【第二章:Problem】③
大翔が見る限りでは沖も満更ではなさそうだったが、こればかりは簡単に判断はできない。
沖は大人で、しかも教師だ。生徒相手に本心を悟らせないのなんて基本だろう。
たとえ迷惑に感じていたとしても、それを自分たち生徒にもわかるようにあからさまに出すなんて教師としてまずあり得ないからだ。
沖はそういうところ、セルフコントロールが上手い印象だった。
生徒には絶対に自分の不味い面は見せないというのか。『先生』も人間だから、心の中ではいろいろなことを考えてはいるのだろうが。
怜那を好きで可愛がっているように見えたとしても、それは単に受け持ちの生徒のひとりとしてに過ぎないかもしれない。
そもそも、沖が怜那に好意を抱いていたとしても、それが彼女と同じ熱量を持つものだとは限らない。
というより、同じだという確率の方が極めて低いのではないか。
何よりも、彼らの関係性は『教師と教え子の高校生』という、非常に危ういものなのだから。
特に大人である沖は、その点をきちんと理解し弁えている、筈だ。
生徒の立場で不遜かもしれないが。
まだ半人前の大翔の目にも、沖は『普通』を逸脱できない臆病な、──つまりはごく真っ当な大人に見えた。
「大人になるって濁ってくことだ」
誰かに聞いたか、本で読んだのか。正しいかどうかは別として、大人と子どもの違いはそういうことでもあるのかもしれない、と思う。
大翔は怜那が大切なのだ。沖とは違う立ち位置で構わない。彼と張り合う気はなかった。
──彼女の瞳に映るのが、心に住むのが誰であろうと、己に向けてくれる笑顔が曇らなければそれでいい。
それが大翔の本心。怜那は大翔にとってそういう存在だった。
この愛しい幼馴染みが傷つかなくて済むように、ただそれだけを望んでいる。
「……何があったんだ?」
沖と怜那の間にあった、かもしれないことを、第三者の自分がいくら考えたって埒が明かない。
第三者なのだ。どんなに悔しくても結局彼らの間には立ち入れない。同じ舞台に立ったとしても、所詮脇役だ。
けれど、傍観者だからこそできることもあるのではないか?
思い切って怜那に訊いてみることにしたが、ベッドの上の塊はぴくりとも動かなかった。
それでも大翔は、急かすことなくじっと待つ。そう、待つのは慣れている。ずっと傍で見守って来たのだから。
怜那はきっと、何も気づいてはいないのだろうが。
「……好きだ、って」
布団の中からぽつりぽつりと聞こえてくる、怜那の声。
「沖先生に好きだって言ったんだ」
大翔は口を挟まず、黙って次の言葉を待っていたのだが。
「聞かなかったことにするからって、……!」
いきなり布団を持ち上げてがばっと起き上がり、怜那が途切れ途切れに叫ぶ。
こんな怜那は初めて、ではないとしてもいったい何時ぶりだろう。ほんの小さい頃でも、怜那はここまで感情的になることは珍しかった。
それだけ沖のことが、彼女の中で重いのか。
「よくある、勘違い、だって。違う、私は違う、のに。すぐに、忘れるからって、そんな、そんなこと、っ──」
「……そっか」
──知ってるよ。お前は本気になったら迷わない。真っ直ぐに、向かっていくんだよな。……でも。
「沖先生を庇うわけじゃないけどさ、先生だってやっぱり困ったんじゃないか?」
大翔はそれでも、友達だからこその厳しい言葉を投げる。家族にも近い、本音で通じる存在としても。
もしかしたら自分は、損な役を勝手に引き受けているのかもしれない。
ただ、周り回って怜那の役に立つことがあったなら大翔はそれで満足なのだ。格好をつけているわけでもなんでもなく。
「もし、もしもだよ? 先生も怜那のことが好きだったとしても、『あー、俺もー!』なんて言えるわけないじゃん。それくらい、お前にもわかるよな?」
ベッドの上に座り込んでほろっと涙を零した怜那に、大翔はちょっと言い過ぎたかな、と気持ちが揺らいだ。
泣く、なんて。怜那が自分の言葉で。──沖に触れたからだとわかってはいるけれど。
それでも、大翔には自分が間違ったことを言ってはいないという自信がある。彼女だってきっと、本当はきっとわかっているはずだ。
だからこれは、誰かが告げてやらないとならない。
それはやはり、一番事情を知っている自分の役目なんだろうと大翔は思う。
幼馴染みの言葉に反論することもなく黙って俯いている怜那に、大翔はそのまま無言で傍についていた。
怜那の母が、夕食の時間過ぎても出てこない二人に「ご飯どうする?」と訊きに来てくれるまで、ずっと。