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天才魔術師とココリの秘術  作者: かのや 栞
3/4

#01 ようやくの日常(下)

§




 指にはめた指輪をじっと見つめる。

 長い沈黙の後、ルシウェルが短く息を吐いた。


「ココリ」


 顔を上げると彼の真剣な表情が見えた。


「僕は魔導師じゃない、ただの魔術師だ。まだ修行の身である僕が教えることができる範囲は限られているだろう……けれど、知っていることであれば全て教えようと思う。君はこんな中途半端な僕でも良いのかい?」


 ココリは迷いなく頷いた。


「逆に、わたしは魔導師の孫だけど魔術については何も知らないわ」

「実は僕はそのことが不思議でならなくてね。ずっと君に訊いてみたいと思っていたんだよ」


 ルシウェルに促され、椅子に座る。


「君は本当に何も知らないのかい?」

「おじい様は何も教えてくれなかったわ」

「――本当に?」


 彼はいつになく慎重な様子だった。

 疑われている? しかし、これが真実なのだ。まったくもって何一つ教わることなく祖父はこの世を去ってしまった。書置きもなかった。祖父の書斎は整頓されていて、自分には読めない文字がびっしりと書かれた本がキッチリと並べられているだけ。祖父が何を考えてこれからどうしようとしていたのかもわからず、ココリはこの家と一緒に残された。


「でも君は魔具の役割や魔力の仕組みについては知っている様だったけれど」

「昔、わたしが魔術師になりたいって駄々をこねたときにエラルドから教えてもらったの」

「エラルドに?」

「うん。おじい様が何も言ってくれなくて、代わりに……」


 なるほど。と、ルシウェルが眉をひそめた。


「ガルマンからは何も教わってはいないんだね?」

「えぇ」

「何一つ?」


 彼の翡翠の瞳がギラリとした光を宿している。

 ココリの身体が小さく震えた。見たことのないルシウェルの一面に戸惑ってしまう。彼自身はそのことに気付いていないのか、いつものように微笑みを返してくれはしない。


(……何か、あるのかしら)


 ココリは反射的に言葉を選んで口にした。


「もしかすると信じられないかもしれないけれど、おじい様はわたしを魔術に関わらせたくなかったみたいなの。異常なまでに。わたし、ずっと家の中だった。外にも滅多に出してもらえなかったわ。何故だかはわからない。練習でさえも見せてくれなかったし……本当に何一つ教えてもらっていないわ。本当よ」


 すると、ルシウェルは低く唸った。


「おかしな話だな」

「え?」

「ガルマンには大勢の弟子が居るんだよ。来る者拒まず、そんな感じだった。まぁ、ほとんどが彼の技術についていけずに断念したパターンだけれど。学びたいって人が居れば積極的に知識を与えてくれるような人――なのだけれどね。だからどうにもおかしいと思ったんだけれど……やっぱり、可愛い孫は危険にさらせなかったのかもしれないね」


 彼がようやく笑顔を見せた。

 よかった、いつもと一緒だ。ココリは胸を撫で下ろしながら首を振る。


「きっと、わたしに才能がなかっただけなのよ。両親はあるって言ってくれたけれど、名もない三流から見たものだもの。もしかしたら、下手に関わって魔力を宿らせないようにしてくれていたのかもしれないって、今になって思うわ」


 実際に学ぶという間際になり、その事の重大さがわかったところ。

 あのときはまだ早かったとわかる自分を情けなく感じた。俯くココリの耳に、苦笑する声が聞こえる。


「何を言ってるんだい。皆ゼロからなんだよ? 才能のあるなしは関係ないさ。学べば学ぶほど力になる。それを、これから知っていけば良いんだ。そうすれば、どうしてガルマンが教えてくれなかったのかもわかるかもしれないね」

「そうね、ありがとう」


 とりあえず微笑んだ。


(今更知ってもそれが本当の答えなのかはわからないのに)


 もうその理由を知ることはできないのだと、そんな捻くれた考えをしてしまう自分が悔しかった。

 ルシウェルに当たっても仕方ないのだ。

 祖父はもういない。なのに未だに祖父という呪縛から逃れられないでいる。いや、これは一生ついてくるものなのだろう。魔術の道に手を出してしまえば尚更だ。ココリは首を振った。

 自分自身で学ぶのだ。

 自分が生きていくために、魔術を学ぶと決めのだ。


「――ココリ?」


 ルシウェルが心配そうに顔を覗き込んでくる。「なんでもない」と話を切り出した。


「ねぇ、魔術って難しい?」

「んー……ひとつひとつのことをしっかり踏まえて行けば必ず力となっていくよ」

「例えば?」

「ふふ、もう始めるのかい?」

「だって待ちきれないんだもの」

「それじゃあ前置きだけ少し説明してしまおうか」


 ちょっと待って。と、ココリは朝食の食器をキッチンへ運び、テーブルを濡れた布で拭いていく。その間ルシウェルはポットでお湯を沸かし、紅茶を淹れていた。

 茶葉のかぐわしい香りが室内に広がる頃、二人はもう一度椅子に腰かけた。


「いい環境だね」

「あ、書く物取ってこなきゃ」


 待ち望んだ魔術を学ぶのだ。一言一句聞き逃すつもりはない。

 先ほどまでの不安はすっかり消えてなくなり、ココリの気合は十分だった。自室へ行こうとしたとき「必要ないよ」と、ルシウェルが短く言った。


「とりあえず座ろうか」

「う、うん……」


 そうしてココリが疑問する前に彼が口を開いた。


「君が経験すれば魔力が養われていく、そうして得たものは全て魔具へ蓄積されるから書き記さなくても大丈夫だよ。むしろ魔術は残す物じゃない、受け継がれていくものなんだ」

「受け継がれていく、もの?」

「そう」ルシウェルは紅茶を一口飲んだ。「魔導師の弟子になっても、全員が一緒の魔術を扱うわけじゃない。みんなバラバラなんだよ。要は、たくさんの経験値を積むために師を求めるのさ。個人で学ぶよりも遥かに知ることが多い。それに、もし魔導師と同じような魔術の質であれば本当の弟子になれるからね」

「本当の弟子?」

「あぁ」


 頷いてから、ルシウェルは祖父の遺影に視線を向けた。


「魔導師の本当の術を受け継ぐことだよ」

「どういうこと?」

「個々に魔術があるように、魔導師にも魔導師として認められることになった魔術がある。それを僕たちは『秘術』と呼んでいる。それを受け継いだ者は絶対的に魔導師としての地位を約束されているんだよ」

「秘術を教えてもらえば魔導師になれるの?」

「それを会得できればの話だよ。卵からいきなり鶏が生まれるようなものさ」

「無理ってこと?」

「例えが大胆すぎたかもしれない。会得するのは不可能に近いんだ。秘術を知り、形は違っても同じような結果になるような術として受け継ぐのがギリギリのラインってとこかな」


 尚も写真を見詰める瞳は強い意志を宿しているように感じた。


(ルシウェルの目標はおじい様なのね)


 しかし、もう彼は目指しているところにたどり着いているのではないかとココリは思った。

 祖父が亡き後、彼はココリに代わってその役目を全うしてくれている。おかげで特に大きな問題も起こってはいない。それくらい祖父と同じことができているのだから、受け継いでいるのではないかと疑問した。


「ルシウェルはもう一人前でしょ?」

「――ぇ?」

「だって、おじい様のお仕事をしっかりやってくれているもの」


 どんな内容なのかはハッキリと知らない。

 ただ、祖父は魔導師や魔術師にとってかかせない魔具の調整を行っていたということは知っている。それが実に重要で凄い役目ということもココリはわかっていた。


「あなたの調律は丁寧だって、街ですれ違ったお客さんが話してくれるもの」

「……そうか」ルシウェルは微かに嘲笑した。


 予想外の反応にココリは肩をすくめる。

 評判が良いのは名誉なことだと思っていた。自分自身だって、褒めてもらえればもっと頑張ろうという励みにもなる。ルシウェルは違うのだろうか。


(何を目指しているのかしら)


 モヤモヤとした気持ちが広がる。

 自分では彼の力になれないのだろうか。

 紅茶のはいったカップに口づけると、茶葉の風味が鼻腔をくすぐる。少しだけ和らいだ。


「わたし変なこと言っちゃったかな。もし無神経なことだとしたらごめんなさい。でも、そのときは教えて欲しいな」

「いやいやいやいや、君が謝るところじゃないさ」


 ルシウェルが必死に否定した。


「たまに捻くれてしまうときがあってね、悪い癖だ。すまない」

「ううん。今まで任せっきりだったわたしも悪いと思う。だから、勉強する。ちょっとずつになるだろうけど、一緒に考えていけたらいいなって――」


 と、話の途中で彼がクスクスと笑い始めた。

 真剣に話していた自分は何か場違いなことでも言ってしまったのだろうか。と、ココリは頭をひねった。台詞を二回ほど復唱してもおかしいとは思わなかった。おかしいのは彼の方だ。

 ココリは頬を膨らませ「なぁに?」と問いただした。


「すまない、悪気はないんだ」

「じゃあなんで笑うのよ。わたしは真面目なことしか言ってないわ」

「すまない、本当に、今のは僕が悪い」

「どうして笑ったの?」


 身を乗り出し、テーブルに両手をついた。ワケを知らないと納得がいかない。

 すると、ルシウェルが困ったように話し始めた。


「君はしっかりしているなと思ったのさ」


 そういうと空になったカップに紅茶を淹れてくれた。受け取って椅子へ座りなおすと、彼も一口含んだ。


「随分話がずれてしまったね。まぁ、基本的に魔術というのは自由自在なものだ。君が生み出し操るものが魔術となる。これからいろんなことを学んでいく中で、まずは魔力を溜める。でなければ魔術は成り立たないからね」

「溜まればわかるものなの?」


 感覚的な物なのだろうか。

 それとも、魔術が使える準備が出来れば目に見えるサインがあらわれるのだろうか。

 まったく予想がつかなかった。いつから魔術が使えるのか。ココリはシルバーの指輪を見詰める――が、ヒントになりそうな感じは何一つしなかった。


「備わればわかるさ」


 ルシウェルがニコリと微笑んだ。


(わかりにくい)


 要するに感覚的なものらしいことはわかった。

 いや、そうでしかない。それしかヒントがないし、それが唯一の答えだ。これ以上はルシウェルも教えようがないのかもしれない。よりよく経験値を積むために師を求める。彼も言っていた。

 自分自身で学び養い成長する。何から知識としての刺激を受け生み出し得ていくか。

 わかればわかるほど、それが力になっていく。ココリはハッとした。

 もし本当に才能があって、幼い頃から祖父や弟子たちが学ぶ風景に触れていれば、それが経験値となり魔力も養われていたのかもしれない。もしそんな機会があったなら自分はどうなっていたのかと考えた。

 祖父は自分のことをどう思ってあんな仕打ちを強いていたのか。本当は優しさだったのか。複雑な気持ちになった。


「何か心配なことでもあるのかい?」


 ルシウェルが顔を覗き込んできた。


「ううん、どうすれば魔力がたまりやすいのかなって思ったの」

「そうだね。さっき色々偉そうに話したけど、一番重要なのは自分の中の魔力に対してのイメージかもしれないな」

「イメージ?」

「そう。結局は形がないモノだからね。力の形を心の中で思い描くんだ」

「……感覚的なものが多いのね」

「あはは、頬が引きつっているよ。そういうのは苦手かい?」

「なんかパッとしない」

「確かに地味だね。いや、僕の教え方が悪いのかもしれないな」


 ルシウェルが申し訳なさそうに苦笑した。

 そんなことない、と慌ててココリが否定する。自分で学んで答えを出さないといけないものなのだろうという筋は確定した。

 しかし、あることが不安になった。


「ねぇ、どれだけ経験値を積もうとしても魔力が養われないなんてことはあるの?」

「絶対とは言えない。実際に志があっても実らない人間の方が遥かに多いよ」


 もし自分がそうだったら。

 ずっと信じてきたことが突然なくなる。夢や希望が消えてしまう。これからそうやって生きていくべきなのだろう。先が真っ暗になってしまう。考えたことなかった。魔術師になると信じ切っていた。初めて考えると恐ろしかった。

 ぽんっと、肩に温もりを感じた。

 隣を見ると、いつの間にかすぐ傍にルシウェルが居た。


「君は大丈夫。そんな気がするんだ」

「勘?」

「そうだね」

「わたしにもそんな勘が備わるのかしら」

「これはちょっと違う気もするんだけどね。まぁ、どんな力が君に発現するかは君次第だから、楽しみだね」


 やらなければわからない。

 大丈夫。そう呟いて、ココリは目を閉じた。肩の温もりがゆっくりと消えていく。

 少し不安になった。もし自分にその才能がなかったらどうすればいいんだろうか。諦めきれるのだろうか。受け入れられるのだろうか。これで全てわかってしまう。怖い。心細い。大丈夫だ。ルシウェルが傍についていてくれている。


「わたしのイメージ……」


 深呼吸した。

 自分にとって魔力とはどういうものなのか。

 魔力とは魔術を使うための力。ただそれだけの力。目に見えない。あるけど、本当にあるのかわからないもの。だけど、魔術となり形となればわかることができる不思議なもの。不思議で偉大なもの。なのに。そんなにすごいのにどうして存在がわからないのか。

 ふと、ココリはあの日のことを思い出した。


 事故のときだ。

 あの日――あの瞬間、魔力はあった。

 現れたからこそみんな恐れをなして逃げてしまった。それだけじゃない、魔力は影響し辺りを凍てつかせた。ココリも身に感じた。冬の寒さとは異なる。何も通用しない、容赦なく熱を奪い氷結した。絶対的な力だ。

 魔力はある。生きている。人の中で生まれ育ち偉大になる。だからこそ養い方は自分たち次第なのだ。ココリは把握する。きっとこの胸の中のどこかにもそうなるべくモノが眠っているのだ。

 胸の中。

 どこか深く。

 心臓よりも中の中――奥の奥。何か、結晶のような塊があるような気がした。いや、確かにある。ココリは感じた。胸を抑えてわかる。触れることはできない。けれど、確かに今触れているような感じがする。

 あった。

 自分にも、あった。


「――ぁ」


 見つけた。

 喜びで眼を開けたとき、左手の薬指の付け根がズキリと痛んだ。

 ――ビキンッ!! そんな音と同時に、シルバーの指輪が弾け飛ぶ。ココリは「きゃっ」と短く悲鳴を上げ、テーブルに転がったソレを唖然と見つめた。


「大丈夫かい?!」

「え、えぇ。平気、だけど……」


 指輪は二つに割れてしまっていた。


「ご、ごめんなさい」


 慌てて拾い集めようとするとルシウェに阻まれてしまう。彼は首を振った。


「君が謝ることはない、悪いのは僕の方だ」

「そんなっ」


 ココリが話すより早く、彼は真剣な眼差しでソレを拾い上げた。


「いいや、僕は君の力を侮っていたのかもしれない」


 ルシウェルは灯りに指輪を掲げ、そう言った。


(どういうこと?)


 理解できず、彼の言葉を待っていた。


「物凄い器を持っているみたいだ」

「――器?」


 ルシウェルは何やら考え事をしていた。そして再度ひびが入った指輪をまじまじと見つめ、何かを悟ったのか頷いた。


「ココリ、君は本当に魔術に関わるのは初めてなのかい?」

「ええ。さっき言った通りわたしは何の教えも受けていないわ」

「そうか……。気のせいかもしれないと思うのだけれど――というか、不思議なんだ」

「不思議?」

「あぁ。この壊れ方は新たに調律する時によく起こるものなんだ」

「……よくわからないわ」

「そうだね。説明しよう」


 何が起こっているのかさっぱりわからない。しかし、何か普通ではありえないことが起きているらしいことはわかった。

 ルシウェルは深呼吸し椅子に腰かけた。


「魔具は命と一緒だと言ったね?」


 ココリは頷いた。


「新しく命を宿すとき魔具は空っぽの状態なんだ。持ち主の魔力もゼロだからね。どっちも最初から。その場合は、ただ新品の魔具に魔力が蓄積されていくんだけれど、すでに持ち主が魔力を備えている場合は別の話になるんだ」

「どういうこと?」

「新品の魔具は誰にでも使えるように、どんな質の魔力でも対応できる封印を施してあるんだよ。そして、しばらくしてから自分の魔力にあった魔具に調律し直す。その方が魔力を効率よく使えるからね。それが本来の流れなんだけれど――……その新品はあくまで初心者用。一定の量を超えた魔力が込められたら封印が対処しきれなくなって、魔具は壊れてしまう」


 さっきみたいにね。

 そう言ってルシウェルは指輪の残骸を机に置いた。ココリはそれを凝視する。信じられなかった。彼の話から察すれば、自分はすでに魔力を持っていることになる。しかし、そんなことはありえなかった。


(わたし、なにも知らないもの)


 今一度記憶を辿っても魔術を学んだ過去などない。ハッキリと言える。学びたくて仕方がなかった。断固として祖父は許さなかったのだ。


「何かの間違いじゃ……?」


 彼はかたくなに首を振った。


「僕にもわからない。けれど、君がすでに魔力を持っているということは間違いないだろう」

「どうして――わたし、ホントに何も知らないのよ?」

「君が嘘をついていると思っていないよ。ただ、生まれ持ってという例もなくはないが、すごく稀であったとしても出生時にわかってしまうものだ。君が生きてきた中で備わったという考え方の方が可能性は高いだろうね」


 言葉が出なかった。

 もう自分には魔力がある。さっき胸の内で感じた結晶がそうだったのかもしれない。それでもいつ備わったのか心当たりは全くないのだ。嬉しいという反面、自分が怖く思えた。


「大丈夫かい?」


 ルシウェルに肩を叩かれビクッとする。


「君への教え方を考える時間をくれないかな。どうやら特別なようだからね。まず、専用の魔具を作る必要もありそうだし……。まいったな、これは忙しくなるぞ」


 ころころと楽しげに笑う彼にココリは目を丸くした。


「いいの?」

「どうしてそんなこと聞くんだい? 当たり前のことじゃないか」

「ぇ、だけどお仕事もあるし」

「このことも重要な仕事だよ。ふふ、それに僕としてもとても勉強になるからね。こちらこそありがとう――というか、半人前の僕でごめんよ」


 ココリは首を振った。

 笑顔で返してくれる彼の優しさで目が潤んでしまう。

 なによりも、一緒に考えてくれる人がいるという安心感がある。


(きっと大丈夫。ルシウェルが居てくれるんだもの)


 胸の内にある不安の結晶に触れた。

 この中に自分が望んでいた物が既にあった。改めて思い返してもパッとしない。いつの間にだろうか。祖父はこのことに気付いていたのだろうか。ふと、また祖父のことを考えてしまっていることに気付き、思考を掻き消した。


(おじい様のことを考えてもわからないのよ)


 椅子から立ち上がり、空になったカップを片付けようと手を伸ばす。しかし、それはルシウェルによって阻まれてしまう。驚いて顔を上げると彼がわざとらしく言った。


「さぁて、後片付けは僕がするとしようかな?」

「え、でも」

「今の君には気分転換が必要な気がする。だからここは僕に任せて。まぁ、何か手伝いたいっていうのなら、丁度頼まれてほしいことがあってね。どうかな?」

「だけど――」

「いいんだ、気にしないでおくれ」

「ホントにごめんなさい。お仕事ばっかり増やしちゃってるわ」

「君は優しいね」

「――え?」

「僕のことは本当に大丈夫だよ。それに、今は本当に頼まれてほしいことがあるんだよ。ぜひとも、君に行ってほしいんだ。うってつけのお使いさ」

「……なに?」


 ルシウェルはカウンターの隅に置いてあった紙袋を掴み、手渡してきた。

 中身は何だろうか。あまり重さはない。


「これを、雑貨店に届けてほしい」


 そこは親友のいる店だ。

 ココリの表情がパァっと明るくなった。


「喜んで!」

「うってつけだろう?」

「ええ、そうね! ありがとう」

「こちらこそ頼んだよ。外は寒いから何か着ていきなさい」

「夕方までには帰るわ」

「あぁ。最近はすっかり日が落ちるのも早くなったからね。気を付けるんだよ」

「わかっているわ」


 ココリは紺色のフェルト生地でできたケープマントを羽織り、玄関に駆けた。

 早く会いたい。

 会っていろんなことを話したい。

 ココリにとって、同棲で同年代の唯一の相談相手である彼女。きっとルシウェルも察してくれていたのだろう。

 キッチンに立つ彼に「ありがとう」と叫ぶと「気を付けて」と短い返答があった。






§

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