戦国純情ちらりずむ
時は十五世紀おわり、日本は争乱の炎に包まれていた。
群雄割拠が世の摂理となりつつある時代、五行家のおさめる領地は比較的平穏な治世をおさめていた。
五行家の現領主はまだうら若き乙女である。土地を治めるにはまだ頼りないように見えるが、深い知識と公正な態度で善政を敷いていると評判であった。
領主の名は姫奏。彼女には近隣の領土から招き入れた養女がいた。御津家の一人娘で、名前は清歌という。養女といっても姫奏とは年は二つほどしか変わらず、役目ももっぱら彼女の愛人と大差なかった。
もっとも、その清歌は現在あまり気分が優れているとは言えなかった。自室にたたずんでいた彼女は可愛らしい顔に翳りの表情を張りつけており、大きな瞳は赤く充血し、目の周りにはうっすらとクマを浮かべている。
「まあ清歌、一体どうしたというの?」
「姫奏さま……これは、ちょっと眠れなくて……」
女領主に呼びかけられ、清歌はおもむろに振り返った。睡眠不足の愛人の顔を見て、女領主は艶然と微笑んでみせた。
「困ったものねえ。一日公務で来れなかっただけで寝付けないなんて。そんなに私が欲しかったのかしら?」
「ひ、姫奏さま……ひゃっ」
うろたえる清歌を、姫奏は愛おしげに抱きしめる。抱きしめながら、清歌の耳元にささやきを奏でた。
「イケナイ子……。私と二人きりのときは『姫奏』だって言ってるでしょう? それとも……お仕置きされたくて、わざとそう呼んでくれてるのかしら?」
「いえ、別にそんな……はうっ」
清歌は寝所から起きたばかりのところを姫奏に正面から抱きしめられる。
「ひ、ひめか……っ」
「夜遅くまで仕事に追われて疲れたの……。あなたの身体で癒やさせて頂戴」
「だ、だめですっ。日が昇ったばかりですのに……!」
「ふふふ……こういうときのあなたが口だけというのを私は知ってるのよ。さあ、次はどんな声を紡いでくれるのかしら?」
有無を言わさぬ口調で、五行家の女当主は愛人の寝間着の衿にしなやかな指を滑り込ませ、同時に首筋に顔をうずめて舌を這わせる。
「あうううぅぅ……」
目を閉じ、あごを上げ、しびれるような痙攣で身体の悦びを表現する。甘く、危うさをはらんだ声に姫奏の心に火がつき、そのまま清歌を押し倒し、寝間着を取り払ってしまう。
五行家の主人の恋愛事情は家臣も知っているが、施政に関する手腕はきわめて優れていたため、咎めるものはいなかったそうだ。むしろ女中どうしによる逢瀬が領内での密かな流行になっている点は、後世の郷土史家も熱をもって主張するものである。
◆ ◇ ◆
養女という名の愛人によって鋭気を全快させた姫奏は、汗だくの状態で寝間着をはだけさせた清歌をそのまま寝かせ、自分は乱れた格好を直してから寝所を後にするのだった。
表情を引き締めながら廊下を歩いていると、家臣のひとりがとある報告をもたらした。話を聞いて当主は一つ、うなずきを示す。
「なるほど、ね。話を聞く限りそのクノイチは相当やり手のようね」
謎の忍びの噂は近隣の領地のあいだでも知られており、姫奏も彼女の存在だけは聞いていた。
神出鬼没の優秀な忍びの少女。名前は智良と言い、どこの里のものかは不明だが、現れる目的は決まっていた。金品でも情報でもない。彼女は常に、少女の寝所に忍び込み、彼女の姿を見た姫君は眠れない夜に見舞われてしまうという。そして昨夜、五行家の養女(愛人)もその毒牙にかかったというわけだ。
どこかおかしい清歌のようすに姫奏はすぐに気づき、指と同じくらい巧みに言葉を用いて、そのときのようすを彼女から聞きだすことに成功した。
被害はおもにこうだ。清歌が床に就こうとした、まさにそのとき、得体の知れないものの存在に気づいて、彼女は思わず身をこわばらせた。殺気ではなかったが、天井の板が外れて少女の姿が現れたとき、清歌はあまりのことに腰を抜かしてしまったという。
少女の年齢は清歌と同じくらいだろう。薄い褐色の髪を上部で二つ結びにしており、黒の忍び装束を着ているが、下半身はあまりにも無防備すぎた。いちおう脚部は黒の長足袋と足具で守られているが、股引の類は履いているようには見えず、激しい動きをすれば装束の裾から中身が丸見えになりそうである。
信じられない格好に清歌が顔を完熟させると、忍びの少女は彼女の姿を見てにこやかに微笑みかけた。
「へへへ、これからもヨロシク」
そう言い残すと、忍び装束の娘はすぐさま立ち去ってしまった。行きのときと同じルートを使って。人間離れした跳躍力で天井裏に張りついたが、それはあくまで上半身だけで、下半身のほうはというと、寝所の空間にとどまり、黒の長足袋に包まれた脚をばたつかせているというありさまだ。そして、膝丈の長足袋と同じ色のものが可愛らしい小尻を包んでいた。逆三角形をした柔らかな薄布があらわになっている。
清歌はその布と、それに包まれたものに釘付けになっていたのであった。突然、忍び少女の下半身がずり落ち「わわっ」と派手に尻餅をつく。その拍子に脚が大げさに開かれ、装束の中にある黒色を清歌姫に見せつける結果となってしまった。
純情な姫は助けを呼ぶどころではなかった。あまりにも刺激的すぎる光景に頭と身体とが膨張せんばかりに熱くなっており、痴態を見せつけたクノイチ少女が天井裏に消えた後もしばらく立ち尽くしている状態であった。床に入っても、あの魅惑的な小尻が頭から離れることはなく、憐れな姫はほとんど眠ることのないまま朝を迎えたという……。
姫奏はその忍びの存在に難色を示した。いくら危害がなかったとはいえ、私の清歌になんてこと、と思うのは嫉妬深い姫奏としては当然の反応である。引っ捕らえた暁にはたっぷりお仕置きしてやらないと……と、心に決めながら、姫奏は家臣にある人物を呼ぶように頼んだ。
お昼ごろに姫奏の前に現れたのは、灰色の髪と青い瞳を持ったちんまい少女であった。明らかに異邦の少女であったが、呉服の姿が意外なほどサマになっている。
名前は河瀬マノン。彼女は海外からやってきた商人なのだが、旅の途中に五行家の領地に立ち寄ると、それほど居心地がよかったのか、そのまま住み着いてしまった。当主の姫奏とも打ち解け合い、姫奏もまた、お軽いノリに秘められた才覚を評価していた。
マノンは姫奏の姿を見ると、破顔一笑しながら手を上げた。
「こんちは、姫ちゃん。チョイお仕事が立て込んでてな。ようやく一区切りつけてきたところや」
「忙しいところ悪いわね、マノン」
姫奏はねぎらったが、忙しいのは彼女も大概である。商人の少女がやって来るまで、五行家の主はおびただしいほどの公務を効率よくさばいており、マノンもまた若くして商才で財を成したのだから実に大しふたりである。
「うっふっふ、姫ちゃんがうちを呼んだ理由ってあれやろ。『ちらにんじゃ』ちゃん」
「さすが、耳ざといのね」
「商品と情報は鮮度が命やからな。他の領地でも被害が出とったで。ま、そのおかげでうちの特製安眠おくすりがよう売れとるわけやけどな」
「まさか、マノン。あの忍びの娘とつるんでいるわけじゃないでしょうね……?」
姫奏が目をすうっと細めたので、マノンは慌てて両手を広げた。
「ちょ、ちょお待ってや。姫ちゃんったらじょーだんキっツいわあ。うちとしても、乙女の睡眠をおびやかすちらにんじゃちゃんは何としても捕まえたいと思っとったからな。お役に立てるなら大歓迎やで~」
「わかったわ。ならば、夕餉までに作戦を聞かせて。必要とあれば多少の助力は提供するわ」
「おおきに。あと、捕まえた暁には一つ頼み事があるんやけどええか~?」
「内容によるわ。何かしら」
「捕まえたちらにんじゃちゃん、うちのものにしても構わへんよな?」
目をキラキラさせるマノンに、姫奏はやれやれと肩をすくめた。
「……あなたに扱いきれるのならね。我が領地内で迷惑をかけないというなら許可するわ」
「ありがとうな、姫ちゃん」
◆ ◇ ◆
そして、その日の夕方、マノンは五行家の当主によって食事に招かれ、その際、作戦の内容を姫奏に打ち明けた。その内容は単純で、ちらにんじゃが降りてくるであろう箇所に罠を仕掛けるというものだ。あまりに大ざっぱな提案に、姫奏は最初、眉をひそめたものだ。
「本当にそれで智良が引っかかってくれるのかしら?」
「んー、じゃあ、ちらにんじゃちゃん目がけてトリモチぶちまけるとか?」
「掃除は自己責任でお願いするわね」
「えぇ~いややぁ、あれ片付けるのすっごく面倒やし。まま、うちの仕掛けた罠ならちらにんじゃちゃんなんて楽勝や。あとは、せやな。清ちゃんの寝所は移したほうがええかも。清ちゃんに迷惑をかけるつもりはないけど、もしかしたらもの凄い刺激的なものを見せつけることになるかもしれへんからな」
「は、はいっ」
ともに夕餉をとっていた清歌がおっかなびっくりのようすで頷いた。今までふたりの話を静聴していたのだが、正直、異邦の行商人少女がそのような罠をいつ何に使うのかと真剣に考えていたのである。
姫奏はあらためて頷いた。
「わかったわ。清歌には別の場所で寝てもらいます。それとマノンの作戦には私も付き添うことにするから。正直、目を離したところで何をしでかすかわからないもの貴女は」
「うへえ、信用ないなあうちも。まあ、お客さまが増えるのは大歓迎や♪」
「……くれぐれも真面目にやるように」
◆ ◇ ◆
そして、運命の夜。黒衣のクノイチの少女は意気揚々と五行家の城に忍び込んだ。
驚異的な身体能力の持ち主である智良にとって、城の外壁など何ともないものであり、昨晩と同じようにアッサリと天井裏に忍び込むことができた。
智良は口笛を吹かんばかりであった。もちろん実際に吹いたらわざわざ敵に居場所を知らせるようなものであるが、実際に心が昂揚していたのは確かである。
(姫さまのあんな恥じらった顔を見せられたら、もう一度見ずにはいられないじゃん)
今まで多くの娘に、黒い布に包まれた小尻を見せつけては恥ずかしがらせたものであるが、清歌姫の恥じらいっぷりは格別だった。あのときの顔をもう一度拝められるのであれば、危険を顧みるつもりはなかった。
天井裏を這って進み、清歌の寝所に通じる天井の板を外す。明かりは灯っており、彼女がまだ床に入っていないことを示している。
音を立てずに寝所の床に足を付けた瞬間、入り口の襖が勢いよく開かれた。
智良は即座に足取りを乱した。現れたのは寝所の主ではなかった。灰色の髪と青い瞳を持ったちんまい美少女。会ったことがあれば決して忘れ得ないであろう異邦の少女であり、友好的な笑みとは裏腹に両眼には深い知性を秘めた光がちらついていた。
「こうやって出会うのは初めてやなあ、ちらにんじゃちゃん。これからよろしゅう」
気さくな挨拶に対して、ちらにんじゃは野性的な勘を受け、即座に撤退をはかろうとした。
嫌な予感がする! 含みがありそうで無さそうなマノンの笑みを見て智良はそう思ったが、次の瞬間。
「…………っ!」
智良が空けた天井から何かが降りかかった。複数の長い縄がまるで蛇のように智良の周りを俊敏に駆けめぐり、これまた非常に器用なことに、彼女の全身をうまいぐあいに縛り上げたのであった。
「うぐぅ……ッ」
わけもわからず縛りつけられたまま、智良の身体はそのまま引っ張り上げられる。もっとも天井裏にそのまま消えるわけでもなく、天井と床の中間あたりでぶら下がっていた状態である。
作戦を成功させたマノンはほくほくと微笑んでみせたものだ。
「へっへっへ~なるほどなあ。これぞ噂に名高いちらにんじゃちゃんのお尻ってわけかあ」
「ふみゃあっ!? み、見るなあっ……!」
智良はようやく自分の今の格好に気づいた。手首ごと全身を巻きつけられた智良はわずかに腰を浮かせた状態で吊り上げられており、黒い長足袋をマノンに向ける形になっていた。乙女を恥じらわせるために極端に短くした装束の裾はあられもなくめくられて、小尻に包まれた黒い布を惜しげもなく晒している。
「なーるーほーどー。こりゃ清ちゃんが参っちゃうのも頷けるわあ。こんなに可愛らしくてやらしいお尻しとるもん」
「見るなー! 見るなー!! みーるーなぁーっ!」
わめきながら、とらわれの少女は唯一自由な脚をばたつかせた。ちらにんじゃの悲鳴を受けて五行家の女主人までもが現れて、聴衆に参加した。
「へえ、彼女が噂のクノイチさん。意外とかわいいじゃない」
感心したように呟く。まるで恥じらう素振りを見せないで、入り口から清歌を惑わした不届き者の姿を観察し、それが終わるとマノンのほうを向いた。
「ちょっと気になったけど、あのクノイチどうやって縛られて、それからどうやって吊るされてるのかしら」
「えーと、それは河瀬家の秘中の秘ってヤツや。決して書き手さんがこまいコト考えるのめんどくさくなったとかちゃうで」
「は? それはどういう……」
「まま、つまり本当の見せ場はこれからっちゅーわけや」
マノンが話題をねじ切ると同時に、またしても天井裏から何かが降りてきた。縄よりも紐よりもずっと細い糸で、その先端には半円状に曲がった鉤爪があった。ありふれた釣り具であるが、その得物はありふれた存在ではなかった。
「!?」
二つ結びの智良の髪が逆立った。降ろされた釣り針は装束の裾に引っかかり、そのまま釣り上げようとしている。裾はぴん、と山の形で張り、見せつけたのは装束の裏地だけではなく。
「うあうっ、やめろ、やめろよぉ……」
智良はすでに半泣きの状態で二人に訴えかけた。装束がさらにめくれ上がったことによって、彼女は今や黒い下穿きどころか背中まで晒している状態なのであった。脚をバタつかせるたびに悩ましげに小尻が揺れ、腰がくねられる。哀願の悲鳴はしばらく続いたが、姫奏は同情になびくことはなかった。腰に手を当てると、ちらにんじゃのもとまで近づき、憤然と言い放った。
「何言ってるのかしら。あなたはその格好で清歌のことをたぶらかそうとしたんでしょう。今さら恥ずかしがってどうするの」
「う、うるさぁい!」
涙目で毒吐く智良に、姫奏はさらに畳みかけた。
「あなたの目的は何? どうせ他の姫と同じように清歌にその黒い下穿きを見せて快楽を得たいというのはわかりきってるけど、きちんと白状しないとその可愛らしいお尻を百叩きするわよ」
「あッ、あたしは捕まっても忍びだぞ! そう簡単に目的を話せるかよ!」
「じゃあ何? 五行家の財産を狙ってたとでも? あるいは情報? まさか、私や清歌の命が目当てじゃないでしょうね? そんなだったら、この場で即刻打ち首だけど……」
「清歌姫にお尻を見せつけて悦びを感じてましたごめんなさいぃぃいっ!」
命の危機を感じて、智良は即座に忍びとしての矜持を放り投げた。それにしても尻百叩きの次が斬首とは、罪状が飛躍しすぎではないか。
泣きじゃくり出す智良をさすがに気の毒に思ったのか、姫奏はマノンに不届き者を下ろすように命令した。マノンは頷き、やはり謎の理屈で釣り針が外され、釣り糸と縄が天井あたりからぶっつりと切られる。智良が「ぐえっ」と声を上げて床に打ち付けられる。全身を拘束されたまま落とされたため、ろくに受け身がとれなかったのだ。もっとも、大した怪我もなかったため、姫奏はこてんと転がる智良に向かって無慈悲に告げたのであった。
「今夜は我が城の牢で過ごしてもらいます。あなたへの裁量はマノンに一任してあるから、結論が出るまで大人しく待ってなさい」
意味ありげに微笑みかけるマノンから智良はぷんと顔を背けた。
それから姫奏の家臣が現れ、縛られたクノイチ少女を寝所の外へと連れ出していくと、マノンは少し名残惜しげなようすで姫奏に言うのだった。
「う~ん、でもちょっともったいないことしたかなあ。あんな可愛らしいおしりなら多少ぺんぺんぺいんしたところでバチは当たらへんやろ」
「ぺんぺんはわかるけど、なによ最後の『ぺいん』は?」
「今のところ、うちの作った言葉やけど、そのうちたぶん後世では『いたぁい』とかそういう意味になるんとちゃう?」
「ふーん……」
てんで信じていない姫奏の態度であった。
◆ ◇ ◆
翌朝、寝所を移した清歌はやってきた姫奏から一夜の顛末を聞かされた。
「あの忍者を捕まえたんですか!」
「今は縄をほどいて牢で休ませてあるわ。彼女の処遇はマノンに任せてあるけど、さてどうするつもりなのかしら……」
首を傾げるも、姫奏の表情は楽しげであった。それに対して清歌はあることを考えて軽く身震いする。
「ま、まさか。マノンさんはあの忍者さんをひどい目に……」
「あら? あれだけの目に遭って、あの丸出し忍者さんの肩を持つというの?」
「だって、さすがに傷つけられたりしたらかわいそうですし……」
主人の機嫌をうかがいつつ、何とか自分の主張を示したいと思う清歌の健気さに、姫奏は微笑み、愛人の髪を愛おしげに撫でた。
「ひゃわっ……」
「優しいのね貴女は。そのような貴女をそばに置けて私は果報者ね」
「姫奏……」
「大丈夫よ。マノンは彼女に乱暴を働くような子じゃないし、智良って子もちょっと変わったところはあるけど、私たちをだまくらかすような卑怯な精神の持ち主じゃなさそうだわ。たぶん、マノンはあの子を護衛にして旅に出るんじゃないかしらね」
「そうなんですか……」
安堵と寂しさがない交ぜになった表情で清歌は息を吐く。異邦の行商人少女はお調子者ながらも優しいところを秘めているし、露出の激しかったクノイチさんも性格自体は好ましいところがあったから、立場が違えば親しくなる可能性があったかもしれない(刺激的なものを見せつけられるのには慣れそうにないけど)。
そのようなことを考えていると、いきなり姫奏がずいと顔を迫らせた。
「それにしても、ちょっと妬けちゃうわね……」
「ひ、ひめか……?」
清歌は唾を呑み込んだ。至近距離にある姫奏の顔は笑っているが、その目は危険な光を孕んでいたのだ。そのような姫奏の目を清歌は何度も見てきており、ここから先の展開をせき止めることは不可能であった。予兆の時点で身体が熱くなってしまい、肩を触れられることでそれに拍車がかかる。
首を伸ばし、姫奏は耳元で低く囁いた。
「あれだけ私が寵愛を与えたというのに、不届き者のお尻なんかで惑わされちゃうなんて。それほど欲求不満だなんて知らなかったわ。今晩はたっぷり寝たでしょうし、体力は有り余ってるでしょ? 楽しみだわ」
「ふみゅう!? やっ、だめぇひめか……あぅ」
片方の豊かなお胸を鷲掴みされながら、清歌はなすすべもなく女主人とともに寝床に倒れ込む。お互いを激しく愛し合うようなやり取りは、家臣が『大商人の少女が囚われの忍びを雇うことになった』と報告に訪れるまで続いていた。
◆ ◇ ◆
「それでちらにんじゃちゃん、次はどこ行こっか?」
「……決めてないなら大人しく五行家の領地に残ってりゃいいじゃん」
ふたりの少女は現在、五行家の領地を出て道の脇にある岩の上で休憩をとっていた。お昼を回っており、五行家の方がこしらえてくれた握り飯を頬張りつつ、今後の方針について語り合っているというわけだ。
マノンに『うちの下で働いてくれるんなら、この牢から出したるで』と言われて、智良はすぐにその話に飛びついた。彼女の下で働けることが嬉しいとかでは間違ってでもなく、単純に牢内で過ごすことに早くも嫌気がさしたためである。智良が即決したことにより、とんとん拍子に話は進み、恥辱にまみれた少女忍びはめでたく娑婆の空気を吸うことができたというわけである。
乱世の最中とは思えないほどの平穏な光景のなか、行商人の少女はじつに親しげに忍びの少女に声をかけるのだった。
「えっへへ、ちらにんじゃちゃんがうちについてきてくれて嬉しいわあ。あれで可愛いお尻を見納めだなんて切ないっちゅう話やし」
言いながら、装束の短い裾にそっと手を伸ばそうとするが、それはくわっとなった智良によって阻止された。手を払われて、マノンは不機嫌そうに頬を膨らませたが、ムッとしたいのは智良も同じである。忍びの智良は基本、露出の高いクノイチの装束を通して身につけていたが、このとき初めて股引の類が欲しいと思ってしまった。
(でもなあ、こんなことで自分の誇りを放り出すのもちょっと……)
他の人が聞いたら正気を疑うような思考回路であるが、このときの智良は紛れもなく真剣であった。
そして、彼女の思考を読んだかのように、マノンはさらにとんでもないことを言ってきた。
「今、お尻を隠してやろうとか考えてたやろ? だったら雇い主めいれいで、ちらにんじゃちゃんは今から際どくない格好をすることを禁止でーす」
「ふわっ!? なんであんたが勝手に決めるんだよ!」
「雇い主の言うことは絶対や。もし断るって言うなら、契約を破ったとして全身を縛ったうえ、装束が思い切りはだけめくれまくった状態で放置するけど、それでもええんか~?」
智良は小尻をぴょんと浮かせて身震いした。
「じょーだんじゃない! そもそも、この装束をあらためるつもりはないし……」
「えへへ、よかったわぁ。道中ずっと、おしゃべりする相手がいなかったから、すごく楽しいわぁ」
「いなかったって、今までずっと一人で……?」
智良が尋ねると、マノンは握り飯を持ちながら晴れ晴れとした空を見上げた。
「護衛は雇ったことはあんけどな。義理堅かったけど、ほら、どれも屈強な男ばかりだったし、支払金の話しかせえへんかったわ。でもホントは、うちだって親しげに話せる女の子が欲しかってん。だから智良ちゃんに会えて、うちはとっても嬉しいで」
心から嬉しそうに言うものだから、智良はかえって裏があるのではないかと困惑してしまった。
そんな彼女を、異邦のちんまい美少女は思いきり抱きしめた。
「これから、うちのことをバッチリ守ってーや、智良ちゃん」
可愛らしくお願いされて、智良は今度こそとるべき表情を見失ってしまった。
【おわり】