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夢と君と幼なじみ。

作者: 椎那

 夢を見た。

 その夢には、十歳ぐらいの少女が、見渡す限りなにもない真っ白な世界に、独り、佇んでいた。

 真っ白な部屋とは対称的な黒くて長い髪に、整った顔立ちの少女の浮かべる、どこか寂しそうな表情に、僕は強く惹きつけられた。




——どうして、こんな寂しい世界に一人ぼっちなの?




 僕は、いつの間にか、彼女に声をかけていた。

 少女は振り返り、水晶のような綺麗な目で僕を見つめて少し嬉しそうな、悲しそうな表情を浮かべて——

「あなたは……私と関わってはいけないの」

 僕を突き放した。



一 日常


「……き……きて……祐樹……起きて!」

 目を開けると、見慣れた幼なじみの顔があった。

「おはよー! 祐樹!! 珍しく、お寝坊さんだね?」

「あ、ああ。おはよう柚姫」

 この安心出来るほど耳に馴染む元気な声に、肩ぐらいまでの透明感のある綺麗な白髪。淀みの無い透き通った黒目で僕を見つめてくるのは、幼なじみの夏野柚姫なつのゆずき

 僕の家に、ほぼ毎日朝ごはんを食べに来ている。

「って朝ごはん作らないと!」

「ふっふーん! 祐樹がお寝坊してそうな雰囲気を感じて! 今日はなんと! わたしが作っておきました!」

「⁉」

「さ! もう用意できてるから! 顔洗って降りてきて!」





『いただきます!』

 ほんとに柚姫がご飯を作ってた……。

 ……しかも美味しい……。

「どう⁉ お味の方は⁉」

「美味しい、美味しいよ!」

「ふふーん! 柚姫さまの腕にかかれば、おちゃのこさいさいよ!」

「前にクッキーを作った時は、砂糖と片栗粉を、たまごとバターの分量を、間違えてた柚姫がこんなに成長するなんて……」

「あ、あれは、まだ小さい頃でしょ!!」

「はははっ、そうだったっけ」

「もう! 祐樹なんて知らない!」

「ごめんごめん」





 僕が朝ごはんを食べ終えると、学校の支度に時間が必要だろうからって、柚姫が皿洗いまで代わってくれた。

 こういう所、ほんと柚姫は気が利くんだよね……。

 柚姫を待たせないためにも、さっさと用意しないと。

「お待たせ柚姫。皿洗いも、ご飯も作ってくれてありがとう」

「いつも祐樹にやってもらってるから、たまにはね!」

 ほんと、柚姫には小さい頃から助けて貰っている。

 両親を事故で亡くし、塞ぎ込んでいた僕を、ずっと隣にいて励ましてくれていたこと。

僕を一人にさせないようにといつも隣にいてくれていたこと。

 柚姫には、ほんと感謝しかない。

「祐樹、ぼーっとしてどうしたの? 早く行かないと学校おくれちゃうよ?」

「う、うん、今行く!」





「ところで祐樹? なんで今日お寝坊しちゃったの? 昨日、夜更かししちゃったとか?」

「なんでだろう? 昨日はいつも通り、柚姫が帰った後に課題をして、そのまま日付が変わる前に寝たはずだけど……」

「疲れが溜まってるんじゃない?」

「うーん……。そんなはずは……そういえば、昨日、何か夢を見た気がする。内容は覚えてないけど、なんか、衝撃的な内容だった気がする」

「なんだそりゃ」

「なんだろうね」

「ま、夢って何かの前兆だっていうし、気を付けた方がいいんじゃ?」

「なにを?」

「なにか!」

「…………さては、何も考えてないな」

「えっへへ~」

 そんなこんなで柚姫と歩いていると、学校に着いた。

 僕たちは別れて、それぞれの教室に向かう。

 








二 出会い


 二限目の国語の授業。先生の呪文のような朗読に、つい僕はうとうとしてしまっていた。

「であるからして……はこの……で……」

 先生の声が遠くなり、僕はそのまま眠ってしまった。





気が付いたら、僕は真っ白な世界にいた。

「ここは……」

 そうだ、思い出した、ここは昨日夢でみた場所だ。じゃあ、ここは、夢?

「また、来てしまったの……」

 立ちすくんでいると、うしろから、透き通った綺麗な声がした。

 振り返ると、そこには、あの黒髪の寂しそうな表情を浮かべている少女がいた。

「君は……ここは一体……?」

「っ……! …………」

 彼女は一瞬なにか話そうとするが、口をつぐんでしまった。

 もしかして、僕は、彼女に何か失礼なことをやってしまったんだろうか。

 そう心配していると、彼女は思いついたかのように頷き、話し始めた。

「ここは、人が寝ている間に見る夢、の管理をする場所」

 彼女の話し方は、十歳ぐらいの見た目とは違い、落ち着いた話し方だった。

「そして私は……私は、そう、人に悪夢を見せる悪魔。悪い人ということです」

 彼女はそう語り出したが、どう見ても、僕には、こんな悲しそうな表情を浮かべる彼女が悪魔には見えなかった。

「なので、こんな世界にいてはいけないし、私と関わってはいけません。自分の世界に帰って二度と来ないようにしてください」

「まってまって! 悪魔……? 悪魔なのに悪い『人』? 夢を管理って⁉」

 彼女の優しいのか、突き放すのかよく分からない態度に僕は混乱してしまう。

「あ、悪魔だって人です。揚げ足をとらないでください。夢を管理っていうのは……そう、通常より多く悪夢をみるように仕向けたり夢を見ない人に、悪夢を見させたりすることです」

 と彼女は言うが、僕は彼女の目が少し泳いでいるのを見た。

 僕は深呼吸をして自分自身を落ち着ける。

 そして、彼女が言っていることが本当なのか、僕は彼女にカマをかけてみることにした。

「本当は全て知っているよ。悪いことじゃなくて、いいことをしているって」

「な、なんで……て……」

「引っ掛かったね」

「……っ‼」

「本当は悪魔とは違うんじゃない?」

「…………そうですね。私は、本当は悪魔ではありません」

「やっぱり」

「私はこの世界で夢を管理する存在。夢の管理とは、悪夢を見すぎていたりしないかをみて判断し、見すぎている場合は、悪夢を肩代わりして見ないようにしています」

 やっぱり彼女は、見た目通り悪い人じゃなかった。

「……ずっと一人ぼっちで?」

「はい。これが私の役割なので」

 そう話す彼女の表情は何もかも当然のような顔をしていて。

 そんな彼女の事がどうしても、ほっとけなくて。

「だったらぼ……く…………が」

と言おうとした所で、僕は急に眠気に襲われ、立っていられなくなった。

 そしてそのまま、意識がなくなって———。

「……きんか……起きんか……遊上祐樹起きんか!!!」

 大きな声が聞こえたと思ったら、僕は教室にいた。そして、目の前に仁王立ちをしている国語の教師がいた。

「あれ……さっきまで僕は……」

「まだ寝ぼけているとは良いご身分ですなぁ? しかも堂々とワシの授業で寝るとはいい度胸しとるわい」

 僕はいつの間にか寝てしまっていたことを理解した。

 が、鬼の子孫とまで噂されている国語教師の鬼ヶ城先生の授業で寝てしまうなんて……。

「おんどれやあああ! 廊下に立っとれ!!」





「祐樹、鬼ちゃんの授業で寝ちゃって廊下に立たされたんだって? 祐樹だけに勇気あるねぇー」

 放課後、僕は柚姫と学校の玄関で落ち合っていた。

「あの鬼ヶ城先生のこと略称で呼んでるの柚姫ぐらいだよ……。気を付けていたはずなのに、なんだか眠くなっちゃって……」

 僕は柚姫と玄関を出て、学校から帰る。

「やっぱり祐樹、疲れてるんじゃない? ちゃんと休んだほうがいいよー」

「そう、なのかな。今日はいつもより早めに寝ることにするよ」

 自分でも気付かないうちに疲れていたのかもしれない。柚姫の助言を素直に聞くことにした。

「じゃあ晩ご飯はたまにはママと一緒に食べることにするよ! 疲れてる祐樹に作ってもらうのも悪いしね」

 自分の分は作らないといけないから、一人分も二人分も変わらないよ、と言おうとしたが、せっかくの柚姫の好意だから受け取ることにした。

「ありがとう。その代わり明日の朝はちょっと豪華に作るから楽しみにしてて」

「うんわかった! 楽しみにしてる!」

 柚姫の気遣いに報いるためにも、明日の朝ごはんは頑張るのだと心に決めるのだった。





柚姫と別れ、家に帰る。

「ただいま」

 いつもは柚姫と一緒にいるから感じなかったがこの家は一人きりだととても暗く音が無くなった世界のように静かだ。

 僕は家の電気を無性に付けたくなって廊下や今必要ないお風呂場の電気などもすべて付けた。

 鞄を置いてキッチンに向かう。

 冷蔵庫を開けてなにか食べるものを作ろうとするが見渡しても何も作る気にならなかった。

「……先にお風呂に入るか」

 お風呂の栓を閉めにお風呂場に向かう。

 廊下に出ると電気が付いているはずなのに暗く感じて。

 風呂場に向かうのすら今の僕にはなんだか重くて。

 風呂場に向かわず自室に戻り、そのままベッドに横になり目を閉じた。

「そ、うだ、アラームだ……は……かけな……」

 なんとか手を伸ばしアラームをかけ———










三 なな


またあの真っ白な世界にいた。

「また、来たんですか……」

 声のした方を見ると、あの黒髪の少女がいつもの寂しそうな表情で座っていた。

「そう……みたいだね」

 寝るとこちらの世界に来てしまうのか、僕はまたこの世界に来ていた。

 彼女は僕が自分の意志で来ていると思っているのか、少々不満気だった。

「…………」

 彼女は前回カマかけた事をまだ怒っているのか、ここに来た事を怒っているのかだんまりだった。

 何か話題をと考えていると、彼女の名前を知らない事を思い出し、彼女に問いかけてみた。

「そういえば、自己紹介してなかったね。僕の名前は遊上祐樹ゆかみゆうき。君の名前はなんていうの?」

「……私の名前は……私に……名前はありません」

 彼女は悩み、そう言った。

 彼女は時々、何かを隠すように口籠る。

 また彼女にカマをかけようかと考えたが、これ以上怒らせてはまずいと思い、余計なことは言わないで返した。

「じゃあ、なんて呼べばいい?」

「……お好きなように」

「お好きなように? うーんじゃあぽちとか?」

「なんだか犬っぽくてイヤです」

「お好きなようにって……じゃあたまは?」

「なんでペットに付ける名前ばかりなんですか……普通に人に付けるような名前にしてください」

「うーん……はな!」

「だからペットから離れてと……」

「——から一文字変えて、なな!」

「……まあそれなら……」

 という事で本名は置いといて呼び方は『なな』になった。






 アラームの鳴る音で僕は目を覚ました。

 カーテンの隙間から日が入って来るのを見て朝になったのだと理解する。

 さっきまで自分は、あの真っ白な世界で『なな』と話していたはずだった。

 今でも鮮明に思い出せるほどはっきりしている僕の記憶には存在しない“なな”は本当に夢なのだろうか。

 自分の服装を見る。

「そういえば昨日、お風呂に入らないまま寝ちゃったんだったっけ」

 朝ご飯を豪華にすると約束していたことを思い出し急いで支度をする。

 廊下に出ると朝だというのにとても暗く無音の世界のままだった。

 早く起きすぎたせいか分からないがとても眠気を感じた。

「お風呂沸かすの、時間かかるから、シャワーだけ、でも、いいから、浴びない、と……」

 自分を振るい起こす為に自分に言い聞かせながらお風呂場に向かう。

 そんな時玄関が開く音と元気のいい大きな声が聞こえた。

「祐樹ぃーー! 起きてるーー? っておはよー祐樹! 疲れはとれた?」

そして、今の僕を浄化するようなあの、綺麗で透き通った白い髪が目に入った。

さっきまでの眠気がどこかに消えていた。

「柚姫おはよう。早く寝たおかげか疲れがとれたよ」

「そっかよかった!」

「リビングで待ってて。シャワー浴びてすぐ朝ごはん作るから」

「うんわかった!」

 柚姫のためにも、さっさとシャワー浴びないと!





「お待たせ柚姫。朝から重いものもどうかなって思ってデザートに力を入れてみた」

「パンケーキにアサイーボウルも!! おいしそう! いただきます!」

「いただきます」

「うんおいしー! やっぱり祐樹のご飯はおいしいねー!」

「お口にあったようで光栄です、柚姫お嬢様」

「うむ! くるしゅーないぞ!」

 他愛のない話をして、柚姫とご飯を食べた。

 そんな他愛のない話が今の僕にはなぜかとても心地が良かった。





「準備できた⁉ それじゃあ、学校にしゅっぱーつ!」

「いってきます」

 朝ごはんを食べ終え、柚姫と並んで家を出る。

 柚姫は朝から元気だった。

「そういえば、なんか起こった? 昨日の夢に関連すること」

「そう期待した目で見られても、何も起こってないよ……。でも今日も夢をみたんだ。しかもはっきりと今でも思い出せる夢」

 僕は柚姫に夢とななのことを話した。

「ふーーーーーん、知らない女の子の夢を見てたんだ。ななちゃんねぇ? ふーーーーーーーーーん」

 柚姫はなんだか大きな声で話していた。

「しかも、黒髪の、小学生みたいに、ち、い、さ、い、子、ねぇー? ふーーーーーーーーーーーーん」

「そんなに含みのある言い方しなくても……」

「別に含んでいませんよーだ。ただ祐樹が黒髪好きの小さい子好きだったのを知らなかっただけですよーだ」

「別に夢に出てくるのと好きなのは関係ないでしょ……」

「必死に否定してくるのが怪しー」

「柚姫が変な勘違いをするから……」

「べっーーーだ」

 柚姫は誤解したままあかんべえをして僕を残して先に行ってしまった。

 ななに対して、抱いている気持ちはどちらかというと柚姫に抱いている気持ちに近いような————。

 そもそも僕は、柚姫に対してどんな気持ちを抱いているのだろうか————。

 家族のような、異性の気になっている相手のような————。

「遅れるぞーーーーばかゆうきーーーーーーー」

 先に行っていた柚姫が振り返り僕を呼ぶ。

 僕はその声に応じて、柚姫に追いつくように走り出した。











四 睡眠


「原因は不明ですが、常に脳が夢を見続けている状態にあり、覚醒することが困難になっていると思われます」

 あの日。柚姫と夢の話をした日の夜。

 柚姫は目を覚まさなくなった。

 原因は不明。

「治る見込みはあるんですよね……?」

「……なんとも言えません。外的や脳機能には何の問題もないので、事実的には、ただ寝ている状態です。ただ、なぜ覚醒しないのかがわからないので、なんとも言えません」

 一週間寝ている。

「そう……ですか……」

「必ず直して見せます。我々に任せてください」

「そう……ですか……」

「ゆうちゃん……今日の所は帰りましょ? あんまり寝ていないんでしょう? 目の下にクマが出来ているわ」

 柚姫の母さん。おばさんも柚姫が心配だろうに、僕に声をかけて心配してくれている。

 なんて、僕は、情けないんだ。

「きっと夢でゆうちゃんのご飯をいっぱい食べることに夢中で起きてこれないだけよ! お腹いっぱいに食べたら目を覚ますわよ」

「そうです……ね……そうですよね……」

「そうよ! だから、今日の所は帰りましょ?」

「はい……」





「じゃあ、気を付けてね。なにかあったらおばさんにいうのよ」

「すいません……いろいろと……」

「なに言ってるのよこれくらい! おばさん仕事が忙しいから、ゆうちゃんが柚姫のごはん作ってくれてることの方が助かってるわよ」

「……」

「それじゃおやすみ、ゆうちゃん。ちゃんと寝るのよ」

「……おやすみなさい」

 おばさんと別れて家に入る。

 家に入ると疲れが出たのか身体が重く眠かった。

「せめて……べっと……に……」

「はぁ……また、きたん……その顔はどうしたんですか?」

僕はまた、あの世界にいた。

なながいた。

「かお?」

「いつものいじわるなあなたの顔とは違って、ひどい顔をしています」

「そんな顔、してるんだ」

「どうしたのですか? 話してみてください」

 ななには、なんとなく話したくなって柚姫の事を話した。

「その幼なじみが原因不明で起きないと……」

「はぁ……何をやっているんだか……。大丈夫です。明日には目が覚めると思いますよ」

 ななの言葉には、どこか説得力があった。

「え?」

「夢をずっと見ているんでしょう? なら私がどうにかします」

 ななの言葉を信じられるほどのどこか安心感があった。

「ははは。そういえばななが夢を管理とかなんとかしてるんだっけ」

「なんで忘れてるんですか……」

「そっか、柚姫起きるんだ。そっかそっか」

「じゃあ、そういうことで帰ってください」

「そうだね! 柚姫にも会いたいし」

 すっきりした気分だった。

「じゃあねなな! またくるね!」

「こないでください」

「ほんとは来て欲しいくせに」

「そんなこと思ってません」

「ほんとに?」

「本当です」

 ななをいじるのはとても楽しかった。

「ところで帰るってどうやるの?」

「いままで勝手に現れて……勝手に消えてましたよね……?」

「そうなの?」

「っ……!!」

「ななさん?」

「しりません」

「え?」

「しりません」

 ななはそう言ってそっぽを向いた。

 そんなななが可愛くって、僕は起きるまでななをからかった。


五 起床


目が覚めると、身体のあちこちが痛かった。

 僕は玄関で寝ていた。

 立ち上がり、身体を伸ばす。

 そうしてるうちにだんだんと頭が覚醒していった。

「おばさんと別れて、そのまま玄関で寝ちゃったんだっけ……それで」

 ななと話したことを思い出す。

 柚姫が目を覚ますと。

 それを思い出した瞬間、僕は玄関を飛び出していた。

 ななの言葉を信じているけども、本当に柚姫が起きているのをこの目で見たくて。

「すいません! 730号室の夏野柚姫さんの面会をしたいんですが!」

「は、はい。しょ、少々お待ちください」

 そう言われて、柚姫の病室に通された。

 光が差し込む病室。

 光が差す先には、昨日と変わらない綺麗な顔で寝ている柚姫がいた。

 僕は、少し怖い気持ちになりつつも、ななを信じて。柚姫に声をかけた。

「柚姫、柚姫っ!」

「起きて柚姫っ。また豪華なご飯作るからっ。だから目を覚まして!」

「ほんと?」

「ゆ、ゆ、ゆゆ……づき」

「祐樹は泣き虫だなぁ〜。柚姫さまがいないとほんとなんにも出来ないんだから」

「はははっそうだねゆづき…………おはよう!」

「おはよー祐樹!」

 柚姫が目を覚ました。

「現実と区別がついている……眠気もなし……後遺症等もなし……。なにも問題はないですね。どこからどうみても健康そのものです」

「だってさ柚姫。よかったね」

「うん!」

 起きた柚姫を連れて、診察にきた。

 仕事を外せないおばさんの代わりに付き添い人として許可を取って一緒に入っていた。

「念のため数時間は病院いていただきますが、何も問題無ければ夕方には退院できると思います」

「ちなみに原因とかって分かったのでしょうか?」

「軽度のうつ病もしくは脳機能障害でしょうか。確かな事は言えませんが、繰り返すようならまたいらしてください」

 医学的に理由がないのだとしたら———。

 ここで考えても仕方のないことだと思い、先生にお礼を告げる。

「ありがとうございました」

「ましたー!」

「お大事にどうぞ」





 柚姫と共に病室に戻る。

「そういえば柚姫、寝ている間の記憶ってある?」

「なにそれ?」

「黒髪の女の子が出てくる夢とかって……」

「見ていないけど。なに?また、その小さな女の子の話ですか。」

 なんだか柚姫はとげとげしかった。

「うん。なながさ、柚姫の事を助けてくれるって言ってさ。そしたら柚姫が起きてたからびっくりだよ」

 僕はそう笑いながら話すが、柚姫は対象的になぜか冷ややかな態度のままだった。

「ふーん。祐樹はななちゃんのことを話す時はいつもにやにやと楽しそうですね。」

「そうかな? そんなことはないと思うけど。でもななの反応が可愛くてついついからかっちゃうんだよね」

「ずいぶん、楽しそうですこと。」

「そうかな?」

「…………」

 柚姫は何故かこちらを睨んでいた。

「ていうか遊上さん。さっきから思っていましたが臭いますよ。」

「なんで急に苗字で……そういえば昨日お風呂入らず寝ちゃったんだっけ……。一旦家に帰らないと」

「遊上さん今日学校は。」

「あ……。なんも連絡してないや……。柚姫が心配すぎてなにもやらずに飛び出して来ちゃった」

「わたしが心配で? ふーーーーーんなるほどね」

 さっきまで怒っていた柚姫は頷きながら急に落ち着きを取り戻していた。

「うんうん。わたし夕方まで病院だろうから、祐樹はいまからでも家に帰って学校に行ってきたら?」

 僕の呼び方が名前に戻った。

「そう……だね。うん、そうするよ。じゃあ放課後迎えにくるから待っててね」

「うん! いってらっーしゃい!」


 柚姫と別れたあと。

 僕は家に帰った。

 家に入る。

 朝早く起きすぎたせいか外よりもひんやりとした室内に入ったせいかとても眠気を感じた。

 眠くて。寝てしまいそうで。でも柚姫と約束した放課後に迎えに行くことを思い出すと頑張って身体を動かしてシャワーを浴びる。

 身体を拭いて。着替えて。バックを持って家を出る。

 外に出ると、夏の昼間の日差しが身体全体を刺す。

 キラキラとなによりも輝く太陽が、柚姫のように、僕に元気をくれる。

 いつの間にか、眠気は吹き飛ばされていた。

「学校、いくか!」





「連絡もなし。ゆうゆうと社長出勤。なるほどなぁ遊上ぃ?前も寝ていたし、それほどまでにおどれはワシの授業を受けたくないらしいなぁ?」

 この時間は、鬼ヶ城先生の国語の授業だということを忘れていた。

 こんな時に限って、鬼ヶ城先生の国語の授業だということを忘れていた。

「せせせせせせっせんせいちちちちちっちがうんですよよよよ」

「ほう?いいわけとな?」

 あわあわわわわわわああああわわわわわわああああわわわあわ。

「こんだぁらずがあああ!!! 廊下に立っとれぇええ!!」















六 悪夢


 放課後。

 待ちに待った放課後。

 柚姫の元に早く行きたくて、昇降口を出ると走り出していた。

 柚姫に早く会いたい。

 柚姫がいない一週間を味わったせいか、自分自身でも驚くぐらい素直に、その気持ちが沸き上がった。

「もしかして……僕は、柚姫のこ———」

 後方で爆発するような、音がした。

 音のした方を見ると、車がガードレールにぶつかっていた。

 事故。

 事故。

 事故。

 頭の中に響くその意味。

 血の匂い。

 凹んだ車。

 ころがるし——たい——?

「———み! 大丈夫か———大丈夫か君!」

 目の前に広がるのは、知らない男性の顔。

「怪我はないか!」

 自分の身体を見る。

 怪我はなかった。

「見たところ大丈夫そうだね……ふう、良かった」

「し、したいが」

「し、死体⁉ 重症者か……⁉ どこでみたんだ!!」

「そこ、に……」

 死体はなかった。

 周りを見渡すと、血を出している人も、ガソリンが漏れている様子もなかった。

「す、すいません、かんちがいでした」

「なら良かった……」

 だんだんと状況を理解する。

 この男性は、車の運転者だと。

「とりあえず、警察を呼ぶからちょっと待っててくれるかな?」

「は、はい」

 そういって男性は電話をかけ始めた。

 僕はそれを見ていた。

 が、急いで柚姫の元にいかないと、義務感に駆られて、走り出していた。

 柚姫のいる病院に。






「柚姫!」

「わわっそんなに迫ってどうしたの?」

「い、いやなんでもないんだ、ないんだ」

「顔。真っ青だけどほんとに大丈夫?」

「大丈夫、大丈夫、だから」

「そっか」

 柚姫はそれ以上なにも言ってこなかった。

 代わりに、僕を真正面から抱きしめた。

 背中に腕を回し。ゆっくりさすってくれる。

 僕の身体を包み込む少し高い体温、背中をさすってくれる優しい手。

 その暖かさに触れて、知らずのうちに早くなっていた鼓動が落ち着いて行くのを感じる。

 いつだったか、こんな風に抱きしめられて、暖かさに助けて貰っていた気がする。

「ありがとう柚姫……」

 柚姫は何も言わない。

 それでも、僕が落ち着くまでずっと抱きしめていてくれた。





 それから。

 柚姫のお母さんが病院に迎えに来て、僕も送って貰えることになった。

 帰りの車では、今日も鬼ヶ城先生に怒られたとかそんなくだらない話をしていた。

 柚姫が笑って、僕も笑って。

 そんな会話が一週間ないだけで寂しかったんだなと感じた。

「じゃまたねー! 明日の朝ごはん楽しみにしてる!」

「おやすみ柚姫。また明日」

 そう言って別れる。

 僕は自分の家に入った。




 血の匂い。

 凹んだ車。

 血だまり。

 転がる二つの大人。

 その隣で泣きじゃくる、子ども。

 目の前に広がる死屍累々の光景。

 その光景はいつまで経っても変わらない静止画。

 僕はそれを目に焼き付けさせらている。

 逃げ出したくても、脚は動かず。

 目を逸らしたくても、瞼は閉じず。

 嗅ぎたくなくても、顔は動かせず。

「——き——うき——祐樹!!」

ただ、分かることは、こんな世界からいつも救い出してくれるのは1人しかいない。

「祐樹!」

 目を開けると、見慣れた幼なじみの顔があった。

 のではなく、見慣れてないはずなのに柚姫と同じぐらい安心出来る顔があった。

「気が!……気がついたのですね、よかった」

「な、な?」

「そうです。ななです。ここがどこだか分かりますか?」

 見渡すと、なながいつもいるあの白い世界にいた。

 そして今まで見たことない、取り乱しているななの姿があった。

「……うん。分かるよ」

「そのままで大丈夫ですから、落ち着いて、深呼吸をしてください」

 ななの言葉に従い、深呼吸をする。

 深呼吸をしている間、背中をゆっくりさすってくれていた。

 冷や汗でぐっしょりな背中は気持ち悪いだろうに、気にせず。

「ありがとうなな……」





 僕が落ち着くと、ななは話し始めた。

「まずは、ごめんなさい。さっき祐樹が見ていた夢は、本当なら私の仕事。でも、何故かあなたが見てしまっていた。そのことに気が付いてすぐに対処したけど、長い間祐樹には辛い思いをさせてしまった。本当にごめんなさい」

 しおしおとしたななが言う。

 ななの仕事って、夢の管理って話か。

 ななと出会ったばっかりの時の言葉を思い出す。

『私はこの世界で夢を管理する存在。夢の管理とは、悪夢を見すぎていたりしないかをみて判断し、見すぎている場合は、悪夢を肩代わりして見ないようにしています』

 肩代わり。ななは、こんなのを肩代わり……?

「その仕事って、具体的に何をしているの……」

「前にも言った通り夢の管理です」

「その……夢の管理って、こんなのを代わりに見ているということ……?」

「それが私の役割なので」

 ななは当然のように言い放つ。

 出会った時と何も変わらない態度で言い放つ。

 当然のように、いままでこんな夢を見ていたのか。

 それを何も変とも思わずに。

 だったら、僕が。

 だったら、僕がななの。

 だったら……僕がななの代わりに。

 だったら……僕がななの代わりに……。

 本当に?

 本当に、あんな地獄を代わりに見て、僕は耐えることが出来るんだろうか。

 背中に張り付くシャツが、さっきの一瞬だけで、こんなに汗で不快でたまらないのに。

「それが、私の存在している意味。それだけが私の存在理由。」

 そう語るななは、あの表情をしていた。

 いつの間にか見せなくなっていたあの寂しそうな表情を。

 からかった時に見せていた、不満そうな顔なのに少し嬉しそうな顔は、どこにもなくて。

 初めて出逢った時から、どうしようもなく、そんな表情を取り払ってあげたかったのに。

 目の前でそんな顔をしているのに僕は……僕は……。





 目を開ける。

 上体を起こす。

 周りを見渡す。

 もうどこにも、ななはいない。

 頭が理解する。

 目覚めたのだと。

 ベッドから降り。

 廊下を通り。

 お風呂場に向かう。

 お湯を浴びる。

 身体を拭き着替える。

 キッチンに行き冷蔵庫を開ける。

 食材を取り出し朝ご飯を作る。

 壁の時計を見る。

 見る。

 見続ける。

 待つ。

 ただ待つ。

 柚姫が来るのを。

 時計の針の音だけがこの空間の中で聞こえる。

 ただ待つ。

 柚姫が来るのを。

 柚姫こない。

 いくら待っても。

 立ち上がり鍵を取り出し外に出る。

 隣の家に合鍵を使い入る。

 中に入るとアラームの音が鳴っていた。

 アラームの音を辿り柚姫の部屋と書かれた部屋に入る。

 中に入ると柚姫が寝ていた。

 柚姫が寝ていた。

 アラームが鳴っているのに。

「ゆづき」

 柚姫は起きない。

 肩をさすった。

 手をとった。

 柚姫は起きない。

 涙が出ていた。

 僕の目から涙が出ていた。





「どうしたの祐樹?」

 どれほど、時間が経ってからだろう。

 布団に落ちた大量の涙が乾燥してボロボロになるぐらいの時間が経った。

 柚姫は、目を覚ました。

「おそい……お目覚めだね……」

「え?……ってもうお昼!? アラームかけたはずなのに!」

「……はははっ」

 もう二度と、柚姫は起きない。

 そんな気がしていた。

 でも起きてくれて本当に嬉しかった。

「祐樹、もうこんな時間だから学校サボってちょっとお出かけしよっか」













八 お出かけ


 そう言って、柚姫と出かけた。

 行き先を聞いてみたが、目的地は特になく外を二人で歩きたいと柚姫は言った。

 河川敷を二人で歩く。

 いつの間にか、季節は初夏に入っていた。

 河川敷に溢れている草の匂いと共にどこからか柚の香りも漂う。

「いい匂いだねぇ~」

「夏が来た気がするね」

 甘く包み込むような優しい夏の香りに心は落ち着いていく。

 柚姫が近くの原っぱに腰掛ける。

 それを習うかのように僕も隣に腰掛けた。

「祐樹に、聞いて欲しい話があるんだ」

 柚姫は、僕が隣に座ったのを見計らってそう切り出した。

「本当はわたし、不安なんだ。このままずっと寝たままなんじゃないかーとか。次起きたらおばあちゃんになってるんじゃないかって。知らない間に時間が経つのって、ものすごく怖い。自分では普通に寝たつもりなのに、目が覚めたら一週間後とか本当はものすごく怖かった」

 生まれて初めて聞いた、幼なじみの弱音。

「でもね祐樹。それ以上に祐樹のことが心配なんだ。ひどい顔、してるよ?」

 柚姫は僕の顔にそっと手を伸ばして触れた。

「わたしのこともあるんだと思う。でも、それ以上に気にしてることあるよね」

 柚姫は鋭かった。

 昔から鋭かった。

 多分、ずっと気づいていたんだと思う。

 でも気を使って気づかない振りをしてくれていた。

「それは何か話しづらいことなのかもしれない。でもわたしに話して欲しいな。祐樹の力になりたいんだ」

 どうして、昔から柚姫はこんなに僕に尽くしてくれるのだろう。

 ぼくはほんとうになにもしてないのに。

「どうして……いつも隣にいて……僕のぼくのことを……」

「ずっと。ずぅーと前から。胸の奥底からぽかぽかって、この人をずっと支えてあげたいって気持ちが湧き上がるんだ」

 胸の奥。

 自分の胸の奥にもあった、あったかいこの気持ち。

 そんな気持ちは僕の胸の奥からも湧き上がっていた。

 僕は柚姫に今までのこと、ななになにも言えなかったことを話し始めた。

 …………………………


「せめて僕だけの悪夢は肩代わりしないでくれって。そんな単純なことも……言えなかったんだ」

 柚姫は黙って全てを聞いてくれた。

「ななのことなんか、全部妄想だって。自分自身を守るためにそういう考えさえも頭に浮かびだして……。それはななの存在を否定することと同じだって分かってるのに……」

「そっか」

 柚姫は肯定も否定もしない。

どちらも僕にとって甘い毒でしかないことを知っているためか。

だからこそか柚姫は僕に問いかけた。

「祐樹はななちゃんにどうなって欲しいの?」

「僕は……ななに笑っていて欲しい。もうあんな寂しそうな表情をさせたくない」

「なら祐樹がやることはひとつだね」

「でももしまた……!」

「わたしが、支える」

「柚姫……?」

「祐樹がその悪夢で傷ついたらわたしがその傷を癒すよ。この先ずっと」

 そうか。この胸のあったかさの正体は。

 僕は、柚姫が好きなんだ。

 ずっっと昔から。

「祐樹のためならわたしどんな長い眠りからでも起きられるよ。だから———」

 僕はそんな柚姫に甘えているだけの存在のままでいいんだろうか。

 好きな女の子に守られているだけの男で。

 そうじゃない。

 そうじゃないだろ。

 僕は。

 僕は、柚姫と共に人生を歩みたいんだ。

 なら。

 なら僕は、柚姫に引っ張ってもらうんじゃなくて。

 自分自身で一歩踏み出して、自分自身で立ち向かわないとだろ。

 僕は、柚姫と共に人生を歩むんだ。

「ありがとう柚姫。もう、大丈夫だよ」

 ここからは。

 ここからは、柚姫の支えなしで自分の足で歩く。

 自分の足一つであの山を越えたら。

 やっと柚姫の隣を歩く資格が手に入るんだ。

 その資格を得てやっと、僕は柚姫に言えるんだ。

 今の気持ちを。

「ん!」

 僕は立ち上がった。

 柚姫の隣には、今いるべきじゃないと思って。

「わたしはもうちょっとここにいるから、祐樹は先帰ってて!」






「やっぱり祐樹はななちゃんのことが好きなのかな~。ふ~んふ~んふ~~ん。やっぱり幼なじみはこうなっちゃうのかな〜。わたしも背中押しちゃったしな〜。ふ~~……ん……ふ~……ぅっん……うっ……うっ……うっっっ」








八 変化


僕はあの世界にいた。

 柚姫と別れたあと、家に帰りいろいろと済ませすぐに寝た。

 ななはいつもみたいに座っていた。

「な……」

 ななに声をかけようとした所で、ななの顔が目に入る。

 生気がない顔をしていた。

「なな……」

「…………祐樹ですか……」

 やっぱりこんなままにしちゃいけない。

 僕はななに話を切り出した。

「ななに……お願いがあるんだ。僕の夢を肩代わりするのをやめてほしい」

「どういうことですか」

「肩代わりってことは本来僕が背負わなくちゃいけないものだ。だから」

「ダメです」

「なな……」

「これは私の役目であり存在意義です。それをなくすことは出来ません」

 ななは頑固だった。

 見れば分かるほど擦り減っているのに。

「これは、僕が乗り越えなきゃいけない試練なんだ」

「ダメです」

「これを乗り越えられないと僕は幸せになれないんだ」

「……ダメです」

「僕の人生において大切な時なんだ。だからななっ」

「…………」

「ななっ」

「……一度だけです。それ以降はダメです」

 一度さえあれば、僕は悪夢に立ち向かえる。

 それで乗り越えさえすれば、もうななに悪夢を見させることもなくなる。

「分かった」








 血の匂い。

 凹んだ車。

 血だまり。

 転がる二つの大人。

 その隣で泣きじゃくる、子ども。

 目の前に広がる死屍累々の光景。

 そっかこれは、僕の記憶なんだ。

 お父さんとお母さんが死んだ日の。

 ずっとななが代わりに背負ってくれていた。

 目を背け続けて記憶から消してしまっていた光景。

 僕はもう、向き合わなくちゃならない。


 瞬きをすると、家の前にいた。

 一番見慣れている家。

 僕は玄関を開ける。

 どこまでも続く、無音の暗い廊下。

 思い出す。

 小さい頃に自分を。

 誰もいない家。

 真っ暗で、なんの音もしない家。

 両親がいなくなった後の一人ぼっちの家。

 ずっと、目を逸らし気付かないようにしていた正体。

 僕の根本にある恐怖。

 僕のトラウマ。

 この空間にいるだけで足が竦み、今すぐ逃げ出したくなる。

 逃げ出したい、その気持ちが眠りという形で僕を襲ってくる。

 いままでのように、このまま眠ってしまえばどれだけ楽なのだろう。

 でも。

 それでも。

 なによりも大事で。

 なによりも大切で。

 好きな。

 女の子に。

 救ってもらうだけの立場じゃなくて。

 隣に立って助けあって人生を共に歩める存在になるために。

「僕は……」

「僕は……!」

「変わるんだ……」

「僕は変わるんだぁぁぁ!」

 歯を食いしばる。

 付け根から血が出ていてもお構いなしに食いしばる。

 そうすることで意識を保ち、前を見る。

 前を見て、足に力を入れる。

 そして、踏み出す。

 なにもない、暗い世界に。

 この僕の恐怖を打ち倒すために。

 一歩、また一歩踏み出す。



「……これで、私の役割も終わりですね」

「なな……?」

 白いいつもの世界に、僕は辿り着いていた。

「これで終わりって……? 他の人の夢は……?」

「実は、祐樹だけだったんですよ。私がやっていたのは」

 そこには、なながいた。

「もう祐樹はどんな悪夢を見ても自分で乗り越えられる。そう判断されたみたいですね」

 でも、僕の知っているななとは少し違った。

 髪の色が、白くなっていた。

 毛先はななの黒髪が残っていて、綺麗なグラデーションになっていた。

 その髪を手で持ち上げてななは言った。

「本当は、私の髪って黒ではなく白だったんですよ」

 その綺麗な白色の髪には、見覚えがあった。

「夢のことをやっているうちに気づいたら黒になっていました」

 僕の好きな女の子の髪の色。

「その顔は気がついた感じですね?」

 初めて出逢ったのにほっとけなった気持ちの正体。

「祐樹のお父さん、お母さん。二人が亡くなったのは私のせいなんです。私が轢かれそうになった所を、二人が身を挺して守ってくれたんです」

 あの記憶にいる泣きじゃくる子ども。だれかなんて考えもしなかった。

「その時私は決めました。これからの人生、二人の代わりに祐樹のために捧げる、と。すると私は、純粋で何も知らないわたしと、罪を背負った私の二人に別れました。」

 ずっと疑問に思っていた。どうしてそこまでしてくれているのか、と。

「祐樹が悪夢に悩まされているのを知った私は、神様に祈りました。どうか、わたしに贖罪のチャンスをください、と」

 いままでのこと、全てが紐解けていく。

「私はこの世界にいました。いろいろ触ってみると『夢の管理』ということが出来るのを知りました。私はやることを理解しました。祐樹の悪夢を肩代わりすることが私の役割だと」

「唯一心配だった現実世界の祐樹は、もう一人のわたしが隣で支えてくれていたので安心して私の役割に没頭できました」

「贖罪として私が死ぬまで、続けるつもりでした。だけど……たったの10年で……私は……。そこから綻びが出てしまったのか……祐樹がこちらに来れるようになってしまいました」

「そこから全て崩れて行きました。私のせいで、現実世界のわたしが寝たままになってしまったり、祐樹が悪夢を見てしまったりと」

「でも祐樹は自分の力で克服をした。もっとも初めから、私が手伝わなくても祐樹は立ち直れたのに、私が余計な事をしてしまったのかもしれませんね」

「それは違う……なながいてくれたからこそ頑張れたんだ。小さい頃の僕にはとても堪え切れなかった……」

「そう言ってくれると……意味はあったのだと……私は……」

「それに……ななと話したことで……救われたことが何回もあった……!」

「そう……ですか」

「だから———」

「それ以上はダメです。私にそんな権利はありません。それ以上の言葉はなんの罪も背負ってない現実世界のわたしに言ってください」

 男として、僕は最低だ。

 けど、僕は。

 二人のことを。

 優劣なんて付けようのないほどに。

 好きになってしまったのだから。

「僕は、柚姫が好きだ」

「それで、いいんです」

「でも、僕は」

「なな、君のことが好きだ」

「……っ! ……ダメって……言ったのに……」

「つんつんしてるななも、からかわれて怒ってるななも、呆れてるななも全部好きだ」

「全部……ダメなやつじゃないですか……」

 ななは涙を流しながら、そう言って満面の笑顔を浮かべていた。

 あの、寂しそうな影はもう消え去って。

「なな」

 ななに触れたくて、手を取ろうとする。

 でも、なな身体に触れられることはなかった。

「時間が来たみたいですね……あるいは待っていてくれたのかもしれませんね……」

 そんな気がしていた。

 ななとはもう、本当に会えないようなそんな気が。

「なな……」

「役割を終えた私とこの世界はもう、いなくなるだけのこと。初めから決まっていたことです」

「そんなのっ」

「最後に最高の思い出をありがとうございます。来世か天国か分かりませんがまた逢えることを願っています」

 なながどんどん薄くなっていく。

 せっかく気持ちを伝えられたのにこれで終わりなんて。

「祐樹と話した時間。本当に、本当に楽しかったですよ!」

「ななっ!」





 目を開ける。

 見慣れた天井。

 周りを見渡しても、もう彼女はどこにもいない。

 目から落ちる涙が暖かく、現実世界に生きていることを実感する。

 もう、夢の中ではないのだと。

 さっきまで話していた彼女との思い出を反芻する。

 初めてあった時のこと。

 ななという名前を決めたときのこと。

 ななのことをからかっていたときのこと。

 他にもいっぱい。

 胸が暖かくなるものばかりだった。

 全部大切な思い出だった。

 なんて幸せな時間だったのだろう。





 時計を見ると、朝の日課をしなくてはいけない時間になっていた。

 立ち上がり、扉を開けて廊下に出る。

 廊下は夏の日差しが差し込んでいた。

 もう冷たくも、暗くもなかった。

 キッチンに立ち、朝ごはんを作る。

 これから来るであろう女の子の顔を思い浮かべながら。

 なんて彼女に気持ちを伝えようかとも。

 そんなことを考えていると、ちゃんといつもの時間に玄関が開く音が聞こえた。

 ほんの少し、寝てないか心配だった僕は安堵する。

 朝ごはんもちょうど並び終え、椅子に座る。

 そのタイミングでリビングの扉が開き女の子が入ってくる。

 女の子は僕の正面のいつもの椅子に座る。

 女の子の方を見てみると、僕は声を失った。

 いつもの柚姫。

 だけど、違う部分が一つだけ。

 肩ぐらいまでのセミロングの綺麗な白髪の先端。

 そこがほんの少し、少しだけ。

 黒髪になっていて。

 綺麗なグラデーションになっていた。

「な、な……?」

「おはよう祐樹!」『おはようございます祐樹』

 しばらくは涙で前が見えなかった。


十 告白


「びっくりしたよー! 朝起きたらわたしの中に誰かいるんだもん」

「私もびっくりしました」

 傍からみたら柚姫が一人で喋っているように見えて、なんだかおかしかった。

「でも本当に良かった……なながあのまま消えなくて……」

「私も、まさか来世でも天国でもなく、また逢えるなんて思ってもいなかったです……」

「なな……」

「祐樹……」

「ゴホン」

 この変な空気が気に入らなかったのかわざとらしく柚姫?が咳払いした。

「あっ」

「なんだか複雑な気分……わたしおなかすいたなー」

「そそそそうだね! じゃたべよっか!」

『いただきます!』





「なながいたことが衝撃的過ぎて忘れてたけど、柚姫に大事な話があるんだ」

「大事な話?」

 ご飯を食べていた手を一旦止めて、柚姫にそう切り出す。

「うん」

 今から言うことを意識すると、突然早くなる鼓動。

「僕には好きな人がいるんだ」

「……うん」

 柚姫には、怒られるかもしれない。けど、僕の本心をちゃんと伝えたかった。

「ご飯が大好きで、いつも元気で僕に力をくれる太陽みたいな子」

「……」

「柚姫。君のことが好きだ」

「……え?」

「僕と一緒に人生を歩んで欲しい」

「っ………………ゆ、うきが好きな子って、ななちゃんじゃないの……?」

「ななにももう一度聞いて欲しい。なな。君のことが好きだ」

「ほらっ……やっぱり———」

「僕は二人の女の子を同時に好きになってしまったんだ。なな。柚姫。二人に一緒に人生を歩んで欲しい」

「…………っっっ!!」

「私はもう……答えは決まっています」

「そっかななちゃんも……。うんわたしも決まった」








『是非喜んで!』








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