第76話 狼姉妹救出戦 2
「<超加速>」
造り上げた道が砕かれてしまわないうちに、僕は超加速の魔術で首の前まで移動する……が。
――バキッ
「!?」
道には強度が足りなかった。
魔術を発動した次の瞬間、風圧に耐えられなかった氷の道がボロボロと崩れ始め、僕自身も体のバランスを乱してしまう。
勢いのまま前方方向に倒れた体は、崩れ落ちる道の上を何回転かした後、氷片と共に空中へ放り出された。
「やばっ……!」
咄嗟に体の下の雨を凍らせて、柱状の足場を作り出す。
そのまま体を打ち付ける形での着地となったが、ローブコートの効果で辛うじて大きなケガはせずに済んだ。
とはいえかなりの痛みを伴ったのも事実で、着地の瞬間はまた二回転ほど体を転げさせ、仰け反らせながら左手で背中を抑えてしまった。
この時額と頬にいくつか切傷ができている事にも気が付いた。転倒した際に氷の破片で切ってしまったのだろう。このローブコートは打撃や魔術には強い装備であるが、刃物には効果が無いためにこちらの方が大きなケガとなったようだ。
しかし痛がっている暇もない。
すぐさま痛みから頭を切り替えると、姉妹との残りの距離を目視で確認する。
おおよそ後十五メートルと言ったところだが……僕がやろうとしていることを実現するためには、致命的に高さが足りない。
どちらかの首の頭に乗りたいのだ。
その巨体はまだ氷によって縛られているが、先ほど足を凍らせたときの事を考えればもってあと数秒程。
幸い僕が妨害の手を加えていたおかげか、姉妹の注意は完全にこちらに向き始めている。
氷が砕かれてしまえば、今度はお師匠ではなく僕の方へと向かってくるはずだ。
そう判断をすると、僕は町からは逆方向に氷の道を造り、今度は自分の足で走り始める。
これと間もなくして姉妹を縛っていた氷が崩れ落ち始めると、予想通り僕のことを追ってその二つの首を回してくる。
「よし、このまま体の方もUターン……を――――」
(……あ)
不意に、体感覚に違和感を覚えた。
氷の道を踏みしめていたはずの足は宙に浮いており、視界はぐるりと回って天と地が九十度傾いているように映っている。
それから首より下は蒸し風呂に入っているかのような暑さがあり……少し遅れて、何か鋭いものが体に食い込んでくる痛みがやって来た。
「いッ!? ぐッああああああ!!!」
この痛み、この感じ。
ああ、間違いない。僕は今、イルかウルか、どちらかの口の中だ。
真っ先にかぶりついてきたあたり、狩り好きなイルかな。
二度あることは三度あるとはよく言ったものだ。
三度も同じ相手に殺されるなんてまっぴらごめんだが。
あれか? この姉妹は僕の天敵か何かか?
いつもは天使のように可愛いのに?
ママなんて言って満面の笑みで抱き着いてくるような子なのに?
「ッガ……あ、ああああ……! 思ったより痛いですよ、これ……ッぐ!!!」
可愛い娘たちを思いながら痛みに耐えようとしたが、全然効果が無いらしい。
だがまあ、思わず声を上げてしまったが、これはまだ想定の範囲内。
顔に近づくためにはこれが一番手っ取り早く、最もリスキーだったというだけだ。
想定外だったのは、僕のことをガブリと行ってしまう速さと、噛みつかれたことによる痛みの度合い。
歯は完全な刃物ではないためにローブコートの防御効果が一応有効なのだが、少しその効果に期待しすぎていたようだ。
というか、これは先ほど叩きつけられた時に分かっていたはずだろうに、やはり頭が回り切っていない。
しかし想定内は想定内。
僕は杖に魔力を送り、口内で次の魔術を発動させた。
「ごめんなさい……!〈爆炎弾・縮小版〉!」
『ア゛ア゛ア゛ッ!?』
できればこれ以上傷つけたくはない。
だがこれで僕が絶命してしまっては元子も無い。
多少の傷では済まされなくなってしまうかもしれないが、暴走した子を鎮めるのは親の役目。
心を鬼にして放った弱めの爆炎弾は、口内を少し削る程度の小さな爆発を起こした。
例え小さな爆発といえど、口の中は表皮に覆われていない分格段にダメージを与えやすい。
これによってイル(?)は噛んでいた口を大きく広げ、僕の体も自由となる。
口が閉じてしまう前にと、体にムチを打って立ち上がらせた僕は、急いで口の外周を頬側へと向かって足を走らせる。
そうして口の根元部分まで走ってくると、杖の先端を伸ばすようにして凍らせ、更にT字になるように拡張させる。
これを閉じかかって来た口のつっかえ棒として思いっきり突き立てて、T字の飛び出た部分を足場として高く飛び上がった。
本当にギリギリのところであったが、杖を魔力へ還元して口が閉じ切ると、僕も辛うじて頬に生えている毛束につかまることに成功。
不格好だがよじ登って行き、眉間の辺りまでやってくることができたのだった。
「本当に……本当にごめんなさい。もうすぐですから、どうか我慢してくださいね……〈大凍結〉」
「ア゛……ッ!?」
傷つけてしまうたびに、心がえぐられるような痛みに襲われる。
先ほどよりも厚く、何重にも重ねた氷の拘束具によって、姉妹の体は三度がんじがらめに拘束された。
これならなんとか数分は持ってくれるだろう。
そしてこの魔術を発動させた後、自我を失い暴走してしまった姉妹を……大事な娘を助け出すべく、意識を集中させていった。
二人の中……心の中に入り込む、優しく手を差し伸べてあげるイメージを思い浮かべ、その術式を口にする。
「スフィーリアム・レムル・ジーィラ」
◇
くるしい
いたいよ
どうして
どうして、こんなことするの?
なにもみえない
こわいよ、いたいよ、ねえ……
ねえ……なんで……
なんで、きてくれなかったの……?
――――ママ
◇
「!!!」
気が付くと、僕の目の前には見慣れた風景が広がっていた。
道を往く荷馬車。
汗水たらして復興に励む男達。
つかの間の休日を楽しむ人々。
そして存在感の大きい、三階建てのレンガ造り。
ここは……僕が立っているこの場所は、ファルムの冒険者ギルド前だ。
「……ひとまずは、成功ですか」
スフィーリアム・レムル・ジーィラ。
これは〈視魂の術〉という魔法を発動させるための術式だ。
人の本質を覗き見て、それに干渉することもできる魔法なのだが、今のように直接触れてやらなければならないうえに、僕の魂を姉妹の中へ侵入させるようなものであるため、本体は完全に無防備状態という危険な代物。
そして人の本質を覗き見るということは、対象者が心から願う憧れや理想と言った物がそのままの形となって具現化されることでもある。
つまり今目の前に広がっているファルムの町は、イルとウルの精神世界が生み出した仮想の都市ということだ。
となれば、この空間のどこかにイルとウルも存在する。
正確には、暴走してしまっているイルとウルの魂とよべるものがここに在る。
夢を見ている状態……といったほうが分かりやすいだろうか。
僕はイルとウルの夢の中に入り、この夢を終わらせることで開放することが目的だ。
解放された魂と意識は自然と表へ浮かび上がって行き、暴走している体も元に戻るという寸法である。
「さて、まずは二人を見つけなくては」
時間の余裕はない。だがファルムが浮かび上がったということは、間違いなく二人は近くにいるだろう。
ここがイルとウルの精神世界である限り、二人の知らない場所が出てくることは無い。
ギルドの前に出て来たとなれば、最有力候補は決まりだ。
迷わずギルドの中へ足を踏み入れていき、酒場を駆け抜けていった先……右奥側にある、『Lutia』と書かれた看板が掛けられている扉の前に立つ。
「……一応ノックはしておきますか」
自分の店の前なのに、何故か妙な緊張感がある。
コンコンと焦り気味なノック音を響かせてドアノブを捻ると、一思いに扉をひらいてみせた。
すると――
「ママ! きた!」
「ママ、おきゃくさん!」
「そうですね、では続きはまたあとでにしましょうか」
「……え?」
扉の奥には、確かに見慣れた僕の店があった。
何のことは無い、いつも通りの僕の店だ。
だがいつも通りであるがゆえに、そこに存在してはいけないはずのものまでいることに、戸惑いを隠すことができなかった。
店の備品であるソファの上……イルとウルに囲まれて本を持っているその少女だけは、ここにいてはいけないのだ。
何故ならその少女は……僕は、僕がここに来ることと引き換えに消えていなければならないから。
そうしなければこの仮想世界に同一人物が二人いるという矛盾が生じ、その矛盾による綻びで崩壊していってしまう。
この世界は二人の意思によって終わらせなければいけないため、それだけはあってはならないことだった。
だが実際に、目の前には確かに僕が……ルティアが存在している。
そしてどういう訳か、脇にいるイルとウルは、僕のことをルティアとして認識していないように見えた。
彼女たちが僕に向ける目が、いつもと違いどこか余所余所しく感じられる。
一体何が……何故そんな目で僕を見る?
その答えは、何気も無く、いつもの営業スマイルを向けてくる少女の口から発せられた。
「ようこそいらっしゃいました、僕が店主のルティアです。どうぞお好きな席にお掛けください……お兄さん」




