第70話 守るべき大地
ミシティアを一望することのできる祭壇。
頂上までは数十メートルに及ぶ長い階段を昇ることになるのだが、ゴートの話によれば、イルとウルはこの地下にいるとのことだった。
それが信じられるかどうかはさておき、今は彼の後をついて行くほかにない。
もし騙し討ちに会っても対応できるように身構え、周囲に気を遣いながらゴートの後ろを歩いていく。
階段を昇らず、祭壇を回り込むように進んでいくと、やがて広大な湖の畔までたどり着いた。
「ゴート。一体どこまでいくつもりですか」
「こちらへ来たまえ。隠し通路から地下へつながっている」
こちらといってゴートが進んでいくのは祭壇の裏側。湖と祭壇との間にある足場……整地もされておらず、雑草が生い茂るわずかな隙間だった。
一歩踏み間違えれば湖に真っ逆さまという狭い足場を中腹辺りまで進んでいくと、急にゴートが立ち止まり、祭壇を形造るレンガの一つを抜き取った。
すると周りのレンガが音も無く透き通るように消えていき、地下へと続いているであろう、人一人が入れる程度の階段が姿を現した。
「これは……」
「その昔、ミシティアのシャーマンは祭壇の地下にある部屋に籠り、十五日間に亘って祈りを捧げ続けることで神の啓示を授かったという。本来ならば、もっと複雑な封印が施されている場所であるのだがね……まあそれはいい。二人はこの先だ」
「……ちょっと待ってください」
「何かな」
一歩階段を降りたゴートを引き留め、僕はキッと歯を食いしばる。
この胸の内で暴れる、今にも爆発しそうな感情をそのまま言葉にしようかと思ったが、一瞬の躊躇の末に、ただ一言を口にする。
「どうして僕を……此処に連れて来たんですか」
「……義理立てという物だよ。紳士的で、無責任なね」
「何を!」
「ついてきたまえ。君には話そう」
「――――っ」
この期に及んで紳士などという言葉を口にしたゴートに、僕は紛れもない怒りの感情を露わにしかけた。しかし彼は眉一つ動かす事も無く、地下へと続く次の一段を降り始める。
攻撃を仕掛けないとわかっているかのような、隙だらけの背中に苛立ちを覚える。
だが、ここでゴートを襲えば、囚われているイルとウルに何があるかわからない。
僕はこの気持ちをぐっと抑え込んで、今はおとなしく後ろをついて行くことにした。
そうして、降り始めてから約十分。
日の光も入らなくなり、壁に取り付けられた灯りだけを頼りに進んでいくと、まっすぐ階段を降りて行った先に、灯りではない、何か別の光があることに気が付いた。
次第に近づいてくる光。
それは一つの部屋を照らしているようで、この事実を理解すると同時に、僕の足は嫌でも速くなっていく。
イルとウルはそこに居る。
そう考えた僕は、ゴートと少し間を空けて歩いていたにもかかわらず、背中にぶつかりそうなほどに接近していた。
追い抜くことができないことに滞りを覚えつつも、一分もしないうちに光は目の前までやってくる。
たどり着いたその場所は、四畳ほどの空間のおよそ半分が、眩い輝きを放つ泉によって埋められているという、とても神秘的な空間だった。
灯りのようなものもなく、この神聖な泉が辺りを照らしているということなのだろう。
そしてその空間には、クラムを名乗っていた青年と……両手を拘束され、気を失って倒れているイルとウルがいた。
「イル! ウル!」
思わず大きな声を上げ、僕は倒れている二人の元に駆け寄った。
拘束具の縄をほどき、ほかに傷をつけられていないかを目視で確認していく。
「……ゴート様、止めなくて良いのですか。それに何故彼女を」
「クラム君。それより、仕事の方はこなしてくれてあるのかね」
「それは……滞りなく」
「であれば構わない。彼女もまた、神の復活には不可欠なのだよ……いいや、彼女こそが本命であるのだがね」
後ろでゴートとクラムが話をしているが、今の僕は姉妹のことでいっぱいいっぱいになっていて、会話の内容までは頭に入ってこない。
幸いイルとウルのどちらにも目立った外傷はなく、少し服が汚れている程度だったことに安堵したところで、一歩近寄って来たゴートが僕に声をかけて来た。
「ルティア君。二人を抱いたままでも構わない。先に言った通り、君にはしっかりと話しておこうと思う。ワタシの……いや、ワタシ達の目的をね」
「……は?」
何を言っているのか理解はできても、納得がいかなかった。
初めに言っていたのは、このミシティアの町を襲撃から守ること。それに対する向き合い方は本気のそれであったし、真に守りたいという意思も感じていた。
今でもその気に偽りはないと思っているし、だからこそ……だからこそ、納得がいかない。
何故イルとウルを攫ったのか。
金銭を払ってまで、旅を共にしてまで得たそれなりの信頼を裏切るような真似をしたのか。
しかもそんな行為をしたうえで、何故僕をこうして二人に合わせ、何の手出しをする事も無く拘束を解かせているのか。
そこに真の目的とやらがあるのだとしても、わざわざこんな事をする意味が分からない。納得がいかない。
「率直に言おう。我々は一度、この町を無に帰す」
「――――!?」
「念のため言っておくがね、聞き間違いではない」
「そん、な……言っている事が違います!!」
裏切りが決定的なものとなる言葉。
これを聞いた瞬間に、僕はイルとウルの前に立ち、右手に杖を精製した。
が、ゴートはこれにも動じることは無く、淡々と口のみを動かす。
「確かに、表向きに考えれば矛盾した発言と言えよう。この地は我らが神にゆかりの深い地。滅ぼすとあらば神罰に触れることとなる」
「なら!!」
「が――何故、この地の者は我らの神を崇めない?」
「え……?」
何故僕――フォルトを崇めないのか。
これを口にしたゴートの声には、怒りにも似た感情が込められている気がした。
そして……
「平和を願う祭典はいい。素晴らしいものだ! だが彼らの祈りはどこに捧げられると思う? いいや、彼らは祈ってすらいない!! ましてやこの地でかつて崇められていた神は我らが神とは無関係の水の神なのだ! おかしくないかね!?」
「ゴート様」
「っ! ―――失礼。柄にもなく興奮してしまったようだ。これでは紳士的とは言えまい」
「……ああ、そういうことですか」
今まで溜まりに溜まっていたわだかまりが、一気に呆れという感情に集約されていく気がした。
ゴートが言いたい事。
それは単に、僕を崇めていないことへの不満という一言に尽きるものだ。
確かにこの町は僕との関わりはあったものの、崇められている神という点においては、昔からある水神が信仰対象とされていた。
これはこの町が湖畔にあるという点も関係があるが、世界の平和を願うという点においても重要なことだった。なぜかと言えば、水とは命の源であり、世界平和……争いの無い、命が繁栄する世界を願う祭典であるからに他ならない。
命の象徴である水の神が信仰されるのは当然であると言えよう。
ゴートはこれが気に入らないと言っているのだ。
僕と深い関わりを持ちながら、僕を信仰対象としないこの町が気に入らない。だから一度壊し、新たに僕を崇めるような町を作ると言っているのだ。
本当に、本当にくだらない。
ゴートのことだからもっと何か陰謀じみた理由があるのかと思いきや、これではただのわがままだ。
こんなことのために一体どれだけの死者を出すつもりなのか?
考えるだけでも反吐が出そうになる。
「誤解しないでいただきたいがね、ワタシはこのミシティアという地を守りたい。これは本心であることに変わりない。ただし……今のミシティアではないということだ」
「世迷言を」
もはや弁解の余地もない。
イルとウルを攫ったことについては未だにわからないが、もうどうでもいい。
今なお表情を変えないゴートと、言葉一つも発しないクラムへ向けて、僕は右手に持つ杖を構えた。
「少しでも信じたのが間違いでした。あなたたちは、ここで止めます」




