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業火のメリア  作者: 辺獄ダンス
2/9

死にたがりに英雄なし

アレクトー、私のアレクトー。


来てはならぬ、見てはならぬ。


ムネーモシュネーへ振り返れ。そちらの水を飲んで行け。


紡錘(つむ)を繰る手は止められぬ。主はお許しを下さった。


小枝を見つけよ。翼を捕らえよ。


前を向け、前を向け、かわいい子。




「レーテー?なぜ?」

問うた言葉は音にはならなかった。







キュウウンと鹿の高い声が響いた。

茫然自失のアレクトーはハッと浅く息を吸った。空気を取り込んだことで(もや)の中であがいていたような白昼夢は終わり、体の全ての感覚を取り戻した。強い夏の日差しにホワイトアウトしていた視界が像を結び始めた。世界に色が戻る。

目の前には新緑の青々とした林が広がっていた。しかし目線を下げると戦場で受けたはずの矢が間違いなく胸部に刺さっている。

矢から火が上がったように傷口が熱を持ち、アレクトーは震える手で矢を握った。

『ある』

業火を呼び、全てを灰に返そうとした瞬間に刺さったあのトネリコの矢がそこにあった。同じものか断定はできないが刺さっている位置と言い、貴重なトネリコ材の矢と言い明らかに戦場から()()は繋がっている。アレクトーは、しかしもうそのことに構っている余裕はなかった。


林の中から木を踏み折る音がして、アレクトーは我に返った。

とにかく刺さった矢を取り除きたい。グッと力を入れて矢を動かしてみると身を引き裂かれる痛みが全身に奔った。グアとかグエとかいう己の獣じみた呻き声に驚きつつもアレクトーは地面に膝をついた。そうか、こんな痛みなのか。手も地面について、草と土ごと握り込んだ。


荒くなる息を落ち着かせるために気管を緊張させた。今さっき取り戻したはずの世界はまた色を失い始めた。胸のあたりが暖かく濡れていく。多い、思ったよりも早いペースで血が流れ出ている。横になりたい思いを出血を抑えるために諦めたとき、唐突に気付いた。

待て。なぜ私は生きようとしている?


痛みと熱さと疲労がどっと一気に押し寄せた。アレクトーの脳裏に戦場がフラッシュバックする。

焦げた匂い。熱い、暑い。アレクトーから放たれる熱気に比べ傷口の温度などまるで温い。倒れた人間の体。敵味方混じった遺体たち。しかし同胞の、力を失った双眸は満足げに笑っている気がした。

そうか、そうだな。もういいじゃないか、疲れたんだ。

指揮官を()()()かどうか定かではないのだけが心残りだ。


アレクトーは地面に肘を付けた。体の重心を左に傾けようとした瞬間、女の悲鳴が空気を引き裂いた。

「お嬢様!?お嬢様!!」

芝を疾走する音が一瞬で近づき、横になりかけていたアレクトーの両肩を掴んだ。体を貫通した矢に女は短く喉をヒクつかせたが、すぐにアレクトーを抱え起こした。

「いけません、このまま頑張って下さい。誰か!誰かー!」

直後にドタドタと数人の足音が近づくのとともに林側からも人が近づいてきた。警備兵が何奴と声を上げるのにつられてアレクトーもそちらを見た。

数人の人影が勢いよく林から出てきた。猟師風の男たちがこちらに駆け寄りアレクトーを認めた途端に顔を青褪めさせた。遅れて一人の少年が男たちを割ってアレクトーの眼の前に躍り出た。ばっちり目が合った。


陽の光を透かしたような眩い金髪に、芸術品のような端正な顔。暁のような不思議な碧眼がふたつくっついている。それはまっすぐアレクトーの目を見つめ返してきた。アレクトーがこの世で最も見たくない人間の(かお)だった。


少年はアレクトーを見て、体に貫いた矢を見た。目を見開いた。少年が放ったものだったのだろう。シルクのリボンでまとめられたゆるいウェーブが揺れた。その髪の毛の揺れさえアレクトーには不快に感じられた。

「アドニス、貴様…」

視線で人を殺せたらどんなによかっただろう。アレクトーは少年を強く睨み付けた。彼にしか聞こえないような低い囁きで威嚇してみたが、消えてはくれなかった。顔色の悪い人間の一瞥ではそう効力もなかったのかもしれない。

なるべく少年を見ないように地面へ視線を移した。夏の日差し、林に広がっていた新緑は地面にも広がっていた。人々の足は大概が茶色や鈍色だったが女の濃紺のスカートや白いエプロンがちらつく。そして、恐らく気のせいだが、少年の髪や目に反射した日光の輝きがどこかをどうにか曲がって下を向くアレクトーの目に叩きつけるように入って来た。

色の、色の暴力だ。


アレクトーは目を閉じて一生懸命情報を遮断した。服の中で冷たい汗が背中を一筋流れたのを感じる。その様子を見て女が顔を青褪めさせた。アレクトーが倒れないようにより強く抱きしめて、警備兵の一人と何やら話し出した。

「駄目だ、医者に切らせた方が良い。それにこの矢はトネリコだ、容易には切れない」

「このままで傷口を広げずにお連れできますか?」

「できるかどうかという問題ではないだろう、それより早く…」

耳元で二人が話し合う声の向こうで他の警備兵と林から出てきた男たちが言い争いを始めた。どういうつもりかとか何故この林に入っているのかとか相手を詰問している。アレクトーはいよいよ意識が朦朧としてきた。己の生死はどうでもいいが体の不快感は早く何とかしてほしい。自立することは諦めて体重を他人に預けた。

アレクトーを支えていた女がぐらついたのを見て、警備兵が手を貸す。アレクトーの手先の冷たさに警備兵は眉を歪めた。

脇と膝裏に手をさしこまれ、疑問に思う。随分と縮尺がおかしい。警備兵も女も戦場のアレクトーと大して変わらぬ年齢に見えるが、それにしては相対的にアレクトーの体はかなり小さかった。まるで子供のころに返ったようなサイズ感だった。

しかしそれを確認している余裕もなくアレクトーはなされるがままに従った。椅子に座った体勢を側面から抱き上げられた。重力に引きずられて頭から血が引いていく。酔いに似た感覚を黙って耐えた。じわ、と服に血の染みが更に広がる。

俯いていることと、警備兵と言う側面の壁が出来たことで世界に影が落ちた。目蓋の裏から入ってくる情報量が一気に減り気分は少し楽になった。

「めりあー!」

唐突に幼い声がアレクトーの字*を叫んだ。鼻水をすする音と叫び声と走り寄る音が騒音をまき散らしていた。アレクトー以外全員が声の元を振り返ると4、5歳の小さな男の子が使用人を引き摺っている。使用人はいけませんとか止まってなどと声をあげながら必死に抵抗しているが、男の子の勢いには勝てずついに一行の元にたどり着いてしまった。

「めりあー!」

男の子は大音量で泣きながらアレクトーに突撃し、抱きついた。

「ねーね、死んじゃいやあ!」

抱きついたというより縋りついて警備兵からアレクトーを奪おうとする。引き摺り下ろそうと必死にアレクトーを抱き上げる警備兵の腕に体重をかけた。シャットダウンしたはずの情報が鉄砲水で返ってきた。

アレクトーは男の子を見やる気力も、言葉を掛ける力もなくひたすら成されるがままにしていた。ねーねと呼ぶその声に即座に反応できるような覚えもなかった。アレクトーに10歳以上離れた弟はいない。しかし男の子が字を呼び捨ててくることは当然のことのようにも思えた。とにかく自身以外のものに注意を向ける余裕はない。ただ、泣く声がうるさくてうるさくて仕方がなかった。

「坊ちゃま、お放し下さい」

「坊ちゃま!いけません、お放しなさいませ!」

警備兵が顔色も変えずに言い、使用人と女が必死に男の子を諭そうとする。男の子は(かぶり)を振って激しく抵抗した。少年の一行は他の警備兵と言い争っている。唐突な登場人物に舞台は混迷を極めていた。そうこうしている間にもアレクトーの血はどんどん服を浸していく。

ついに体温が下がり始め、今アレクトーに温もりを与えるのは警備兵の体温だけとなった。指が震える。

抱き上げられたり、引き摺り下ろそうとされたり、押し引きに飽きたアレクトーは警備兵の袖を引いた。警備兵が気付いて顔を向けると下を指差して2度振った。警備兵は意図を察してゆっくりと膝を折った。使用人と女の二人と揉み合っていた男の子が物凄い勢いで二人を振り切ってアレクトーに抱きついた。アレクトーはなんとか目をこじ開けて男の子を見ようとしたが首元をホールドされて頭が動かない。そもそも、もはや人相を確認できるほど視界もクリアではない。

「ねーねぇ!」

アレクトーは力を振り絞って男の子の背を撫でた。男の子はまだぐちゃぐちゃの泣き顔をアレクトーの首元にうずめてしゃくりあげている。アレクトーは腕を上げて男の子を抱え込むようにして目を覆った。何でもいいから早く泣き止んでほしかった。


「眠れ、レーテーの響きを聞け」


アレクトーのてのひらの冷たさに驚いた男の子は最期に涙をひとつこぼしたあと、意識を無くした。二人の女が慌てて男の子を抱きとめた。

しんと空気が張り詰めた。


アレクトーは腕から力を抜いた。だらりと腕が落ちた。急激に意識が遠のいていった。

『やりすぎたか』

小さな男の子ひとりを眠らせるのにに精霊を呼び出すのは度が過ぎた。過ぎた行いの対価として生命力を取られたようだった。

ガクンと頭が後ろに落ちる瞬間聞こえた声が酷く懐かしかった。低い、重たい、安心する大好きな声だった。


「レーテーだと」





*字:諱(ファンタジー世界で言う真名)の他につけられる名前。諱を呼ぶのが忌避される世界で付けられる第二の個体識別名。

すぐ三話投稿したい…!(原稿真っ白)(積みあがる調べもの)(まだ出てこないおじさん)

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