第65話 多難な故郷
「レイ……君……? え……?」
「お袋!? ど、どういう……ここは!!」
転移した先。そこはレイルの実家――貴族の豪邸と呼ぶにふさわしい三階建てのレンガ造りを前にした、これまただだっ広い噴水付きの庭。
レイルの目の前には、純白のワンピースを身に纏う、美しいエルフの少女が立っていた。
膝上まで伸びた、長くきめ細やかな緑髪をたなびかせ、人間なら十代後半であろう見た目の少女は、じっと……まるで幽霊でも見ているかのように、信じられないという目でレイルの顔を見上げる。
少女の名はエルナ。
エルナ・O・レディレーク――レイルの実の母親。また正確にはエルフではなくハーフエルフである。
「じゃ、わしはこれで」
「おい!! ちょっと待――」
「達者での!」
何故この場所に転移をしたのかと、シーナを問い質そうとしたレイルであったが、シーナは逃げるが勝ちとばかりに転移を発動。その場からスッと姿を消してしまった。
「ちょっと何? ここはアリアってとこじゃないの?」
「ああ違う。オレの実家だ、ここは」
「はあ!?」
意味が分からない。話が違う。
完全に自分の仕事からはかけ離れているであろう場所に飛ばされてしまったスフィが、怒りと困惑と驚愕の入り混じった声を上げる。
そしてスフィの声にあてられ、半ば放心状態にあったエルナがレイルの肩へと手を伸ばした。
「いる……レイ君が……本当に」
「お、お袋。気持ちはわからないでもないが、今は」
パァン!!
雲一つもない青空に、一つビンタの音が気持ちよく鳴り響く。
幾百年かぶりに、エルナはレイルの頬を引っ叩いた。
「…………ごめん」
「なんで謝るの」
「そりゃ、ずっと……何百年も姿くらまして」
「そうじゃないでしょ」
「え?」
レイルは三百年前の一件以来、一度も家族に会ったことが無かった。
てっきりそのことを怒っているのだと思っていた彼は、そうじゃないと言うエルナにきょとんとした顔を向けていた。
「帰ってきたら、まずなんて言うの?」
「は!? い、いや、今はそれどころじゃ」
「なんて言うの」
「…………た、ただいま」
「うんっ。おかえり」
母親の気迫に負かされ、よしよしと頭を撫でられるレイル。
やり取り自体はまさに親子そのものではあるものの、エルナとレイルは頭一個分以上の身長差がある。そのためにエルナはつま先立ちで体をプルプルと震わせていた。
エルナの少女然とした容姿も相まって、傍からは父親の頭を撫でる娘のようにしか見えない。
「な、なあお袋。そろそろ……」
「あらあら? 珍しいわねぇ~。エルちゃんにお客さん?」
「げっ」
そろそろ手を止め、自分の話を聞いてほしい。
切実にそう言おうとしたレイルの背後から、また新たに忍び寄る影。
その声もまた、レイルには聞き覚えがあった。
エルナより背が高く、多少老けているが、それ以外の容姿は瓜二つと言っても過言ではないほどの、美しいエルフの女性。
名はメロディアという。エルナの母親……つまり、レイルの祖母である。
そしてレイルは、メロディアにちょっとした苦手意識を持っていた。
「母さん! レイ君が! レイ君が帰って来たんだよ!」
「あら、そう……? !? レイ君!!」
「やばっ、逃げ――むぐうぐぐぐ」
「おかえり~!! おばあちゃん会いたかったわあああ」
お客人がレイルであると認識するや否や、メロディアはその豊満ボディで以って容赦のないハグをしてみせた。
彼女にとってみれば挨拶のような感覚ではあるのだが、この行為こそが、レイルがメロディアを苦手とする要因だ。
なぜなら彼は幼少の頃、同じ行為で窒息しかけているからである。
メロディアは事あるごとに愛情表現としてのハグを用いるのだが、厄介なことに相手方の顔を胸元へと突っ込ませる悪癖がある。
豊満でふくよかな胸の中は天国のようであると同時に、呼吸をも許さぬ死と隣り合わせの地獄空間と化すのだ。
「むぐぐ、うぐううう……ウッ」
「母さん! ずる――じゃなくって、レイ君苦しんでるってば!!」
「あらごめんなさいっ」
エルナに指摘されたところで、メロディアはハッとしてレイルを開放する。
が――レイルはそのまま膝をつき、ぱたりと地面に横たわってしまった。
「何。私、これ……どーしたらいいわけ……?」
そしてこの三人のやり取りを、訳も分からず、何をすることもできず、ただただ呆然と見ていることしかできない神獣さんが一匹。
彼女は立ち尽くしたまま、今の切実な心境を声に漏らすのだった。
◇
「っ……!!」
既に日が沈んで久しい時間。
まるで悪夢でも見た直後のように、意識を取り戻したレイルは、勢いのままに体を起こした。
彼は目に映った白壁を見て、まず今横たわっていた場所がどこなのかを察する。
家の中のどこか一室に運ばれて、ずっとベッドの上で寝ていたのだろうと。
そして同時に、ベッドの傍らで座る誰かの存在にも気が付いた。
「お目覚めになられましたか、レイル様」
「あ、ああ。あんたは……」
レイルに面識があるような口ぶりで話すのは、メイド服を身に纏う青髪の老婆。
しかし身に覚えのないレイルは首を傾げ、一体誰なのかと頭の中を探りまわっていた。
彼の記憶の中に、このような老婆が家にいた覚えはない。
なぜならこの家のメイドは、彼が幼少の頃からずっと、ある人物がたった一人で請け負ってきたからだ。
その名もミァ。青髪である。
「まさか――!」
「はい。メイドのミァですよ。お変わり無さそうで何よりです」
「……その、言っちゃあ悪いかもしれないが……大分老けたな」
「皆様よりは短命ですからね」
この屋敷の住人はメイドも含め、全員が訳アリで千歳を越えているという変な家だ。
その中でも一番寿命が短いであろう人がミァであり、その表情には、己の死期を悟っているかのような潔さがあった。
レイルはそんなミァのことを見つめていると、ミァはニコリと微笑んで返す。
何一つとして悔いはない。そう言いたげな幸せそうな笑みに、レイルは何かを言おうとして口が開く。しかし喉から言葉が出てくることはなく、代わりに小さなため息が零れ落ちた。
「はぁ……なんか、力が抜けちまったよ」
「リラックスするのは大事なことですよ。……ああそうです、ご一緒されていた魔獣ですが……」
「魔獣? ああ、スフィの事か」
「ええ。そのスフィ様も、食堂の方にいらっしゃいますので、後程ご足労をお願い致します」
「わかった、すぐ向かうよ。……ありがとう、ミァさん」
「いいえ、こちらこそ。またお目にかかれたこと、心からうれしゅうございます」
一礼を残し、部屋を後にするミァ。
レイルはその背中を見送った後、一度大きな深呼吸を挟んでから食堂へと向かった。




