第66話 苦し紛れ相談会
この屋敷の食堂は、十メートル程の長テーブルを囲うようにして椅子が設置されており、それなりの人数での会食もできる広さとなっている。
しかしここ三百年ほどはそんな場所とは無縁の生活を送っていたレイルは、どうしても緊張を隠せないでいた。
部屋で抜けたはずの力が、豪華な家を歩いているうちに再び入ってしまったのだ。
「ふぅー……落ち着け……」
レイルはそっと左胸に拳を添え、何回か深呼吸をする。
どうにか心を落ち着かせ、肩の力を抜こうと意識しながら両開きの扉へ手をかける――――すると。
「ちょっ やめなさふにゃあっ!?」
「!?」
真っ先にレイルの耳に入ったのは、スフィのものと思われるあられもない声だった。
一体何事かと、レイルは声がした部屋の奥側へ目を向ける。
そこで彼の目に入って来たのは、テーブルに置かれたスフィと、彼女を弄り倒しているエルナとメロディアの姿だった。
「うりうりうり~ここかあ? ここがいいのかぁ?」
「この辺なんかももふもふしてていいわよねえ~♪」
「あひっ そこだめっくすぐったあひひひひひ!」
「……なにやってんだ」
「あ、おはよーレイ君。よく眠れた?」
スフィをもふもふする手を止めることは無く、しかし息子の声にはしっかりと反応して見せるエルナ。
しかしレイルは二人の手元にばかり気を取られ、苦笑いを返すことしかできなかった。
「あひゃっ ちょったすけなしゃあひゃひゃひゃひゃひゃ!! ムリっ ヒヒヒヒいひイヒ!!」
「と、とりあえず、スフィを開放してやってくれ。そいつ基本的に人嫌いなんだよ」
「あれ、そうなの? 割と気持ちよさそうだけど……レイ君がそういうなら」
「あっ、あひっ ひひひ……ウヒッ……ヒヒっ」
レイルの言葉を聞き、スフィから手を引く二人。
しかし既に手遅れ(?)であったのか、スフィはピクピクと身体を痙攣させ、白目を向いた目尻には涙を浮かべ、声にならない声を上げるのみ。どうやら笑いすぎて気絶してしまったようだ。
あられもない姿をさらしているスフィを見てか、レイルは緊張が吹っ飛ぶ代わりに「あーあ」と小さくつぶやき、後に言われるであろう文句を思いため息が出た。
だがそんなどうでもいいことにうつつを抜かしている場合ではないと、レイルはすぐに気持ちを切り替える。
そして一泊を置いた後、真剣な面構えでエルナに向けて口を開いた。
「そんなことよりお袋、その……久々に会ってこんなこと言うのもなんだが……頼みがあるんだ」
「! うん。何でも言ってごらん」
シーナがこの場所にレイルを飛ばしたせいで、彼の選択肢は一つに絞られてしまっていた。
この場で転移を使えるのがエルナだけであるのだから、アリアへ行くためには彼女に頼むしかないのだ。
三百年ぶりに再会したというのに、その時間を共に過ごすことすらできない。
家族に黙って姿を消したレイルにとって、それは胸を貫かれるように辛い選択だった。
心中では、そんな申し訳なさと余計なことをしてくれたシーナへの文句を連ねつつ、本題へと話を乗り出す。
「大事な用事があってさ、アリアに転移させてほしいんだ。その後、できればミシティアに……」
「!!!」
アリアという単語をレイルが口にした瞬間、エルナとメロディアの顔つきがきついものへと豹変した。
「お袋?」
「レイ君。そこに何しに行くつもり?」
「何って、それは……」
「まさか、変な組織に入団したりするわけじゃないよね」
「!?」
エルナの口から放たれた、あまりにも的確すぎる言葉に度肝を抜かれ、レイルは体をひるませる。
そして同時に、彼女の言葉はアリアがフォルタリアであることを決定付けた瞬間でもあった。
レイルとフォルトが同じ屋根の下で暮らしたことがあるように、エルナとフォルトにもまた深い面識がある。
関係だけで言えば、エルナとフォルトの方がより深いともいえる関係を持つのだ。
だからこそ、彼女の言葉には疑惑を確信へと変える説得力があった。
「答えて」
「あ……ああ。そうじゃない。でも、どうしてお袋がそれを」
「ってことは、やっぱり知ってはいるんだね。〝フォル君の教団〟があの町にあるってこと。その教団が、最近よからぬ動きを見せていることも」
「一応、被害に遭ったからな……間違っても、あんな奴らの味方になることは無いよ。それだけは断言できる」
「じゃあ何しに行くの?」
「ッ……」
言葉が詰まった。
レイルがフォルタリアの神殿へ赴き、やろうとしている事。
それは情報収集と同時に、神殿に保管されているであろう『大賢者フォルトのローブ』を盗みだし、ミシティアに行ったルティアに届けることだった。
彼のローブを取りに行くと決めたのは、フォルトを補助するための魔術付加が多数施されており、ミシティアを守るために役に立つと考えたからだ。あとはゴートへ貯まっていた不満やうっぷんのはけ口でもある。
しかし窃盗は窃盗。タダでさえ気の重い相談をしているというのに、盗みに入りますだなどと言えるはずもない。
しかもこれを告白するということは、フォルトとレイルが『今』面識を持っていることを暗示する行為でもある。
レイルはフォルトが普段は面倒くさがりであることを承知しているため、面倒事を増やさないためにも、出来ればエルナにこのことを悟られたくはなかった。
そこでレイルは、どうにかしてフォルトの事だけは隠そうと、余裕のない頭を捻らせて口を開いた。
「その……仕事だよ」
「仕事?」
「ああ。お袋も言ってただろ? 怪しげな教団があるって。オレはその潜入調査をすることになったんだよ。冒険者としてさ」
「…………」
冒険者としての仕事である。
レイルがそう口にするが、エルナはただじっと、レイルの目を見つめ続けた。
そうして大よそ一分ほど。
レイルの額から冷や汗がにじみ出そうになったころ、エルナはようやくことを次へと進めるに至る。
「はぁ……そう言われると、止めるに止められないかぁ」
レイルが言っていることは嘘ではないと判断したエルナは、仕方がないとレイルの頼みを聞くことを了承した。
しかしここにきて、彼女の隣にいたメロディアが口を開いた。
「え、エルちゃん。大丈夫なの? まだ二人も帰ってきてないのに……」
「二人? ……ああ、親父とレイナのことか。そういえば見なかったな」
「そう。お父さんとなっちゃん、今はちょっと外に出ててね。レイ君にも合わせてあげたいけれど、一か月は帰らないって言ってたし……ミシティアってことは、お祭りだよね? それまでだったら大丈夫じゃないかな」
「本当に? 本当に大丈夫? 怪しい教団なんでしょ? 危険なんじゃ……」
エルナとレイルの身を案じ、メロディアは気が気ではない様子。
しかしそんな祖母の姿を――昔から何一つ変わらない姿を見たレイルは、思わずクスリと笑みをこぼしながらメロディアへ言った。
「ばあちゃんの心配性は相変わらずか……大丈夫だよ。オレもそれなりに鍛えてる。お袋には傷一つつけないし、また無事に会いに来るから」
「本当!? 本当に!?」
「ああ、約束する」
何度も繰り返し聞いてくるメロディアの肩を優しくたたき、レイルは祖母への誓いを立てる。
次に肩に置いた手をメロディアの手にもっていき、小指同士を結び合わせる。するとメロディアも堪忍したのか、ゆびきりをした手をもう片手で覆いこみ、レイルとエルナを交互に見て、一言だけ付け加えた。
「待ってるから、気を付けるのよ」
「わかってる」
「うん……でも、出発は明日ね。スフィちゃんも寝てるし」
「それはお袋たちのせいだろ……まあ、しょうがねえか」
時刻は午後九時を回っていた。
潜入となれば夜は絶好の機会ではあるものの、急に言い出してじゃあ行こうとはいかないだろう。
レイルはこの日、三百年ぶりに実家の屋根の下で一晩を過ごした後、早朝にエルナと共に目的地であるフォルタリア――アリアの町へと転移していったのだった。
次回からまたルティア視点に戻ります。




