第55話 愛する地を守るため
翌朝。
僕とネリスは、昨晩あったことを皆に報告した。
不審者の侵入、イルとウルの誘拐未遂。
残された手紙に書かれていた、ゴートからの依頼。
起こるかもしれないミシティア襲撃。
これらをすべて話し終わった時、ほかの誰よりもレイルさんの表情が険しかった。
イルとウルも終始僕にひっついていたが、彼はもう……爆発するんじゃないかというくらいに険しい。
「レイルさん……ダイジョブ?」
「あ゛?」
珍しく本気で心配しているネリスに対して、レイルさんは猛獣のごとく鋭い眼光で睨みつけた。
「ごっ! ごめん! 大丈夫なわけないよネ~……」
「いや……すまん。気が立ちすぎた」
すぐに目をそらし、謝罪の言葉を述べるレイルさんだが、彼の表情は余計に険しくなるだけだった。
眉間に眉を寄せ、目を細め、キリキリと歯を食いしばるその様は、見ているだけでも胸が締め付けられるような思いにさせられた。
しかしそうはいっても、このまま話を硬直させておくわけにはいかない。
僕は心に鞭を打ち、彼の決断を促そうと口を開く。
「レイルさんはどう思いますか、今回の件……」
「……そう、だよな」
レイルさんは血が出そうなほどに拳を握り締め、しばらくの間沈黙の時が続いた。
が、やはりこの場で答えを出すのは難しいのか。レイルさんは悩んだ末に座っていたソファから立ち上がり、僕に一言こう言った。
「……すまん、ちょっと時間をくれ。昼までには戻る」
自分とそれなりに関わりのある地が襲われる。
それを阻止しようと、阻止してほしいと願ってきたのは、襲うと宣言している集団の一人。
でもゴートの言葉が本当なのかすらも分からない。
可能性としてはありうる話だが、何をもってゴートが止めようとしているのかもわからない。
ことの真意は読み取れない上に、レイルさんのゴートに対する敵意は人一倍だ。簡単に答えが出るはずもない。
気分転換をして、一人で考える時間が必要だろう。
僕がそう考え首を縦に振ると、レイルさんは再度謝罪の言葉を残し、店の外へと足を踏み出していった。
◇
「…………」
『Lutia』を、そしてギルドを後にしたレイルは、ファルムの街を眺めながら歩みを進める。
しばらくしてギルドの建物が見えなくなってきたころ。彼は初めてその口を開いた。
「最後に行ったのは、もう何百年前だったか……」
ミシティアで開かれる祭りは、彼がまだ幼いころから毎年通っていた。
見たこともない露店が並び、見たこともない人が大勢集まり、見たこともない景色や風景に圧倒された経験は、彼にとっても指折りの思い出だ。
初めて行って以来、毎年この時期になるとミシティアへ行きたいと駄々をこね、時には一か月丸々の旅行を決行させたこともあったほど。
故郷の町からはそれなりに距離がある町だったのだが、彼にとってミシティアは、故郷と同じくらいに思い出深い場所だった。
「お袋、親父……レイナも、元気にしてっかな」
遠く、既に三百年近くも会っていない親族のことを思い、レイルは空を見上げていた。
すると――
「わ!」
「おっと」
よそ見をして歩いていたレイルに、また同じくよそ見をして走ってきた少女がぶつかった。
少女はそのまま後ろに突き飛ばされ、しりもちをついてしまう。
レイルが慌てて少女の手を取ろうとしゃがみ込むと、また少女の後ろから走ってくる人物が一人。
「こら! ちゃんと前向きなさいってあれほど言ったのに……あの、うちの子がすみません!」
少女をしかりつけ、レイルに頭を下げるその人間の女性。
黒く長い髪と眼鏡が特徴的なその彼女は、どうやら少女の母親のようだった。
「いいや、オレの方こそぼんやりしてて……――――!!」
「? どうかなさいました……?」
「あ! ああいや、なんでもない。気にしないで……ください」
母親を見たレイルがなぜか動揺を示し、途中から言葉遣いをあらためる。
そしてレイルは、母親の顔を見ないように少女の方へと目を戻し、懐からいくらかの金銭を取り出して少女へ渡した。
「嬢ちゃん、痛かっただろう。これで何か好きなものを買うといい」
「いいの!?」
「そ、そんな! 悪いのはこの子ですのに! ほら、返しなさい」
「えー」
母親の言い分はごもっとも。
レイルも前を向いていなかったことは変わりないが、例えあの場でレイルがよけていたとしても、少女はいずれ誰かに、もしくはどこかにぶつかっていただろう。
レイルにも同じことは言えるものの、この母親からしてみれば悪いのは少女の方だ。
それが逆に施しを受けるだなんて、子を甘やかすだけの行為。
そんな親として当然の態度をみせた母親に、レイルの表情が心なしか穏やかになっていた。
「いいっていいって。オレもよそ見してましたから、これはその分だと思って。どうか受け取ってください」
「でも……いえ、わかりました。すみません」
「謝ることないって」
ああ。
どこまでも〝あいつ〟にそっくりだ。
再度頭を下げる母親に、レイルはただそう思う。
レイルは母親の姿を見た後、嬉しそうな顔をする少女の頭に手を置き、そっと言い聞かせるように言葉を述べた。
「嬢ちゃん、お母さんを大切にな」
「? うん?」
急にしんみりとした態度で、よく意味も分からない言葉を送ってくるレイルに、少女は若干首をかしげつつ返事を返した。
レイルはその返しに若干の苦い笑顔をみせつつも、その場から立ち上がり母親に別れの挨拶を告げた。
これにまた母親も頭をさげ、今度は少女の手を放さないようしっかりと握っていた。
たまたまぶつかって遭遇しただけの、見知らぬ母娘の背中を見届けながら、レイルはあることに思いを馳せる。
「……運命ってやつなのかな。リオレナ」
リオレナ。
それはレイルがかつて愛おしく思い、しかしついに思いを遂げられぬまま、帰らぬ人となった人の名だ。
彼女の死を境に、レイルは故郷を離れ、放浪の身となった。
それが三百年前の出来事。
彼女もまた、ミシティアの祭りが好きであった。
共に通い、共に笑い、共に楽しむそのひと時は、幼少の思い出とともに、今でも彼の中に色濃く根付いている。
だから彼女の墓も、その思い出の地に建てた。
彼女が好きだった祭りを、毎年見ることができるように。
今回ルティアたちを誘ってミシティアへ行こうと決めたのは、いい加減に前を向こうと決めたからでもあったのだ。
ルティア――フォルトとの再会を果たし、隠居していたレイルは生活を一変させた。
暗く固くなっていた性格も、だんだんと昔のような明るさを取り戻しつつあった。
だからこそ、この機にまた訪れてみようと決意したのだ。
しかしそのミシティアに危機が迫っている――いいや、危機が迫っているかもしれない。
救いたい。
なんとかしたい。
その気持ちは変わらない。ならやることは既に決まっている。
ただ、気持ちを整理する時間が必要だった。
ゴートの手紙だと、敵からの依頼だと固くなっていた自分をほぐす必要があったのだ。このままでは、今のままの自分では、前を向くという目的は果たせないと。
あの母娘をみたレイルは、喝を入れるように己の頬を叩いた。
たとえ情報源が敵であったとしても。
愛する地を守るためであるならば、なんだってして見せよう。
たとえ敵の手を借りることになったとしても、必ず守り通して見せよう。
しっかりと、前を向いて……胸を張って、リオレナの前に立つために。
「そろそろ時間だな……帰るか」
気持ちと気合いを入れなおし、レイルは帰路に就いたのだった。




