緑紙
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
お、こーちゃん、そちらの調べ物は済んだかい?
こちらも、召集関係の情報、ある程度はまとまってきたよ。国語で反戦ものを取り扱ったとはいえ、戦争の記録を調べてみるだなんて、もう社会科の領域じゃないかな?
作品の中だと、主人公のお父さんが赤紙によって、戦場へ向かっていった。これは召集令状のひとつのようだけど、他にも紙があったんだね。
白紙だと教育や演習、青紙だと防衛、そして同じ赤紙でも、色合いによっては海軍からの召集だったりする。中身も充員なのか臨時なのか……区分けがいかに大事だったかが、うかがえるね。
これらを目にすることがないことが、現代が平和でいることの証拠。
けれども、平時であっても思わぬ令状が手元へ届くケースがあるらしいんだよ。
僕のいとこから聞いた話なんだけど、耳へ入れてみないかい?
その日、いとこは空の雲間から差す陽の光に、目を細めていた。
ひなたぼっこを趣味のひとつにするいとこは、その日の午後も家の縁側で横になり、視線をぼんやりと、雲がたくさん浮かぶ空へ向けていたんだ。
突然の来襲に、つい手で光を遮りながら、いとこはくらんだ視界のまま屋内へ退避。また横になりながら、視界の回復を待った。
このとき、他の家族は家をあけており、うだるような暑さもあって、いとこは家じゅうの窓を網戸にしていたらしい。そのおかげか、ある音に気がつくことができた。
家の戸の付近、ポストのなる音だ。何かが投かんされたんだ。
かつて急ぎを要する手紙をほったらかしにし、注意を受けた経験のあったいとこは、すぐ起き上がってポストのもとへ。
勝手知ったる家の中だ。目くらましを食らっていても、だいたいの構造は分かる。手探りで玄関の先、塀に埋め込まれたポストまできたいとこは、中に転がる一枚のはがきを手に取った。
あて名は、かろうじて自分を指していることは分かる。けれど、住所や郵便番号、差出人といった、配達員の手掛かりになりそうなものの記述はない。
――もしかして配達の人を通さず、自ら入れてきたとか?
ひやりと、首筋を伝う汗を感じつつ、何を伝えようとしてきたか。いとこはぺらりと裏をめくってみる。
緑色のみが、そこにあった。
まだ残像があるのかと、はがきを持ったまま何度も目をこすり、見直してみるも変わらない。
よく溶かしていない絵の具を、塗りたくったかのようだった。乾いてはいるようだけど、回復した視界に映ったのは、真上から見た川のように、小さくいくつも蛇行した線の数々。
おそらく、筆の穂先の乱れだ。それが無数に束ねられて、一面の原っぱのような景色を、はがきに浮かばせていた。
およそ、美術が得意な者の手による作とは思えない。雑に塗られた緑のあちらこちらには、小さなあぶくや、抜けた筆の毛と思しき隆起があり、手がけたものへの配慮や愛情を感じられなかったとか。
あまりのつたなさに、まず友達を疑ったいとこは、この手紙を自分の部屋へ持ち帰ったまま、親へ話すことはしなかった。
夏休みなのも手伝い、いとこは友達に遊びに誘われたり、自分から誘ったりしながら、どうにか手紙の主を探ろうとした。もちろん、直接たずねてもごまかされるだろうから、カマ駆けに誘導尋問、直接は関係のない他の人を使うなど、年相応に打てる手はとったみたい。
しかし、特定ができないうちに、二枚目がいとこの元へ舞い込んだ。
一枚目と同じ。宛名だけの表面。緑一色の裏面。
しかし、一枚目と明確に違うのは、宛名部分が大いに乱れた字であるということ。もはや、幼稚園児でも書けそうなほどひどいものだけど、いとこはほくそ笑んだ。
――俺が露骨に犯人捜しを始めて、あせったな。誰のものか特定しづらくしたつもりだろうが、つまりは俺がこれまで尋ねた連中でなければ、事情は知りえない。
もし知らないなら平然と、一枚目と変わらない筆跡で臨んでいたはずだからな。細工をしたことで、わざわざ標的をしぼる手助けをしてくたようなもの。
これまで質問した人のことは、きっちり把握している。数えるほどの人数しかいない。
――さっさと見つけ出し、このイタズラの真意を問いただしてやる。
意気込むいとこは、どうにかさりげなさと尋問のバランスを取りつつ、これまで探った皆と接していくけれども、尻尾を容易につかむことはできずにいた。
足踏み状態で家に帰るたび、もどかしさからか、いとこは自分の頭や胃腸がキリキリと痛むのを感じていたらしい。
それから数日後。
いつになく調子が悪くなって、家へ戻ってきた矢先。いとこは母であるおばさんから、質問をされる。
今日、いとこの外出中におばさんが部屋を掃除したらしい。その折、件の二枚のはがきを見つけたのだけど、その中身が不審だというんだ。
「あんた、どうしてまっさらなはがきを二枚、後生大事に持っていたんだい? 誰かに出すつもりだったのかい?」
そんなはずはない、といとこは強く反駁。宛名のこと、裏面の緑のこと、その塗りのつたなさのことを、一気にまくしたてた。
その一切を、おばさんは黙って受け止めたのち、いったん部屋に引っ込んでカメラを持ってきたらしい。
当時、最新式のデジタルカメラ。それで二枚のハガキを取り、すぐさまくっついている液晶パネルで写真を見せてくれる。
二枚とも、何も書かれていなかった。表面も、裏面も。
そんなはずはない、と父が二枚を手に取ると、確かに宛名も緑も浮かんで……。
――浮かぶ?
はっと、父親ははがきから手を離した。
はらはらと落ちていくハガキは、その表面から徐々に文字を、緑を薄れさせていく。畳の上へ落ちる時には、そうと意識しない限り、ハガキの内容は薄まっていたんだ。
ことりと、ポストが鳴る。
いとこと母親は耳ざとく音を拾い、ポストへ急行する。
家を囲む塀に埋め込まれているポスト。その塀の上に、一羽の真っ白いハトがとまっていたらしい。二人がポストをのぞくまで、逃げることはせず、そこにとどまっていたのだとか。あたかも、「自分が届けたんだぞ」といわんばかりに。
二人は一緒にのぞき、そこにあった一枚のはがきをあらためる。
おばさんは見た。先の二枚と変わらない、裏表白紙なはがきの姿を。
いとこは見た。表に先の二枚以上に乱れた字。裏に緑と呼ぶのもおこがましい、ほぼ紫色に染め上げられた、歪みに歪む色の原っぱを。
そしてぐらつく自分の視界と、背中の痛みと同時に飛び込んでくる空。その直後の暗闇を。
病院で意識を取り戻したとき、いとこは丸三日、意識を失っていたようだ。
お医者さんには失神と説明されたようだけど、それで三日も意識をなくすなんて尋常じゃない。話を聞いて、僕はそう思ったけれど、いとこにとっては詳しく触れてほしくないところかもしれない。
ただ、いましばらく病院に来るのが遅ければ、もっとひどいことになっていたのは間違いなかったとか。
あのいとこだけが見る緑紙たちは、それを通していとこの身体が発した、SOSだったのかもしれないね。