第79話 狼姉妹救出戦 5
「――――」
真っ逆さまに落ちていく。
それでも僕は、考えることをやめようとはしない。
不思議と恐怖は感じなかった。
いくらローブの防御性能があっても、山ほどもある高さから落ちればひとたまりもないというのに。
町が、人が潰されていく。その光景に何度も恐怖したはずなのに。
異常と言って違わない程に、今の僕は恐怖のきの字も感じていないのだ。
まるで開き直ってしまったかのように。僕の頭はただ、目の前に迫った答えを掴むことだけに集中していた。
「大切……僕にとって、イルとウルは……大切な……! そうか――」
「〝風よ包め〟!」
「!?」
喉の奥から、大切なの次の言葉が出て来そうになった時。
どこか近くの方から、魔法の術式を詠唱する声が聞こえた。
次の瞬間。僕の体は落下する速度を落としていき、風の球体に優しく包まれていった。
球体は地面に着地すると同時に消え、僕は何事も無かったかのように地面に足をつく。
着地したのはミシティアの正門前……僕の目の前には、七百年前から姿形が変わらない少女――僕の魔法と魔術の師匠である、エルナ・O・レディレークの姿があった。
彼女の肩にはスフィが乗っていることから察するに、魔力路接続で足りなくなった魔力を補っているのだろう。
僕が行った後、レイルさんとネリスがお師匠の元へ駆けつけたついでと言ったところか。
「あ、ありがとうごおざいます……えっと」
「レイ君とネリスちゃんは魔物の方へ行ってる! 今は急いで、フォル君!!」
「……え!?」
フォル君とは、昔お師匠が僕のことを呼ぶ際に使っていた愛称だ。
何故僕がフォルトだと知っている!?
スフィも口をあんぐりさせていることからして、スフィや一緒に居たレイルさんが話したと言うことも無さそうだし……。
くそう、ここに来てまた気になることを。
しかし今は言われた通り、再び姉妹の元へと走り始める。
既に拘束していた氷は粉々に砕け、雨水と共に地面へと降り注でいた。
ターゲットを僕へと定めた姉妹は巨体を大きくUターンさせ、僕へ向かって飛び掛かろうとしているところだった。
前を行くレイルさんとネリスまではかなり距離があり、僕から見た二人は辛うじてその形が分かるくらいだ。
姉妹から五十メートル程離れたところで立ち止まった二人は、まるで突撃体勢の姉妹に受けて立たんとしているかのように、それぞれ剣と槍を構えている。
「二人とも、何を!?」
今の姉妹は本当に山ほどの巨体を誇る。
その巨体から繰り出される突撃攻撃を、二人だけで防ぐことができるなど到底考えられない。
だがそれを分からない二人ではない。何か意図があるのだろう。
その意図と言うのが何かは不明だが――そう結論付けた瞬間、地面が揺れる程の衝撃と共に、姉妹がこちらへ向かって突進を始めた。
「行くぞネリス、踏ん張れよ!」
「そっちこそ!!」
レイルさんの剣とネリスの槍が、突っ込んできた二つの首を一つずつ担当する形で衝突する。
信じ難いことに、何か特殊な魔法や魔術が発動している様子もない。
首を受け止める二人は、ツルツルした床を滑っていくかのように、しかし凄まじい勢いと音、それから砂煙を上げ、立っている地面を削りながら押されていく。
鼓膜が破れるんじゃないかという音を立てて迫りくる、二つの首と背中。
そして――――
「……っ」
「間一髪。いや、丁度いい感じってところだな」
「し……四肢がもげそう……!」
僕の目と鼻の先というところまで迫ったところで、二人は見事姉妹の突進を防ぎきって見せた。
「やっぱりネリスの体じゃきつかったか……とはいえ、オレも流石に肝が冷えたぜ。お袋の毛がなかったら絶対無理だった」
「……毛?」
よく見てみると、二人の剣と槍にはライムグリーンの毛らしきものが幾重にも巻き付けられている。
それは姉妹の首をも巻き込んでおり、先ほど僕が氷を利用していたように拘束具のような機能を果たしているようだった。
そういえば昔聞いたことがある。
エルフの髪は精霊――簡単に言えば意思を持った魔力の塊のようなもの――の受容体であり、精霊の力を借りることによって、大きな力を発揮することができるらしい。
髪の毛に使い魔を飼っているようなものだ。
ていうか、こんなことができるのであれば別に二人の力を借りるまでもないのではと思わなくも無いが……。
「ルティア!」
「ルティアちゃん!」
「!!」
姉妹を抑え、僕の両側で未だ武器を構えているレイルさんとネリスが声を合わせる。
「言われた通り首は揃えた! あとはお前次第だ!!」
「これでいいんだよね!?」
「え……? あ、はい!」
一瞬何のことかと思ってしまうが、すぐに言っている意味を察して首を頷かせた。
お師匠に言われたのだろう。
二つの首が一同に……僕の手の届く場所に揃わなければ、イルとウルを救うことはできないと。
何故ならそれは、二つの首がそれぞれイルとウルであるからに他ならない。
どちらか一方ではなく、両方に語り掛けてあげなくてはならないのだ。
一度視魂の術に失敗してしまったのだから、一度に二人へ語り掛けるためにはそうするしかない。
ここまで全部お師匠の読み通りだと……いいや、それは少し違うか。ネリスやゴートと違って、お師匠はそこまで計算高い人ではない。
咄嗟の判断というやつだと思う。
ある程度事情を把握していて、どうしたら二人を救うことができるのかと考えた結果、強引ではあるものの僕へ向いた敵視を利用したってところか。
それでもかなり無理がある気がするが、まあいい。
この絶好のチャンスを逃すわけにはいかない。
僕は二つの首に片方ずつ手を添えると、優しく……母親が子供にするように、表情を柔らかく微笑ませる。
そして軽く首を俯かせると、そっと瞳を閉じた。
精神世界でイルが言っていた、その短い一言が脳裏によみがえる。
〝たいせつな……?〟
あの時何が聞きたかったのか。
僕が何を言うべきであったのか。
しっかり冷静になって考えてみれば、それは簡単なことだった。
イルとウルは出会ってから今まで、ずっと僕のことを〝ママ〟と呼び続けていた。
でも僕は、今の今までしっかりと言ってあげたことがあっただろうか?
イルとウルは僕にとって何なのか、ハッキリ口にしたことがあっただろうか?
精神世界で僕とは別にルティアが存在していたのも、二人をしっかり認めてあげていなかったから。
二人はずっと……出会ってから今の今まで、ずっと待っていたのかもしれない。僕の口からその言葉が出てくることを。
そうして初めて、本当の意味で、この姉妹は二人ぼっちではなくなるのだから。
今更かもしれない。
もう遅いかもしれない。
でも、それでも……二人を大切にしたいという思いは、本当の家族のように思っているこの感情は本物だから。
だからどうか……外へ出てきてはくれないだろうか。
また僕と共に――たとえいつか別れの日が来ることになったとしても。日々を共に生きてはくれないだろうか。
神に祈りを捧げるように、僕はそっと震えそうになる口を開いた。
「遅れてしまって、本当にごめんなさい。ですがもう大丈夫です。一緒に帰りましょう、イル、ウル――僕の大事な……何よりも大事な〝娘〟たち」




