暴虐な蝋燭の足音がする 2
アンティポス・トリアイナは表情険しく妹の元に歩み寄った。
アイギス侯爵の反対側から彼女を取り戻すと胸元を見た。そしてケルベロスの唸り声かと聞き間違えるような声で言った。
「なんだこの呪いは!」
大人三人の表情が凍った。アレクトーは面倒そうに兄を見返した。
「アン、後で必ず説明する」
「待て、呪いとはどういうことだ」
緊張感溢れる雰囲気を押し流そうとアレクトーは強引に立ち上がった。しかしすかさずプリアモスがそれを制した。呆然と、しかしまた怒りを滲ませながらアレクトーの胸元を凝視する三男の肩を掴んだ。アンティポスの反応は非常に悪い。ボソボソと何か呟いている。
「呪い、違うか・・・?いや最早呪いだこれは・・・同じ加護が・・・拮抗しているのか・・・」
「アンティポス、おい」
再三プリアモスが呼び掛けるが大した反応を返さず、アンティポスは一人言を繰り返す。その内容を聞き取りながらアレクトーは改めて兄の頂く加護の壮絶さに感心していた。
『何がどこまで視えているのか。これ程までとは、恐ろしい。』
なされるがままにされていたが、時間が惜しいので場を仕切るために口を開いた。
「アン、私の力を確かめに来たのでは?」
「力?ああ、しかし今はそれ所では」
またもや飛び出た脈絡の無い会話に男達二人は困惑した。彼らを助けるように優雅にお茶を楽しんでいたクレウーサが口を挟んだ。
「二人だけで会話しないで頂戴。それにアン、この場に割り込むのだからそれに値するほどのことなのでしょうね?」
正式にセッティングされた会合はここが本会場だったらしい。庭の東屋というリラックスした場所ではあるが、用意された物の格は高い。気軽な談話ではないことを示していて、アレクトーは初めてそれに気付いた。最初からここで話し合いは始まっていたらしい。
アンティポスはハッと顔を上げると全体を見渡した。すぐに起き上がるとアイギス侯爵に謝罪の口上を述べた。侯爵はそれを軽く受け入れつつもプリアモスに視線を送った。なんだこの無茶苦茶な展開は。
彼らの様子に気付いたアンティポスは今度は自分が眉根を寄せた。
「父上・・・まさか何もご存じないのですか?」
「『何も』?・・・クレウーサ」
プリアモスは目でクレウーサを問い質したが首を横に振られただけだった。クレウーサは更にアレクトーの方に顔を向けた。犯人はコイツです。
「メリアス」
厳しい声がアレクトーに向けられた。アレクトーはそれを受け止めると、ストンと椅子に座り直した。しばし視線を彷徨わせた。最近始まった、考えことをしている時の癖だ。
思考に満足すると静かに前を見つめて言葉を発した。
「私には、アイギスの業を学ばせる価値があります」
「・・・─先ほどの続きか」
驚きっぱなしのアイギス侯爵が相槌を打った。そして使用人に促されて席に着いたアンティポスを見た。しかしそれが彼の登場と何の繋がりがあるのだろうか。
気付けば見定めるような視線を3人から集めたアンティポスは居心地悪そうに眉を歪めた。
「私はメリアスに呼び出されました。父上と私に・・・見て欲しいものがあると」
アンティポスはちらとアイギス侯爵を見て言葉を濁した。彼が居るので飲みこんだ言葉があった。プリアモスは格好を崩し、背凭れに体重を預けた。アイギス侯爵が居る場で追求するべきか思案しているようだったのでアレクトーは口を開いた。
「閣下にならすぐに知れることです。いっそ手間が省ける。ご同行していただけるなら話が早いのですが」
閣下という敬称をわざわざ使ったことにプリアモスは片眉を持ち上げた。軍人としてのアイギス侯爵にむしろ知って欲しいものを見せたいということか。
「力、と言ったな。一体何を見せるつもりか」
「行ってのお楽しみ─と言いたいところですが、武術も嗜んでおらぬトリアイナの人間がいう『力』など一つしかありますまい」
魔術のことである。
そこでプリアモスはあることを思い出した。
長男のヘクトールはアレクトー誤射事件の後ひとつの可能性を示した。アレクトーの加護が追加されている可能性である。
アイギス侯爵は先ほどとは打って変わった険しい表情で言った。
「魔術・・・か?」
「はい」
アレクトーは頷き、兄を見た。アンティポスはあまり納得していないような顔で視線を返した。
「第2師団の演習場を借りられたそうだ」
「十分です、ヘレノス兄様が?」
「ああ、お前の手紙が私宛につくころにはもうヘレノスからも使用許可状が届いていたぞ。どうなってる」
仕事が速すぎるとアンティポスは疲れたように手で額にひさしを作った。
「まぁ、ヘレノス兄様は祭りは何でも好きですから」
そしてアレクトーは畳み掛けるように笑った。
「ともかく子供の我侭と思って共に来て下さいませんか」
何か有無を言わさぬ凄みに男達は気付くと首を縦に振っていた。
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プレタニケ・レウコン王国中央軍の第二師団演習場ではトリアイナ家の二人、三男アンティポスと次女アレクトー・メリアスが横に並んでなにやら打ち合わせている。
広い円形闘技場の端と端を示し出力がどうの弁償がどうのと言っているのが大人三人の元まで聞こえていた。弁償という言葉に当事者ではないのにアイギス侯爵はヒヤヒヤしているが、プリアモスとクレウーサは涼しい顔で二人を見守っている。自家も大概だが、一体この一族の情緒はどうなっているのだと侯爵は冷や汗を掻いた。
「本当に大丈夫なんだな?」
「うん。それよりちゃんと半で出して」
「うん・・・いやそれでは客席に被害が出るかもしれん」
「なら、縦に伸ばせばいい」
「難しいことを簡単に言う」
「赤子の手を捻るより簡単でしょう?」
「意味が無いから今まで縦に出したことがない」
「アンなら大丈夫」
どこか緊張感のない二人は闘技場の設計でもするかのように話をしている。その様子を見ながらアイギス侯爵はアレクトーの企みについて考察を始めた。
彼女はアンティポスに「力を確かめに来たのでは」と聞いた。それは暗にアンティポス程の魔術師が力を確かめたくなるような力があるということなのではないだろうか。
アイギス侯爵は記憶の宮殿を歩き回るまでもなく、アンティポスの情報を思い浮かべた。計略の長たる彼、総軍司令部参謀副長テュンダレオース・アイギス中将は全ての魔術師の情報を有している。
アンティポス・トリアイナはトリアイナ一族において当代一の魔術師であると言われている。
なにをとち狂ったか今は神学校に進み、聖職者を目指しているようだが今でも各方面から口説かれている。というのも、彼は水にまつわる神霊全ての加護を得られると言う話なのだ。その上、複属性加護の受け手でもある。これは魔術師の中でも5%居れば良い存在である。とんでもなく貴重な逸材だ。アイギス侯爵は実際にその実力を目にする機会はなかったが、素直に軍部に属してくれればどれ程楽かと思う。
そんなデータの持ち主が確かめに来る力とは一体何なのか。
背筋に薄ら寒いものが這って行こうとした時、渦中の人物が声を上げた。
「始めます。良く、確りとその目にお焼き付け下さい」
アンティポスが宙に向かっていくらか話しかけ始めた。
じわ、と辺りが暖まった。温度の上がる兆しにアイギス侯爵が襟のボタンを開けようとした途端、急に温度が下がった。唐突な温度変化にクレウーサがふるり、ひとつ震えると屋敷全部の窓ガラスを割ったような音がした。
突然の轟音に三人は目を閉じた。
他の二人に先んじてプリアモスが目を開いた。薄氷を割るような、パキパキという音を鳴らしながら巨大な氷塊が上へ成長していくのが見えた。プリアモスが眉根を寄せると、バリバリと再び雷の如き音が三人を襲った。
その音の発生源は闘技場の壁面最高点をいとも容易く尽き抜けて天高くそびえる氷の塔を作り上げた。
薄ら目を開いたアイギス侯爵は突如現れた氷の城に言葉を失っていた。そして12メートルはあろうかという氷の塔を見上げてクレウーサが微笑むのを信じられない気持ちで見た。微笑むだけなのか。一言も褒める言葉が無いのはどういうことなのか。
「いつ見ても見事なものだが、如何せん煩いな」
「こればっかりは自然の摂理ですからどうにも・・・」
父の言葉にアンティポスはしゅんと俯いた。いやいやと声なくアイギス侯爵は首を振った。煩いとかそういう問題じゃないけど、これ通常運転なの?マジ?
参謀副長として数多くの魔術を見聞きしたアイギス侯爵だが、開いた口が塞がらなかった。視線をどこにやって良いのかわからず、何か助けは無いのかとアレクトーを見た。すると彼女はどことなく不満げな表情をしていた。
何故だ。膝から力が抜け、崩れそうになった。
「本番はここからです」
アレクトーが言うとプリアモスがふむと顎を揉んだ。髭がじょりじょりと擦れる音がした。
「これだけのものを融かすのか?」
「とかす・・・?」
ああ、『溶かす』か。
すぐ後に合点がいったようで、アレクトーは呟いた。氷をどろどろに崩すだけでなく、完全にベチャベチャの水にしてしまうと言うのか。しかし、そこは水の一門、できないことはない。大量の水を吐いて氷を溶かすのだろうと予想される。
アイギス侯爵はパフォーマンスが長引く予感に眉を下げた。
しかし可愛い女児が一生懸命魔術を使っているところを見守るのだと思えばなんのことはないかと思い直す。無表情気味だが、そのまま語り続けるのだろうか。疲労が見えたらすぐに止めようと決心した。化け物揃いのトリアイナ家では頼りにはできないと踏んだのだった。
気を引き締めてアレクトーを見た。彼女に緊張した様子は無かった。
だが見守りモードの大人達とアンティポスに振り返ると強い視線で彼らを射抜いた。
「すぐに終わります、確りと頼みますよ」
茫洋と垂れ下がっていた目蓋がきりりと研ぎ澄まされ、黄金色の蜂蜜に似た虹彩がぎゅうと絞られた。親しみのあるその目の色に両侯爵は動揺した。
これは、この目はよく視っている。
アレクトーはアンティポスの氷に向き直った。
すうと大きく空気を取り込んだ。何かを迎え入れる様に両手を軽く上げて、言葉を発した。
「業火よ、我が業火よ」
アレクトーの周りを、奔るように火が一週取り巻いた。
炎の輪になる前にそれが消えたかと思うと、ジャッ!と突然激しい雨が降ってきたような音がした。余りに早い神霊の応答にアンティポスは眉を吊り上げた。力をお借りする方の名前すら呼んではいない。ふとやおら漂う霧に気付いた。触れるとそれは温かい。はっと息を飲むと目の前が真っ赤に染まった。
ドッと言うのか、ボッと言うのか。
聞いたことの無い音が目の前から押し寄せてきて、三人は思わず顔を覆った。布団を押し付けるような質量の高い熱風が一瞬、過ぎ去っていった。
取り残された様にぬるい風がはたはたとその後を追った。
三人は目をしっかりと開けて、氷城のあった場所に目を向けた。しかしそこには霞が漂うだけで、なにもかも夢のように消えていた。プリアモスがまた眉をひそめた。湿度の高い空気がじわじわと彼らの方まで侵食してきたのだ。
「まだ少し調節が難しいか」
言って、アレクトーは右手で何かを持ち上げるような動作をした。目の前を炎が蛇の様にうねり、横に一閃した。
アンティポスはアレクトーの横顔を食い入る様に見つめていた。そして夢覚めやらぬ様子で口を開いた。
「なるほど」
クレウーサは手を持ち上げて、指を擦り合わせた。じっとりと湿っていた空気がカラカラに乾いていた。そこで初めてまぁ、と驚いて見せた。
「これは銃を束にしても適わんな」
アイギス侯爵はプリアモスに目を滑らせた。あれは。
プリアモスは不本意そうに同意を示した。
アレクトーは、「戦場歩き」だ。
気付いたらおじさんがただ戸惑っているだけだった。
誤字脱字変な表現あったらごめんなさい。