第75話 狼姉妹救出戦 1
ローブの形状自体にこれといった変化はない。
僕の体に合うように細部が微調整されている程度だ。
なのになぜか! なぜか内側だけが総入れ替えになってしまっている。
こんな機能があっただなんて僕には全く身に覚えがないし……元着ていた服は一体何処へ?
まあ、着たくて着てたわけじゃないのでそこまで気にすることでもないのだが……予備に二着もあるし。
それ以上にビキニを強制着用させられた件について抗議したい。
……が、いちいちそんなことを考えている暇も今は惜しいか。
「ツッコミどころは多々ありますが……後で色々聞かせてください」
「ああ。変身に関しては知らないけどな」
「いってらっしゃい! もうひと踏ん張り、わたしたちも頑張るから!」
「――行ってきます!」
装いも新たに、僕は町の外へ目掛けて走り始める。
それから間もなくして、姉妹を覆っていた風のドームが徐々に薄くなっていることに気が付いた。
この調子ではあと三十秒ももたないだろう。
「っ……まだ周りに人がいますが、止む負えませんか」
姉妹が再び活動を始めてしまえば、ミシティアはあっという間に蹂躙されてしまう。
周囲に多少の被害が出ることを承知の上で、僕は〈超加速〉の魔術を使うことにした。
このまま間に合わずに踏みつぶされるのを待つか、風圧によるケガで済むかのどちらかを取れと言われたら、後者を取るしかない。
罪もない人に被害が及んでしまうというのは心が痛むところではあるものの、そんな迷いを振り切って魔力を練り上げた。
人の多くは既に祭壇付近に集まっているおかげで、前方にはほとんど人がいる気配がないのが幸いといったところか。
超加速で真っ直ぐ町の門まで道中をショートカットしたと同時に、姉妹を覆っていた風のドームが完全に消え去った。
すると自由になった姉妹は、その二つの首を即座に町外れにある高台へと向けていた。
「何を……いや、そうか! まずい!」
元々狼の魔獣であったイルとウルは、人をかぎ分けるだけの嗅覚を持っている。
魔力とは内に眠る精神的な力の塊。
それにも個々別々の匂いや癖があるのだと、幼い頃にならった記憶がある。
おそらく魔力匂いをたどって、術者であるお師匠の居場所を突き止めたのだろう。
となれば、今のお師匠は魔力を使い果たして動き回ることなどできない状態のはず。
姉妹の一撃を喰らえばひとたまりもないだろう。
「まずは足止め――〈大凍結〉!!」
姉妹の足元付近十メートルを凍らせ、町やお師匠がいる方への進行を防ぐ。
周囲の雨をも巻き込んで巨大な足をがんじがらめに封じ込めると、姉妹は大口をあけながら足を持ち上げようとしている。
『ア゛――ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!』
「なんという声を……」
その声は、あの時……ゴートに裏切られ、二人を探し回っていた最中に頭の中に響いてきたものと似ていた。
重く、苦しそうな、二つの声と感情が入り混じって濁ってしまった声。
一刻も早く解放してあげなければ。
そう思い、再び走り出した矢先――。
『アア゛ア゛ア゛アア゛アア゛ア゛ア゛アア゛!!』
鼓膜が破けそうなほど大きな叫びと共に、バキバキと氷の砕け散っていく音が響き渡る。
ファルムに出現したゴーレムを一瞬で無効化することができた魔術だったのだが、今のイルとウルを相手には一時の足止めにしかならなかったのだ。
泉の水を飲んだことと、どういう訳か二人が合体して一体の魔物へと変貌したことにより、筋力をはじめとするステータス面でもかなりのパワーアップをしているらしい。
しかし無傷とはいかず、砕いた際に破片が刺さり血が流れ、張り付いていた氷が剥がれた際に皮膚に損傷を及ぼしていた。
『ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!゛!゛』
痛みに再び声を上げながら、姉妹は再び高台を睨み見る。
今の魔術をお師匠がやったのだと思い込んだのだろう。
その表情は痛みによって歪み、また同時に怒りをも露わにしているように見えた。
「待ってください!! イル、ウル!!!」
大きく足をあげ、町へ侵入しようとする姉妹を見てか、思わず喉から言葉が飛び出てしまった。
しかし僕の声が届いている気配はない。
踏み出した一歩は大きく砂塵を巻き上げ、町に居る人に恐怖を植え付ける。
「イル!! ウル!!! 止まってください!!!!」
無駄だと分かっているはずなのに、無意識のうちに二言目の声が出た。
「僕はここにいます!!! ですから!!!!」
自分でも何故か分からない。
足を動かしながらも、先に出るのは言葉だった。
先ほどの大凍結によるダメージを見たことで、姉妹を傷つけるのが怖くなってしまったのだろうか。
……これも少なからずあると思う。
でも、声を上げた本当の理由はそこにはない気がした。
「イル!!! ウル!!!」
ではなんだ?
お師匠が殺されてしまうのが怖い?
町に被害が及ぶのを避けたい?
違う。本当にそうなら、先に足止めなり注意をひかせるなり、何かしらの行動に出ているはずだ。
「そっちはダメです!! 止まってくださいって!!!」
なんなんだ?
このふつふつと湧き上がってくる感情は。
どうしてこんなにも躍起になって声を上げているのだろう?
どうしてこんなにも……こんなにも、イライラしてくるのだろう。
「止まれって――」
昂った感情に流されるかの如く。
僕は杖に魔力を蓄積させていた。
杖に取り付けられている水属性の水晶が光り、中心の大水晶に送られる。
十分な魔力の蓄積を感じた僕は、一旦足を止めて両手で杖を構える。
「言ってるじゃないですかあああぁぁ―――!!!」
構えた杖の先端に巨大な魔法陣が浮かび上がり、中心部から大砲の如く凄まじい勢いで、大量の筒状の水が発射されていく。
〈水圧大砲〉。
格好良く且つ分かりやすく言えばビームだ。
水ビーム。
僕の叫び声と共に放たれた水圧大砲は、左側の首の頬に命中した。
すると左の首は高台から僕の方へと視線を移した。
「! やった! ……?」
やったじゃない。
何を言ってるんだ僕は。
首がこちらを向いた瞬間、なぜだか嬉しくて声が出てしまった。
まるでそう、意中の相手を振り向かせたときのような、心の内が達成感で満たされていく気持ち。
まだ全然姉妹を助けられていないというのに。
それなのに何故か……いいや、何故では無いか。
少し冷静になってみると、すぐに答えは導き出せる。
僕はきっと、姉妹が僕を無視してお師匠の元へ行こうとしていたことに対して嫉妬していたのだろう。
聞こえていない、聞こえるはずがないと分かっていたにもかかわらず。僕の声を聞き取ってくれない姉妹に苛立ちを覚えていた。
たぶん……いや、絶対に、いつもならこうはならないだろう。
今日は感情に流されすぎた。
あまりにも落差が激しすぎて、いつの間にかコントロールが効かなくなっていたのだろう。
イルとウル、姉妹が攫われ、ゴートの裏切りが発覚してからというものの、希望と欺瞞を抱いては、絶望の底に突き落とされ、また救いの手を差し伸べられては突き落とされ。このやり取りが一体何回あっただろうか。
こんなことでは駄目だ。
冷静になり、次への一手に繋げなくては。
結果的に姉妹の片方の気を引くことには成功したが、依然として体は高台を狙っている。
僕は三度走り始めると同時に、自分の足元へ大凍結の魔術を発動させる。
これはただ地面を凍らせるのではなく、凍らせる範囲を調整して首へと続く道を作るためだった。
できる限りまっすぐな坂道に作り上げたそれは、超加速による移動を可能とするためのもの。
ついでに姉妹の足元、そして体の周囲の雨を凍らせることで、少しの間足止めとして利用する。
こうして僕は、振り向いている首のほぼ前までの道を作り上げた。
「今度こそ、本当に助けてみせます! 少し――お邪魔しますよ」




