子どもは大人に守られなくてはいけないということ――守られなかった子どもたち、苦しかった子どもたちへ――
徒然に書いたものですが、これを読んで楽になる人がいたら、嬉しいですね。そもそも読まれるのかさえも疑問ですが。
子どもは基本的に戦ってはいけない、戦わせてはいけないものだと思っている。
ここでの”戦う”とは、命の危険を伴う戦闘行為のことで、銃弾飛び交う戦場だとか、人食いサメ退治だとか、そういう場所・場面に、子どもを敢えて戦士として送り込むのは許されないということだ。
だから私は小説でも、子どもは戦場から遠ざける。今小説投稿サイトに連載形式でアップしている「空へ」でも、意図的に、私はある10歳の少年を2度、戦いの場から遠ざけている。偶発的に巻き込まれてしまった戦闘場面を除けば、彼は戦いに参加しない。
子どもと一口にいっても幅が広い。幼稚園児の年齢か、小学生か、中学生か。そして何歳以下を「戦ってはいけない子ども」と定義するかは、人それぞれだと思うけれど、個人的には12歳以下としている。もちろん現実世界の戦闘に参加してもよい年齢は、もっと上であるべきだ。
なぜこのように思っているかというと、子どもは絶対的に、守られるべき存在だから。
やろうと思えば、この言説にいろいろな根拠や意義や理屈を付けることは可能だろう。しかしそういうのは抜きにしても、この言説は絶対だと思っている。大人は子どもを守らなければいけないし、子どもは守られなくてはならない。理屈抜きに。
だからあなたがもし、自分は子ども時代十分に守られなかったとか、大人の誰も味方してくれなかったとか、そういうふうに感じていたら、その悲しみや、苦痛や、怒りや、恨みや、憎しみは、正当のものだ。あなたは守られるべきだった。あなたは大人に味方してもらうべきだった。落ち度があるのはあなたではなく、あなたの周りの大人だ。あなたは悪くない。