第54話 其れは月夜に消ゆ
まさか、あの不審者を寄越したのはゴートなのか?
その考えが頭によぎる中、ネリスは封を開け、中に入っていた手紙を取り出した。
「えっと、何々……『ごきげんよう、ルティア君。先日は手厚い歓迎をありがとう。この場を借りて感謝を』……なにこれ、先日? お客さんからの感謝状? ドユコト?」
「ネリスはいなかったですもんね。しかし……やはりそうですか」
「何、わたしがいない間に!」
「なんで目をキラキラさせてるんですか……ゴートが来たんです。その手紙も彼からのものだと思われます」
「ゴート? ……あのエセ紳士?」
差出人の正体が分かった瞬間。ネリスが両手で持っていた手紙はぐしゃりと歪み、あちこちにしわが出来上がる。
顔色や態度が変わる様子はないものの、彼女の内なる怒りが手に現れていた。
「ネリス……」
「ああ、ゴメンゴメン。つい力が入っちゃった。今は最後まで確認しなきゃだね」
しわくちゃになった紙を平らに直し、僕たちは再度内容を確認する。
簡単な挨拶から始まった手紙の中には、僕に向けたメッセージが書かれているようだった。
ネリスは気を取り直し、再び冒頭から声に出して読み始めた。
『ごきげんよう、ルティア君。
先日は手厚い歓迎をありがとう。
この場を借りて感謝を述べておくよ。
今回君にメッセージを送ったのはほかでもない。
君に依頼したいことがあるからだ。
報酬は言い値で構わない。それほどに重要な依頼であることを承知していただきたい。
刺客を送っておいて、それが人にものを頼む態度かと思うかもしれないが……どうか許してほしい。
そしてお判りいただけたと思うが、こう記している以上、誘拐は失敗することを想定している。しかしもし成功していたとしても、危害は加えないと約束しよう。
依頼にあたって必要なことだったのだ。
紳士的でないことも事実であるが故、次に会う時は改めて謝罪をさせていただきたい。
さて、ここからが本題の依頼内容となる。
本来ならば内容は直接伝えたいところだが、時間がないためここに記しておくことにするよ。
我々の組織は、三週間後に『ミシティア』という町を襲う。
しかしワタシ個人として、この町は襲ってはならないと考えているのだ。
そこでどうか、ルティア君。
一時でもいい。ワタシと手を結び、彼の町を滅びから救い出してはくれまいか。
迷惑をかけておいて虫のいい話だと思うかもしれないが、ワタシ一人の力ではどうすることもできない。
もし考えていただけるのであれば、三日後の夜七時。ファルム北東部にある大きな木の元へ、君たち全員で来ていただきたい。詳しい話はまたその時に。
いい返事を期待している。』
全文を読み終わると、十秒ほど静寂の時が流れた。
イルとウルの寝息だけが耳に入ってくる中、段々と僕らの表情は険しいものへと変わっていく。
「……ルティアちゃん、信じられると思う?」
「わかりません。ですが……ミシティアが襲われるというのは、有り得ないことではないと思います」
「どうして――――いや、決めるのはルティアちゃんだ。心当たりがあるなら、わたしがどうこう言うべきじゃないね」
「……いえ、聞いてください。ネリス」
ゴートの目的がフォルト神復活であると、敵の集団が僕の信者たちであると予想をつけることができたのは、丁度ネリスがいない時の話だった。
ここまで来て、ここまで関わらせてしまって隠しているのも良くないと考えた僕は、簡潔にまとめてネリスに伝えた。
どうしても僕の前世の話は隠さざるを得ないものの、ゴート達がなにを成そうとしているのかは十分伝えられたはずだ。
「なるほど……あのあたりの情勢は詳しくないけど、わたしもミシティアの祭りはかなり盛り上がるって聞いてる。今年は例年よりも相当人が集まってるらしいし、辻褄は合うかもね」
「はい……でも」
「ミシティアの旅行計画、見事にぶち壊してくれたね~」
「やっぱり僕のせいなんでしょうか……」
幸運値がEまで戻ったとはいえ、それでも低すぎることに変わりはない。
僕らが行こうとしている場所で、ファルムと同じ悲劇が起きようとしている。まるで仕組まれたかのような噛み合わせに、僕は動揺を隠せないでいた。
そんな僕を見てか、ネリスは僕の前にしゃがみこむと、僕の両肩をガっと掴みにかかってきた。
「大丈夫! 仮に手紙のことが本当だとしても、今度は前と違って多少時間もあるし、未然に防ぐこともできるでしょ! ファルムのようにはさせないし、ならない。そうだよね」
「……そう……ですね。ネリスの言う通りです」
今度は絶対に逃げない。
悲劇を繰り返さないためにも、僕は常に前を見て歩き続ける。
わかっていても、やはり大きな失敗は心の中に残ってしまう。
トラウマとも呼べる感情にのまれそうになってしまうが、これは乗り越えなければならない試練だ。
年下の女の子に励まされるなんて情けない話ではあるが、ネリスの言葉に勇気をもらった。
本当に、彼女には恩ばかりが貯まっていく。
「このままだと、恩返しの方が大変になってしまうかもしれませんね……」
「ん、何か言った~?」
「あ、いいえ。なんでもありません。それより今日はもう休みましょう。詳しい話はまた明日にでも」
「これ以上どうしようもないしね~」
「はい。おつか――――え?」
お疲れさまですと言おうとした矢先、ネリスがずんずんと僕の部屋の奥へと進んでいた。
そして何の躊躇もなく、彼女はベッドの上に膝を乗せた。
「いや、何やってるんですか。こんな時に」
「……やっぱり、汚れちゃってるね」
「え? ……あ」
先ほどの不審者はベッドの上に乗っていた。
そうやら、ネリスはそのせいで付いてしまった汚れを確かめていたようだ。
開きかけていた窓も締め直し、僕の方を振り向いて言った。
「さっきのヤツ、土足だったからさ~。今日は上で一緒に寝ようか。ベッドじゃなくても大丈夫?」
「えっ、そ、それって。でも……」
「大丈夫?」
「あっ、は、はい!」
「OK! わたしはイルちゃんおぶってくから、ルティアちゃんはウルちゃんとスフィちゃん連れてきて~」
勢いのままの返事を聞くや否や、ネリスはイルの腕へ手を伸ばし、さほど変わらない体格の彼女を背に乗せる。
流石に少し体勢を崩しかけていたが、流石というかなんというか。すぐに安定して足を踏み出していた。
「本当に、何からなにまで」
「おっとありがとうはナシだぜ~。こんな時だよ、助け合いは当たり前さ! そら急いだ急いだ」
「……わかりました」
こうして姉妹とスフィを三階へ連れて行き、僕たちはこの一晩をネリスの部屋で過ごしたのだった。
◇
同刻・レラの町。
かつてレイルが使用していた廃屋に、その男――ゴートはいた。
「レイル……レイル・O・レディレーク。確かそのような名であったかな。我らが神の過去を知る者……表の歴史では語られぬ、神のその後を知り得たる者」
ゴートは手に持った一冊の本を開きながら、かつての家主の名を口にした。
その本の表紙と背表紙には、フォルト叙事詩と書かれている。
かつて大賢者と呼ばれた男の、表舞台における伝記だ。
しかし……そこにレイルの名は存在しない。
正確には、かつては存在していたものの、今現在世に出回っている叙事詩にはその記載の一切が削除されている。
レイル・O・レディレークの名が記載されているフォルト叙事詩は、今から六百年前に発行された第一刷だけなのだ。
「フォルト様が表から姿を消したのが約七百五十年前……当時五百歳とされていたレイルは千三百歳ほどになる。三千年を生きる竜の血を引いているが故、生存していてもおかしくはない……か」
何一つ彼についての手掛かりが残されていない廃屋で、ゴートは一人つぶやいた。
片手で持っていた本をぱたんと閉じると、辺りの埃が風に乗りかかり、月明りの中を舞い踊る。
「もし彼が……あのレイルを名乗る男が本当に〝彼〟であるならば――――」
次第に口元が緩み、釣り上がり、彼は高らかに声を上げる。
ミシティア襲撃まで残り三週間。
レイルはおろか、協力を仰いだルティアがフォルト神その人であることを……彼はまだ知る由もない。




