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業火のメリア  作者: 辺獄ダンス
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家族の肖像 羊と戯れるパリス

今更ですが後半にちょっと生々しい戦争表現あります。

トリアイナ家の別荘でパリスはぷんすこいじけて廊下を歩いていた。困り顔の使用人を引きずりながら、姉─アレクトー・メリアスの部屋を目指してずんずん進んでいた。

「坊ちゃま、お姉さまはまだお休みになっておられます。お邪魔してはいけません」

使用人の懇願を丸無視して、姉の部屋の扉をコンコン叩いた。しばらくして中から神経質な顔の侍女が出てきた。

「また負けたの!」

パリスが人形のような顔をくしゃっと歪めて叫んだのに、侍女も顔をしかめた。侍女が目を吊り上げて叱る前に部屋の中からアレクトーの声が返ってきた。

「入っておいで」

「お嬢様…」

眉を下げまくった侍女はアレクトーに反対の意を伝えるが受け入れられなかった。パリスは侍女と扉の隙間をすり抜けて中に入った。走り気味にベッドに歩み寄ると侍女がすかさず椅子を持ってきた。ベッドに乗り上げるな、これに座って大人しくしてろという意味だ。

パリスはやや侍女と睨み合ったものの、アレクトーに促されて素直に椅子に座った。正座で。

そして身を乗り出して姉に縋りつこうとしたが、侍女に首根っこを掴まれた。

「ね~ねえ!」

侍女を振りほどこうとする前にアレクトーは身を引き摺ってベッド脇まで身を寄せた。すると侍女はすぐにパリスの襟首を離して、アレクトーの背にクッションを据えなおした。

「悔しかったね」

姉の優しい声にパリスは身を乗り出した。ぎゅっとアレクトーの腕に縋りつくと大きなヘーゼルの目をうるうるさせた。みどりの滲むヘーゼルは大きく、きらきらと水面のようにカーテンの隙間から入る日光を反射していた。パリスが一生懸命に同情を買おうと奮闘する中、アレクトーはその美しさに魅入った。

「上のねえねに勝てない~!」

パリスは悔しさ一杯にごりごりと姉の腕に頭をすり付けた。先ほどクレウーサと暇潰しに興じたチェスの勝負で惨敗したのだった。

チェスにおいてパリスは既に並の大人なら簡単に撃破するほどの名手である。しかしここのところは上の姉にボロボロに負かされている。しかも互角程度だと思っていた相手が、実は今まで戯れ程度の力も出していなかったことを目の当たりにさせられていた。

神童と崇められて得意げに胸を張っていた幼子はみっともなくグズグズと泣いた。

「大丈夫、お前ならいつかきっと勝てるよ」

笑う母でも、表情の変わらぬ父でも、何を考えているか分からぬ兄達でもなく、そう言って頭を撫でてくれるアレクトーに慰めを求めるのは当然の展開だった。

アレクトーはすんすん鼻を啜るパリスの肩を抱え込みんだ。ゆらゆらと揺れながら彼が落ち着くのを待った。

侍女はパリスの落ち込みなど気にもせず、早く出て行けという無言の圧力を全身で放っていた。


5分ほどするとひくひく喘ぐ息は落ち着いた。しかし姉の腕を開放し、部屋を出て行く気配はない。侍女には体調を万全に保つことが今のところの第一優先事項である。彼女が怒りの波動を放ち始めた時、アレクトーはため息をついた。

パリスの額を撫でて、柔らかな同じ色の髪をかき上げながら目を合わせた。

「お話の続きをしようか」

パリスは目を輝かせて元気に頷いた。落ちた最後の涙を拭って椅子に座りなおした。

しかしお行儀良く座ったわけでもない。ベッドの淵に肘をついて、立てた腕の上に顎を乗せた。首が痛くなりそうなほど顔を上げて不自然な角度でアレクトーを見上げた。

いつものポーズなのでアレクトーは何も指摘せず、パリスの好きなようにさせた。どうせ疲れたらアレクトーの足の上に頭を置くのだ。

「そのかわり、分かっているね?魔術の練習を」

「うん、わかった!」

パリスは顎を乗せていた両手を下ろし、虚空を見つめた。彼の神に向けて語りかけた。

海の女神(ネーレーイス)よ、私のカリュプソーよ。我らを囲み、覆い、隠し給へ」

習った通りの文句を告げると、薄い膜のようなものがベッドの周りに張って二人とそれ以外を隔てた。相変わらずの見事な御業にアレクトーは感心した。

ひと仕事やりおえた顔のパリスに薄く笑いかけて、目を吊り上げたままの侍女に視線を移した。

この魔術は、像は通しても音が遮断される。二人を観察することは出来ても声を聞くことはできない。だから五感をフル稼働してアレクトーの体調を管理している侍女には耐え難い状態になったのだ。

アレクトーは上目遣いでちらりと見上げた。楽にしていて良い。侍女はため息をついた。二人を見守るように奥の椅子に腰掛けた。

それを見届けるとアレクトーはきらきらおめめのパリスに応えた。

「どこまで話したかな?」

「『その人』は夫を見限ってぇ、あと魔術師会に入った!」

「なるほど」

ひとつ頷くとアレクトーは目を瞑った。思い出に(こうべ)を巡らすように薄く目を開いてしばらく黙っていた。いつも落ち着きのないパリスは、しかしこの時は大人しくアレクトーが口を開くまで待った。


「魔術師会に入ったけど、特に訓練などせずともすぐに上位会員になれた。精霊の加護を複数以上受ける者は限られた魔術師の中でもとても稀だから」

「ねえねみたいに?」

「そうだね」

パリスはふんふんと頷いて目を輝かせた。

「すごいねぇ」

実際そうではあるが、いかにも6歳のこどものように声を高く上げてにこにこと笑った。アレクトーはくすぐったそうにはにかんだ。

「それに十全にその実力を見せ付けておいたんだ。戦闘適性の強い水の魔術を使える協力者に大水を打たせて、それを一瞬で打ち消した。余裕の表情だった。会長も、騎士団も、将軍も、王子も呼んだ上で、全てを戦かせた」

「協力者はどれくらいの位なの?」

「聖職者だが、神聖騎士の称号を賜った方だった」

神聖騎士(パラディン)さま!」

大げさに目を見開いて、パリスは少し考えた。

騎士の上に立つ神聖騎士は神々や精霊の力を使う者しか成れない。要するに魔法騎士であるが、魔術師の中でも銃火器に引けを取らない戦力を持つ者でなければ頂くことの出来ない位だった。

「騎士」と名のつくものの、大型兵器レベルの戦力を持つ魔術師なら与えられることもある。神聖騎士の中でも実際に騎士(兵士)である者と、称号を持つだけの魔術師がいるのだがそれはまた別のお話。

どちらにせよ、魔術を扱う者なら付与されること自体が最高の褒賞である。

「どのくらいの力を出してもらったの?」

「7割くらいでと頼んだよ、流石に全力は出してくれなかっただろうから」

「お互いの能力をお互いに知っていたの?」

「そうだよ」

「じゃあ協力者は『その人』のことを大切にしていたんだねぇ」

この国では戦力の秘匿のため、魔術師同士の力試しは倦厭されている。だから実力を測るために、対抗属性の魔術師に協力するなどかなりの信頼関係がないとできない。まず、互いの能力を明かすこと自体に強い絆を感じさせる。しかし互いに能力を知らなかったとしても、信頼の上で最高の秘密となる自身の能力を使って協力をしたならば、それはそれで磐石の信頼関係が背後にあるのだろう。

暖かな目で『その人』と『協力者』に思いを馳せるパリスに、アレクトーは鼻の奥がツンと痛むのを感じた。

「きっと、そうだね」



件の人物が魔術師会内での地位を一足飛びに上り詰めたのには理由があった。内戦が落ち着かぬうちに外国からの侵攻が加速していたのである。

強固な守りを誇っていた海岸の防衛網が崩され、更に守備の要である、たった一つの大陸との繋ぎ目を突破されたのだ。そこへ大将として派遣された父は第一に戦死し、兄も海岸防衛ラインへ長期派遣されると慣れぬ土地の気に病み危篤となっていた。

間に合わなかった父のように兄を死なせる訳にはいかない。急遽冠位魔術師、もしくは神聖騎士になる必要があった。兄の管轄地域の冠位魔術師は戦死したためその空席に自分がつこうとした。神聖騎士を頂くほどの魔術師であればそれはより簡単なこととなる。

しかし、間に合わなかった。


絶望の中、様々な戦場を炙って周った。灯して()いて、焼いて燃やした。焦がして、(あぶ)って、尽くして、(いぶ)ったら、また()べた。

何千、何万を燃やしたろうか。

どれほど命を葬っただろうか。

いくつの死体を踏み付けただろうか。


悲しみが薄れ、はっきりと無意識(イド)から浮上した時にはもういっぱしの将兵となっていた。

野営や粗食に慣れ、行軍に疲れず、兵士たちと笑いながら罵り合った。御託の並ぶ司令室でシニカルに口角を上げ、大将の重たい尻を蹴り上げた。

海岸線を焼いて周り、冠位・業火の魔術師として国内外から畏れ敬われる存在となった。

既に爵位をもつ男の妻ではあったが、王都に戻ればきっと上級爵位を叙勲されるだろうと言われていた。

しかし彼女の凱旋は叶わなかった。

戻ろうと、戻りたいとも思っていなかったのかもしれない。


彼女の帰るべき家は既にその価値を持っていなかった。


「さぁ、パリス」

姉の静かな声にパリスはびくりと震えた。優しい声を発したその口の上部には悲しいまなこが揺れていた。秋晴れの朝の小麦畑のようなその虹彩は乾いていた。泣いているかと思ったのに乾ききっていた。話の途中で思わず握り込んだやわらかいアレクトーの手はひどく冷えていた。

動揺するパリスの頬を撫でてアレクトーは言った。

「お前が必要だ」

パリスの下がっていた眉は一気に引き上げられた。目を見開いて、冷静な顔から飛び出した熱烈な言葉に更に動揺した。大人の青年のような反応にアレクトーはふ、と笑った。

パリスは動揺するのと同時に理解した。


()()はアレクトーの物語だ。

「その人」は、「業火の魔術師」は。

「彼女」は。

彼女(アレクトー)自身だ。


アレクトーに甘えたくて幼く振舞っていてもパリスは学者でさえ言葉で殺すような頭脳を持っている。アレクトーの真意を探ろうと彼の目が、耳が、肌が彼女の全てを探っていた。

「私にはお前が必要なんだ」

「どうして」

パリスはぐっと一度口を引き結んで、言葉を飲みこんだ。長姉(ちょうし)にやっつけられてボコボコにされた自尊心が彼自身を(おとし)めようとしていた。

アレクトーはそれを遮るようにまた弟の頬を撫でようとした。今度は力の調整が上手くいかず、まだ冷たい親指は伸ばすように肉を引っ張った。

「お前は賢い、誰よりも賢くなる」

「メリアねえさ」


「私の司令(ずのう)になって欲しい」


アレクトーは話し疲れたのか、ついにベッドの大きなクッションにぐったりと体を預けた。しかしその目だけは聖川のように澄んでいた。清らかな川の水が小麦畑に流れ込んでいくような目だった。決して冗談でそのようなことを言っているわけではないのだ。

パリスはまだ頬に留まるアレクトーの手を握り込んだ。冷え切った姉の手とは反対に、燃えるように熱い手の平で熱を分け与えるようにその手を包んだ。

"The greatest pleasure in life is doing what people say you cannot do." -Walter Bagehot


ビタミンB1/2の海に沈みたい。

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