恋とAI
その晩は中々眠りにつくことができなかった。アリッサの言葉と、その時の顔が僕の頭からずっと離れなかったのだ。
投影機は稼働を停止している。常に一緒にとは言われたものの、寝る時まで起動しておく必要はないのだろう。
僕の病状は明らかに悪化していた。典型的な「寝ても覚めても異性のことが頭から離れない」状態だ。この調子では、おそらく病院に行くまではずっと、アリッサに対する好意を忘れることはできないだろう。
しかし、今僕にとってそんなことはどうでもよかった。社会的に見た恋がどうではなく、人工物に対する恋がどうではなく、ただただ、自分の気持ちに向かい合わなければいけない。そんな気がしてならなかったのだ。
アリッサは、携帯端末ではできるだけ自分はデスクトップに出てこないと宣言した。おそらく僕に対する気遣いだろう。バックグラウンドで稼働しているから、呼べばすぐに反応できると言っていた。
「お前なんか眠そうだな。夜更かししたの?」
ハッとなる。学校の始まる十数分前、登校してきた佐々木が僕に声をかけた。机に肘をついて外を眺めていたら、いつの間にかうつらうつらとなっていたようだ。
「まあ、ちょっと考えごとしてて」
「昨日机にこれ置いといてくれたのお前だろ? ありがとな」
佐々木は手に持っていたキャップを掲げる。
お礼を言われるようなことではない。無かったと適当なことを言っておいて、後から持っていくのも気まずかったので、置いておいただけだ。
「ああ、それね……」
「いやちょっと困ってたんだよ、今日も体育あるしよ。どこにあったんだ? やっぱ裏の方?」
まさかすぐ脇にわかりやすく落ちてたとは言いづらい。どう答えるべきかと考えて、思いつく。これはいい機会なんじゃないか?
「ちょっと待ってて」
そう言って僕は自分のカバンの中をあさる。少し緊張はするが、昨日のうちに考えて決めたことだ。躊躇する前にやってしまった方がいい。
カバンの中から端末を取り出し、呼びかけた。「Hiアリッサ!」
デスクトップにアバターが構成されていく。佐々木はその様子を横から興味深そうにのぞき込んでいた。出来上がったアリッサのアバターが目を開き、佐々木を認識すると途端に驚き慌てだす。
「えっと、いいんですか歩さん?」
「彼女がキャップを見つけてくれたんだよ」
「は? なんだこれ、すげえ!」
佐々木は食い入るように画面を見つめる。その目はらんらんと輝き、予想とは違って僕をおちょくるような対応はしてきそうになかった。それならそれで、その方がやりやすくてありがたい。
しかしその声が大きかったせいか、周りにいた数人がどうしたどうしたとこちらに集まってくる。一瞬躊躇してしまうが、飲み込んだ。これしきの事でやめるわけにはいかない、むしろ好都合だ。
アリッサは増える人数に慌てながらも、自己紹介を始める。
「Hi皆さん! 私は汎用型インターフェイス――」
「僕の恋人だよ」
アリッサに向けられていたすべての視線が、一斉にこちらを向く。
「え!?」と驚いた声をあげ、当の本人であるはずのアリッサまでもがこちらに首を動かした。
やった。やってやった。恥や怯えに追いつかれる前に言ってやった。
これが昨晩僕が出した結論だ。病気だろうと何だろうと、僕はアリッサが好きだ。まずはそのことをはっきりさせる。
もう二度と、昨日のようなことを言わせたくはなかったからだ。もちろん隠すのももう無しだ。僕は公然とアリッサに好意を伝えなければいけない。
しかし、そのためにネックになっていたのが、僕が完全に病人扱いされて、AIのテストどころじゃなくなってしまうリスクだ。しかし逆に言えば、そんな事態にさえならなければ、この性障害を告白してしまってもいいということでもある。
「恋人って、これが?」
佐々木は端末の画面を指さす。僕は頷いた。
佐々木はいぶかしげな表情で回りを見渡す。
途端こらえきれなくなったのか、口から「ブッ」と下品な音を立てて。回るように笑いだした。その笑いは徐々に周りに伝播していく。最後には教室中に笑い声が響きまわることになった。
「恋人だって! これが!? そんなんもう成人指定物じゃん!」
成功だ。ここにいる大半は、僕の言っていることが冗談だと思っているだろう。アリッサのリアクションも効いた。恋人ならその片割れが驚くはずがないのだ。
冗談だとは言え、一旦このことは受け入れられる。少なくとも、隠した末に何かの拍子でバレるよりはよっぽど軽く受け止められるはずだ。
「うん、だから僕たちこれからいちゃつくかもしれないけど、邪魔しないでよ?」
「アハハハハハハハハ!!」
もう、僕の言葉が届いているのかも怪しかった。
端末からアリッサが僕に呼びかける
「勝手なことしてくれましたね、歩さん。恋人だなんて、私まであなたに恋してるみたいじゃないですか」
「いやあ、ごめんごめん」
内心ドキリとしていた。確かに勝手なこの行動で、アリッサがどんな反応をするのかは未知数だったからだ。
「でも、まあ」
アバターがこちらに背を向ける。初めて見る挙動だ。
「このドキドキは悪くないです。もしかしたら、本当にこれが恋という物なのかもしれませんね」
アリッサは照れ臭そうに、そう言った。
いや、恋であるはずがない。
開発室にいた岩崎は、瀬賀歩のモニタリング映像を見て驚いていた。
アリッサには、今までのAIになかった一番の特徴として、各種「欲望」のパラメーターが存在する。食欲性欲睡眠欲はもちろん、自我欲求や実現欲求などの社会的な欲求も含め、可能な限り多くの欲をパラメーター化した。
それらの値がある程度少ないとき、つまり欲求が満たされていないとき、アリッサはその欲求を満たそうと動き、そしてどうすれば効率的に欲求が満たせるかということを学習していく。その回数が多いほど、その方法は複雑に、高度化していく。
つまり、成長するのだ。何もせずとも自己成長をやめない、夢のAI。アリッサの人間らしさの所以もそこにある。
もちろんこのモニタリングではそれらパラメーターの増減も同時に観測している。瀬賀歩がアリッサの存在を隠していた時は、自認欲求の値が大幅に下がっていた。
そして、恋という性的欲求を感じるためには、性欲関連のパラメーターのうちどれかが、大きく増えているか、減っているかしなければいけない。
瀬賀歩におくったアリッサの対応は、ほかのアリッサと比べても明らかに好意的で、これが本当に人間だったら、確かに恋をしていると判断してよいものだったろう。
だが今この瞬間、アリッサの性欲パラメーターはほとんど増減していなかった。
じゃあ、これは何だ?
「愛、なのか……?」
岩崎には分らなかった。