第46話 三度目の――
「ス、スフィ? 今なんと」
「発情期」
「発情期って、あの発情期……ですか?」
「それ以外にあるのかしら」
大きなあくびをするスフィと、目を丸くして動揺している僕。
だが驚きはしたものの、本当にそうかと言われると少し違うような気もしていた。
もし本当に発情期で、夜中のあれが性的興奮からくるものなのだとしたら、ウルにも同じ症状が出るであろうことが予想される。
しかし僕の知る限り、ウルにそのような様子はない。
イルの行動でベッドが揺れても全く起きる気配がないほどに毎晩ぐっすりだ。
「……うーん」
「何よその反応。自分から聞いておいて」
「いえ、その……ちょっと違う気がして」
「じゃあ何だっていうのよ」
「それは分かりませんけど、ウルはなんともないんですよ」
「双子だからってなんでも一緒じゃないでしょ。僅差ではあるかもしれないけど」
「ふうむ……?」
言われてみればそれもそうか。
でも本当にそうと決まったわけじゃないし、その手の話は詳しい人……やっぱり医者に連れて行った方がいいだろうか。
っていやちょっとまて。
医者でもわかるものなのか?
イルとウルは魔物であり、同時に獣人でもある。証拠にステータス窓には魔獣人なる前代未聞の新種族が表記されていた。
わかりっこないだろう、これ。
「ど、どどどどうしましょうううう」
「その辺からオスでも拾ってきて交尾――」
「それ以上言っちゃいけません!! こんな小さい子になんてことさせようとしてるんですか!」
ていうか、仮にも神の使いであるスフィの口からそんなおぞましい言葉がでてくるとは!
確かに発情期ならそれで収まるかもしれないが、代わりに幼気な少女の人生を終わらせるつもりか!?
悪魔かこの神獣!!
「じゃあ我慢なさい。一時的なものなんだから、放っておけば収まるでしょ」
「それはそれで……夜中のイル、すごく辛そうなんですよ」
「なら――」
「ダメです!」
「まだ何も言ってないわよ!」
言っていなくても、同じことを言おうとしているのはわかるのである。
面倒を見ると決めたのだから、そんな残酷な事できるものか。
決めてなくてもしないけども!
「んー……あさぁ?」
「ふあああぁぁぁ」
少し声を荒げすぎただろうか。
イルが大きなあくびを、ウルが眠そうに目をこすりながら目を覚ました。
眠そうな二人を見ると、僕自身が眠れていないことを頭が思い出したのか、どっと眠気が押し寄せてくる。
しかし今日も一日やるべきことがあるわけで、ここで気を失うわけにはいかない。
僕はブルブルと首を横に振り、迫りくる眠気の波を誤魔化した。
「あー。イル、またママのうえでねてる」
「あれ?」
「ははは……やっぱり覚えてはいないんですね……ふぁーぁ……」
「?」
「ママ、おねむ?」
「いえ、大丈夫です。まだ少し早いですが、準備をして下に降りていましょう」
「「はーい」」
元気よくベッドから降りる二人に続いて僕も体を起こし、洗面所で顔を洗い流してから着替えを済ませる。
時刻はまだ朝の六時半頃。
いつもより二時間ほど早く、静かな一階への道中を進む中も、頭の片隅ではイルのことが気になって仕方がない。
とはいえ、どうしたものか。
今回の件、本人に自覚がないというのが一番の難点だ。
日中はどこも変なところは見られないし、予兆のようなものも全く見受けられない。
熱がでるのもその時のみで、再び寝付くと同時に引いてしまって痕跡もほとんど残らない。
現場を見てもらう他に対処のしようがないのだ。
外部の協力を仰ぐにしても、僕の部屋に入れなければならなくなるとなると、姉妹にいらぬ不安を与えてしまう事になりかねない。
共に寝ているウルかスフィに協力を仰ぐということになってしまうが……スフィはともかく、ウルにそんな真似はさせられない。
育ち盛りだし。たぶん。
うーん……なら、スフィに頼むか?
「スフィ。今夜なんですが……」
「わかってるわよ。見とけっていうんでしょう」
二人には聞こえないように、極力小さな声で会話をする。
一瞬視線を感じたような気がしたが、そこに気を配れるほどの余裕はなかった僕は、ひたすらスフィの言葉に耳と頭を傾ける。
「でも、私が見たからって症状が断定できる保証はないわよ? さっきのも、動物の習性からしてそうなんじゃないかって思っただけ。魔物になっても、魔獣だったころの習慣や習性は変わらないこともあるの」
「……わかっています。今夜も同じことが起こるかはわかりませんが、実際に見れば何か分かるかもしれません。百聞は一見に如かずというでしょう」
「はぁ……しょうがないわねぇ。貸しにしとくわよ」
「はい。ありがとうございます」
スフィにお礼を言い終わるとほぼ同時に店の前までやってくると、朝一の目安箱チェックを行った。
前回のチェックが午後の七時前後くらいだったので、ほぼ半日。
夜から朝の間という比較的投書が来にくい時間ではあるものの、この二週間の間、朝一のチェックでの投書率はおおよそ七割強と多めだ。
ここは酒場も兼用しているので、帰りに投書をして帰るという客がいるのだろう。
実際に中を見てみると案の定、一通の封書が中に入っていた。
「……ん?」
「ママー、どうかした?」
「この封書、やたらしっかりしていると思いまして」
目安箱への依頼は、折り曲げただけの紙一枚ということも少なくない。というか気軽にどうぞというスタンスでやっているので、そんなラフな物がほとんどだ。
しかし今日入っていたものは丁寧に封蝋印が押してあり、しっかりと宛名まで記されている。
僕宛ての物であることは間違いないようだが、この頭が限界ギリギリな時に何なのだろうか。
「……とりあえず中に入りましょう。レイルさんがまだ寝ているでしょうから、静かにしてくださいね」
「「はーい」」
◇
僕は狼姉妹の元気な返事を聞いて、店の扉を開いた。
――開いた、はずだった。
「……ここは?」
暗い。
真っ暗で何も見えない。
体も思うようには動かなかった。
かすかに周囲から声が聞こえる気がするが、何を言っているのかまでは理解することができない。
確かにわかるのは、体中を巡る熱の感覚。
焼けるような熱の塊が、体中を支配しているようだった。
「あ……れ……?」
ふと違和感を感じ、僕は瞼を開いてみた。
すると真っ暗だった視界に澄み渡る青い空が映り込み、僕は今まで目を瞑っていたのだと理解する。
だがおかしい。
目を瞑った記憶など少しもない。
僕は目安箱から封書を取り出して、店の中に入っ……あれ?
なんで、今空が見えてるんだ?
空が見えると言うことは、ここは外……そして、僕の体は横になっている?
「っ……」
何がどうなっているのか。
考えようとするも、頭に鋭い痛みが襲ってきて思考が回らない。
何が起こっている?
なんで僕は横になっている?
なんで僕は外にいる?
熱い。熱い。熱い。
熱くて、痛くて、そればかりが頭を埋め尽くす。
僕はどうなってしまうんだろう。
痛みの中にそんな感情が通り過ぎると、今度は四肢の末端が急激に冷え始めた。
体の中心は相変わらず熱が暴れまわっているというのに、先端部分から段々と冷えていく。
熱くて、冷たくて、痛くて、訳が分からなくて。
これから自分はどうなってしまうのだろうかと、頭を埋め尽くしていたものが全部恐怖になり替わる。
本能的に助けを求めて、腕がゆっくりと持ち上がっていく。
そうして伸ばされた手と腕が視界に入る。
それは真っ赤な血が滴る、見慣れた少女の手だった。
「――――」
青かった視界が、落ちて来た雫によって赤く濡られた。




