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天才魔術師とココリの秘術  作者: かのや 栞
4/4

#02 魔導師ミヤビ

§





 ジョエル通りの朝は早い。

 

 煉瓦の道路は荷馬車がギリギリ対向できるかの幅で、家々が壁のようにギッシリと並び建っているのが特徴だ。

 日はもうほとんど真上に来ているが、積み荷を乗せた馬車が闊歩している。途絶えることがない。何故ならばこの道の先には大きな市場があるのだ。そして、その入り口の一角にココリが向かう目的地がある。


(楽しみだな)


 ココリは紙袋を抱きしめ、笑みを含んだ。

 

 親友であるリィナは雑貨屋の娘だ。

 色々な物を取りそろえ、中には魔具を手入れするための特別な道具も扱っており、その品物の仕入先という関係から親しくなっていった。祖父が存命していたころ、今回と同じように配達を頼まれたこともあり彼女とは幼い頃からの仲になる。

 しかしお互いが店を営む者の身内である以上、こういうときにしか会うことはできなかった。今回も久々の再開となる。

 自然とココリの足取りは軽快になっていった。

 

 少し長い坂道を早足で昇ると頂上付近に人だかりが見えた。

 なにかしら。

 駆け足で近づいてみると積み荷が煉瓦道に散乱しているのがわかった。

 ココリはこの光景を何度か目撃したことがある。丁度急カーブになっているせいか、スピードを出しすぎて曲がれず転倒してしまう荷馬車が稀に居るのだ。

 しかも今回はかなりの積み荷を運んでいたらしく、それらは完全に交通を遮断していた。


(起こったところなのかな。まだ馬車はあまり溜まっていないのね)


 渋滞してしまうと人の通りさえ危うくなってしまうくらいごった返す。そうなると厄介なのだ。リィナのところへ到着する頃には日が暮れてしまいかねない。回り道をしても変えることには日が暮れてしまうだろう。

 

 そうしてココリは辺りを見回した。

 人々が散乱した積み荷の処理を気だるそうにこなしている。

 立っているだけじゃ待つだけだものね。早く片付くよう。と、手伝おうとしたとき「危ないから下がって」という男の声が聞こえた。その服装から警備隊の者だろうか。やがて現場を中心に人の輪ができた。

 民衆の一人が「おい見ろ、ミヤビだ」と囁く。


(ミヤビ……?)


 騒めきだす人々の視線の先に目を向けると、ウェーブがかった淡い紫色の髪の少年らしき人物が警備隊から何か指示を受けている様子だった。


「ミヤビって、あの魔導師のか?」

「あぁ、あの髪の色といい姿といい間違いない」

「子供じゃないか」

「バカ言え、ヤツはずっとあのままだって噂だぜ」

「バケモノかよ」


 そんなやり取りを聞きながらココリはミヤビを見詰めた。


(魔導師……)


 祖父以外の魔導師がこんなに近くに居たという事実に驚いていた。

 ルシウェルは知っていたのだろうか。店を訪れるのは魔術師ばかりだったのだ。なぜ魔導師は来ないのか。そんな疑問はいままでなかった。そして、祖父以外の魔導師の存在も疑わなかったし興味もなかった。だが、こうして身近に居ると知ってしまうと、彼がどんな人物なのか気になり出してしまう。

 周囲の人々には知られている感じがした――が、あまり良い印象とは思えない。

 怖い人なのだろうか。

 群衆の視線に乗せ、彼を見続ける。


(わたしが知らないだけで結構いるのかな?)


 そんなことを考えながらミヤビと言われた人物をまじまじと観察する。

 

 淡い紫色の髪は光の加減で銀髪に見える。

 綺麗だと、ココリは思った。

 ルシウェルも銀髪だがミヤビのものはもっと透明感があり、このまま光にさらされ続けていると溶けて消えてしまいそうな印象だ。とても儚い。そして肌もとてもきめ細かく、まるで精巧に作られた人形のように本当にキレイだとココリは感じた。

 疎まれる理由はどこにあるのだろうか。


(不思議な感じはするけど、本当に魔導師なのかしら)


 ココリは首を傾げた。

 どう見てもミヤビは少年なのだ。

 魔導師として経てきただろう歳月がまったく感じられない奇妙さに、その歳を疑わずにはいられなかった。若くして才能を開花させ、魔導師となる者もいるのだろうか――とココリが首を傾げた一瞬、ふと、ミヤビがコチラへ微笑んだ気がした。


 トクン、と胸が高鳴る。


「――ぇ」


 気のせいかしら?

 ココリがぽかんと呆けていると、ミヤビは懐からシルバーの懐中時計を取り出した。

 あれが彼の魔具だろう。懐中時計の頭についているねじをキリキリと捲き始め――やがて、チンッ! と短く鉄が弾ける音が聴こえた。小さな手に収まる大きさであるのに、始まりの音はハッキリと周囲に響き渡った。群衆が一気にざわめき始める。ミヤビを中心にドーム型の靄が広がっていき――それは転倒している荷馬車や荷物の一帯を包み込んでしまったのだった。


「始まるぞ」

 

 群集の中から男の声が聞こえた。

 皆が生唾を飲み込む音がした気がした。


 ――カチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチ――。


 耳に痛いほど響いている。

 ミヤビが持つ懐中時計からだ。

 鼓膜をつく異音に誰もがうめき声を上げている。

 思わずココリも両手で耳をふさいだ。キーンと耳の奥を突く鋭い痛みに思わず目を固く瞑って耐えようか迷った。しかしどうしてもミヤビの魔術を見届けたかったココリは歯を食いしばり耐えた。そして目の当たりにした。


(――う、浮いてる?!)


 道に横たわった荷馬車が軽々と持ち上がり、空中で体勢を立て直す。

 そのままの体勢で着地すると次は周りの積み荷がフワフワと浮き始めた。そして、それらも意志が宿ったかのように次々荷台へ収まっていき――何事もなかったかのように元に戻ってしまう。あっという間だった。


 ――チンッ!

 と、また短く鉄が弾ける音が聴こえ、靄はサッと行儀よく消えてしまった。

 辺りが静寂に包まれる。

 シンとした空気を破ったのは、群衆の歓喜の声だった。


「す、すげぇ」

「お見事!!」


 様々な拍手が起こった。

 事の中心にいるミヤビが静かに微笑んでいる。


(これが、この人の魔術なんだ……)


 見たことのない部類のものだ。

 まるで命を吹き込んだかのようにモノを浮かし、自在に操っていた。こんな魔術もあるのか。ココリも精一杯の拍手を送る――が、その視点がグラリと揺れた。

 

 なに、これ。

 

 ワケがわからず地面に手をついてしまう。

 体中の熱がサッと引いているのがわかった。貧血だろうか。それとよく似ていると思った。でもどうしてだろう。こんな風になるのは急に立ち上がったりしたときくらいだろうか。どうして今? 原因がわからない。

 

 必死に意識を保ちながら混乱していると、胸の奥深くがギリリと痛み「うっ」と思わず呻いてしまう。

 自分に何が起こっているのか全く把握できない恐怖に負けそうになる。どうしよう。怖い。ルシウェル助けて。目を固く瞑りながら思い浮べた彼はすぐ傍に居ない。助けてはくれないのだ。胸の痛みは増していくばかり。目尻に涙が浮かんでいるのがわかった。

 と、微かに声が聞こえた。


「――大丈夫ですか?」


 ぼやける視界に淡い紫色の髪が見えた。

 ミヤビだ。


「歩けますか?」


 ココリはゆっくりと頷いた。


「ここは道路の真ん中ですから、とりあえず端まで行きましょうか」

 

 半ば担がれる格好で移動し、腰を下ろす。

 礼を言おうと言葉を発する前に「大丈夫ですからね」と、ミヤビは柔らかく微笑んだ。

 不思議な安心感があった。

 

「――ココリ? ココリじゃない?!」

 

 聞き覚えのある声音にココリはハッと顔を上げた。駆け寄ってくる足音は紛れもなくリィナのものだ。そうして彼女を視界にとらえると、赤毛の少女が血相を変えて飛んでくるのが見えた。

 

「やっぱりだわ。あんたが店に向かってるってルシウェルから連絡があって……そしたら荷馬車が横転したって騒ぎがあるし、もしかしたら巻き込まれてるんじゃないかって、あたし心配になって……」


 未だ痛みは続いている。

 苦笑いで答えるしかできなかった。

 そんなココリの異常を察したのか、リィナは傍に居るミヤビに問いつめる。


「ちょっと、何かしたの?!」

「失礼ですが貴女は?」

「あたしは彼女の親友です。で、何かしたの?! ココリはケガしてるの?!」

「落ち着いて、大丈夫ですから。この方はココリさんと言うのですね。私は魔導師のミヤビと申します。どうやら彼女は僕の魔力に充てられてしまったようで、どこか落ち着ける場所はないかと探しているのですが……」

「休めば治る?!」

「えぇ」


 頷いてリィナは指をさした。


「あの雑貨店があたしの家です。本当に休めば治るんでしょうね?」

「治ります」

「わかった、案内するわ!」


 歩けますか? ミヤビの問いにココリは少し躊躇い首を横に振った。安心したせいか、痛みを堪える気持ちが弱まってしまってしまったようだ。このまま少し休みたいというのが身体と心の本音である。上手く力が入らなかった。

 しかしながら道端で蹲るのはいただけない。ココリがどうしようかと迷っていたとき、ミヤビが耳元で「失礼」と一言発した――ときには視界がフワリと浮かび上がっていた。


「――ひゃっ?!」


 浮かんだのは視界だけではない。自分の身体もだ。

 傍にあるミヤビの顏に、ココリは自分が彼に抱き上げられているのだと理解した。

 無性に恥ずかしく、頬が紅潮していく感覚にぐるぐると目を回す。しかしまたもおとずれた激痛に、身を丸め呻き声を上げてしまう。


「もう少しの辛抱です」

 

 ミヤビの腕の中、ココリは固く目を瞑る。

 雑踏。先導するリィナの声とミヤビを噂する声が耳に入ってくる。ひそひそと、まったく心地よいものではなかった。魔導師はみんなこうなのだろうか。祖父も疎まれていたのだろうか。どうして。なぜ。ココリの胸の中に重いしこりが宿る。やがて声は聞こえなくなる。室内に入る気配を感じた。

 ゆっくり目を開けると、白い石造りの壁があった。

 色々なサイズの木箱が置かれた部屋。その片隅にあるソファーに下ろされ、ココリは深呼吸をした。


「……ありがとう」


 ミヤビはにこやかな笑みで返してくれた。


「もう、心配したんだからね!」


 瞳を潤ませるリィナに謝ると、彼女は安心したようにため息をついた。


(急に何だったんだろう)


 思い返しながら今一度ゆっくりと深呼吸を繰り返す。

 ミヤビの言う通り、痛みは確かに和らいてきているのだ。

 あれほど痛んでいたのが嘘のように消えようとしている事実に驚きを隠せなかった。


「もう大丈夫そうですね」

「すみません、ご迷惑をおかけしました」

「僕も少々驚きましたが……、命に係わるようなことではありませんので安心してください」


 彼は平然と言ってのけた。

 しかし、ココリは得体の知れない不安でいっぱいだった。

 当分安心できそうにない。部屋から出ることさえ躊躇してしまう。もう一度あんなことがあったらと思い返し、ココリは身震いした。苦しく、痛い。一体何だったのだろうか。できれば二度とあんな目に会いたくない。


「あの、今のは何だったんでしょうか。わたし、持病は何もないと思うんですけれど……でも、ミヤビさんは何か知っているみたいでしたから。さっきの『魔力に充てられた』ってどういう意味なんでしょうか」

 

 リィナも気になるようで「初対面なのにいろいろ知ってるって怪しいわ」と頷いていた。

 ミヤビは「そうですね――」と話を始めた。


「僕たち魔術を扱う者は術を発動させる際に魔具に蓄えている魔力を利用します。魔力は自らの体内に蓄えることもできますが――基本的に魔力は人体と相性が悪い。なので普段、魔力というものは魔具に封印されていて外に出ることはありません。魔術を発動させるときだけ解放され、必要な分だけ外に出し使用しているという仕組みなんです」


 リィナが「ほぇー」と感嘆した。


「放出された魔力はやがて魔術となり消えてしまう。そのとき、大抵の人は魔力の存在を感じることはできず、魔術を見るだけなのですが―――稀にそれを感じ取ってしまう人も存在するんです」

「それが、わたし……?」

「えぇ。感じるというのは魔力を直に触れるということと同じです。その結果、さきほどのような影響として身体に受けてしまったのでしょう」

 

 ココリは胸を抑える。

 痛みは完全に治っていた。


(魔力の影響……)


 事故現場でミヤビの魔術に反応してしまった。

 苦しくなったときのことと考えてみるとつじつまが合い納得ができる理由だった。

 ほっと息を吐くと、傍でリィナが小さく頬をふくらました。

 

「ホントに心配したんだからね!」

「ごめんごめん。あとありがとね、もう大丈夫だよ」


 しかし、問題は自分がそういう体質だということである。

 稀に魔力を感じ取ってしまう存在――ココリ自信がそうだったということだ。魔術が溢れる世の中で、今まで露見しなかったのは奇跡に近いだろう。そうしてココリはハッとした。

 もしかすると祖父はこのことを知っていたのかもしれない。そうして、ココリが魔術師を目指す上で障害となりうるものだったため、魔術に関わることを頑なに拒んでいたのだろうか。だがしかし、そうだとしても祖父の考えを十分に理解することはもうできないのだ。

 今となってわかってしまったことから考えれば、自分自身がこれから魔術師として歩んでいく中で影響が出てこないのか不安になった。

 

「あ、あのミヤビ様」


 彼は首を傾げた。


「わたしも魔術師を目指しているんです」

「あら、それは素晴らしいですね」

「この体質で魔術師になっても問題はないんでしょうか」

「それは大丈夫でしょう。魔力の感性が良いということは自分の魔力の質を理解できやすいということです。その力を極めれば他者の魔力の質も感じ取ることができるようになる。魔術の幅も広がりますし、きっと偉大な術師になれますよ。今はどのような勉強を?」

「いえ、今朝始めたといいますか――始めようとしたら魔具が壊れてしまったんです。教えてくれている人が『元から魔力が備わっているんじゃないか』って言うんですけど、わたしにはまったく覚えがなくて……、それってありえることなのでしょうか」


 ミヤビは顎に手を当て唸り声を上げた。


「経緯をハッキリさせるのには時間がかかるかと思います。でも大切なのは現状ですから、その魔力を上手く制御できるようになることでわかっていくことがあるのではないかと私は思います」

「魔力と向き合う?」

「えぇ。漠然と理由を探すよりも実際に触れてみる方がわかりやすいでしょう?」


 なるほど。と、ココリはミヤビの言葉を受け入れた。

 どうしてかという原因は学びながら知っていけば良い。彼の言う通り、魔力の質を知ることが最大の手がかりになるかもしれない。

 リィナが口笛を鳴らした。


「さすがミヤビ様だね。まぁ、あたしのココリが将来有望なのは当然の話だけど」

「そういえばココリさんはどなたを師に選んだのですか? この辺りの魔導師は僕の他に居ませんし……近隣といっても、隣町まで半日はかかってしまいますよね」


 ココリはおずおずと口を開く。


「ガルマンという魔導師の弟子のルシウェルさんに教えてもらっています」

「ルシウェル?」


 不思議そうに首を傾げるミヤビ。

 何かおかしいことを言っただろうか。ココリは彼の瞳を見ながらゆっくりと頷く。


「もしかして貴女はガルマンの孫?」

「何故それを――」


 そこまで告げると、急にミヤビの表情が明るくなった。


「ハッキリとは聞かなかったのですが、そのようなことを生前にガルマンから耳にしたことがあります。しかし、後はルシウェルが引き継いだと聞いて貴女の存在が不確かだったものですから、挨拶が遅れて申し訳ありません」

「い、いえ。実際わたしはなにもできてないですから」

「そんなことはないハズです。あれほどの魔導師が亡くなったのですから、さぞかし大変だったでしょう。お役に立てずにすみません。でもこうしてお会いできて良かった」


 ミヤビは目を細め、懐かしげに語った。

 厳格祖父が自分の存在を他人に話していたという事実に信じられない気持ちでいっぱいになる。そんな場面がとても想像できない。


「彼にはとても世話になりました。実は今も、なんですがね」

「え?」


 そう言って彼は懐から懐中時計を取り出した。

 先ほど使っていた物だ。やはりシンプルなシルバーで、ミヤビの小さい手に丁度収まる大きさだった。ココリは手中のそれをまじまじと覗き込む。もうかなり古い品物だろう。光沢はあるものの細かい傷が表面を覆っていた。ガラスのプレートの内側で時を刻む針は、一振一振が重く感じられた。


「これももう寿命でしてね、今はルシウェルに新調してもらっている最中なんですよ」

「そうだったんですか……」

「彼は実に丁寧な仕事をします。ガルマンの『調律』まではいきませんが、それに相応しい努力を積んでいるように感じます」


 大切そうに懐へしまうミヤビ。――と、部屋の扉が勢いよく開き、大きなつばが付いた帽子を被った小さな少年が飛び込んできた。「あんた誰?!」とリィナが血相を変えて、その少年の前に仁王立ちした。


「すすすすすすすすすすすすすすみません。ミヤビ様の所在をお聞きしたところ、こちらだという情報を入手いたしまして……お邪魔しました」


 土下座する少年の姿を見てミヤビは呆れたようにため息をついた。


「アケ」

「はい、ミヤビ様!」

「貴方、コチラへお邪魔するときに断りを入れましたか?」

「へ?」

「またですか。道がわかるからと言って、人様の家に勝手に入ってはいけませんといつも言っているでしょう。貴方の魔術は特殊なんです。その助言と現実の区別がつかないのでしたら、使用禁止にすると注意したことは覚えてますか?」

「すみませんすみませんすみませんすみませんすみませんすみませんすみません」


 アケと呼ばれた少年がミヤビの弟子であることを悟った。尚も注意を続けるミヤビの様子を見かねたのか、リィナが苦笑して二人の間に割って入った。


「今回はココリを助けてもらったし、お咎めはなしで良いわよ」


 ミヤビが深々と頭を下げると、アケの土下座がさらに深くなった。もう床に顔面が付いてしまっている。

 リィナは少年の脱げた帽子を拾い、顔を上げるように促した。くりくりと跳ねた藍色の髪に誇りが付いている。まだあどけない表情の少年だ。こんなに幼いのに魔術師なのだろうかとココリは不思議に思った。


「本当に申し訳ありませんでした」

「いいって。だけど、こんな子が魔術やってるってマズイんじゃないの? ミヤビ様は年齢誤魔化してるって感じだけど、この子はこのままの歳でしょ?」

「僕の年齢についてはノーコメントですが、お察し通りアケはまだ十二です」

「はぁ?! あんた正気なの?!」


 驚愕するリィナ。ココリも驚きを隠せず口元を覆ってしまう。

 幼い頃から魔術に関わるということは寿命を縮めるという行為に等しい。魔術師でないリィナも周知しているほどに常識的な事なのだ。アケはリィナから帽子を受け取ると深々とかぶり、俯いてしまった。ミヤビはそんな少年を引き寄せ、頭をポンポンと撫でた。


「使用禁止にしたいものですが、できないというのが答えになります」

「え?」

「アケは生まれ持っての魔術師です。この子にはいつも『助言』の声が聞こえています。でもそれは普通じゃない。『助言』と話をするアケを気味悪がった親はこの子を捨てたんです。けれどアケは家への帰り道がわかりますから、捨てられては戻りの繰り返し。そこを偶然僕が見かけて引き取ったのです」


 少年がミヤビの服の袖をぎゅっと握りしめたのがわかった。


(生まれたときから魔力を持っている、か)


 ココリはアケを見詰める。

 最初から才能に恵まれてもそれが絶対的に有利で喜ばしい結果になるとは限らないのだと知った。


「そうとアケ。ここまで来た用事は何ですか?」

「あ」少年がポケットから手紙を取り出し手渡した。「さっき魔導師協会の人が訪ねてきて早く返事が欲しいって言ってました。魔導師候補を推薦しろって」

「もうそんな時期ですか――とはいえ、僕の弟子はまだまだ未熟な貴方だけなので、当分は無関係な話ですね」

「えーっ、もう十分立派だよ!」

「魔導師を甘く見ないでください」


 アケが不満そうに頬を膨らませると、室内に笑い声が響いた。

 ミヤビは懐から時計を取り出し確認してからすぐにしまう。そして扉の方へ歩み、またリィナへ深々と頭を下げた。


「お騒がせしました。そろそろ失礼します」

「いえ、こちらこそありがとうございました。助けていただいただけじゃなく、色々教えてもらえましたし、本当にありがとうございました」


 ココリも礼をした。

 リィナはアケの目の前にしゃがみ込む。突然のことに飛び退く少年に彼女は容赦なく間合いを詰め、前髪についていた誇りを摘み取った。そして「今度遊びに来なさい、何かひとつお菓子でも出してあげるわ。いい? ひとつだけよ?」と言い、ニコリと立ち上がった。


「もしよければ今度遊びに来てください。丘の上の家です」


 扉が開くと人がごった返しているのがわかった。いつものジョエル通りだ。やがてミヤビとアケは雑踏に紛れてしまう。

 師と弟子。自分にとっては憧れの関係だ。ルシウェルと自分もああいう風になれるのだろうか。ココリがその様子をボンヤリと思い返していると、不意に肩を叩かれ「ひゃっ」と奇声を発してしまう。


「まだ調子戻ってないんじゃないの? 休んでいく?」

「ううん、大丈夫。ちょっとぼんやりしちゃっただけだから」


 色々なことがわかってしまう日だ、と思った。

 まだ昼過ぎなのに。

 ココリはため息をついた。


(課題がたくさんありそうだわ)


 何から手をつければ良いのだろうか。

 既にある魔力のこと。使えるようになることで分かることがある。確かにそう思った。しかし魔力の感性が良いという体質のことも把握しておきたかった――が、全ては魔力を制御する魔具が出来てからの話になるだろう。そうすれば何を始めるにしてもまだ動かない方が良い。まだ待つしかない。

 一向に進まない現状にココリは肩を落とした。


(これじゃ魔術師になるのに時間がかかっちゃいそう)


 今は一刻も早く魔術師になってルシウェルの手助けをしたい。それが本音だ。

 そうしてココリはハッと思い出す。

 今日も彼の言伝を受けてリィナを訪ねたのだ。お使い。紙袋を彼女に届けること。その紙袋はいつの間にかココリの手元からなくなっている。サッと体温が下がるのがわかった。

 必死に思いを巡らせる。いつからないのか。事故現場でミヤビの魔力に充てられ倒れた時からだ。あのとき、そこから触れていない。だとしたら坂の頂上付近に置きっぱなしにしている可能性が高い。


(取りに行かなきゃ!)


 駆け出そうとするココリの腕をリィナが引っ張った。


「お嬢さん、お探しのモノはこれ?」

「あ――」


 紛れもなくあの紙袋だ。


「よかったぁ」


 安心してへたり込むココリ。

 胸を撫で下ろしているとリィナがおかしそうに笑った。


「あんたの身体のが一番大事よ」

「ダメだよ、ルシウェルから任されたんだもの」

「真面目よね」

「普通だよ?」

「はいはいっ、ちゃんと受け取りました!」


 リィナの手を取り立ち上がると「おい、ちょっと手伝ってくれ!」と、店の方から声がかかる。

 目の前の少女が威勢よく返答をした。


「ごめんね」

「ううん。忙しいのはわかってるし、今日はこれを届けに来ただけだからまた今度ね」


 ただでさえ長居してしまったのだ。

 昼時を迎え、ちょっとした食べ物も取り扱う雑貨店はかき入れ時になる。リィナもゆっくりしていられない。

 早く帰ろう。「ありがとう」と彼女に手を振り、外へ出た。店の表には子供や薄汚い作業着を身につけた体格のいい男、か細い老人などが行列を作っていた。その有様に圧倒されてしまう。


「ココリ、この後暇?」

「う、うん」

「じゃ、公園で待っててくれない? すぐに行くから」

「え、大丈夫なの?」

「勿論、今日は空いている方よ?」

「でも――」

「あたしもあんたに用があるの! つべこべ言わず待ってなさい!!」


 びしっと指を突きつけられ、ココリはコクコクと頷いた。

 満足げに微笑むリィナに見送られながら雑踏に紛れる。遠くからでも、店の賑わいはよくわかった。店頭で客をさばく彼女の姿も見える。とてもたくましくかっこよく見えた。

 ココリは大通りを横切り小道に入った。そして振り返り、遠目で活気を観察する。


(いい街なのにな……)


 自由に出歩かせてくれなかったのはなんでだろう。

 祖父の理由だ。

 もう考えないと決めていたことなのにまた考えている。商いの街でもあり確かに荒っぽいところもあるが、慣れてしまえば危険はない気がする。やはり体質のことを知っていたのだろうか。


 肌寒い風がココリの髪を揺らした。

 待ち合わせの公園へ向かう。大通りを少し外れるとうって変わって静かになる街の一面も好きだった。煉瓦道は変わらず、壁を伝う植物や花壇が情景に加わり、歩むごとに緑が増えていく。

 やがて開けた空間に出ると、小高い丘が見えた。

 広葉樹の落ち葉が広場に広がり、公園内に入るとサクサクと乾いた音が辺りに響く。


(こういうとこ、一緒に来たかったな)


 足元に赤々とした星形の枯葉を見つけ、それを拾い上げる。

 先にある木製のベンチに祖父の姿が浮かんだ。

 ただ目を瞑り座る祖父。何を考えているのか。はたまた何を悩んでいるのか。悩むこともあったのだろうか。何も言わずともわかってあげられる仲にはなれなかった。祖父は何を背負っていたのか。

 ただ、彼が自分を嫌っていたという考えを持つことをやめようと思った。


「お待たせ!」


 振り向くと、リィナが湯気の立つカップを二つ手に持ち立っていた。「どうかした?」と首を傾げる彼女の手から一つ受け取り礼を言う。ホットココアだ。そうして二人でベンチに腰掛けた。


「早かったね、お店は?」

「へーきへーき」

「それって無理に抜けてきたんじゃ――」

「いいのよ、元から今日は休ませてって言ってたんだから……で、どうかした?」

「――え?」

「わかるんだからね? さっきミヤビ様にも話してたことで悩んでるんでしょ?」

「ぅ。で、でも、大したことじゃない――こともないのかな……」

「なによ、ハッキリ言いなさい」

「でも、大丈夫な気もするんだよね」

「大丈夫じゃないから言おうか迷ってるんでしょう?」

「う……、ごめんなさい」


 ココリは自分でも整理をつけながら話した。

 今朝、ルシウェルからシルバーの指輪の魔具を貰い、彼の指導の下で魔術師になる修業を始めたということ。しかしそれが失敗し、魔具を壊してしまったあげくすでに魔力を備えているという奇妙な展開になり、ルシウェルを悩ませてしまったということ。そして、ミヤビからアドバイスをもらったものの、ココリ自身これからどうするべきか悩んでいるということ。

 リィナは口を挟まず最後まで親身に耳を傾けてくれた。


「なるほどね。色々あったみたいだけれど、ようするに魔術が上手くいかないどころかルシウェルからのプレゼントをぶっ壊したってことで良いかしら」


 そう言って彼女は腹を抱え爆笑する。


「わ、笑わないでよっ」

「だって面白いんだもの。あんたどこまで天然なの? 例えあんたが変わっているからっていっても、魔術なんて最初から使えるようになるわけじゃないでしょ? そりゃ、ミヤビ様の弟子みたいなのも居るんだろうけど……普通は四苦八苦してやっと使えるかどうかって話だし。まぁ、あたしは勉強嫌だからお断りだけど、足し算を覚えたからっていきなり掛け算ができるようになるわけじゃないでしょ? それと一緒じゃない?」

「た、確かに?」

「真面目に考えすぎなのよ。苦労した分力になるって思えばいいんじゃない?」

「それはそれでなんか違うような気がするけど」

「それくらいでいいってこと」


 ホットココアを啜りながら空を見上げる。青空に雲がかかり、太陽は完全に隠れてしまっている。

 雨が降り出しそうだ。


「それにしてもあの男からのプレゼントを壊すなんてねぇー。さすがあんただわ」

「もう、笑わないでって」

「いい気味よ」

「え?」


 リィナの言葉に耳を疑った。

 聞き間違いだろうか。

 反射的に彼女の顔色を窺うと、眉をひそめて不服そうに唇を尖らせていた。


「プレゼントってあの男の手作りでしょ?」


 そうだけどと、不安を抱きながら頷いた。


(どうしたんだろう)


 ルシウェルと何かあったのだろうか。

 感情の起伏は激しいが、あからさまに毛嫌いするようなことはなかった。いつも様々な性格の人と関わっているただろうか。そんな彼女にこれほどまで嫌われるような一面がルシウェルにあると思えない。

 ココリはリィナの顔を覗き込んだ。


「もしかしてルシウェルが嫌いなの?」

「うん」

「ハッキリしてるね。でもどうして? 何かあったの?」

「なんだか胡散臭いのよね」

「胡散臭い?」

「えぇ、何か隠しているような――というか、裏がある気がするのよね。なんていえばいいのかしら……野望?」

「……そうかな」

「あんたは四六時中一緒に居るし、天然だから」


 それだけ答えて彼女はカップを煽った。

 胡散臭い。ココリはルシウェルを思い浮かべた。とても真面目で誠実で努力家で、いつも助けてくれる大切な存在。どこを取っても、リィナのいうような胡散臭い印象は当てはまらなかった。


(やっぱりルシウェルとなにかあったのかしら)


 もちろん雑貨店にはルシウェルも自ら配達を行う。その際にリィナの癇に障るようなことがあったのかもしれないと察し、それ以上の追及を諦めた。


「まぁ、あたしはココリのこと応援してるからね」

「あ、ありがとう?」


 唐突な話題に把握できず、呆けた顔をしてしまう。するとリィナはクスクスとすまなさそうに苦笑した。


「大丈夫よ。確かにあんたは魔導師ガルマンの孫だけど、魔術なんて人それぞれでしょ。例え偉大な魔導師の家系でその才能があるってわかっていても、術を使えるかどうかは本人の頑張り次第。腕は他人のおさがりじゃないんだから、甘ったれてたら発現しないのは当たり前だと思う。でもココリ、あんたは違うわ」


 リィナの顔が至近距離まで接近する。唇が触れそうな位置にどうすればいいのかわからずに、思わず視線を背けてしまうと、彼女の両手が両頬を挟んだ。茶色の瞳に自分が映っているのがわかる。


「ココリはココリなんだから、あんたのペースで学んでいけばいいのよ」


 ぼんやりしていると、彼女の瞳が不満そうに曇った。


「返事は?」

「は、はい」

「ホントにわかったの? 他に惑わされるんじゃないわよ? あんたはあんたで良いってことを忘れないで。そうじゃなきゃ、意味がないのよ。魔術はあんたの魔術なんだからね。ガルマンでもルシウェルでもない。ココリ、あんたの魔術よ」

「わたしの魔術……」

「そ。偉そうなこと言っちゃうけど、そういうことじゃないの?」

「うん、ありがと。忘れない」

「いい返事ね!」


 すると、リィナが抱き付いてきた。

 持っていたカップを落としそうになり、慌てて体勢を立て直していると耳元で「誕生日おめでとう」と声が聞こえた。離れていく彼女の表情は紅潮し、少し照れているように見える。

 なんだろう。何かが首に引っかかっている。でもって微かに何かが垂れ下がる重みと違和感があった。胸元だ。そこに手を触れながら目視すると、ひし形のクリスタルのペンダントが輝いていた。

 信じられない。

 嬉しすぎて言葉にならなかった。


「いいの?」

「ダメだったらあげないでしょう?」

「だって信じられないくらい嬉しいんだもの」

「あたしのは壊さないでほしいな」

「ありがと、大事にするね!!」


 今度はココリから抱き付く。


「本当にありがとう」

「こちらこそ。元気のないあんたを見て心配だったけど、もう大丈夫そうね」

「うん。りぃなのおかげだよ」

「ふふふ。元気を分けてほしかったらいつでも来なさい。ただ、魔術には気を付けなさいよ」

「ありがとう」

「どういたしまして」


 からのカップを渡し、立ち上がった。大通りでリィナと別れて坂道を下る。先ほど馬車が転倒していたところは、何事もなかったかのように平常を取り戻している。


(きれい……)


 ペンダントを手のひらの上に取り、見つめながら歩いた。

 どんよりと曇る空の下でもキラキラと輝く。まるでリィナの笑顔のように明るいものでココリの胸に勇気をくれた。頑張ろう。不思議と前向きになれる。

 と、ポツリ。

 一滴がココリの手に落ちた。

 雨だ。

 行きかう人々も口々にそう発し、慌てだす。雨脚も強まり、ペンダントをケープの内側に直すとフードをかぶり坂道を一気に下る。雨宿りも考えた。しかし、かなりの大粒で、空には真っ黒い雲が続いている。しばらくは止みそうにない。ココリは足を速め家路を急いだ。坂を下り終えた頃にはケープはぐっしょりと雨水を吸い込み重くなっていた。

 あと少し。最後の曲がり角をまがったとき、家の前に人影があった。


(……誰かしら)


 やがて、扉が開くとルシウェルが中から現れる。

 そして客人が傘を閉じ姿が明らかになった。ココリは息を飲む。


(――え)


 思わず足が止まった。

 信じられない。

 ココリは反射的にフードを下ろした。濡れてしまうことなど気にならなかった。本当だろうか。この目に映る彼が本物であるかどうかを鮮明に確かめたかったのだ。

 全身黒ずくめの客人。特徴的な黒髪。おそらく彼だ。

 そして相手も視線に気付いたのかココリを見た。


「――エラルド」


 間違いない。

 背格好、顔立ち、琥珀の瞳は紛れもなく彼だ。

 何一つ変わっていない。

 あのとき、祖父と言い合いの後出て行ったその表情のままだった。

 どうして今更戻ってきたの。何も言わないまま、言い残さないまま出て行ってしまったの。亡くなった後も、どれほど傍にいてくれたらと思ったことか。ココリの胸の内にふつふつと煮えたぎる感情が湧き上がってくる。

 

 ココリは顔を伏せ、エラルドを押し退けるように家に入った。

 顔を見たら何を言ってしまうかわからない。むしろ、今でも何かを言いたくてたまらない。その衝動を必死に堪え「ただいま」とルシウェルに告げる。少し言葉が震えてしまったのがわかった。

 おかえり、と控えめなルシウェルの声だけがココリの耳に届いた。






§

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