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天才魔術師とココリの秘術  作者: かのや 栞
2/4

#01 ようやくの日常(上)

§





「――ぅ、ん……」


 ココリは眩しさに目を覚ました。

 鼻先が冷たい。

 突き刺すような冷気から逃れようと、体温であたたまった布団の中に顔を埋めた。温もりが心地良い。そうして再び夢に意識を泳がせようとする――が、鼻腔をくすぐる異臭に反応してしまう。何だろう、とてもいい匂いだ。ココリが身を起こすより早く、ぎゅるるるると腹の虫が声を上げた。


(これは――ベーコンかなぁ……)


 カリカリに焼いて、その油で目玉焼きを作る。独特のスモーキーな香りを立てながら、ふつふつと白身が黄身が、焼き過ぎてしまわないよう絶妙なタイミングを見計らう。白身の端々が少しパリッと焦げ付くくらいが好ましい。黄身はもちろん、トロリとしたたり落ちない程度の半熟。濃厚な風味をたまらなく味えるから大好きだ。そうしてトーストに乗せて食べる。完璧な朝食。作ってあげたい。いや、作ってあげよう。そう言ったことがある。つい最近のことだ。いつもお世話になっている彼に振る舞おうと約束した――明日。でもそれは昨日の明日。でもって今日。そう、今日だ。


「うわっ! 寝過ごした。え、今何時?!」


 時計の針は丁度八時を指していた。

 なんということだ。


「朝ごはん作るって言ってたのに!」


 布団を跳ね除けベッドから飛び降り、そのままの勢いでクローゼットの扉を引っ張った。

 白いブラウスと藍色のロングスカートを取り出す。それをベッドへ放り投げコーディネートを確認。少し寒いかもしれないが、それもオシャレの一環だ。「よし」と、短く気合を入れた。


(ストーブで温めてる時間なんてないわ)


 寒さに構ってる暇なんてない。一気にパジャマを脱ぎ捨て、寝過ごしてしまった自分に恨みを込めた。毛穴がキュッと引き締まる感覚に身を震わせながら冷えたブラウスに袖を通した。そして黒のタイツを履く。すると、幾分か寒さも改善され、ココリはホッと一息ついた。


(……嫌な夢見ちゃったな)


 スカートのリボンを後ろ手に結び、髪を梳かしながら思い出す。

 たまに同じ夢を見る。

 幼い時の、誕生日のときの夢だ。

 祖父に約束を破られ、エラルドが致命傷を負った日。

 鮮烈な出来事はココリの記憶に深々と痕を残し、今もなお夢として蘇る。まるでそれは、自らを戒める楔のようで、決して忘れされてはくれない。ずっと、ずっと、胸に刻み込まなければならない出来事なのだと本能に言われているような気がしていた。


「いつまで見るんだろ」


 そう呟いた。

 すると、部屋のドアを叩く音が聴こえ、青年の柔らかな声が続いた。


「ココリ、ゆっくり降りておいで」


 やや高めの落ち着いた声音に胸を撫でおろす。「ありがと」と短く返し、鏡を見た。

 長い金髪を低い位置で結び、肩から胸元へ流す。深い藍の瞳に少しかかる前髪をつま先で整え、ニコリと微笑んでみた。支度は完璧だ。ココリは満足げに頷き、バタバタと階段を降りた。ダイニングの扉を開くと、エプロン姿の銀髪の青年がにこやかな笑顔を向けてきた。


「おはよ、ココリ」

「ルシウェルはホントいつも早いんだから」

「よく寝れたかい?」

「ごめんなさい、昨日あんなに言ったのに……寝過ごしちゃった」

「あはは、気にしないでおくれ。世話になっているのは僕の方だからね」


 カウンターに置かれた料理をテーブルに運ぶ。

 予想通りのメニューであったが実際に料理を前にすると想像よりも遥かに美味しそうに見える。反射的に出てくる唾液を飲み込むも「おいしそう」という本音がついつい漏れてしまい、同時にお腹も鳴る始末。恥ずかしさのあまり紅潮してしまうココリにルシウェルが微笑んだ。


「待ち遠しいみたいだね、食べようか」

「いただきまぁす!」


 エプロンを取り、椅子に腰かける彼に向ってココリが頬を膨らませる。


「起こしてくれても良かったのに」

「そんな恐ろしいことできないよ」

「ちょっと、それってどういうこと?」


 ルシウェルが「冗談だよ」と悪戯っぽく笑みを浮かべた。


「ココリが幸せそうにエラルドの名前を呼んでいたから、起こすべきではないと思ったんだ」

「――なっ?! 尚更起こしなさいよ!」

「どうしてだい? エラルドのことが好きなんだろう?」

「――っ、じゃない!! 誤解よ、あんなのウンザリだわ!!」


 思わずフォークを握る右手に力がこもる。

 言いたいことは山ほどあるが上手く言葉にならず言い返せなかった。ただ睨みつけていると、目の前の彼はすまなさそうに苦笑していた。


「やめてよね、もう昔の話なんだから。わたし何とも思ってないわ。あんな人のことなんか思い出したくもないんだもの」


 ルシウェルが困ったようにため息をつく。


「そんなこと言うもんじゃないよ。ココリ、彼は君の恩人だろう?」

「ぁ、あれは――」


 わたしが全部悪い。そう言おうとして言葉を飲み込んだ。

 どうしてこうもタイミングが悪いのだろうか。夢に見たせいで、鮮明に記憶が蘇ってくる。胸の中で押さえきれなくて、ルシウェルにポツリと溢す。


「今日ね、あのときの夢を見たの。どうして今更なのかわかんないけど……もう、忘れたつもりなのに……」


 ダイニングの棚の上に飾っている祖父の写真。遺影だ。

 あれから二年。

 目まぐるしい日々だった。

 事故の後、エラルドはまるで別人ように冷酷になり、誰に対しても笑顔を見せなくなった。本物の兄のように慕っていた、ココリの大好きな彼の姿はどこにもなかった。やがて、しばらくしたある日に祖父とひと悶着した翌日から姿を消し、その一週間後に祖父が他界したのだ。

 死因は過労。

 医者からはそう言われた。そして同時に、人々は祖父の死を嘆くのではなく大いに称えた。

 死の間際、祖父の魔力は底を尽きていたのだ。

 魔導師、魔術師の死には魔力の暴走が伴う。しかし、祖父は誰も巻き込むこともなく、静かにあっさりと息を引き取ったのだった。その様に、祖父の魔導士としての力量を称える者が後を絶たなかった。どうしてそんなことができたのかと、訪ねてくる者も少なくはなかった。思い返してみれば、祖父を静かに悼む時間はほとんどなかっただろう。

 最後まで祖父の偉大さに圧倒さていた。

 

(結局最後まで何も教えてくれなかったな)

 

 事故で暴走したエラルドの魔力を抑えたのは祖父だった。

 事の深刻さをココリは身をもって体感し、魔力の危険さも理解した。そしてそれを収めてしまえるという祖父の力も目の当たりにした。凍死寸前で意識を失っていた為、実際に見たわけではないが、自分も彼も助かったということで十分偉大さはわかったつもりだった。

 そしてエラルドが去った日から、普段顔色一つ変えない祖父が床から起き上がれないほど衰弱し始めた。

 その情報を聞きつけた弟子の一人である彼――ルシウェルが支えてくれたおかげで事なきを得、彼は祖父の仕事を引継ぎ、今もなおココリを支えてくれている。


「忘れなくてもいいじゃないか。助けてもらったというのは、とても大切なことだと思わないかい? 恩着せがましいワケではなく、助かったのだから特別な日だよ。忘れることの方が難しいことだ。違うかな?」

「それは、感謝してないわけじゃないけど……」

「君が大変だったのはよくわかる。全てはわかってあげられないだろうけど、きっとエラルドにも何かワケがあったはずさ。許す、ではないけれど、きっと素敵な思い出だったと思うときがくるよ」

「そう、かしら――……とにかく、あんな薄情者のことなんかどうでもいいの」


 ルシウェルが複雑そうな顔をした。


「君は魔術が怖くないかい?」


 不意に問われた意図がわからなくてココリは首を傾げた。


「すまないね。けれど、色々なことがあっただろう? だから、魔術が嫌いになってないかと思ってね」

「嫌いになっていたら、おじい様のお仕事をあなたに任せてないわ」

「それを聞いて安心したよ。こういう話の後にだと怒られそうなんだけど君に渡したいものがあるんだ。ちょっと左手を出してくれるかい」


 手を出すと、彼は薬指に優しく触れてきた。後ろ手に小箱を取り出し、その中にあったシルバーの指輪を手に取ると、ルシウェルがココリのそこに迷わずはめてみせた。

 突然のことに口が開く。


(これって……、そういうこと?)


 婚約。あるいは求婚。どっちだって良い、意味は大体一緒なのだから。でも今の話の流れで? もしかしたら自分の考えが誤っているかもしれない。しっかり考えるべきなのはルシウェルがどのような意味を込めているのかだ。

 熱で混乱する思考で必死に把握しようとする。

 落ち着かなければと、首を振って深呼吸した。そうしてココリは再び指輪を凝視する。傍でクスリと笑う声が聞こえた。それでも構わない。じっと観察する。味気ないシンプルな指輪だ。宝石らしき装飾も何もなかった。


(そういうことにしては飾り気がなさすぎるような……ううん、高価な物じゃなきゃダメって決まりなんてないし。というか、そうと決まったわけでもないし!)


 ココリはまた首を振った。

 冷静に考えて、自分とルシウェルの歳で考えると、その差は恋愛対象になるか難しい範疇だと気づき、ココリはハッと小さく声を上げた。


「気付いたかい? 誕生日おめでとう、ココリ」

「――そっかわたし、今日で十七になるんだ」

「本当に忘れてたいたのかい?」

「最近までてんてこ舞いだったんだもの、自分のことを考える暇なんてなかったから。でもホントにありがとう。ルシウェルが一番忙しいのに、わたしのプレゼントまで作ってくれて。物凄く嬉しいんだけどビックリしちゃって。でもこんなところに着けなくてもいいじゃないの」

「どうして?」

「――ぇ?」

「魔術師を目指す君のために作ったんだ」


 熱い頬が一気に冷める。

 婚約指輪でなかったことに安堵した――が、少し残念に思う気持ちもあった。

 指輪の正体は魔具だ。魔術師や魔導師にとってなくてはならない命と同じように重要なものだ。そんな重要な物を与えてくれた彼の目をじっと見つめた。

 ルシウェルは真剣な眼差しだ。


「魔具のことは知っているかい?」

「魔術師や魔導師が魔力を溜める物、だよね」

「あぁ」ルシウェルは頷いた。「僕らは魔術の使用と比例して魔力を身体に蓄積させてしまう。まぁ、魔術を使う代償なのかもしれないが、昔は『短命』『暴走する』というリスクが今より遥かに高かったようだね」

「それで魔具が作られたの?」

「そう。魔術は人の数あると言われていてね、その中でも魔力の性質に作用できる魔術を持つ者が編み出したのがこの術――魔具に魔力を蓄積できるようになり、負担も軽減されたことでリスクや制限に縛られなくなった。魔術のあり方はすっかり変わってしまったようだね」


 ココリは視線をテーブルに落した。


(でも、代償は完全になくなったわけじゃないんだよね……)


 今朝見た夢。二年前のあの日。

 エラルドの魔具はシルバーのイヤリングだった。粉々に砕けたソレは彼の魔力を解き放ち、氷獄の脅威となって辺り一面を凍結させ、ココリに魔力の恐ろしさを知らしめた。しかしそれが魔術を扱う者が負う覚悟だということも悟った。


 ココリは自分の薬指を見詰め、生唾を飲み下した。

 これに魔力が蓄積されてしまえばもう後戻りはできない。

 一度始まってしまえば止めることはできないし、逃れることもできない。一生を魔術に携わる者として終える責任を覚悟しなければいけないのだ。リスクを避ける術はまだ編み出されていない。

 憧れていたものにある恐ろしいリスク。わかっていても怖いという感情がなくなることはない。唇をキュッと結ぶとルシウェルが左手に触れてきた。彼の手の温かさにビクリと震えてしまう。


「急にすまない。サプライズとして喜んでもらえると思ったんだけど、やはりまだ早いようだね」


 そう言って指輪が外れていく。

 本当にこれでいいのだろうか。夢に見たことがようやく目の前に訪れたのに、このまま怖気づいて機会を逃してしまえば、あの日からなにもかわらない自分の出来上がりだ。そうしてきっともう訪れないのだろう。後悔することもあるかもしれない。いや、ないことはないだろう。けれども、ずっと望んできたことだ。彼も、与えるにはかなりの覚悟があっただろう。それをあっさりと諦めてしまっていいのだろうか。


 「え?」


 近くで驚くような声が聞こえた。ルシウェルだ。

 そうしてココリは自分の手が、指輪を持つ彼の手を摑まえていることに気付いた。


「ご、ごめんなさいっ」


 自分でも何故そうしていたのかわからなかった。

 慌てて手を放すと、ルシウェルの手も引き下がった。指輪は第一関節の手前に残っていた。


「ごめんなさい。いざとなったら怖くなって……で、でもっ、嬉しいのは本当なの」

「いや、強要したのは僕だからね。これは、君のタイミングでなければいけなかった。君の喜ぶ顔が見たくてね、その邪念に負けてしまったみたいだ」


 そう言いながら、ルシウェルは悪戯っぽく微笑んだ。


(……優しい)


 正直なところ、彼に出会ったのはエラルドが去った後だ。

 身長も高く、童話に登場する王子様のように透き通るような銀髪が特徴的な青年だった。

 口調も身のこなしも気品にあふれている。離れた町の名高い商家の息子だという噂が流れたが、本人は勘違いだと首を振った。しかし、たまに影のある表所を見せる――が、ココリが見ていることに気付くといつも何事もなかったかのように微笑んだ。

 心配ない。大丈夫。君は独りじゃない。

 祖父が居なくなってしまったとき、ルシウェルはずっと傍に居てくれた。

 次から次へとくる弟子たちに経緯を話し、祖父の仕事相手だった者たちの対応や今後のことまで取り次いでくれた。魔術の知識が全くないココリにとってなくてはならない存在になっていた。

 どうしてここまでしてくれるのか。そんな問いをしたくなるときが多々ある。

 どんなに夜が更けても、どんなに朝が早くても、ルシウェルはココリの満足がいくまで、愚痴を漏らさずただただひたむきに励み続けてくれていた。感謝しかなかった。


「ありがと、ルシウェル」


 彼は不思議そうに瞬いた。


「わたしに魔術を教えてくれる?」


 そう言いながら、ココリは指輪を薬指の付け根までしっかりと装着した。

 その様にルシウェルは驚き慌てふためいた。


「――いいのかい?」

「決めたの」


 ココリは頷いた。

 いつまでもルシウェルに任せるばかりではいけないのだ。自分にもその才能がある。だからこそこの場所に居る。改めて思いを強くした。初めから、決まっていることなのだ。

 椅子から立ち上がり、向かいの席に座る彼の前まで歩くと、深々と頭を下げた。


「宜しくお願いします」

「本当にいいんだね?」

「ええ、覚悟はできているわ」





§

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