第51話 山羊の動惑と想うヒト★
店の扉を開いたゴートが、一歩店内に踏み込んでくる。
同時に僕と向かい合わせでソファに腰かけていたレイルさんが、勢いよく立ち上がった。
「エセ紳士野郎! テメェどの面下げて――」
「レイルさん。腰を下ろして、落ち着いてください」
「何言ってんだよ! コイツは客じゃねえ! 敵だろ!!」
「いいですから。店主命令です」
「ッ……!」
今にもゴートに殴り掛かりそうなレイルさんの腕を掴み、与えられた権限の範囲内で説得をする。
レイルさんは苦虫をかみつぶしたような、かなり渋い顔をみせるものの、僕の真剣な顔を見て一歩引いてくれた。
「失礼いたしました。どうぞお座りください」
「うむ。ありがとう」
僕はいつも通り、普通の接客をする流れで、レイルさんが座っていたソファにゴートを座らせる。
僕の両隣にはイルとウルが座っているため、レイルさんはその隣に立った。
いつもはソファの後ろに回るのだが、何かがあった時にすぐ動けるようにするためだろう。
ちなみにイルウル姉妹は、ぎゅっと僕に抱きついてきて離れそうもない。おそらくレイルさんの警戒具合が、恐怖心を刺激してしまったのだろう。
僕は少しでも安心させてあげようと、怯えている二人の背中に手を回した。
「……ゴートさん。この封書、あなたの物ですね」
「封書? おいルティア、そりゃ何のことだ?」
レイルさんが疑問を口にした後、僕はスカートのポケットから封蝋印の施された封書を取り出し、テーブルに置いた。
そう、『近日中に伺います』とだけ記された、あの奇妙な封書だ。
「六日前、目安箱に入っていたんです。僕個人宛ての物でしたので、少々奇妙でしたが知らせずに持っていたんです」
「…………そうか」
レイルさんは何か言いたげな様子だったものの、一言だけを残して意識をゴートに戻した。
するとゴートは一見優しそうな、紳士的な笑みを浮かべると、「パチパチ」と手を鳴らしながら口を開いた。
「いかにも、ルティア君。差出人も記さなかったのによくワタシだとわかったじゃないか」
「半分は勘です。あなたはここを襲う際、手荒でしたが挨拶をしに現れた。行動はともかく、表向きは紳士に振舞おうとする人だ。なら敵意があると分かっている相手の根城に、突然現れるような真似はしない。何かしら事前のアプローチがあったかもと考えた結果、これが思い当たった。それだけです」
「フム。なるほど」
ゴートはヒゲを擦り、ウンウンと首を頷かせた。
「……来店された以上はお客さんとして扱います。何も無ければこちらが手を上げることはありません。要件をお願いします」
「随分と急かすじゃあないか。まあ、無理もないがね……うん。いいだろう」
ゴートがその場で立ち上がった。
すると上半身を若干前傾させ、左手は腰の後ろに、そして開いた右手をそっと僕の前に差し出してきて、まるで社交ダンスにでも誘うかのような姿勢をとった。
「あの時の返事を聞かせてもらえるかな。ルティア君」
「あの時? ルティア、お前こいつと何を――」
「お断りします」
レイルさんが疑問を投げかけてくるも、僕は先にその答えを口にした。
一々答えていてはキリがないし、こちらの方が話が早い。
仲間であるはずのレイルさんが知らない事象、それもゴート関連の話で何度も続くとなると、レイルさんが僕に対して懐疑的になることも考えられる。
先に確固たる意志を示しておくことで、そういった心配を避けると言う意味もあった。
「あなた方のやり方は間違っている。それだけは確信をもって言えることです。絶対に仲間にはなりません」
「そうか……」
ゴートは本当に残念そうに、悲し気な表情で目を瞑りながら、差し出していた右手を収める。
あまりにもあっさりと、仕方がないとばかりに。
このゴートの行動に、僕は所謂嫌な予感というものを感じずにはいられなかった。
無理強いをしない、紳士的な対応といえばその通りなのだろうが、この男は決してそのような紳士ではない。
凶信者というものは、己の信念を貫くためならなんだってする。思い通りにならない奴らは、人としてすら扱わないという者もいるのだ。
潔く諦める態度をとるのは、それが思い通りの結果であるか、他に保険があるかのどちらかということが考えられる。
紳士の皮の裏では何を考えているのかわからない。
そんな男の潔い引き方を、信じられようはずもなかった。
が……。
「残念だが仕方がない。君からは手を引くとしよう。深追いは紳士的とは言えないのでね」
「「な……っ!」」
次の手を講じてくる。
そう思って身構えていた僕とレイルさんは、真逆の反応に動揺を隠せなかった。
「では、失礼するよ。時間を取らせて悪かったね」
ゴートは残念そうな、しかしどこか穏やかな表情のまま立ち上がり、挨拶の後に店を後にする。
どう動いたらいいのか分からなくなっていた僕とレイルさんは、ただただ去っていくゴートの背中を見ることしかできなかった。
何かを予告していくわけでもなく、すんなり諦めて帰っていった。
これは一体何を意味しているのか。
そもそも意味があるのか。
果たして本当にあきらめたのか。
裏で何か企んでいたりはしないだろうか。
そういった疑念が頭の中で渦巻いて、諦めたのがかえって不気味に思えてくる。
次の一手を打ってくれた方が、まだよかったと思えるくらいに……僕たちの心の中には、どうしようもなく不気味なしこりだけが取り残されていた。
◇
ファルムより遥か東方の地。
アルベント王国・ミシティアの町。
巨大な湖のほとりに作られたその町は、数多くの観光客でにぎわっていた。
「今年はすごいねー。こんなに人があふれてるの、私も久々に見たなあ。何百年ぶりだろ」
「流石にそこまでじゃないんじゃないかしら~。六十年ぶりくらいよ」
「どっちもどっちだろ……ったく。これだから長命種族は……こっちまで時間間隔狂わされそうだ」
「あははは……ゴメンゴメン」
千年を生きるエルフ。
三百年を生きる獣人。
百五十年のドワーフ。
百年弱の人間や半魔人。
数多くの種族が集まり、賑わい、各々が自分の時を楽しんでいる。
その光景を目に刻みながら、『彼女』はある人物を探していた。
「どう? 見つかった?」
「うー……今のところそれらしい人はいない……」
「……やっぱり、もう来ないのかしらねぇ」
その人物は、毎年この時期にミシティアで開かれる祭りが好きだった。
しかしそれももう、数えるのも億劫なほど昔の話。
彼女はそれでも、もしかしたらと、毎年この時期になるとミシティアの町へ足を運ぶのだ。
きっと、またいつか……愛する息子に再び出会えると信じて。




