危篤者の代弁者
微かに呼吸の音が聴こえる。
布団に横たわる男性は重い病に罹り、すでにこの先はとても短いと言われていた。
「う……あ……」
男性が周囲には黒い服を着た人たちが沢山立っていた。涙を流す者や、作り笑いをする者。全員がこの男性を慕っていたと見て取れる。
何かを訴えかけようにも男性は声を出せないほど弱っていた。
そんな中、黒い服に黒いレースで顔を隠した少女が男性の手を握り、話しかけた。
「最期に伝えたいことをどうぞ思い浮かべてください」
優しい声に男性は天井を眺める。
『娘、孫。そして今日まで看病をしてくれた近所の友人たち。苦労をかけてすまなかった。最後は何かの拍子にこの世を去る物だと思っていたが、こうして皆に看取られるとは思わなかった』
少女の口からその言葉が発せられた。
「メギル! あんたは本当に優しい人だったよ!」
「爺さん、本当にお疲れ様」
「あとは任せてくれ」
周囲がそう言うと先ほどまで苦しんでいた男性は次第に笑顔になってきた。まるで苦しみを感じなくなってきたような表情だ。
「ありが……とう。あばよ」
そう言って男性は目を閉じた。
呼吸は消えた。
重い空気。そして無音。何が起こったか、この場にいる全員が察した。
「……正午。メギルさんは旅立ちました。代弁者プルーの名においてここに宣言します。彼はとても幸せだったと最後に『思って』おりました」
「メギル!」
「爺さん!」
どっと周囲は声を出し、中には号泣する者もあらわれた。
家の外でも村の人が数名窓から様子を覗いていた。
黒服の少女はレースを外して顔を出した。白い肌に赤い髪。そして赤い目をした少女は優しい表情をしていた。
「死は絶対に訪れます。それは人として生まれた瞬間から定められています。どんな人生を歩んだかによって最期は変わります。この方はとても人望があり、そして周囲に恵まれて幸せな人生を送ったのですね」
男性の手を布団の中に入れ、そして顔に白い布を被せる。
「葬儀方法は村の方針に委ねます。プルーは宿で休憩をしますので、準備が整ったら呼んでください」
「ありがとうございます。代弁者プルー様」
☆
少女が宿に到着すると、見た目は幼い青髪の店主が出迎えてくれた。
「プルー様、お疲れ様でした。村の人たちも最後の言葉を聞けて嬉しかったと思いますよ」
「そうだと良いのですが。と言っても今回の危篤者は本当に恵まれた方だったみたいで、プルーとしても助かりました」
椅子に座り、目の前に置かれたお茶を飲む姿はその辺りにいる村娘と変わりない。
「重病人やすでに亡くなる寸前の人の心を読み、それを周囲に伝える。なかなか辛いお仕事だと思いますが、どうしてその仕事をやろうと思ったのですか?」
店主の問いにプルーは昔を思い出しながら答えた。
「プルーの母は声が出せなくなって、最初は筆談で話していたのですが、もっと良い方法をと考えていたら不思議な本を見つけたんです」
「不思議な本?」
「それを使うと相手の心を読むことができる本。いや、正確には相手の心を読む術を得る本でした。母とはそれから楽しく会話ができるようになり、幸せな日々を送っていたのですが、ある日重い病に罹ってしまいました」
プルーは首にぶら下げていたペンダントを持った。おそらく母の形見なのだろう。
「声が出ない喉が原因で呼吸が難しくなる病。次第にそれは全身を苦しめ、やがて命を落とす病。プルーはその間出来る限りの看病をしていました」
「声が出ないお母さまと唯一会話ができるなら適任ですね」
「はい。そして時は来ました。母は危篤状態となりました。プルーは母と手をつなぐことしかできず、ただ泣き叫んでいました。その時、母はプルーに話しかけてきました」
「話しかけた?」
「今まで沢山お話をしてくれてありがとう。プルーは代弁者としていつも助けてくれて、本当に助かったし嬉しかったと。声を出せないはずの母なのに、その時だけ神様が奇跡を下さったのです」
ぐっとペンダントを握った。その時の記憶はプルーの中では今でも残っているのだろう。
「その笑顔を最後に母は息を引き取った。父もいないプルーはそのまま孤児院に引き取られ、教会勤務を志望し今こうして危篤者の代弁者をしているというわけです」
「その年齢でなかなか重たい人生を送っているのですね。ワタチには想像ができませんね」
店主はお茶のおかわりを淹れた。
「あ、店主さん。お茶をもう一つ下さい。部屋で飲んでも良いですか?」
「へ? 良いですけど、プルー様独自の弔いでもするのですか?」
「そのような物です」
そう言ってお茶をもう一つ持ち、プルーは自室へ向かった。
「葬儀の準備ができたら扉の外から呼んでください。色々と見られたくない資料の整理とかをしますので」
「わかりました」
☆
プルーは二つのお茶を持ちながら器用に自室の扉を開けた。
一人用の部屋。
しかし部屋には若い男性が椅子に座っていた。
「『メギルさん』、気分はどうですか?」
先ほど息を引き取った男性の名を呼ぶプルー。そして男性は周囲を見て驚いていた。
『これは一体』
「一時的な物です。死者が次の世界へ旅立つ前の準備と言ったところでしょうか。プルーに宿る不思議な力で一時的に魂だけが少しだけこの世界に残り、こうして会話ができるのです」
『生き返ったわけではないのか?』
「ええ。貴方は死にました。周囲からは尊敬され、惜しまれ、そして死にました。プルーの目から見ても貴方は良い人だったと言えるでしょう」
『そう……か』
プルーはお茶をテーブルに置いた。
「あ、あくまで気分の問題なのでお茶を置きました。実際は持てないのであしからず」
『手が透けて……そうか。俺は本当に死んだんだな』
メギルの目には涙が流れていた。
『まだやり残したことは沢山あった。孫の子を見てみたかった。息子が野菜を収穫してくる姿をまた見たかった。何気ない日常がこれほど恋しいとは思わなかった』
「そうですね。そう思えるということはとても良い人生だったという証拠です。プルーが看取った人の中には『辛く苦しい人生だった』と言う人もいました。犯罪を子供の頃に犯し、生涯牢獄で生活して危篤寸前で出会った方もいます。人生に優劣をつけるわけではありませんが、貴方の人生はとても華やかだったと思います」
『そう思えるか?』
メギルは目に涙を浮かべて目の前の触れられないお茶を見て語った。
『俺はこの村の村長になりたくて良い人を演じていたんだ。村長になれば良い物も食べられる。家族に少しでも楽をさせられる。そして大きな家にも住むことができる。しかし実際は畑仕事や人柄だけでは村長になれなかった。勉学ができないという理由で村長の候補から外された。その日は酒におぼれた物さ』
「誰にでも欲と言うのはあると思います。貴方の欲は見方によっては強欲とも言えるかもしれませんが、家族の為だと言い切るならその信念は曲げてはいけないと思います」
『何度も失敗をするパルサー。物覚えの悪いビガリ。そいつらを何度殴ろうとしたか。だが俺は殴れなかった。いつか何かの拍子に村長の座を得られると信じていたからな』
「村長の座がそれほど大切な物なのでしょうか?」
『ああ。この村では子に引き継がれる村長の座だが、引き継ぐ先がいない場合は選挙が行われる。それは一生に一度あるか無いかの出来事だ。村長になれば息子や孫は今よりも裕福に、そして幸せに生きていける。最後の好機を俺は逃したんだ』
悔し涙を流すメギルは肩を落としていた。
「裕福な暮らしが誰しも幸せとは限りません。王族や貴族は一見華やかに見えても、裏ではとても汚い仕事をしていたり、命を狙われている者もいます。この村の村長もその息子も日々王国との連絡に苦労していると言っていました。想像だけで決めつけるのは良くないと思いますよ」
プルーの言葉にメギルは少し興味を持った。下を見ていた顔を上げてプルーの目を見た。
『裕福な暮らしが幸せでは無い? では村長の座は何のためにある』
「村の代表であり、それは村に住む民の代弁者です。この村で今不足している物を王都へ伝え、そして交渉。それらの行動は公表されず。その後の食事会だけが皆様の知る『華やかな部分』です。プルーは見た目こそ幼いですが、それでも数十人の村長や市長を看取ってきました。その中で多かったのは『やっと死ねる』という言葉ですね」
『他の村長が……そんな事を』
その事実に衝撃を受けるメギル。
「もちろん幸せだった村長もいます。村長としての義務を生きがいとし、家族との交流を楽しんだ村長は幸せな表情と共に最後の会話はとても幸せな物でしたよ」
『もし俺が村長になっていたら……幸せじゃ無かったかもしれないのか?』
「断言はしません。貴方が村長になり貴方が仕事を全うして家族や村の民を幸せにできれば、良い最期を迎えたでしょう。逆に村長としての業務を苦に感じ始めたら最後、貴方は貴方でいられなくなるでしょうね」
プルーはお茶を一飲みした。すでに少し冷めていた。
「だいぶ時間が経ったみたいですね。まもなく貴方の魂は消えます。どこに行くかはプルーにもわかりません。別の世界か、次の命に宿るか」
『北の教会の代弁者。一体あんたは何なんだ?』
「プルーはこうして最期を迎えた人とちょっとした会話をして緊張を解す聖職者です。魂が消える恐怖は当人しかわかり得ないことだと思いますが、放置すると悪魔になっちゃうのですよ」
『そう……か』
メギルは自身の手を見た。先ほどよりも薄くなっていて、地面が見えた。
「この様子だと大丈夫そうですね。最後に言い残したことはありますか? 死者と会話ができるプルーの特権で、特別に遺言を伝えます」
『分かった。では、こう言ってくれ。『皆をだましてて悪かった』と』
「承りました。では」
プルーは手を二回ほど叩いた。するとメギルはフワッと小さく破裂し、そして消えた。
部屋中に広がる煙のようなものも、時間が経てば消えていった。
コンコン。
同時に扉の外から音が鳴った。
「はい?」
『プルー様。火葬の準備ができたそうです。お立合い下さいとのことですが、どうしますか?』
この宿の店主の声だった。
「今行きます」
☆
燃え上がる炎の中心にはメギルの遺体があった。
周囲の人は全員黒い服を身に纏い、涙を流す者がほとんどだった。
「プルー様、火葬にまでお越しくださりありがとうございます」
「この距離で来ない方が無礼という物です。看取った相手の最後の晴れ舞台はせめて拝めさせて欲しです」
「晴れ舞台?」
「この炎は彼の偉大な功績を表現しています。事実だけを見れば遺体を燃やしている光景ではありますが、これは彼自身から出された炎。そして彼の最後の自己表現でもあるとプルーは解釈しています」
「その表現は思いつきませんでした。火葬はいつも悲しみに染まっていて、終われば埋葬。それら全ては悲しみに包まれていますから」
「間違ってはいませんよ。教会の人間が言うのも変ですが、亡くなった相手にこそ笑顔で見届けるのが生きている者の役目だと思っています」
プルーは炎に向けて頭を下げた。
それを見た村長は悲し気に語った。
「メギルは本当に良い人だった。本来私ではなくメギルが村長になるべきだった」
「ふむ、その理由を聞いてもいいですか?」
プルーはすでにメギルから話を聞いていた。しかし死者から聞いた話をすれば怪しまれてしまう。あくまでもプルーは危篤者の代弁者である。
「数字や文字。それらを覚えることができなかった。たったそれだけで私が村長に選ばれた。人柄や仕事は全て彼が卓越していたのに、王都との会話ができる人間というだけで私になった。彼が村長だったらどれだけ……私が楽だったか……」
「今の発言は冗談として受け止めましょう。村長の仕事はどれも大変な物です。ですがそれに生きがいを感じる者もいます。全てをあの場で話しませんでしたが、彼は貴方には感謝していると言っていましたよ」
「私に?」
北の教会の代弁者の特権は危篤者や亡くなって間もない人間と会話ができる。言い残しや伝言など、亡くなった後に出てきた内容を受け取り、それを生きている者へと伝えることができる。
「この村を頼んだ。だそうです」
その名は大陸中でも有名で、危篤者の伝言は絶対とも言われるほどの信頼があった。
「はは、メギルにそんな事を言われたら……もう少し頑張るしかないですね」
そして代弁した内容が真実かどうかはプルー本人しかわからない。
「メギルさんは貴方が村長で良かったと言っていましたよ。そのおかげで他の仕事に集中できたそうです。これからは貴方や村の人で回すことになりますが、プルーとしてもこれからも踏ん張って欲しいと思います」
「北の教会のプルー様。本日はこんな小さな村にお越しくださり感謝します」
深々と頭を下げる村長。
プルーの表情はニコっとしていても、その内側は笑っていない。
☆
翌朝、プルーは北の教会へと向かうため馬車へと乗った。馬車には北の教会方面へ行く商人も乗っていて、その人が馬を操縦してくれる。
村を出る直前、村の人たち全員が見送りに出口で集まっていた。
「この度はありがとうございました。彼もきっと良い旅路へ向かうでしょう」
「プルーもそう祈ってます。またこの村に祝福があらんことを」
軽く頭を下げて馬車は動く。村の人たちも皆手を振ってプルーを見送った。
しばらく馬車に揺られていると、途中で止まった。
「ん? どうしました?」
馬車を操作する商人がプルーに話しかけた。
「プルー様にお話ししたいとのことです」
馬車から顔を出すと、宿屋の店主が大きな箱を持って立っていた。
「店主さん? 村にいなかったと思ったらこんな所でどうしたのですか?」
見送りにいなかったことに不満があったわけでは無い。ただ少し寂しいとプルーは感じていた。
「早朝の山菜取りです。ついでにこの道を通ると思っていたのでお弁当を持ってきました。長い旅路に空腹は天敵でしょう」
そう言って店主は箱をプルーに渡した。
「ありがとうございます」
「礼には及びません。メギル様がこうして無事に村の皆に見送られたのはプルー様のお陰だと思っています」
「プルーはただの代弁者です。ですが、少しでも悲しみが和らいでくれたのなら、プルーとしても嬉しい限りですね」
ニコッと笑うプルー。
「そうですね。真実を話さず、その実績や信頼を利用して相手を手のひらで踊らせる。あまり良い行いとは思えませんが、今回ワタチは傍観者です。何も言わずにそっと村の行く末を見ていくとします」
店主は頭を下げてその場を去った。
「プルーの話した言葉の真偽をあの店主は知っている? いや、考えすぎですか。商人さん、馬車を動かしてください」
「は、はい!」
そしてプルーは再度馬車に揺られて教会へ向かった。
危篤者の代弁者の仕事はこれからも舞い込んでくる。明日はどこで誰が亡くなるのか、それは……。
了
こんにちは。いとです。
今作をご覧いただきありがとうございます。
今作では特に何かを目的として作ったわけでもなく、ただ病人の心を読む少女を描きたいと思い書いてみました。
声が出せないほど重い病気に罹り、それが数時間後には死に至るとまで言われた場合、その人は何を思うか。そんな事を思いつつ描いてみました。
少し悲しいお話となりますが、少しでも楽しいと感じていただけたら幸いです。
連載中の作品や活動報告では(本作投稿時点では)真逆のギャグ路線を走っているので、ご興味のある方はぜひご覧ください!
では。