3-3「乙女心と男心」
第三章第三話〜乙女心と男心〜
「サライ!久しぶり!」
「リン!会いたかったですよ〜!」
ぎゅうっと効果音がつきそうな抱擁。
ここはアルフィンの城下町の宿場、サライがこれから3日間滞在する予定の部屋である。
サライほどの要人となれば普通もっと高級な宿場を利用するものだが、彼自身の希望とあって部屋は質素なものだった。
リンが気兼ねなく遊びにこれるようにという配慮もあるが、彼自身が華美なものを嫌う性質であるためだ。
しかし、部屋は綺麗に掃除され窓際にはサライが好む百合のような花が活けてある。
宿場の女将なりの歓迎の意ととれよう。
「今日は一日お互いにお休みですし、お茶を飲んだら外に行きませんか?」
「もちろん!サライよりも街には詳しくなった自信あるんだから〜」
「じゃぁ案内をお願いしますね」
きゃっきゃと騒ぐリンを見てサライの頬が緩んでいく。
わざわざ隠居を出てきた甲斐があるものだとお茶を注ぎながら考える。
「さて、その前にちょっと失礼。」
サライはふふっと笑って小声で詠唱を始める。
きょとんとしたリンは何事かと不安げだ。
「ほら。終わりましたよ」
何が起こったのかわからないリンは更に訝しげな表情である。
どういうこと?といった顔できょろきょろする彼女に、ついついっと体を指差してみる。
「うそーーーーー?!」
つられるように自分の体を見たリンの絶叫。
この絶叫も久々に聞くなぁと微笑んでいると、詰め寄ってきたリンに肩を掴まれガクガク揺さぶられる。
「女の子に戻ってるじゃん!だめじゃん!街なんか歩けないよ!」
ほんの悪戯心からの行為だったのだが、リンにとってはかなりの打撃だったようである。
顔面蒼白でなんだかんだと喚いている。
「大丈夫ですよ。女の子の服を着ていれば”リンク”とはわからないですし。もし知り合いと会ってバレてしまったら双子の妹ってことにしちゃいましょう?」
しかし、これくらいで引けるわけがない。
せっかくリンに会うために王都までやってきたのだ。
男の子バージョンも悪くはないが、せっかくならリンクではなくリンの姿で一緒に過ごしたいものである。
「・・・う〜ん・・・。でも・・・」
「リン!お願いします!」
「あ〜〜・・・もう仕方がないなぁ」
「ありがとうございます。そうとなったら・・・」
この時のためにと買っておいた女物の服を取り出す。
薄い素材の白いワンピース、柔らかい革素材の茶のブーツは房飾りが付いている。
直接出せばセクハラだろうと踏んで包み紙に入っている下着も、こっそり自分好みの白のセットにしておいた。(レースたっぷり!)
小物として上品なラメ入りのピンクのショールもつけてみたり。
買い物があまり好きではないサライだが、これらの品を買うときだけはうきうきしてしまった。
「可愛い!ありがと〜!なんかオシャレするのって久々だから嬉しいかも」
気に入ってもらえるかとちょっと不安でドキドキしながら見守っていたサライだが、リンの本当に嬉しそうな表情にほっと安堵する。
「では、しばらく外で待っていますので、着替えてみてくださいね」
「は〜い。すぐ終わるから待っててね!」
早速着替え出していたリンが衝立の向こうからひらひらと手を振る。
これも半年近く男の子として生活したがゆえの習性なのだろう。
警戒心もへったくれもないリンの行動に少し顔を曇らせるサライ。
しかし、彼女の突き抜けた明るさに警戒というのはあまり似合わない。
惚れた弱みというのはこういうものなのかもしれないと苦笑いしながら、サライは部屋を出た。
******
宿を出て30分後、城下町の中心を抜け10分ほど歩いたところにある湖に二人はいた。
気を利かせた宿の女将が準備してくれた特製のお弁当を持参しての軽いピクニックである。
お互いの近況や二人で暮らしていた頃の懐かしい思い出話に華が咲く。
夕紅の森とは生茂る木々や囀る鳥の種類は違ったが、二人の縁は変わらず続いていると確信できる穏やかな時間だった。
「ねぇ。サライは恋をしたことある?」
「・・・これはまた唐突に面白い質問をしますねぇ。」
くすくすと笑うサライに顔を赤らめるリン。
「真面目な質問なんだから、はぐらかさないでちゃんと答えてよー!」
むうっと唇を尖らして抗議するリンを可愛いと思いつつも、質問の背後にあるであろうリンの恋心に思いを募らせるサライ。
(ああ、この子はこんなにも簡単に私を喜ばせては不安にさせて・・・。
子どもの悪戯にも似て、悪意なきその行為は、純粋であるからこそ私を傷つける。)
「そうですね。もう長く生きていますので、恋のひとつやふたつありましたよ。懐かしいものですね・・・。」
「そうだよね。サライって顔良し!性格良し!頭脳よし!・・・っていうより、ダメなところが思いつかないもん。女の子がほっとくわけ無いよね。」
にやにや笑いでサライの顔を覗き込むリン。
「今日のリンは口がうまいですねぇ。そんなに褒めたって何も出てこないですよ。」
我ながらもっとうまく返答できないものかと情けなるものだが、リンが相手となるとサライは無力である。
ここでもっとなにか伝えられたらいいのにと思う反面、今の関係を失うことリスクだけは絶対に冒せないとも思ってしまう。
「そんなつもりじゃないもーん。でも、ほんとに思うよ。サライみたいな人に愛されたらきっと幸せだろうなって。」
からかってるんじゃないもんと呟きにっこりと笑うリンの様子が恨めしいくらいだ。
照れ隠しなのかそろそろ行こうかと立ち上がり、小声で歌を口ずさむ彼女の声。
それは一種の警告音のようにサライの心中を揺さぶる。
さざ波のように揺れ惑う心を必死に静めようとしたが、今の彼は無力。
そして一瞬の間を置いて彼の口から出た言葉は、彼自身にも予想がつかないものだった。
「愛してますよ、リン。あなたのことを心から。」
まるで心と体が分離したかのような感覚だった。
そんなこと言ってはいけないと叫ぶ心とは裏腹に、体は、唇は動いていた。
「え?」
振り向いたリン。
それを見つめるサライ。
鳥のさえずりが遠くなってゆく。
この時だけは風音すら声を潜めたかのようだった。
「・・・あなたは大事な、娘、ですから」
搾り出すように一句一句をつなぐ。
唇はそれを拒否するように乾き、うまく喋れなかった。
しかし、それ以上に離れていくリンを見るのは怖かった。
「ありがとう。私もサライを愛してるよ。」
その笑顔があまりにも晴れやかで美しく、サライの心には鋭い棘のように感じられた。
自分でも悲しい位にわかっていた。
まだリンにとって自分は「養父」であり「師」であり「友」に過ぎないのだと。
その称号はとても誇らしくもあったが、「男」としてはスタートラインにも立てない自分が歯がゆかった。
しかし、信頼する自分がその立場に不満を抱いていると知ったらリンはどう思うだろう?
彼女は泣くんじゃないだろうか。
リンの泣き顔なんて見たくなかった。
そう、彼女の笑顔を始めて見た時、自分がどう決心したか今もしっかりと覚えている。
何を賭けてでも彼女の笑顔を守ろう。
それがたとえ自分の想いであっても、彼女の笑顔を守ろう。
未来のことなど誰にもわからないけれど、いつかこの想いを伝えることができたらと思う。
しかし、それは今ではない。
彼女の笑顔を失う可能性がある今は、この想いは胸に仕舞ってしっかりと鍵を閉めなければ。
「では、参りましょうか?お嬢さん。」
「ええ、しっかりエスコートしてくださいね?お父様。」
差し出した手の上を握り返す暖かく小さなその手。
今はそれを信じ愛し守ろう。
サライの新たな決意に祝福を送るように小鳥達は囀りを木々は風音を奏でていた。