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業火のメリア  作者: 辺獄ダンス
3/9

家族の肖像 天秤を持つヘレノス

トリアイナ家の長男であるヘクトールは明るい廊下を険しい顔つきで歩んでいた。

二人目の妹であるアレクトーが意識を取り戻したという知らせを聞いたからだ。否、それよりも意識を取り戻した妹が発したという奇妙な発言が気がかりなのだ。


軍部全ての智を担うと言われる名家・アイギス家の三男が放った矢に妹が倒れた。妹の処置は名医を呼び寄せて万全に行われたが、その後高熱を発し4、5日ほど経つ。医者によれば傷口が塞がるまでは確かなことは言えないが、後遺症が残る可能性がゼロではない。かなり長く発熱が続いているため、下手するとそれは体や知能に影響するかもしれないと。もしそうなったなら早急に対処と治療法の研究を始めなければならない。可愛い妹に不憫な生活を送らせたくはない。

ヘクトールは誰にでもなく一歩ずつ目から威嚇射撃を繰り出しながら歩いた。瘴気を込めた弾丸のような恐ろしい視線をビシバシ受けて背景に溶け込んだはずの使用人達は冷や汗をかいた。


妹の部屋の前に辿り着くとひとつ息をついた。

そのままの顔で中に入っては泣き出されかねない。傍についてきた老年の執事へ向くと、彼は頷いて扉をノックした。中から了承の声が聞こえて扉は開かれた。

中に入ってまずアレクトーを見ると気の毒なほど青白い顔が目に入ってきた。トネリコの樹皮のような優しい茶色の髪はそのみどりの輝きを失っていた。ヘクトールはアイギス家三男への怒りがぶり返すの冷静に抑えた。徐にアレクトーへ近付き、ベッドサイドに腰掛けた。怯えさせないように顔の筋肉を総動員して平静を保った。

ボーっと目の焦点の定まらぬアレクトーは起きたばかりらしい。妹を観察するヘクトールに侍女が言葉を掛けた。

「なるべく短い時間でお済まし下さい」

「話せないか?」

「あまり負担を掛けぬようにとのことです」

「分かった」

二人が会話していてもアレクトーの意識がそちらに向くことはなかった。不安を押し込めながらヘクトールはアレクトーの頬を親指の腹でそっと撫でた。

「我が妹よ」

呼び掛けるとアレクトーはゆっくりとヘクトールに視線を移した。

「お前の名を言ってみろ」

「メリアス」

問われてやや間を空けてゆっくりと答えた。ヘクトールはひと安心して用意していた次の質問を口にした。

「今お前は幾歳か」

アレクトーはやや俯いて、拳を握った。視線を横にずらしたり、使用人に向けたりした。しばらくすると結論を出したらしく、意志がはっきりと蜜色の目に宿った。

「分かりません。いくつでしょうか」

その言葉に、言葉を発する態度にヘクトールは強烈な違和感を抱いた。まるで10歳やそこいらの子供が持つものではなかった。しかし顔かたち、声はアレクトーそのままである。いったん違和感を横に置いて質問を重ねる。

「ひと月前に誕生日を迎えたばかりだ。覚えていないか?」

「いえ」

アレクトーはそもそも大人しい性質(たち)の女の子だ。それにしても兄の質問に軍人張りの短く明瞭な返事を寄越すことはなかった。

「お前に加護を与え給うた方のための名は?」

「アレクトーです」

「・・・家名は覚えているな?全ての名を言ってみろ」

「アレクトー・メリアス・トリアイナ」

「よろしい」

ヘクトールは安堵の息をついた。アレクトーは戸惑いも見せずに流れるように答えた。ある程度の記憶は保っているようだ。

次の質問は緊張をもって尋ねた。

「私の名は。私は何者であるか」

「ヘクトール兄様、私の壱の兄上です」

「家族構成を」

「どこまでご説明申し上げれば良いのですか」

「1親等内で良いだろう」

「・・・父、母、兄が3人、姉と弟。妹は()()おりますか」

今年2歳になる末妹への発言に息を飲みつつもヘクトールは頷いた。少なくてもここ3年の記憶はあるようだ。それにしても不安や疑問の表情を見せずに淡々と答える妹にヘクトールは心配を募らせた。180度とは言わないが90度ぐらいは性格が変わっている。これはやはり高熱の後遺症なのか。思わず額に手を当てるとアレクトーが心配そうに彼を見た。

「兄様、私は今年いくつなのですか」

「10歳になったばかりだ。イチジクが実をつけはじめる頃にお祝いをしただろう、覚えていないか?美しい日だった」

アレクトーはその日を思い起こすように目を伏せた。インクに別の色を落したように怜悧な眼差しが温かく緩んだ。

「覚えています。兄様に頂いたイチジクの葉の髪飾りが気に入らなくて泣きましたね」

ヘクトールは詰めていた息を全て吐き出した。妹の柔らかな笑みに変わらぬ本質を見出したのだった。

「すまなかった」

アレクトーをできるだけ優しく抱き寄せて頭の天辺に口付けた。

あの日、曇りから徐々に雨が降り出すようにアレクトーは泣いた。女児の大人しい泣きべそは可愛かったが、アレクトーは泣くことすら滅多に無い。居合わせた男兄弟は全員取り乱して長女に怒鳴られた。一家の父というと無表情のまま呆れ、母は末妹を抱いて面白そうに笑っていた。

ヘクトールは思い出に浸り、柔和な顔を取り戻した。元々母親譲りの優しい顔立ちをした青年なのだ。

「あの時は物を贈るセンスの無さに絶望したよ」

アレクトーに初めて自分で贈り物を選んだと思ったらこの体たらくである。ヘクトールが割と本気で腹の底を冷やして言うとアレクトーは純粋に笑った。

「私はイチジクよりオリーブの方が好きです」

「ならば次からはオリーブを意匠に選ぼう。花ならばどうだ」

「キンセンカやサフランが好きですよ」

「そうだったのか、お前は花には興味が無いかと思っていた」

「あえて言えば、というところです」

アレクトーは曖昧に笑った。あまり胸を張って言える理由ではないのだろう、変わらない部分にヘクトールは笑みを深めた。


ひとしきり朗らかな雰囲気が過ぎるとヘクトールはアレクトーの全身を見回した。可愛らしいフリルの白い寝巻きの下には包帯が何重にもぐるぐる巻いてある。大きなクッションに背を預けたアレクトーに苦痛の表情は無いが、忘れたはずの怒りがふつふつとまた煮立つ。ヘクトールは腰まで伸びる妹の長い髪を掻き分けて耳にかけてやった。

「おや、また髪を尻で踏んでいるぞ」

「そうですね」

兄にまるく眉を下げてからかわれてもアレクトーは穏やかに答えた。いつもなら恥ずかしがって顔を赤らめていた。突然精神だけ大人になってしまったような妹の様子にヘクトールは寂しさを覚えた。

しかしまだいくつか確かめておきたいことがある。気持ちを切り替えて、口を開いた。

「辛くはないか?」

「いいえ」

「それならもういくつか聞きたいことがある。良いかね?」

「なんなりと」

アレクトーはしっかりと目を合わせて頷いた。

ヘクトールは大きく息を吸って、アレクトーの右腕をポンと叩いた。


「念のためにお前が何を覚えていて何を覚えていないのか確認しておこう。国の名や、我が家の立場、お前に加護を下さっている方のことだ」

ヘクトールはちらりと老執事を横目で見た。老執事は頷いて全ての使用人を部屋から退出させた。部屋の奥から長い柄付きのベルを持ってくるとベッドサイドに置いて、彼も部屋から出た。


魔法使いや魔術師と呼ばれる人間は精霊や神の加護を賜ることで超自然の力を扱っている。

アレクトーやヘクトールはじめ、トリアイナ家の人間はすべからく何らかの加護を賜ってきたがそれは尋常のことではない。王家の人間ですら加護を賜らないことがある。この世界に魔法使いや魔術師は総人口に対して3%程しかいないと言われている。上位の存在に加護を賜ることそのものが稀少なことなのだ。

稀少な人間である上に、軍事力として使()()のに効果的過ぎる。

よってどの精霊からどのような加護があるのかは極秘事項として扱われている。


ヘクトールはウェストコートの内ポケットからひとつ羽根を取り出した。ガラスで出来たような繊細な美しい透明な羽根をバキバキ折りたたみながら両手に閉じ込めた。息をふっと吹き掛けて空気中にそれを放つと幻影のように消えて行った。

羽根に込められた風の魔術が二人の声を掻き消してくれる。いわゆる傍盗聴妨害用具である。


「さぁ、始めなさい」

アレクトーは頷いて、年齢と照合する限りの記憶を頭に思い浮かべた。

「我が国はプレタニケ・レウコン。古にはトゥーレやエリュシオンなどと呼ばれていた地。ヘラス西端のドーリア人小王国であります。最近、()()()どもにはアルビオンなどと勝手に名付けられております」

最後の皮肉な響きにヘクトールはやや笑った。頷いて顎をしゃくった。

「続けよ」

「我らトリアイナは約2000年の歴史を誇るプレタニケにて、王家の槍として信任を賜る古き一族です。歴代みな、水の精霊(ニュンペー)に加護を頂いております。私は大金盞のお方(クリュティエ)冥応みょうおう頂いております」

全てを淀みなく言い切ったアレクトーにヘクトールは感動と戸惑いを覚えていた。

10歳の女の子が使わない言葉、表現、そして表情。まるで学者のように淡々と全ての質問に答える態度は堂に入っている。一瞬参謀会議室にでもいるかのような錯覚を覚えた。

「家族の名前はどうだ、誰か言えない者はいるか?」

「・・・流石に3親等より遠のくと分かりません・・・」

ヘクトールはその言葉に吹き出した。末弟・パリスは6親等までの親族の名前を暗記しているがアレクトーはあまり記憶力の良い子ではなかった。

所存なさげに俯くその顔は一週間前に見た困り顔となんら変わりない。ヘクトールは冒頭の記憶の混濁が高熱の影響の一つであると大方判断し、引き付けの止まらぬ横隔膜に力を入れた。要するに笑いを堪えようとした。

「お前が矢に射られたあの日─」

思い出してヘクトールは眉を歪めた。アレクトーから視線を外して、戻した。アレクトーは表情を変えずに続きを待っていた。あの事件に関して思うところが無いのか、起きたばかりで状況を把握していないのかは分からなかった。

「お前が呼びかけたのはレーテーだったように思うが」

「・・・」

アレクトーは考えるように俯いた。答え如何によっては父への報告重要性が変わる。もしアレクトーがレーテーへ呼びかけたと言うのなら、それにレーテーが応えたと言うのなら彼女は加護を二重三重に受けていることになる。どのようなものでも加護を受けること事態が稀であるのに、複数となるとことは重大である。ヘクトールは戸惑いと不安を押し隠すように無理やり笑みを口元に貼り付けた。

「あまりよく覚えておりませんが、言われてみればそうだったように思います」

ぎゅうと首を締めるような音が鳴った。驚いてアレクトーが音の出所を見やるとヘクトールの手は硬く握り込まれていた。あまりに強く握られるので更にギリギリと音を立てた。

「兄様、お手が・・・」

アレクトーは枕に預けていた体をおもむろに起してヘクトールの握りこぶしを掴んだ。その指をやわやわと触る。手の甲からゆっくりと指の方に尺取虫のように張っていった。ふにふに、ふにふに。きつく締まった親指と人差し指の間をほじくるようにアレクトーの指は蠢いていた。

遊んでいるのか何かとヘクトールが妹を見やるとその顔は真っ青だった。最初に見た時よりも酷く生気を失っていた。あれは遊んでいたのではなく、指を開かせようとしても手に力が入らなかったのだ。

ヘクトールも同じぐらいに顔を青ざめさせると光の速さでアレクトーをベッドに横たえた。

りりりりりりーん!

ベルを引っつかんでけたたましく鳴らした。

老執事に助けを呼ぼうとして扉へ振り返ると鬼の形相をした侍女に睨み付けられた。 余りの怒気にビビっていると老執事に丁寧にベッドから追い出され、医師がそこへ入った。すぐさまアレクトーの状態を確認し始めた。ヘクトールは医師の後ろからそわそわそれを眺めているとアレクトーが彼の名を呼んだ。

ヘクトールは飛び上がって先ほどとは反対から侍女を押しのけてアレクトーの側に割り込んだ。

「すまなかった、メリアス。もう休むんだ」

震える声で懺悔するヘクトールに使用人一同は瞠目した。ただし侍女のそれは目を剥いて怒り狂っているので少し毛色が違う。

そんなこんなの異様な空間の中、アレクトーはまだ握り込まれたままのヘクトールの拳を弱く握った。弱く微笑んで握りこぶしの親指と人差し指の間に自分の指を刺し込もうとする。

「兄様、怪我をしますよ・・・」

空気だけ吐き出すように囁いた。



おじさんがなかなか出てこない…!

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