなって程度。友人から、他の学校の話としては結構聞くけどな。ただ──」
元々仕事に関わる内容なので大声で話しているわけではないが、宮崎は特に声を潜めた。
「生徒の告白とか、そんなもんじゃない話なら、ある」
「……それ、はどういった、その──」
「うん、まあ。隠れてそういう、所謂男女交際をしてた男性教師と女子生徒がいたことがあったんだってさ」
「えーと、いつ頃の話でしょう」
宮崎が沖より一年先輩で、今年三年目だというのはもちろん承知しているが、伝聞だというからにはその時点での現在進行形だとは限らない。
「俺が聞かされたのは、新任で来てすぐの頃だけど。何年も前のことだって話だったよ。細かい内容なんかは全然知らないんだ。……結果として、二人とも学校を去った、ってだけ。あとは察しろって感じで話してもらえなかった。プライバシーに関わるから、詳しいことまでは無理か。──まーでも、だいたい想像つくよな」
そのまましらを切って勤務を、学業を継続できない、何らかの事情。単に二人で校外で歩いているところを押さえられた程度ではないのだろう。
おそらくはもっと明確な、事実……?
「なんで俺にそんなことをと思ってたら、えーと自分で言うのもなんだけど『宮崎先生は凄く男前で生徒に人気も出そうなので』って、まぁ念の為に注意した方がいいっていう話だったんだよな」
宮崎が、テーブルのグラスを取って喉を潤し、さらに続けた。
「いやまぁ、宮崎さんに釘刺したくなる気持ちはわかります。──あ、危ないとかじゃなくて、人気って意味ですから!」
思わず口が滑った沖に、宮崎は「お前が言うな、イケメン」と混ぜ返す。
笑いに変えてくれて助かった。
──気をつけろ、俺!
沖は内心冷や汗の出る思いで反省する。
「冗談抜きでさ。そういう点では、お前だけは大丈夫だと思ってるよ、俺は。だからこそ、お前はこの話も聞かされてないんだろ」
「み、宮崎さんだって、本気で何かやりそうだなんて思ってませんよ! 僕も、きっと他の方だって」
沖は焦ってフォローするが、彼は気にした様子もない。
「自分がチャラついて見えるくらい自覚してっから。内面が伝わる前なら、とりあえず言っときたくなるのも無理ねーだろ。学年主任の高橋先生が『疑ってるわけじゃありませんから』って凄い気を遣って話してくれてて、かえって申し訳ないくらいだったよ」
確かに、宮崎には浮ついた雰囲気もあるのは否定できなかった。
生徒に対しても壁を作らず、友達のように話しやすいと評判はいいらしい。ただ、当然ながら守るべきラインはきっちりと引いている。
悪い意味ではなく、『親しみやすいお兄さん教師』を演じているかのように見受けられたのだ。