谷への道
メモリ山の頂上にある村、メモリクル。
山の山頂だけあって、空気は薄いが、澄んでいる。
ミーアノーアは村長のジェイの家の窓から、太陽が昇るのを見た。
綺麗だ。
涙が出るほど美しい。
ミーアノーアはこの光景を、一生忘れまいと誓った。
外に出るとジェイの奥さんが、野菜を両手いっぱいに摘んで歩いて来た。
畑で自家栽培しているらしい。
「ミーアノーア様。朝ごはんになさいますか? わたしの家で取れた野菜、たくさん食べて下さいね」
昨日は緊張していただけのようだ。朝になったら落ち着き、なるべく普通に話そうとしてくれる。
「ありがとう。わたしのような者に、ここまでしてくれて」
「いいえ。ミーアノーア様は、わたし達パラダイスワールドに住む者の、憧れの的ですから。それに、今日は牙龍の谷へ向かう日です。栄養をつけて頂かないと」
そう。今日はいよいよ、牙龍の谷へ向かうのだ。ジェイとの約束もある。途中で倒れる訳にはいかない。ミーアノーアは、奥さんのご厚意に甘え、もうしばらく楽しい時間を過ごした。
そしてーー、
ジェイ他、メモリクルの人々に見送られ、ミーアノーアは山の反対側を下って行った。
山を下ってしばらく行くと、西の方に道がカーブしている。その道を真っ直ぐ行くと突き当たりになる。そこはほぼ垂直の崖だ。ロープがぶら下げてあるので、そのロープを使って下に降りる。
下の地面はけっこう広い。ここで一息つけそうだ。そして、目の前の闇に包まれた場所が、牙龍の谷だ。ただ、距離が一メートル位離れている。飛び移るにしてもギリギリだろうと、ジェイは言っていた。
それにしても、こんな危険が伴う道を、ジェイのお父さんは進んだのだろうか。一年間も行方不明で、さぞジェイは心配しているだろう。
どうか無事でいて欲しい。
そんな事を考えながら進むと、例の崖に出た。
聞いていた通り、垂直の崖だ。
木にロープが縛りつけてある。
ミーアノーアはそのロープをしっかり握り、後ろ向きでゆっくり崖を下って行った。
少しでも足を滑らせたらアウトだ。手に力が入り汗がにじむ。
やっとの思いで崖を降り、地面に足をつける。
振り向いた瞬間見えたのは、闇に包まれた小さな大地だった。
ふわふわと、空に漂っている。
「あれが、牙龍の谷……」
何とかして、あの場所へ行かなくては。
辺りを見回す。
すると、崖の右側、ロープからさほど離れていない所に、洞窟のような穴が開いているのに気が付いた。
天井は低い。
ミーアノーアは腰をかがめて、とりあえず入ってみる事にした。
低いのは入り口だけ。
中に入ると、普通に歩ける。
ランプを点けて灯りを照らすと、奥に続く道がある。道幅は狭いが行ってみる。すぐに行き止まりになったが。
広い空間に出る。部屋の真ん中に、薪で火を燃やした跡があった。隅に、リュックが置いてある。
汚れて、時間が経った物のようだ。そのリュックの側にあった物に、ミーアノーアはハッと息を飲んだ。人の骨だ。よく見ると血の跡のようなものもある。リュックの中に、この人物の手掛かりが見つかった。手紙が入っていたのだ。
文字は、血文字だった。
〈わたしは、メモリクルにいる、ジェイの父ジョアン。ジェイ、牙龍の谷の魔物を調査するためにここまで来たが、もう少しというところでモンスターに傷を負わされ、動けなくなった。済まないジェイ。お前には苦労をかけることになる。せめてもう一度、お前に会いたかったが、ここまでのようだ。ジェイ、幸せに。奥さんを大事に。
ジェイ、わたしの息子ジェイ。ああ、会いたい〉
手紙を読んでいたミーアノーアは、涙を流した。
父の息子への思いが、懸命に書かれていたから。
どんなに、ジェイに会いたかったか。
無念だったはず。
ジェイと約束したのに。
こんな形で、お父様を見つけることになるなんて。
ごめんなさいジェイ。
何とも言えない悲しい気持ちで、ミーアノーアはジョアンの骨に手を合わせた。
遺骨を、布に包む。リュックの側に、摘んできた花と共に置いた。
「ジョアンさん。後で必ずあなたを、息子さんの元に返してあげます。だから、もうしばらく、ここで待っていて下さいね」
ミーアノーアはそう一声かけると、洞窟を出て行った。
今は、牙龍の谷へ急ごう。これ以上、犠牲になる人が増えないように。
外は日射しが明るい。気温が上昇しているみたいだ。谷の中はどうなっているだろう。
見てみたいが、闇が邪魔をして見ることができない。なるほど、ここへたどり着いた人達が諦めた訳だ。だけど、わたしは諦める訳にはいかない。
ミーアノーアは、谷へ向かって魔法を放った。
「ファイヤー!」
一瞬でも、中が見えればいい。
炎に照らされ、入り口が見えた。四角い門、みたいな形。二本の太い木の柱が、両脇に建っている。
炎が消えないうちに、ロープを投げる。柱の一つに巻き付いた。引っ張っても、ほどけない。
「よし」
腰にランプを結び、両手が使えるようにする。ちょうどいい岩を見つけて、ロープを固定した。
あとは、橋のようにロープを渡って行くだけだ。
ほふく前進の体制で、ロープの上に乗る。腕と足に力を入れ、ゆっくり進む。
途中、バランスを崩しひっくり返ったが、手は離さない。足をロープに絡め、何とか元の体勢に戻した。
「ハア、ハア……」
手が柱に触れる。力を込め、一気に中に飛び込んだ。
パシャッ。
水だ。一面水で覆われている。
(息が……)
天井近くに隙間があった。必死に顔を上げる。
「助かった……」
首から下は水に埋まった状態だが、呼吸は確保できた。
これからどうしよう。
泳ぐしかないかな? と、思った時だった。
ゴゴコゴゴコ。
水が奥に引っ張られる。
ミーアノーアは壁に手をかけようとしたが、間に合わない。
「キャアアアアア」
あまりに凄い水の流れに、彼女の体は巻き込まれた。
奥に、奥に、流れていく。
ミーアノーアは、意識を失った。