【第一章:Lesson】⑩
「……私。私は沖先生が、好き──」
意思とは別の何かに導かれるように、自然に唇から転がり出た声が耳に届いた。呆れるほどありふれたその言葉が、熱を持って身体中を駆け巡る。
──好き。……そうだ、私は沖先生が好き、なんだ。
大翔に追い詰められて、引き摺り出された感情。
口にして初めて、怜那はようやく気づいた。いや、認めざるを得なくなった、のかもしれない。
沖への想いは、実はずっと心の中にあったのだということを。
今まで、全力で見ない振りをして目を背けていた恋心に、怜那は今初めて触った気がする。
触って確かめて、本物だと、──もう誤魔化すことはできないと悟ったのだ。
「よし、決まり! 補習行こうぜ」
一息おいて、大翔が明るい声で宣言する。
「……行きたいけど行けないんだよ、沖先生はもう補習しないって。もしホントに、忙しいっていうのがただの言い訳で、他に何か私には言えない理由があったとしてもさぁ。結局は、ひとりじゃ無理だっていうのは変わんないし」
「だからさぁ」
彼は芝居がかって、少し言葉を溜める。
「ひとりじゃなきゃいいんだよな? ──俺に任せろ」
大翔は如何にも何か企んでいるようなわざとらしい笑顔で、怜那に告げたのだ。
◇ ◇ ◇
「怜那、明日補習な。一緒に行こう」
数日後。
帰ろうと教室を出た怜那は、腕を掴んで引き留めた大翔にいきなり告げられて混乱する。
「は? 補習、……明日って、──」
しどろもどろの怜那に、大翔は何も答えず煙に巻くように笑うだけだ。
「とにかく、行けばわかるから。な?」
「……うん」
翌日の放課後、怜那は教室まで迎えに来た大翔に先導されて廊下を行く。
「あの教室だから」
そうか。もう二人きりとは違うのだから、上のブースでは無理なのだ。
大翔が指す教室に入り、教卓の前の数列目の隣同士の席に座って待つ。
しばらくして、教室の前のドアが一気に開けられた。
「待たせて──」
ドアに手を掛けて、沖が言葉も途切れたままに固まっている。
怜那には、沖の反応の意味がまるでわからなかったのだが。
「あ、沖先生。すみません、やっぱり人数集まらなくて。本当に、せっかくの機会なのに勿体ないですよねぇ。──だから二人だけなんですけど、構いませんよね!?」
──大翔、私と二人だって黙ってたの? ……大勢でやるからって頼んだってこと?
「複数には違いないですからね、先生?」
どうやら、怜那の予想通りらしい。
もしここで、沖が「じゃあ止める」と怒ったらどうすると思い掛けて、……彼はそういうことはしそうにもないか、と怜那は自問自答の結論を出した。
実際に、沖は目に見えて動揺してはいたが、補習は「当然行うもの」という前提は揺るがない様子だ。
「二人だけなんだったら、やっぱり教卓より俺もそっちの方がいいかな」
なんとか立ち直ったらしい彼が、独り言のように呟く。
「あ、じゃあ席作りますから」
さっと立ち上がり、すぐ前の机に手を掛けた大翔に、怜那も慌てて続き二人で机を移動させた。
大翔と怜那が二人で並んで、その前に沖が向かい合うという配置だ。
どうやら、誰が来ても対応できるようにと多種類のプリントを作成して来たらしい。
沖は分厚い紙の束から二人の学力に合うものを探し出して、それぞれに渡してくれる。
改めて互いに挨拶を交わし、一対二の補習が始まったのだ。