第53話 予定は未定★
「ふぅ……こんなところでしょうか」
休暇計画を練り始めてから三日後の夜。
イルとウルはスフィと共に部屋に戻ってもらい、先に眠りについている時間。
ようやく当日までのスケジュール調整がひと段落した僕は、長らく握りっぱなしだったペンを置く。
背もたれに寄りかかりつつ体を伸ばしていると、レイルさんがお茶を淹れてきてくれた。
「お疲れさん。店長殿」
「て、店長殿っ!? 何ですか急に!」
「ん? 眼鏡かけてっから、なんかそれっぽかった。似合ってるぞ」
「はぁ……ありがとうございます」
伊達眼鏡だけどね?
デスクワークをするときはこれを着けていた方が集中できるのだ。
気持ちが切り替わるというか、面倒臭いという感情を抑え込むのに最適。
面倒臭がりな僕にとって、その場でだらけることができてしまうデスクワークは難敵なのである。
「そうだ。レイルさん、休業の告知の方は」
「もう掲示板にも貼ってもらってあるぞ。いざ実行に移すとあれだよな、いよいよだなって実感が湧いてくる」
「気が早いですよ。まだ三週間あるんですから」
「そうなんだけどなあ。なんかオレ、自分で思ってるよりも楽しみらしい」
レイルさんが照れくさそうな笑みを浮かべると、つられて僕の方も頬が緩んでしまった。
僕にとっても関わりの深い土地なのだ。レイルさんほどではないにしろ、楽しみであるのは同じ気持ちだ。
彼がどれほどの間故郷であるアルベント王国に帰っていないのか。それは僕の知るところではないものの、かなり久しぶりであることは間違いない。
そんな中での機会なのだから、気持ちが昂るのも無理はないだろう。
「さてと。明日からは少し件数が増えますから、僕らもそろそろ休んでおきましょう」
「おう。おやすみ」
「おやすみなさい」
店内で寝泊まりしているレイルさんに見送られ、僕は自分の部屋への帰路を行く。
酒場でどんちゃん騒ぎをしている酔っぱらいが絡んでくるが、愛想笑いを返しておいて二階への階段を急いだ。
もう襲撃事件から五カ月……町に段々と活気が戻るのを嬉しく思いながらも、酔っぱらいの絡み方に少々苦い思いをしているのも事実だ。
まあ、僕の外見がそうさせるのは分からない訳ではないが……ここ一か月ほどは毎日誰かしらに声をかけられてしまうので、そろそろうんざりしてきていた。
とはいえ、こればっかりはどうしようもない。
慣れるしかないのだろうという諦めが、吐息と共に吐き出される。
「はぁ……あ?」
階段を昇りきり、廊下へと向けた僕の目に映り込んできた光景に、僕はかすかに嫌な予感を覚えてしまった。
両側を壁と扉に覆われた廊下の一番奥。
僕の部屋に繋がる扉だけが、半開きの状態になっていたのだ。
閉め忘れというにはあまりに不自然……まるで乱暴に開けられ、その反動のままに放置されたような。中途半端に開いた状態。
僕はすぐに足を速め、部屋の中へ駆けつけて行った。
「イル! ウル! 無事ですか!?」
「「ママ!!」」
抱き着いてくる二人を受け止め、正面に向きなおす。
全く、嫌な予感というものに限ってよく当たる。
前を見てみれば、すぐに緊急事態であることが理解できた。
部屋の奥――ベッドの上には何者かがこちらににらみを利かせており、イルとウルを庇うようにして、僕の目の前ではネリスが槍を握り構えていた。となりではスフィも威嚇している。
「よかった間に合った! ルティアちゃん、二人を離さないで」
「っ! は、はい!」
二人を抱く手に力を込める。
同時にネリスが一歩不審者へ近寄ろうとすると、不審者は舌打ち混じりに一歩後ろへ下がった。
不審者の後ろには丁度開きかけの窓がある。
おそらくそこから侵入し、また今から逃げようとしているのだろう。
ネリスはその行動を見逃さず、瞬時に床を蹴って一気に距離を詰めたいた。
「速ッ」
「わたしは優秀なんだ。逃げようとすればどうなるか、わかったかな」
「――――ッ! ま、まて! 俺は手紙を置きに来ただけだ!! それ以上何も起こさない!」
「信じるとでも?」
「ウソじゃない! 俺の胸ポケットに入ってる!」
不審者が訴えかけると、スフィが不審者の元に駆け寄り、その肩に飛び乗った。
「あら、本当ね。何か紙っぽいものは入ってるわ」
スフィは確認を済ませるとすぐさま不審者から飛び降り、僕の元へ戻って来た。
その後にネリスが胸ポケットから手紙とやらを奪い取ると、槍を構えたまま何か仕掛けが無いかどうかを確かめた。
「仕掛けは無さそう。でも、本当にこれだけなら、わざわざこんなところから侵入する必要ないよね。本当の目的は何」
「ッ。ガキのくせに……」
「ガキを舐めていいのは同じガキだけだよ。話せ」
「そ、そこの人獣を攫いに来たんだよ。言っとくが俺は雇われだ! これ以上は何も知らないぞ!」
「……わかってるよ。そんなこと」
「なら――ヴッ!?」
解放してくれるとでも思ったのか、不審者の表情が若干明るくなったと思った矢先。ネリスは槍をぐるりと半回転させ、つけ根部分を思いっきり不審者の鳩尾へヒットさせていた。
不審者はそのまま気を失って膝をつくと、ネリスは受け止めずにひらりと身をかわす。不審者は前倒しにベッドの下へ真っ逆さま……顔面から床に激突したのだった。
「三人とも無事?」
「は、はい……ネリス、これは」
「大方、その辺のごろつきか盗っ人あたりじゃないかな。この男、馬鹿正直に不可視化の魔術を使って入って来たの。ギルド中に張ってある反魔術結界の存在すら知らないド素人……まあ、おかげで間に合ったんだけどね~」
やれやれと肩をすくめるネリス。
僕はイルとウルが無事であったことに安堵するものの、また面倒事が増えてしまったことが心底嫌になった。
イルのことといい、このところ調子が良かった反動が来ているような気がしてならない。
ネリスは気を失った男の意識を再度確かめると、申し訳なさそうに僕へ顔を向けた。
「ごめんねルティアちゃん。明日も忙しいだろうケド、衛兵さん呼んでくるから……これ、見張っててもらえないかな。それと、一応手紙も渡しておく。何もないとは思うけど、中を見るなら気を付けてね」
「あ、はい……いえ、ありがとうございます」
申し訳ないのは僕の方だ。
ネリスの背中を見送りつつ、そう思わずにはいられなかった。
「ママ……」
「大丈夫ですよ、ウル。二人は絶対に守ります。……先ほどはすみませんでした。僕も一緒にいるべきでしたね」
正直、スフィを付けていたとはいえ、二人から目を離したのは不味かったと反省している。
ミシティアに行くとなって、僕にも多少なりとも気の緩みがあった事は否めない。何よりしっかりしなければと思っていた矢先にこれだ。
本当に、本当に気を付けなければ。
それからイルとウルを抱きしめたまま、三十分ほどでネリスが二人の衛兵を連れて帰って来た。
この待ち時間の間で、イルとウルは僕の腕の中で眠ってしまっている。ついでにスフィも膝の上で……。
そのため衛兵たちはできるだけ物音を立てないように、不審者の男に手枷を付け、小声で不審者退治に感謝の意を述べて去っていった。
感謝したいのはこちらの方なのだが、そんな暇もないほどの手際だった。
「ひとまずはこれで……っと、ルティアちゃん。手紙は読んだ?」
「いえ、まだです」
「じゃあ一度貸してもらえるかな? 両手塞がってるでしょ。わたしが開けるよ」
「……本当に、何から何までありがとうございます」
「いーのいーの。わたしとルティアちゃんの仲じゃないか~♪」
再度感謝の言葉を送り、僕はネリスに手紙を渡す。
するとどういう訳か、渡した手紙に妙な既視感を覚えている自分がいた。
ドタバタ騒ぎでよく見ていなかったため、今の今まで気が付かなかったのかもしれないが……真っ赤な封蝋印を施されたそれは、いつぞや目安箱に入れられていたものとそっくりだったのだ。




