第77話 狼姉妹救出戦 3
「え……?」
お兄さんと呼ばれたことに戸惑いを覚えずにはいられなかった。
いいや、本来ならそれで合っている。大正解だ。
しかし悲しきかな、今の僕はお兄さんではなくお嬢さんやお姉さんなどと呼ばれる立場。
今僕自身の目に映っているように、間違っても男だと思われるような容姿ではない。
だが確かに今、この耳は確かに「お兄さん」という言葉を聞き取った。
……まさか。
「っ……!」
「どーしたのー?」
「のど、わるい?」
「い、いえ……」
とても心配そうに聞いてきたイルとウルに、僕は動揺しながらも声を絞り出す。
さっと喉に手を触れてみると、そこには女性にはない『でっぱり』があった。
思えば視線もいつもより高い気がするし、今出てきた声も到底女声とはいいがたい……でも、懐かしい声だった。
今まで呟いていた言葉はルティアの声で聞こえていたというのに、だ。
少なくとも今現在の僕は、間違いなく男性――フォルトとしてここにいる。
一体どうして?
……いいや、そうか。
ここは魂の本質がそのまま表れる場所。
となれば、この空間に潜り込んだ僕自身も、本来の姿であるフォルトになっていても不思議ではない。
先ほどまでは本気で自分のことをルティアだと思っていたために、体の変化に気が付かなかったのだろう。
そして僕がルティアではなくフォルトとしてこの空間に存在しているのであれば、別でルティアが居てもおかしくは……ん?
待て。それはそれでおかしい。
そもそもイルとウルは、ルティアの正体がフォルトであることを知っているハズだ。
この姿は覚えていなくとも、以前僕のもとへやってきたときは匂いで判別したというのだから、僕のことが分からないはずがない。
同一人物であるという認識を持っている以上、例え僕が男の姿になっているとしても、今のような状況になることは考えにくい。
考えられるとすれば、イルとウルの意識がフォルトとルティアを別物だと思っていることくらいだ。
……わからない。
目の前のルティアは一体何なんだ?
「だ、大丈夫ですか……? やはり体調がすぐれないのでは……」
「えっ? あ、ああすみません。少し考え事を……では失礼します」
あまりに突っ立っている時間が長すぎたため、ルティアが僕のことを心配して声をかけて来た。
自分の店で失礼しますというのも変な話だが、一応一言入れておいてソファに腰かける。
向かって右側の真ん中が、僕の定位置だった。
いつものように同じ場所に座ると、ルティアは僕の向かい側に腰かけ、イルとウルがその両脇に移動していく。
ああ、これもいつも通りだ。
そして席に着いた後の言葉も……
「早速ですが、お名前とご依頼内容をお聞かせ願えますでしょうか」
何もかもが僕その者。
こうして第三者視点で見る事には若干の違和感と気恥ずかしさがあるものの、目の前のルティアは、確かに僕と同じ動きをしている。
もしかしたら、イルとウルの今の状況に何か関係しているのだろうか。
ありえない状況を可能にしているのであれば、何かしらの原因があるのは明白だ。
この仮想空間に置いては特に、一つの不可思議な事象が、全ての根幹として位置していることも珍しくない。
であるならば……少し、賭けに出てみるか。
今から僕が言うことの反応次第では一つ仮説を確信に変えることができる。
僕はあえてイルとウルに目を向けることは無く、依頼内容を口にする風を装って
口を開いた。
「――――イル、ウル。助けにきました。一緒に外の世界へ帰りましょう」
「「っ!」」
イルとウルは大きく体をびくつかせていた。
同時にルティアの服の袖を強く握りしめているが、そのルティアはまるで時が止まってしまったかのように、ピクリとも動かなくなってしまっていた。
そして、ルティアに縋りつくように抱き着いている姉妹は……キッと僕を睨みつけながら、言葉の返事を投げつける。
「……や」
「かえらない。ウルとイルは、ずっとここにいる」
「…………」
やはり……か。
僕が発した言葉に疑問を持つこともなく、姉妹はただただ『否定』した。
これはつまり、僕を僕として認識しているあかしだ。
思えば一番初め、ここにたどり着いたときのイルとウルはどこかよそよそしかったが、その後すぐに僕のことを心配して声をかけてきたというのも、相手が僕以外でならそうはならない。
一度町一つ滅亡させてしまっている彼女たちは、僕以外の相手には必ず距離を置いて接している。
ここまでの回答自体は大方想定の範囲内だ。これは、二人が僕を僕として認識しているかどうかを確かめたに過ぎない。
そしてこのおかげで、ルティアが存在している事への仮説を確信へ変えることができたのだ。
やはり二人の中で、今の僕とここに居るルティアは完全な別ものとして扱われている。
正確には、目の前で固まっているルティアこそが、イルとウルの思い描く理想の姿であるというわけだ。
つまり今の僕は、同じルティアの中身であったとしても、姉妹が思い描く『ママ』の姿とは乖離してしまっているということ。
この精神世界から二人を救い出すためには、何故そうなってしまったのかをつきとめなければならないワケだ。
そうと決まればこれからすることはただ一つ。
まずはシンプルかつ的確に、しかしダメ元で聞いてみよう。
「何故帰りたくないのか、聞いてもいいですか」
できるだけ優しく問いかけてみるが、姉妹はそっと目を逸らすのみ。
どういうわけか、ルティアだけでなくこの世界そのものが停止しているようで、辺りには時計の音すらも聞こえない完全な静寂に陥った。
そのまま言葉も音もない時間が数分ほど過ぎ去っていくと、辛抱たまらなかったのか、イルがふるふると口を震わせて何かをつぶやき始めた。
「……ら」
「イル?」
「……から……イルと、ウルは……いきてちゃ、いけ、ない……の……!」
「ママ……わたしたちは、いかない。いけない……ずっと、ここにいる……ここで……ころして」
「なっ……何を言って……!?」
今度は、僕が言葉を失う番だった。




