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業火のメリア  作者: 辺獄ダンス
4/9

我変わらず、されど捨つ

あれは水曜のことだった。

トリアイナ家は貴重な医術士を大急ぎで呼び寄せてアレクトーの処置をさせた。できることなら皆復術士(ヒーラー)を呼び寄せて傷を完全に塞いでしまうのが一番良いが彼らは最も貴重な魔術師である。流石に急には呼び寄せられなかった。しかし皆復術は事前に本人の生命力を前借りして傷を瞬時に塞ぐので後追いの()()がきつい。体力を使い果たしている10歳の女児に使うにはリスキーで、後から考えれば逆にそれで良かった。むしろ皆復術士を連れてこれても施術は断わられていただろう。


三日後の土曜はそれは美しい日だった。

広い庭の、見事な借景は夏の訪いを喜ぶように輝いている。花々は人には描けぬ絵画を描き、草と樹木が耳に心地よくさざめいていた。計算されつくした位置に立つ、白亜の東屋にはその美しさに見合った四人の人間が座っていた。トリアイナ侯爵、侯爵夫人、嫡男と長女である。

彼らは一人の少女を待っていた。二女、アレクトー・メリアスの参上を。

「お待たせ致しました」

アレクトーは目を神経質に吊り上げた侍女に伴われてやってきた。普段よりは顔色は悪いが、医術士の漸進回復(リジェネ)のお陰で傷口は動いても問題ないほどには塞がり始めていた。三日前からは見違えたように血の気を取り戻している。

真っ白なワンピースをはためかせた風に一瞬目を細めたが、嫡男・ヘクトールの手を借りて父の隣に着席した。席に落ち着くなりヘクトールが口を挟んだ。

「メリアス、何もお前が来ることはなかったんだ。今すぐ部屋に帰ろう」

優し気な眉を歪めて大真面目にアレクトーの手を握る兄に、長女・クレウーサが笑みをこぼした。表情を変えない父はアレクトーに目線で是非を問う。

「ただ寝てばかりいるのにも飽きてしまいまして」

アレクトーは眉を下げてヘクトールを見上げた。いじらしいその様子に父以外の三人はため息を漏らした。不安げながらもヘクトールは椅子をアレクトーの真横につけて座った。

父はというと侍女のピリピリ(いき)り立つオーラを見てふむとひとつ頷いた。

「短く済めば良いがそうもゆくまい、異変を感じ次第報せよ」

「畏まりました」

何故か侍女に向かって言った。侍女は神妙に頷いた。クレウーサの視線もひたとアレクトーに向けられたのを確認すると父・トリアイナ侯爵は一通の書状をアレクトーに見せた。

乳白色の一級紙に流れるような優美な文字で書かれた、この度の事故に関する陳謝から始まる慰謝料協定書だ。内容を深くは理解できないだろうと侯爵は下の方の段落を指さす。アレクトーは無感動にその個所に目を向けた。

「お前を殺しかけた詫びがしたいそうだ」

左様(そう)ですか」

全く温度のないその声を聴いて侯爵夫人とクレウーサは驚いた。アレクトーの人格に変化があったことは知っているが、この話に喜色も浮かべぬとは思っていたなかったのだ。

「生死を彷徨うような大きな傷を負った過去は、貴族社会において大きく倦厭される。例え傷跡を完全に消すことができるとしても」

「はい」

「アイギスが三男との婚約を申し入れてきた」

「左様ですか」

あまりに冷淡な返事に侯爵もやや目を開いて驚いた。

アイギス侯爵家の三男、アフェトル・アイギスと言えば稀代の美少年として名高い人物である。アレクトーと同い年ながら、王家からは勿論、有名無名の貴族家からも見合いの話が山ほど来ているという。

このアフェトルという少年にアレクトーは一度会ったことがある。王家だか大公だかの開いた子どものための交流会でのことだった。極端に大人しい性格ながらも一端の女の子であったアレクトーは他の令嬢の例に漏れず、アフェトルの美貌を遠くから見つけて頬を赤らめていた。侯爵夫妻は恐らく恋でもしたのだろうと踏んでいたがこの様子では明らかに違う。夫婦は数秒見つめあってこれはどうしたものかと沈黙のうちに相談した。

タイミング良く異常に機嫌のよいヘクトールが発言した。

「もっと喜ぶかと思っていたよ」

にこにこと人の好い笑みを浮かべて侯爵の反対側から妹の頭を撫でた。アレクトーは心地よさそうにヘクトールに頭を寄せた。子犬のような人懐こさにそこにいる全員がまたため息を漏らす。

しかし早く話を進めたい、侯爵は茶をひとくち含んで口を開いた。

「どうだね、メリアス」

アレクトーは呼ばれてきょとんと侯爵を見た。父と数秒を視線を交わすと俯いて何やら考え始めた。無邪気だったその目に理知的な光が浮かび上がった。

「お父様はどのように考えておられるのですか?」

侯爵はアレクトーの口ぶりに今度こそはっきりと驚きを表した。王国陸軍中将の位を頂き、日々総合作戦司令本部に詰めがちな父は、今日までろくに娘と言葉を交わす機会がなかった。アレクトーが()()()()ことは知っていてもどのように変わったか体感することはなかったのだ。しかし徹頭徹尾冷静沈着の名将と謳われる彼はすぐに頭を切り替えて話を続けた。

「我が家としては正負どちらの側面もある」

是とも非とも分からぬ物言いにアレクトーはヘクトールへ振り返った。ヘクトールはなぜ妹が自分に意見を求めてくるのか分からず困ったように眉を下げた。

ヘクトールに特段意見がないのを見ると今度は姉の方に目を向けた。クレウーサはただ静かに微笑んで紅茶をすすっている。アレクトーはまた少し考えて父へ視線を戻した。

「お父様の仰せの通りにいたします」

その言葉に一番目を剥いたのは侯爵夫人であった。思わず持ち上げかけたカップをガチャンと置いて身を乗り出した。

「お前はどうしたいの?アフェトル()を憎からず思っていたのではないの?」

母親の剣幕に驚いてアレクトーが身を引くと、後ろからヘクトールが言った。

「そうだ、メリアス。父上はお前の希望を尊重しようと考えていらっしゃるのだよ」

寡黙な父親は時として必要なことさえ言わないことがあった。アレクトーはやっと父の言わんとすることに気付いた。一瞬猫のように目を細めたがすぐになんでもない表情に戻った。

「そういうことならばご遠慮申し上げます。アフェトル・アイギスに思うことはありません」

侯爵はふむと顎髭を触った。精悍な顔つきが、ものを考えるとより険しくなった。決して機嫌を損ねた訳ではないので家族は気にしていなかったが使用人は震えていた。

クレウーサは使用人の様子に苦笑した。

「それもそうでしょう。そもそも傷害の賠償が婚約などと、大した自信ですわ。更に美しい男の妻は苦労も多い。結婚相手として考えるにしてもいま少し彼の人となりを見てみる必要があるでしょう」

「それもそうね」

長女のもっともな言葉に侯爵夫人をはじめ、アレクトー以外みな頷いた。ヘクトールなどは何度も頷いて妹二人の冷静さに満足している。

「では代わりに何を獲るかだな…」

侯爵がちらりと目を向けるとアレクトーは素直に頷いた。娘から何も要望が出ないのを確認して大人たちは何やら話し合う。アレクトーは立つこともできず大人しく座って結論を待った。侍女の厳しい目が体調の変化を監視していた。

手持無沙汰な彼女を慮って、使用人がクッキーやチョコレートなどのお菓子を持ってきた。執事が見事な手さばきで一級の茶葉で紅茶を淹れる。アレクトーはエンゼルフードケーキの軽い食感を楽しんだ。久々のスイーツを堪能しているといつの間にか大人の話し合いは終わっていた。

リラックス雰囲気になったのでアレクトーはフォークを置いて父をじっと見つめた。新しい茶を飲み干して満足した侯爵はアレクトーの視線に気づいた。

「何だね」

「お願いがございます」

侯爵は頷いて続きを促した。アレクトーは一度下を向いて、クレウーサを見た。クレウーサは変わらず微笑んでいる。何のお願いをされるのかワクワクしているヘクトールを尻目に侯爵へ振り返った。


「ウーリッジに入りたいのです」


空気がしんと静まり返った。

侯爵の恐ろしい顔は変わっていないが、周りの空気が止まっていた。

「……なに?」

「ウーリッジ…?ウーリッジだと…!?」

ヘクトールはわなわなと震え始めた。そして突然大声を上げた。

「駄目だ!絶対に反対だ!なぜそんな危険な所に!よりにもよって!」

「まぁ、ヘクトール。声を抑えて」

「煩いわ」

必死の絶叫に侯爵夫人とクレウーサは耳をふさいだ。ヘクトールはギリギリと目尻を吊り上げて父親を睨んだ。アレクトーの反応が声の大きさに一瞬振り返っただけだったので、父親に制してもらうほかないとすぐ悟ったのだ。侯爵は相変わらずのいかつい顔でアレクトーを見つめていた。

王立士官学校(ウーリッジ)か。女子が通うような学校ではないことは知っているな?」

「もちろんです」

全く動揺のない、まっすぐな視線に侯爵は片眉を吊り上げた。一瞬侯爵夫人を横目で見ると彼女は目を丸めたまま首を振った。訳が分からない。満場一致の感想である。

侯爵は執事へ顔を向けると小さな声で「気でも狂ったか?」などと娘の正気を確認した。アレクトーが目を覚ました時にヘクトールを連れてきた、あの老執事である。彼は、お気は確かかと、などと返事をしている。ヘクトールはそんな父に、絶対に許すなよ?絶対にだぞ?と恐ろしい威圧のような嘆願をしている。

みんながそれぞれ困惑するなかアレクトーはお構いなしに2発目の爆弾を落とした。

「できれば騎士科の近衛専攻を取りたいのですが」

侯爵と嫡男は今日一番の驚愕に見舞われた。


今の時代、騎士と言えば既に名誉称号になり果てた古い兵科である。重装騎兵にまで取り上げられれば戦の華だが、銃火器の登場以来、後方待機や掃討に駆り出される他はお荷物と化している。称号としても、それを取るのに見合った見返りがあるとは言い難い。本当に名誉にしかならない、さりとて、それゆえ貴族の身でその称号を賜ることがステータスとなる、トロフィー要素なのである。

すなわち、騎士とは重装騎兵への確定した道筋でもなければ貴族でも平民でも進んでなりたいものではない。騎士科はあれど、そこに入る者も、その評価も低いものなのだ。

近衛専攻となると話は少し変わって来るが、それには現在の騎士の地位の低さとはまた違った()()がある。

近衛騎士とは近衛軍の超上級職である。王族の護衛を完璧にこなし、ある程度賢く、外見が美しくなければならない。しかし最後の条件・顔の良し悪しだけは近衛兵としての実力に如何によっては無視される。それ故に士官学校の騎士科近衛専攻はかなり扱かれる。近衛専門学科があるのに騎士科にわざわざ専攻クラスが作られる程、別次元の教育を施される。正直、学校で1、2を争うほど厳しいクラスなのだ。

そのようなところに、軍人家系とはいえ貴族のいち令嬢でしかない娘が通いたいという。軍部に身を置く二人の男性が記憶を消去してしまうのも仕方のない話だった。



専門用語と造語と傍点多~!

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